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”お待たせしたようだね。発艦に手間取ってしまってね”
カワムラは思念を集中している。
(そんなんで大丈夫か?ここじゃ言い訳は通用しないぜ?)
”無論”
向かい合った僕とカワムラは、閉ざされた時の中でほとんど同時に発砲した。その最初の一発がどこへ到るか、射線をどう避けるかという判断も、その避けるための動作も同時で、右に旋回するという選択も同じだった。
カワムラがどういう戦術を用いるかはわかっている。ドッグファイトだ。カワムラはその機のいかなる性能にも自信が満ちている。
僕は右旋回で弾丸を避けてすぐに、さらに右回りに大きく機体をひねりながら操縦桿を引いた。カワムラがドッグファイトを仕掛けるならば、そこに居るはずだ。
しかし、カワムラ機は居なかった。不吉な予感がして、僕はフラップで揚力を得て一気に上を向き、スロットルを全開にした後すぐにフラップを切ってそのまま背面飛行へ移った。背後のカワムラ機が機銃を撃ちながらぐんと速度を上げて追い越して行く。
カワムラ機を確認したままさらに操縦桿を引いて正面を向き、カワムラ機の後ろに付けた。カワムラ機は誘うように直線的に距離を開けていく。その挑発に乗って数発撃ち込んだが、複雑な曲線が徹甲弾を滑らせているようだった。
”やはりお前の弾では、イースタシアの最新鋭機に傷を付けるのは不可能らしいな”
送りつけられてくる思念の中で、カワムラは無表情だった。
”であれば、逃げ回る必要など無いのだな”
その思念が届くより先に、カワムラ機は敏捷に上昇して背面飛行に入り、機体をひねってこちらを照準した。
僕はラダーを踏んで機体を横滑りさせ、フェイントを掛けた。
”見えているぞ!”
何発か発射されたのがわかる。僕は左への旋回姿勢からまたラダーを踏んで今度は真下を向いた。操縦桿を引いて姿勢を直しつつ横滑りを急速に収めると、敵の弾丸が尾翼の上下をすり抜けていくのが見えた。
カワムラ機はまだ左後方にあって、ラダーとエレベーターを操作して機首を振り、零式を狙ってさらに銃撃した。だが違和感がある。零式の回避行動を予測して敢えて外している?
僕は再び左に旋回姿勢を取って急速に後方を向いた。弾丸はやはり、回避せずとも零式の下を通過した。
カワムラ機とまた正面で対峙した。今度は至近距離だ。
一瞬早く僕が撃って、すぐにカワムラも撃ってきた。今度はまっすぐに狙っている。僕はフラップを引いて急速に機体を持ち上げることで回避したが、カワムラは弾も零式も避ける様子が無い。
カワムラ機に着弾している様子は確認できなかったが、先程よりは手応えがあった。
(相対速度だ。さっきは遠ざかる機体に当てたから勢いが足りなかったが、今のはお互いに向かい合っていたから弾が通ったんだ。つまり、最新鋭機のカワムラが敢えてドッグファイトを選んだのは、お互いに速度が乗った状態で撃ち合う一撃離脱戦法だと、食い込む弾も増えるからだ。お前が勝つには、ある程度距離を取って、できるだけお互いに正面から高速で接近し合い、至近距離で撃ち込む)
理屈はわかるが、それは不可能だ。僕の心は常にカワムラに監視されている。その作戦に気付いた時点で、カワムラもそれに気付くのだ。もっと言えば、カワムラ機を引き離すことがおそらくできない。カワムラ機は旋回にも速度にも優れた最新鋭の小型機であるうえに、操縦者のカワムラは僕と同レベルの反応速度の修羅状態になっている。
(無だ)
無?
(カワムラがお前の修羅状態への対策でやってただろ?思念を極限まで減らすことで、カワムラに思考を読まれないようにして隙を突くんだ。その時お前は、純粋な修羅と化すか、純粋な無となるんだ)
”良い作戦だ。それしか私を倒す道は無さそうだね。……もっとも、君がその境地に至れるならば、私は倒されても本望だよ”
射程外から飛来するガトリング砲の弾丸を、僕は旋回動作でいくつか避けた。
”私が二〇年間の修行で得た境地だ。そこへ上がって来られるか?”
『戦艦』からさらに距離を取ろうとする零式を、カワムラ機は追撃してきた。僕は操縦桿を右に倒し続けて四分の三回転して左を向くフェイントを掛けたが、カワムラはそれがわかっていたように左側へ撃っていたので、操縦桿を引かずに逆に倒した。
カワムラは慌てる様子も無くまたその先へ弾を張って来たので、僕はフラップを降ろして逆に左へ急速な旋回をした。
がつんという衝撃があり、ついに被弾したことがわかった。カワムラからの思念が漏れてきて、それがフラップの先端だということも。
(かすり傷だ)
背面飛行に移ってからすぐに急降下すると、巨大な積乱雲が目の前にあった。カワムラはようやく着弾したことで心にわずかな隙ができた。
これしか、このタイミングしか無い。
僕は鋭く旋回を掛けて、積乱雲の裏側へ回り込んだ。
だが僕はすでに無へと集中していた。実際には回り込んでカワムラからの死角へ入り続けながらスロットルを全開にして距離を取った。
零式は加速した。その加速度以上の加速が、僕の修羅状態の喪失を意味している。
零式はただただ飛んだ。僕は今何をも感じず、思考もしていない。カワムラの乱された心を一方的に受信したが、それすら今の僕には何の思いも起こさせなかった。彼は僕の修羅が無ければ、修羅状態を維持できないはずだ。少し前に僕が感じたような、修羅の消えた不安を感じつつ飛んでいるのだろう。そのことも僕には何の感情にも繋がらなかった。
僕はただ操縦桿を引いて高度を上げた。零式は優れた上昇性能ですぐに積乱雲を抜けて『戦艦』よりも高く昇ったが、誰かが零式に気付いた様子は無かった。
零式は背面姿勢から急降下した。
辺りはすでにほとんどの光を失っている。『戦艦』のいくつかの誘導灯の赤い明滅が映えた。
そしてカワムラ機が零式を探して積乱雲の付近をうろついているのが見えた。僕は急降下しながらさらにプロペラピッチを上げ、亜音速に達した。
先程被弾したフラップが軋む。
僕はただ無心だった。体感したことの無い速度でカワムラ機に突入した。一三.二ミリメートルの弾丸をありったけ放った。
修羅状態で無い僕には、それが着弾したのか、致命傷となったのかはもはやよくわからなかった。