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”お前にはわかっているのだな”
電磁通信や無線の類いでは無い。それは僕の思考に直接入り込んでくるような思念だ。
”そのとおり、これは私の思念だ。お前は雑念が多いな。……まさか自分の力に気付いていないのか?”
僕の力……?
”お前、修羅を飼っているのか……だがそれは正確にはお前の『新人類』としての能力ではない。お前には頻繁にあったはずだ。他人の考えが頭に流れ込み、あたかも自分の思考のように振る舞うことが。それがお前の力。思念感知だ。修羅はその副産物。他者の狂気が流れ込んだ姿に他ならない”
僕は零式の操舵に集中することにした。この思念を飛ばしてくる得体の知れない男の、理解が追い付かない妄言に付き合っていては、戦闘に集中できなくなりそうだった。
”信じられないのならば、私が狂気を束ねてみせよう。お前は修羅と化すはずだ”
主砲の向きを確認しながら、それを避けるように全速力で距離を詰めていた零式を取り巻く空間が、急激に重く緩やかな流れに移行した。
ほとんど停止するような時空を、零式は確実に飛翔した。
”おぉ……これが修羅か……お前の思念が……私に流れ込んで……”
狂気を束ねるとは、いったいどういう行為だろうか。おそらく雑念があるという状態とは逆なのだろう。
しずくを横向きにしたような敵艦の流線型を照らす夕日はすでに落ちた。
辺りが闇に飲まれるまでは三〇分程度しかない。
この規模の敵を相手にするならば闇に隠れた方が勝算があるのかもしれないが、夜間装備の無い零式ではやはりリスクが大きい。
まだ距離はあるが、僕は『戦艦』をじっくりと観察した。最初に撃ってきたレーザー兵器は艦首にあって可動域は少なそうだ。左右両舷に三門ずつ付いている大型の艦砲が主砲のようだ。可動域は広そうだが、対空の兵器としては運用しないだろう。同じく甲板と艦底に設置された副砲も、零式を細かく狙ってはいるが威嚇以上の意味はなさそうだ。
この際問題となるのは、艦のいたる所に設置されたガトリング砲と、頑強そうな鈍色の鋼鉄、それに守られてその中心深くに存在するであろうブリッジを、どのように攻略するかだ。
時間の流れがさらに遅くなっていくのを感じる。
それでも少しずつは左舷に近付きながら、僕は一番手前のガトリング砲に狙いを付けてみた。これほどまでにスローモーションであれば、その銃身を正確に狙えそうだ。
かなり離れているが、重力と敵との相対速度も考慮に入れつつ射撃した。左右の機銃が一発ずつ発射された反動が伝わって、機首は少し揺れた。
僕が放った一三.二ミリメートルの弾丸は、緩くこちらを向いた六連砲身の内のひとつを破壊して、ガトリング機能を無力化した。
零式の射撃を皮切りに、『戦艦』の対空火力は一斉に掃射された。
『戦艦』には対空火力の特別手薄な面は無さそうに見えたが、とにかくこのまま左舷からのアプローチを確保すべく、左舷を向いたガトリング砲をひとつひとつ破壊することにした。
ガトリング砲が射出する小口径の弾丸はひとつも届いていないことを、僕は肉眼でも確認できたが、彼らがそのことに気付く前にある程度の見通しを立てたかったので、僕は慌てて回避動作を取るような挙動を示しながら、『戦艦』の艦底付近に配置されているガトリング砲を狙撃してこれを破壊した。
『左舷を無力化する』
祖父は状況で気付いてくれそうな気もしたが、念のため短距離通信を使った。
『了解した。無力化を待って攻撃を開始する』
この時空に身を置いて、他者に言葉が伝わる速度で話すのは神経を使う。
”そうか……お前の攻撃の高精度は、他者の狂気がお前に伝わって、修羅状態に引き上げられることでなし得ていたんだな……ならばこうしたらどうだ?”
