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『船』はその上空でも甲板でも、いくつもの光と炎が上がり、そこで激しい戦闘が行われていることが想像できた。
近付くほどにそれらの音が響いてきて、その光と音とのタイムラグの縮まりが、戦場がいよいよ間近であることを感じさせた。
一際大きな爆音がして、甲板の一点で煙が上がった。ヘリからの射撃も主にその地点を狙っていて、そこにヤマシタが居るだろうことはすぐに分かった。
伍式はその周囲を高速で飛び回りながら着実にヘリを撃墜しているが、なにかに気を取られているような危険な飛び方をしている時間が数十秒近くあった。
そのことに気付いて狙いを伍式に定めたヘリも何機かあるので、注意を促したかったが、通信は不気味な雑音で遮断されている。
僕はフルスロットルで伍式の元に急ぐが、まだ少し距離がある。
『伍式!側面狙われているぞ!』
通信が突然回復して、ヤマシタを援護していた弐式からの通信が入った。その通信で伍式は慌てて旋回姿勢を取ったが、集中的に被弾したのが分かった。
僕を取り巻く空気が重く、時間がゆっくりになって、僕の中の修羅が臨戦態勢に引きずり出された。
かなり距離があったが、一番手前側のヘリに、距離の分だけ上方に補正して弾丸を叩き込み、その撃墜を確認するよりも速く、少し左側に位置を取っている次のヘリに狙いを定めた。
操縦桿とラダーペダルで左への旋回姿勢になると、沈みかけた夕日が風防や計器のガラスに反射して少しだけ目を刺激した。数発だけ撃って、今度は逆の旋回姿勢から三機目を照準してこれも撃墜した。
敵の地上戦力は戦意を失って総崩れになっている。
伍式が撃墜していたヘリや、僕が今撃墜したヘリは甲板には墜ちずに下界へ消えていったが、地上の戦闘員のいくらかは、ヘリが自分の真上に降ってくるのを恐れて退避しているようにも見えた。
僕は細かい旋回と調整でさらに何機かを中距離から撃墜し、零式を狙う銃弾は距離が離れているうちにキリモミやラダーを使ったフェイントでかわして弾切れを誘い、銃撃が止んだヘリから迅速に照準して撃墜していった。
至近距離から被弾した伍式は何かのトラブルで速度が上がらないようだ。力なく空を滑って行く。
『滑走路はもうすぐ占領できる。もう少し滑空で耐えられるか?』
祖父の焦ったような声がヘッドフォンから響く。
『速度が上がりません。計器も落ちました。電気が来ていないみたいです』
『とするとバッテリーをやられちまったか?だが翼は動くだろう?なんとか凌ぐんだ!援護するから、とにかく着陸しても良いぞ』
弐式は機首の小口径を撃ちまくって、わずかに残る地上部隊を追い払おうとした。僕も急ピッチで残りのヘリを仕留めたが、サハラからの返答はなかった。
目の端で確認すると、伍式は失速しそうになりながらも懸命に飛んでいる。回避の反動で『船』から離脱するような位置にいたためか、『船』や、その甲板にある滑走路まではまだ距離がある。
その背後に、ヘリの最後の一機が忍び寄った。彼らにしても、何人もの仲間を失った恨みもあろう。死力を尽くして捨て身の攻撃を仕掛けようと向かっていった。そのヘリも民間機を改造したものだったので、射撃手は身を乗り出すようにして銃を突き出し、伍式をでたらめに狙った。
不安定な姿勢で撃っているのでほとんどはかすりもしないような狙いだったが、伍式は銃撃に気付いて回避行動を取るために機体をひねった。
その瞬間、速度が落ちていた伍式は、大きな力に上から押さえつけられたかのようにがくんと真下に滑った。失速状態となって、墜落を始めたのだ。
『ッ!』
伍式は舞い落ちる花びらのようにひらひらと落下していく。
サハラは声にならない声を出して、動かせる限りの可動翼を動かし、フラップを引き、最後までもがいたが、キリモミは止まず、『船』の端までわずかに届かないまま、そこまで来ていた積乱雲に飲まれた。
積乱雲は激しい化学反応を起こすようにきらめいて、サハラの祈りにも似た叫びがヘッドフォンからも雲間からも聞こえた気がした。
僕は空間を切り裂くように最高速で旋回しながら、少し距離のあるヘリに狙いを定めた。
零式は疲れも見せずにそのスロットルシフトに応えてくれた。こちらに狙いを変えた最後のヘリは、またもその自動小銃から弾丸を連続的に放ったが、今の僕にはそのひとつひとつがスローモーションで確認できた。
零式を二回半ひねって、弾をかわしながらヘリの下へ入り、至近距離で打ち抜いた。弾は狙い通りにローターの軸に当たってそれを破壊し、プロペラと機体とを分離させた。
機体は回転しながらサハラを飲み込んだ雲の中へと消えていき、プロペラは重荷から解放されて舞い上がった。僕は零式を瞬時に背面飛行の姿勢にして、そのどちらをも避けた。
スロットルを下げ、雲の出てきた下界の空を見上げながら、しばし呆然と背面飛行のまま北を向いて飛んだ。
すでに僕を取り巻く空間は通常の流れを取り戻していて、修羅が満足げな笑いを残して僕の奥底へ戻って行った。
サハラが墜ちた。それ自体の衝撃よりも、自分自身がそれをどこか納得しているような心持ちであることに愕然としている。
今にして考えれば、この遠征を決めた時から、あるいはサハラにこの計画を持ち掛けられたその瞬間から、僕は自分や仲間がそうなる覚悟をしていたように思う。相対的な戦力を考えれば、全滅しても何ら不思議はない。
ともあれサハラは墜ちたのだ。その事実を僕は上手く認識できていない。どこか別の世界の出来事のような感覚で、少しも現実味を感じない。
彼が提案しなければ、僕はホヅミを救い出そうなどとは考えなかっただろう。
もちろん零式にも乗らず、自分の中の修羅に気付くことも無かった。
気が付くと、ヘッドフォンからはひどい雑音が流れている。
敵の出していたジャミングとはまた違った様子で、おそらく伍式の通信装置が壊れて、この不快な音が入力され続けているのだろう。
この大きな電子音に今まで気付かなかったほどショックを受けていたのだと思うと、自分の中の『人間』を確認できたようで、少しだけ心が晴れた。
やがてその雑音についてはぷつりと消えた。
それを受信し続けていては、他の回線、つまり今となっては零式と弐式との間のみとなってしまった回線の、その運用に支障が出るので、伍式からの受信を祖父が遮断したのだ。
祖父は無言だった。
この一連の作業が、あたかも心拍を関知しない医療モニターの電子音、臨終を告げてそれを切る医師を想起させ、僕はなんとも形容しがたい心の空白を感じた。
いよいよ頭への血流に耐えかねて姿勢を戻そうとしたとき、遥か前方に最後の西日を右舷下方に赤々と受けながら、巨大な黒雲のような物体がこちらへ向かって航行してくるのが目に入った。
『北に機影!『戦艦』みたいだ!』