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まとわりつく湿気と暑さで目が覚めた時には、自分がいつの間にか眠っていたことを自覚できなかった。それほど深い眠りでも、長い時間でもないような感覚があったが、屋外で響いていたサイレンは鳴り止んでいたし、茶色い目の男は消えていた。
吐き気は無くなっていたが、ひどく汗をかいたせいで体力を消耗しているのがわかる。経験上、サイレンが止まったということは、霧や雷の心配は無くなっている。僕は慎重に立ち上がって鞄を掴んだ。そういえば仕舞い忘れていた電磁ランプを鞄に入れようとした時、何かがベンチから落ちた。それは小さな長方形の厚紙で、どうやら男の名刺のようだった。
『喫茶ハナノキ 店主』それが彼の肩書きらしい。裏返すと『お先にご無礼します。お目覚めになってもお加減優れぬようでしたら電磁通話ご遠慮無く』と手書きされていた。喫茶店の店主にしてはフォーマルな装いだったようにも思えるが、たとえば茶色や赤色などの前掛けを着ければそれらしくも見えるのかもしれない。
のどが渇いている以外には不調は無いので電磁通話は必要なさそうだが、そのうちに店に行ってみようと思う。『喫茶ハナノキ』の看板は家の近くで見たことがある。
僕は改めて荷物を持って外に出た。正午を少し過ぎた雲ひとつ無い快晴で、オゾン層の比較的薄いイースタシアの太陽は直接的に僕を灼いた。
何も見えないほどの白く冷えた霧は、陸を伝ってすでにかなり下方へ流れていったようだ。それとなく周囲を見回すが『喫茶ハナノキ』は見当たらない。霧のせいでよくわかっていなかったが、もう自宅まで二〇〇メートルほどの地点まで来ていた。遠くからセミの声が聞こえる。
人間を含め、生物の生命力には驚かされる。土も空気も樹木もかつてとは大きく状態が変わっているというのに、彼らは数を減らしながらもその営みを絶やしてはいない。こと昆虫は『遊陸』に伴う生息域の大気圧低下によく順応した種が多い。
祖父に言わせれば、かつてセミというものはこの時季にはもっと至る所に大量にいたそうで、その話の中の、生命で満ちあふれた世界と比較すれば状況は大きく違うのだろうが、僕の目に映るこの霧と雷の世界も、僕の感覚からすれば十分エネルギーに満ちているし、生命が育まれているし、正常だ。
もし誰かにとって、その経験に基づいて現在が異常に見えたとしても、その異常さの中で生きていくほか無いし、異常の最中に生まれた世代にはそれこそがすべてだ。
僕からしてみれば、この昆虫の鳴き声は近くで聞いているとかなり耳に付く部類なので、あまりにもそこら中で鳴かれる世界というのは御免被りたい。
名刺に記載されている『喫茶ハナノキ』の住所は、やはり自宅からそう離れてはいない場所のようだ。自宅のドアを僕はいつもと変わらない力で開けた。イースタシアの多くの地域の家庭がそうであるように、僕の自宅も玄関を入ったタタキで靴を脱ぐことになっている。
僕はいつもより緩く縛っていた靴紐を解いた。玄関の状況からすると、祖父は在宅らしい。靴下のまま居間まで進むと、祖父のいびきとラジオの音が聞こえた。ソファに深く腰掛けて、規則的に胸が上下している。
祖父は仕事を辞めてから、少しだけ動きに繊細さがなくなり、少しだけ鈍くなり、そして昼寝する姿をよくみるようになった。とはいえ、祖父の場合は元々が精密機械のような人物だったから、ようやく人間らしくなったと考えることもできる。
僕がホヅミを探すためにできること、それはほとんど祖父の力を借りることに等しいのかもしれない。この結論には、実は最初から辿り着いていたのだが、祖父に助けられるだけでは僕自身の気持ちがおさまらないであろうことはわかっているし、そうは言っても『船』を捜索できるなら手段については問題で無いこともまたわかっている。
それに祖父に相談したところでやはり事は大き過ぎるようにも思えるし、そもそもおさまらないであろう僕の『気持ち』が何なのかも本当のところはよくわかっていない。それがたとえば自己顕示欲や見栄のようなものであるのか、誰かに対する劣等感の類いなのか、それともホヅミを心配する気持ちを意味するのか。
僕は考えながら祖父とは少し離れた位置に腰掛けた。『旧人類』の多くがそうであるように、祖父も軍隊やその後勤めた工場において耳を酷使したので、少なからず耳は遠くなっている。ラジオから流れてくる音楽の音量が大き過ぎるので、つまみをひねってそれを下げた。切っても良かったが、祖父はこういったチャネルを流し続けることを好んでいたし、切ることがかえって祖父の睡眠を妨げるようにも思えた。それに僕としても、今は多少の雑音があった方が気が紛れる。
音楽が和らぐと、相対的に外の音が聞こえてきた。セミの声、西風の吹き抜ける音、時々はBVが近くを通る走行音もあったし、照りつける光が路面を灼く音すら聞こえてきそうだ。