僕が三基目のガトリング砲を破壊して、四基目に照準した瞬間に、時空が突然通常の速度になって、狙いは大きく逸れた。
僕の心拍数は下がり、敵の射撃は相変わらず続いているが、そこに少しの感情も感じられなくなった。
通常の速度で敵へ進路を取ること、敵に銃撃されることにただならぬ恐怖を覚え、旋回姿勢から離脱する方向に操舵した。
『どうした?トラブルか?』
祖父の心配そうな声がヘッドフォンから漏れる。
『おじいちゃん』
『なんだ?』
『カワムラの能力って、なんなの?』
僕らが勝つためには、迅速にそれを確認する必要がある。通常の時の流れは焦燥するほどに早い。
『……予想することしかできねえが……、状況から考えると、思考の『書き換え』だ。本来はな』
祖父の言葉が含むニュアンスに引っ掛かって、僕は聞き返した。
『本来は?』
『奴は他人の思考を『読み取り』そして『書き換える』能力を持っている。その影響範囲や、影響が及ぶ人数なんかはわからねえが、とにかくある程度近くに居る人間を、何人も、強いマインドコントロール状態に置くことができた。……そう、二〇年前にやり合った時にはそうだった』
『おじいちゃん、『宗教戦争』の時に闘ってたの?』
『いろいろあってな……とにかく、奴の本来の能力はそういう代物だと思う。だが、弱点があった。『書き換え』ができるのはどういうわけか『天上人』の一世がほとんどで、二世や三世へと代が重なるほど影響されにくい。また逆に『旧人類』には『書き換え』以前に『読み取り』もできないらしいという結論に、当時の軍は至った』
つまり、カワムラは自身の狂気を湧き上がらせると同時に『戦艦』の乗員の狂気を一斉に喚起したのだ。それを彼は『束ねる』と表現したのだろう。そして今度は逆に、自身の狂気を抑え、乗員の思念には『無』を上書きした。『戦艦』からの感情の流れが異様な程に少ないのはそのためだろう。
『なぜ二〇年経ったいま、再び戦争を起こそうとしたかがわかるだろう?このタイミングは単なるアニバーサリーなんかじゃねえ。軍の『旧人類』の退役と、教団の『天上人』の代替わり。ここを逃すと、もう上手くはまるチャンスは無いかもしれねえって焦燥感よ』
乗員は思考を停止させて、ただ虚無の中で銃を撃っている。なんと哀しい光景だろうか。
”認めよう。私は残念ながら、お前や、お前の仲間を操ることはできない。だが心を読むということは、お前の計画や狙い、恐怖も憎悪といった感情も読めるということだ。お前は修羅を失い、死を意識して腰が引けているな?私には分かるのだぞ”
(盛り上がっているところ悪いんだけど、『修羅を失い』って、勝手に失ったことにしないでもらえる?)
”!?……お前は修羅か?”
(いかにもいかにも。俺のことをあれこれ詮索していただいて光栄だけど、半分はハズレだ。俺はこいつ自身であり、他人でもある。他者の狂気が伝わって俺が出てくる……それはそうだが、器はあくまでもこいつだ。こいつ自身の狂気。その存在を忘れんなよな)
そうだ。僕が初めて零式に乗ったあの日の修羅状態の根源は、間違いなく僕自身の中の狂気。溢れんばかりの戦闘意欲だった。
他人から流れ込む狂気が少ないならば、自分の中の狂気を増幅すれば良い。
(他人の心が読めちまうなんて、難儀だなあ)
”なにが言いたい?”
(お前も最初は、読もうと思って読める、書き換えようと思って書き換えられるわけじゃなく、ただ感じ、ただ書き換えてしまってたんだろ?だからそれを人里離れた『船』の上で、読みたくないものは読まないように、書きたくないものは書かないように修行していたんだ。そうしている内に、自身の心を『束ねる』こともできるようになった……難儀じゃねえか)
零式は『戦艦』の左舷やや下を、ガトリング砲の射程に立ち入らないように注意しながら飛行し、弐式もそれに続いた。ほとんど心を動かさずに銃口を向ける砲手は、正確だが単純な照準を保っている。
(お前の意識に刷り込まれているのは、いったい誰の意思なんだ?誰がお前を革命に駆り立てているんだ?)
”私の意思は私のものだ。誰のものでも無い!”
