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「お前はホヅミと仲が良さそうだったから、何か聞いてるかと思っただけだ。どこへ行く予定があるとか、誰と行くとか」


 イトウ先生はやはり電磁ビジョンから最近報道しまくっている話題に触れ、そして僕らが心配していたとおり、どうやら『船』にはホヅミが乗っていたらしいことを告げた。僕は手の平が汗ばむのを感じながら、サハラとヤマシタとの会話を思い出していた。


「ごめん、ホヅミがオセアニアに行ったことも知らなかった。どこにも出掛けないような口ぶりだったし」


「そうか。いや、もし何か知っていたらと思って聞いただけだから。こっちこそすまない」


「それに、どんなに騒いで情報を集めたからって、一五歳や一六歳の俺たちにどうすることもできないことはわかっているんだけどね」


 ヤマシタの目には、申し訳なさそうにうなだれた僕の姿が映っている。そんな僕を慰めるために、巨大な体躯に見合わない繊細で寂しげな表情を作った。


「何もできないなんて思わない」


 サハラはヤマシタを見返しもせずに強い口調で反論した。


「歳なんて関係無い。俺たちにできないことを、イースタシアができるとは思えない。『誰かがなんとかしてくれる』なんて言っていたら、ホヅミは帰ってこないぞ」


 サハラの言うことがおそらく正しいことは僕らにもわかっていた。『永久紛争』『恒久和平』そのまやかしを国民の誰もが疑っている。それでも、僕らにはそれが僕らの仕事ではないと言うだけの理由はある。


 ヤマシタの言うように僕らは若過ぎる。『船』と乗客の捜索や対応は、もっと適切な年代の人物が行うことがふさわしいように思われた。政府の機関にふさわしい部署があるかはわからないが、『永久紛争』の最中にできた非政府組織の中には、現在も活動を続けている団体もあるだろうし、そういった任務に向いていると想像できた。サハラにそのような提案をすると、呆れたように首を振った。


「非政府組織って『生命の結社』辺りの当時の反政府組織ことを言っているんだろうが、少し近代史を読めばわかるだろ?あんなの結局は当時の政府の傀儡か、そもそも存在してすらいない団体で、外ではオセアニアやユーラシアとの『永久紛争』をしていたように、中では『生命の結社』という架空の敵を作って、戦っているふりをしていただけだ」


「でも、実際に旧政府を打倒したのも『生命の結社』だよ」


 『永久紛争』は『遊陸』後の混乱で資本主義に台頭した、世界的な社会主義とほとんど時期を重ねた一九六〇年代から一九八四年頃まで続いた。現在では世界は再び資本主義に回帰したが、至る所に当時の残渣がある。


 大きなもので言えば、現在も地球上に存在する国家はたった三つの超大国家、すなわちオセアニア、ユーラシア、イースタシアであるし、『恒久和平』はかつての三国間で取り決められた小競り合いである『永久紛争』を、今度は逆に緩衝地帯で実際には起こっているはずの戦闘を無視しているに過ぎない、巨大な全体主義の延長と考える人は多かった。


 『生命の結社』は、当時イースタシアを独裁していた『偉大な父』と、そのイデオロギーたる『死の崇拝』を打倒すべく結成された反政府組織ということになっていた。『永久紛争』も『生命の結社』も、政府の敵を作り上げることで、資本と労働力と民衆の攻撃性を浪費させ、政権を安定する役割を担っていたとされている。


 しかし、永久に続くかに思えた独裁も二〇年程で終焉を迎えた。


 強引な監視や集産主義、最下層への冷遇が徐々に旧政府への不信感となり、存在しないはずだった『生命の結社』が驚くべき速度で力をつけ、『偉大な父』を打倒した。


 しかし、『偉大な父』もまた単なるアイコンに過ぎなかった。革命が終わってみれば、一握りの特権階級の屍と、街中から剥がされた『偉大な父』のポスターが山を成したが、『偉大な父』そのものはどこにも見当たらなかった。そのような人物は存在しなかったのだ。


 実在しない者が全てを牛耳って実在しない戦争を行い、実在しない勢力に敵意を向けさせ、最後にはその勢力に倒されたことで、虚構に満ちた二〇年は終わった。


 不思議なことに、それゆえ疑わしいことに、イースタシアだけでなくオセアニアとユーラシアでも同時期にイデオロギーの転換が起こった。


「皆、これからどこかへ出掛ける予定もあるでしょうが、政府としても外国への渡航には注意喚起していくそうです。それに、なるべくならイースタシア国内でも『船』を使う距離は避けるように」


