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 大きな電子音が来客を告げた。敏感になっていた僕の耳にはいつも以上の音量に感じた。祖父はいびきをかき続けている。僕は玄関へ向かい、自分が帰宅した時と同程度の力でまたドアを開けた。先ほど感じた外界のいくつかの音が、堰を切ったように家の中に溢れた。ドアの前で待っていたのは、痩せていて背の低い七〇歳前後の男性だった。


「こんにちは。おじいちゃんは?」


 彼は脱帽しながら僕にたずねた。汗の滲んだ白髪が陽光で光って見える。左手には紙袋を下げていて、大抵はこれに『センベイ』という、この地域で好んで食べられる高級菓子が入っている。


「居ますよ。どうぞ上がってください」


 僕は彼を通しておいて、祖父を起こすために居間へ戻った。


「おじいちゃん、社長がいらしたよ」


 祖父はすでに起きていて、簡単に身なりを整えているところだった。おそらく先ほどのブザーで目を覚ましていたのだろう。


「暇人だな、奴も」


 悪態をつきながらも祖父は笑顔だった。ところで、この言葉には少し違和感があった。もしかしたらブザーよりも前に起きていたのかもしれない。


「邪魔するよ。今日も暑いな」


「おう、なんだい突然に」


「なに、近くへ寄ったものでな」


「元々近くじゃねえか」


「まあそう言うな。世間話でもと思って口実作ったんだから」


 僕はお茶を淹れるために台所へ向かった。彼らは『旧人類』特有の口の悪さはあれど、その間には信頼関係がある。単語として表出する言葉よりも柔らかさと思いやりを実際には含ませるのが、イースタシアの中でも特にこの地域で形成されたマナーだ。


「はい、社長。おじいちゃんも」


「なんだ?何か欲しいものでもあるのか?自慢じゃないが金なら無いぞ」


「これくらいいつも淹れてるじゃないですか」


 僕と社長は笑い合ったが、祖父の雰囲気が重いことは背中でわかった。


「……でも実際、お前なんか悩んでんじゃあねえか?大丈夫か?」


「どうして?おじいちゃん」


「お前ら『新人類』は俺らを馬鹿にしているが、俺らには俺らの間合いってもんがあるんだ。全体、今日のお前はどうも浮かねえ」


 やはり祖父は、ブザーが鳴る前から実は目を覚ましていて、薄目を開けてこちらを窺っていたのだ。そして僕が集中して考え込んでいる様子を察知したのだろう。この話題には社長も興味があるようだ。


「ほう!それというのは、ひょっとすると例の『船』に関係あるのかい?噂じゃ、この辺りの者が乗っていたらしいじゃねえか。実はその辺のこともあって寄ったんだ」


 ホヅミとは高等部で初めて会ったから、厳密に言えば近所ではないが、イースタシアの規模から見れば『この辺り』の人間であることは間違いない。


「同級生が乗っていたそうなので、僕にも何かできないかと思っているんです」


「助けるためにか?」


「そうです。今も何らかの助けを待っていると思います」


 祖父と社長はどちらも神妙な顔で言葉を探している。


「仲が良かったのか?」


 祖父の疑問は、僕としてもサハラと話して以降ずっと考えているものだ。僕はホヅミと仲が良かったのだろうか?他クラスも含めて考えれば、中等部や初等部からの友人もきっといるだろう。僕よりも仲の良かった人物はいるはずだ。サハラのように切れるわけでも、ヤマシタのように体格が良いわけでも、きっと一番仲が良かったわけでもない僕は、彼らに対して名状しがたい劣等感を抱いている。


「クラスの中では良い方だったと思う」


 僕はその劣等感のようなものに心が潰され果てる前に、事実だけを述べた。僕が今どんな顔をしているのか自分ではわからないが、社長と祖父が僕を見る視線が語るものはわかる。それは同情、哀れみ、自分を重ねたセピア色でノスタルジックなものだ。


「見当は付いているのか?」


「行き先のですか?それは別の友人が調べています」


「チームでやってるってわけか」


「たった三人ですけどね」


「で、お前の役割は何なんだ?」


「それが僕にも判然としないから困っているんだよ」


 僕は多少の恥を忍んで白状した。いっそ笑い物にでもしてくれてよかったが、彼らの表情は真剣なままだった。


「そりゃあ、これだけ事が大きけりゃ、遅かれ早かれどっかで手詰まりになるってもんよ。だが行き先がわかったとして、それからどうするんだ?それがこの辺じゃ無かったらどうやってそこへ行く?」


「『船』が就航している場所ならチケットを取るよ」


「つっても『船』ごと消えちまってるからなあ」


 社長の言わんとしていることはわかる。ホヅミたちがどこかの『港』に着いてから消息を絶ったのであれば探しようもあるが、その前に消えてしまっているから、たとえホヅミの乗った航路がわかって現地へ行けたとしても、その場所に居るとは考え難い。