少しだけ、空気が震えた。
『戦艦』とそれに追随する『客船』の左舷を通り抜ける。『客船』は比較的新しい型に見える。その側面には冬に咲く花を意味する船名がイースタシア語で華やかに刻印されており、ほとんどの船窓は黒く閉ざされているが、いくつかはそうされておらず、不安げな顔をした乗客の姿が見えた気がした。
(いいぜ。おしゃべりは終わりだ)
僕の中で、修羅が力を解き放つ感触があった。
零式の体感速度は急ブレーキを掛けたみたいに遅くなり、僕の視界は彩りを失い、狭まって、夕闇の迫る天空に、しかし攻撃目標だけは輝くように見極められた。
(お前がこの時空に乗るか、乗らないかは自由だ。だが、警告してやるよ。俺の土俵に乗らずして、お前が勝つことは不可能だ)
体感では十数秒の沈黙だったが、実際には一秒程度の空隙の後、強い思念がうねる波のようにおもむろに、しかし激しく僕に到達した。
”いいだろう。受けて立つ”
その思念のすべてを受信するより早く、空間の流速はいっそう遅くなった。カワムラや乗組員の狂気が束ねられて修羅へ届いた。
僕は折り返して、今度は『戦艦』の後方から、残りのガトリング砲を照準した。狂気に心を奪われた砲手は、正確性には欠けるが弾幕を張るようにめちゃくちゃに撃ちまくって、零式の接近を妨げた。
その弾丸のうちのいくつかは、弧を描きながら零式に届きそうなものもあった。僕はその度に細かく速度や機体の角度を変えて凌いだ。
左舷後方に設置されたガトリング砲が一三.二ミリメートル機銃の射程に入った。僕は慣れた作業をこなす工員のように照準して、射撃し、破壊した。そのガトリング砲の最後に放った弾を旋回姿勢でかわしながら、甲板に設置されたガトリング砲に狙いを定めた。修羅が満足そうに笑う。
確実に仕留められる距離まで接近する最中に、甲板付近から何かが発射された。
スローモーションの中で、それは煙を噴き上げ、吹き出しながら高く上昇し、意思を持ったように細かく震えながら零式に向かって落下してきた。
それが対空ミサイルなのはすぐにわかった。僕はガトリング砲に四発撃ち込んでから、スロットルを上げた。
一瞬だけフラップを下ろして風を掴み、ふわりと浮かび上がったところでフラップを戻しながら真上を向いた。働きづめのモーターエンジンは文句も言わずにフルスロットルで機体をぐいぐいと持ち上げた。
ミサイルの投影面積は小さかったが、この時空に身を置く僕にとってはさほど問題ではない。右の機銃を正確に照準して八発だけ撃ち込んだ。その四発目までがミサイルの先端に食い込んで、五発目が当たった瞬間にそれは砕け散った。
距離があったので爆風の影響は少なかったが、すぐに背面飛行から旋回姿勢を取ってその破片の直撃を避けた。
甲板から、今度は二発がほとんど同時に発射された。そのどちらかは弐式を狙ったものだと直感できた。僕は零式の姿勢を直して、発射された直後で速度が上がりきっていないミサイルの片方に、その速度と距離に配慮しながら銃弾を撃ち込んだ。
今度は側面からの狙撃になるので、進行方向に向かって緩やかに流すように二〇発程度撃ち込むと、その衝撃に耐えられずに弾けた。破片は『戦艦』の甲板に降り注ぎ、カワムラや乗組員の動揺が少なからず伝わってきた。
残ったミサイルは最初のものと同じような軌道で降ってきたが、その矛先が弐式に向かっていることはすぐにわかった。
斜め下方から弐式に向かうミサイルに照準しようとした瞬間に、通信の入る気配を感じた。
『見えてる。大丈夫だ』
祖父は弐式を旋回姿勢にして『戦艦』からは離れる方向に旋回したままデコイを射出した。絶妙な角度で放たれたデコイに、ミサイルは追いすがっていった。
僕たちの飛空挺に搭載しているデコイは祖父の特製だ。発射直後から強烈に熱や電波を放出してミサイルの誘導を引き取る。積載空間に余裕のある弐式のデコイはロケットランチャーから機体の真後ろに発射される仕組みになっている。
今まさにデコイは、つまりは敵ミサイルを引き連れて『戦艦』の左舷側の甲板へと到達しようとしている。
デコイが甲板へ達するか達しないかというタイミングでミサイルは起爆し、左舷の淵で爆煙が上がった。『戦艦』は大きく揺さぶられたように見えた。零式を必死に狙うガトリング砲の狙いもブレた。
西からの風に爆煙が吹き流されると、着弾した付近の甲板に小規模の穴が空いていることが確認できた。『戦艦』の規模から考えればそれは小さなほころびだが、いくつかのロケット弾と機銃程度しか持たない僕らにとっては希望の光が差した気がした。
それなのに、僕の心には不安が立ちこめた。それは希望の小ささにというよりは、この件と同時進行でなにか絶望的なことが進行している予感があったからかもしれない。
また、今度は艦底付近から何かが射出された。だがミサイルとは違う。弾かれるように射出されたその流線型は邪悪に白く、音も無く飛んだ。
『なんだ?『戦艦』から艦載機が出て来やがったぞ』
(やっと来たか)
修羅が笑うと、僕の心拍は上がり、時空はまたいっそう遅くなった。その戦闘機に乗っているのがカワムラであることは明白だった。
『おじいちゃん、退避してて』
僕は射程外から放たれるガトリング砲の小口径をひとつひとつ避けながら、カワムラ機に向いた。