 誰かが手を挙げた。


「なるべく『船』に乗らないようにというのは政府の見解でしょうか?それとも先生の?」


 自由主義となった現在において、全体主義への反動からか、他人の行動に必要以上に干渉することはタブーとされている。まして政府が渡航禁止にしたことなど一度も無いはずだから、この疑問はもっともなのだ。


「もちろん私の、せいぜい高等部長の見解と考えてもらいたい」


 イトウ先生は用意していたかのように即座に回答した。また誰かが挙手した。


「僕は来週からオセアニアへ行く予定ですが、見直した方が良いですか?」


「もちろん見直せるならばそれに越したことはありません。ですがこれはあらゆる強制力を行使できる類いのものではなく、政府が予定している注意喚起の一種です」


 イトウ先生は正常ならざる笑みを浮かべながら続けた。


「イースタシアは自由と平等の国です。『船』の一隻や二隻沈んだとて、それは覆されてはならないのです」


 その異常性を感じ取ってか、教師の不謹慎な発言にもクラスは静まりかえっていた。


「ですからあなたがオセアニアへ行くことを誰も止めません。それはあなたの自由です。それに、イースタシアと他国は相互に『恒久和平』を結んでいますから、他国からの攻撃の可能性は万が一にもありません」


 教室がざわつく。全員が同じ疑問を抱いた。「ではなぜ『船』による移動に注意喚起するのか」「なぜホヅミの乗った『船』は消えたのか」だが、それは明確な音声となってイトウ先生に届きはしなかった。イトウ先生にしても、状況をすべて把握しているとは思えなかった。


 大戦や『遊陸』を契機に力を付けたのは社会主義だったが、そのイデオロギーの転換期にイースタシアで力を付けたのは宗教だった。『天の火教』は一連の動乱を『天罰』ととらえた終末思想を礎にして、カワムラの強力なカリスマ性で信者を増やした。


「『生命の結社』が『天の火教』を倒せたか?」


 僕は再びサハラたちとの会話を思い出した。


「『天の火教』は新政府が倒した。でも、新政府の閣僚はほとんどが『生命の結社』の出身者だから、宗教戦争を終結させたのは潜在的には『生命の結社』とも言えると思う。新政府が旧政府のような政権だとは思えない。むしろ正反対と考えても良いんじゃない?」


 僕は自分の言葉の中のほとんどに現実味を見出せないまま、自分に言い聞かせるようにサハラに語りかけていた。全てがまやかしとは思っていない。だが『恒久和平』という理想を、さも現在起こっている事実であるかのように我々に説く新政府は、本質的に旧政府となんら変わらない独裁者にしか見えなかった。


「独裁者を倒したやつが独裁者になるのはよくあることだ」


 僕にもその意味はよくわかっている。それに僕は、自分がそのややこしそうな状況に飛び込んでいく気力が無い言い訳をしたいがために、誰かがどこかでこの事件を解決してくれることを願っている。僕のそんな気持ちを把握しているかのようにサハラが続けた。


「もし、外国が『船』を拿捕したんだとすれば、政府は『恒久和平』を守るために、公表なんかしないぞ。そもそもその『船』、その乗客は存在していなかったことになる」


 僕は言い知れぬ不安にのどが渇いた。なんとか唾液を口に溜めて、あえぐように飲み込んだ。横にいるヤマシタもそうしたように思われた。


「存在しない乗客は助けられたりしない。ということは、時間が経つほど状況は厳しくなるってことだ」


 ホヅミは今、どこでなにをしているのだろう?『船』はオセアニアに拿捕されたのだろうか?それとも難破したのだろうか?あるいは単に、連絡の行き違いか何かでこのような大騒ぎになっているが、実際には何事もなくオセアニアで夏休みを満喫してくれているならどんなに良いだろう。だが一番望ましいことは、どうも一番可能性が低いように思われた。


「とにかく、事態が落ち着くまでは『船』での移動は避けた方が良いと私は思います。私であればそうします。では、各自よい夏休みを」


 イトウ先生はそう締めくくって足早に出て行った。先生の去った教室内は平静を保てそうにないほど思考が巡っていた。クラスメイトはこれからどうなってしまうのか。イトウ先生を含む大人たちはどこまで事態を把握しているのか。どんな手を打っているのか。さしあたって旅行の計画をどうするか。室内の錯乱はすぐに隣室へも伝わり、穏やかな水面に大きな石が落とされてできた波紋のように伝播していった。


 サハラがこちらへ来た。混乱の中にあって、彼は冷静な表情をしているが、強い決意を感じる。


「助けに行くぞ」

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