「社長はどう思いますか?『船』は墜ちたんでしょうか?」


 社長は祖父を意味ありげに見た。


「『船』は勝手には墜ちねえ。『遊陸』ってのはこの世の物理法則の変更だ。いや、そうとしか思えねえような現象だ。俺のエンジニアとしての勘だが、だから元に戻る時も一発だ。『船』が墜ちたんなら陸もとっくに墜ちてるはずだ。少なくとも同じサイズの『船』は皆墜ちてなけりゃ説明がつかねえ」


 社長は湯飲みに口を付け、音を立てて少しだけすすった。


「そうすると……」


「もっと悪い状況を意味するのかも知れねえ。つまり戦の兆候だ。誰かが戦を始めたがってるってこった。もちろんそうなったら、『船』一隻二隻の話じゃ済まねえ」


 いずれにせよ同級生の生命については期待しない方が良いぞ。社長の顔にはそう書いてある。社長からすれば、そんなことよりも戦争についてより関心があるようだ。それは当然だ。僕でもそう思う。だが、気持ちは割り切れない。


 もしも僕らが向かうことで戦争になるのだとしても、僕は行かねばならない気がしている。何者かに拿捕されたのならば、政府は『恒久和平』のために敢えて放置する可能性が高い。祖父は社長と同じような意見のようだったが、目を瞑って考えを整理しているようだった。


「飛空艇が要るな……」


 祖父は脈絡なくそう呟いた。


「おいおい、行かせるのか?」


「俺は戦争は嫌いだが、この『恒久和平』ってのもどうにもいけ好かねえ。結局あの時からずっと飯事でもさせられてるみてえな気持ち悪さがありやがる。新政府も何もかもが、誰かの書いた筋書きを演らされてるような」


「つまりうちも、知らねえうちに来る日も来る日もロケット砲の部品を作らされてるってわけだ。あの頃みてえに」


 社長の目が怒りよりも奇妙な色を放った。


「どうせ作るなら、人助けになる武器がいいやなあ。それも、あんな鉄板なんかじゃなく、まるごと全部だ」


 社長はまだ熱いお茶を一息に飲み干して立ち上がった。


「話はまとまったな。何機要るんだ?」


 彼らの提案はありがたかったし、実際それを引き出すことが僕の最大の役目であったようにも思うが、僕は今日何度も味わった無力感を再び覚えた。


「とにかく僕らは三人だよ一機に何人乗られるのかわからないけど」


 祖父も立ち上がって社長と向かい合った。彼らは思考を共有して、すでに脳内の製図板を共に引いているように見える。抑圧されてきたエンジニアとしてのプライドが、空間にほとばしっている。


「複座にしても二機要るな」


「動力はバッテリーが現実的か?」


「『船』は無理だな、ノウハウがねえから時間が掛かり過ぎる」


「相手の情報が無えから、機関砲くらいは調達するか。旧式でも良い弾が用意できりゃあ勝負できらあな」


「武装なんかして大丈夫か?報道じゃ、オセアニア行きの『船』だろ?」


 二人は飛空艇の仕様について迅速に議論し、瞬く間に決定していった。僕の知らない単語で、僕たちの運命が決められていく。サハラやヤマシタは成果があっただろうか。僕らが戦う相手がいるとすれば、それはどんな相手だろう。オセアニア人かユーラシア人だろうか。言葉は通じるだろうか。本当に機関砲を撃ち込まなければならなくなった時、僕たちは躊躇せず引き金を引けるだろうか。


「動力系統も含めて調達は任せたぞ。俺は引き始めるからな」


 祖父の言葉が号令となって、社長は足早に出て行った。祖父も図面を引くため自室に引き上げようとして、居間を出たところで不意に立ち止まった。


「悪いな、勝手に盛り上がっちまって」


「ううん、ありがとう」


 楽しそうだね。そう言おうとしてやめた。それは不謹慎なように思えたし、戦争を嫌って歳を重ねてきた二人に対して失礼とも思えた。それに僕としては祖父の協力を期待していた部分もある以上、冷やかすような言葉は自分を裏切るような気分にもなるからだ。


「戦争になる時はなるし、ならねえ時はならねえ。何かしても、しなくてもだ。だったら少しでも納得できるように、自分にできることをやりてえと思ったのさ。すまねえな、首突っ込んで」


 皆、自分の役割を見付けてそれを果たしている。『自分にできること』を。僕のそれはなんだろう。僕は今日、千回くらいその言葉を心の中で呟いている。呟いても呟いても答えは出ない。九割九分くらいはただ心の中で呟くだけの呪文になっているのは、答えが見付からないことを潜在的に感じているからだ。それでも呟かずにはいられない。その作業は僕という人間と、その存在価値の確認だ。


『僕にできることはなんだろう』。

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