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 どれくらい眠っていただろう。スプリングの利いたベッドのような絶え間ない揺れと、開け放たれた天蓋から吹き付ける強い風、それに近付いてくる轟音で目が覚めた。外したヘッドフォンからは相変わらず何か強い口調で言いつけるような祖父の声が漏れている。


『俺たちは民間機だ!追尾をやめろ!』


『どうしたの?おじいちゃん』


 ただならぬ様子に、僕はエンジンをスタートさせた。轟音がさらに近付く。零式は徐々に加速し、僕は天蓋を閉めた。


『やっと起きたのか!今度はイースタシア軍の哨戒機に追われてるんだ!ホンモノの戦闘機だ。この野郎、弐式にぴったりくっついて離れもしねえし聞く耳も持ってくれねえ!』


『なんでこんな所にイースタシア軍が?』


『おい!お前本当にイースタシア軍か?中立空域で民間機を追っ掛け回すのはどういう了見でやってやがんだ!』


『……任務に関することには答えられない。……本機に従い基地へ出頭せよ』


『だから、お前が俺たちの追ってる敵じゃねえって確証がなけりゃ従えねえって、さっきから言ってるだろ!第一、中立空域だぞ!何が出頭だ!』


 零式の真上二〇〇メートル程度の地点を、弐式とイースタシア軍を名乗る戦闘機が通過した。僕はスロットルを全開にして速度を上げた。零式に気付いたかはわからなかったが、いずれにしろ速度が上がれば簡易のレーダーでも捕捉されるだろう。


『サハラは?』


『俺は東に一〇キロメートル以上は離れているからか、どうやら見付かっていないらしい。作戦通り太陽の中に入りながらヘリを追っている。そいつはお前が出した座標信号で嗅ぎ付けて、拾いに来た弐式を発信元と思って食い付いたみたいだ』


 サハラはゆったりとした口調で通信した。低速のヘリを尾行するのも骨が折れそうだ。


『居ないから撃墜されたのかと思ったよ』


 それは半分本気だった。僕は少し距離の離れた二機を正面上方に捉えた。


『縁起でもないこと言うな』


 確証はなかったが、この新たに出現した戦闘機は『天の火教』ではないように思えた。『天の火教』と言えども戦闘機までは盗めないだろうと考えたこともあるが、彼も何か、おそらくは僕らと同じものを探しているという直感があった。


 全速力で飛ぶが、機体の大きさの割には速い弐式になかなか追い付けない。祖父が銃座で戦闘機を照準しているのが見えた。戦闘機もまた、その武装のいくつかを弐式に照準していると思われる。


 睨み合いが続く両者にようやく追い付いた。僕は再び視界が狭まる感覚に陥り始めた。時間の流れが極端に遅くなる。苦しみにも喜びにも似た感情と虚無が心を占め、僕は修羅へと突き進む。


 僕の手は引き金に掛かり……だめだ!彼は敵じゃない!ようやく自機を照準する零式の存在に気付いた戦闘機は、弐式の追尾を中止して旋回した。『化石燃料』を燃やしてエネルギーに変えるジェットエンジンは、どの国でも軍か大富豪くらいしか使用できない高価な物だ。その出力を極限まで下げて、戦闘機はコンパクトに旋回したが、旋回能力に関して言えば零式の方が何倍も高い。結果的に僕は照準を一秒たりとも逸らさずに彼に追従し、彼はその天蓋から僕と零式を視認した。


『単発のプロペラ機!敵対行動を止めないと撃墜するぞ!』


 パイロットの声が零式の周波数に入り込んできたが、僕は無視した。彼はドッグファイトでは低出力のプロペラ機に敵わないと判断して、出力を上げて一旦高く、遠くへ退避した。


『国際周波数六三三一に合わせて返答せよ。敵対行動を止めて返答せねば撃墜する』


 前方遥か遠くで戦闘機が旋回と上昇をしているのが見える。その機体は午後の太陽を反射してきらと光った。


 こちらに機首を振って、急降下しながらすれ違いざまに弾丸を撃ち込むつもりだろう。僕はそれぞれの可動翼を微調整して戦闘機を正面に捉え続けた。


『国際周波数六三三一に合わせて返答せよ。敵対行動を止めて返答せねば撃墜する』


 彼は同じ文句をもう一度だけ三カ国語で発した。その応答を待つ間も、旋回と上昇を繰り返してこちらを攻撃する準備を整えている。


『おい、応答しなくて良いのか?』


 戦闘機からの無線は周波数帯をまたがって発せられているので、弐式や伍式にも聞こえているらしかった。


『無茶するなよ』


 僕はどの通信にも応答する気力が無かった。ただ、彼の攻撃に備えてこれ以上ないくらい集中していた。


 遥か遠くの戦闘機がもう一度だけきらりと光って、零式に向かってまっすぐに向かってきた。そして『何か』を切り離して少しだけ進行方向を変えた。


 その『何か』はまるで意思を持っているかのようにこちらに直進し、零式の挙動のわずかな動きにも反応した。それがミサイルであることはすぐにわかったが、こういった事態に備えて研究施設でその回避方法を反復練習していたし、今の僕にとってその挙動はあまりにも遅かった。


 僕は零式を急降下させるようにして速度を保ちながら、左右に旋回して、着弾する寸前にいっそう強く下降した。施設のフライトシミュレーターは精巧な物だったが、唯一の差異はフロートの存在だ。下降が思ったよりも緩やかになってしまったせいでミサイルの起爆領域に立ち入ってしまったらしい。


 零式から数メートルの地点で爆音と爆風が起こった。ミサイルの破片のいくつかは零式に当たったように感じ、空間に対するその強大なエネルギー波の影響で機体は大きく横滑りしたが、大きな損傷はなさそうだった。


 僕は爆炎を突き抜けて再び戦闘機を照準した。戦闘機は零式を撃墜したと思い込んだようで、速度を落として弐式を探している様子だった。零式に対して側面を向けた無防備な戦闘機に、僕はスロットルを全開にして一気に距離を詰めた。


『おい!なんだ今の!被弾したのか?応答しろ!無事なんだろうな!?』


 零式が無事なことに気付いた戦闘機が慌てて速度を上げた。僕は破壊衝動を抑えられなくなっていた。しかし、彼が敵でないことも僕にはわかっている。


 さらに狭まる視界が銃撃すべき場所を示し、遅くなる時空が精密な操作を助けた。僕は致命的な弾丸を発射する直前に、かろうじて狙いを垂直尾翼にシフトした。敵機の剥き出しのミサイルを正確に照準していた僕の中の修羅が舌打ちをした。


 左右の機銃から、弾丸は一瞬にして数発ずつ発射された。今度も二筋の光が、その扇のような的に向かって弧を描くように吸い込まれていった。


 合わせて一〇発が着弾して、戦闘機は大きく体勢を崩した。二枚ある垂直尾翼の内の一枚が破壊されて、戦闘機はもはや急激な加速も、微細な挙動もできそうになかった。


 僕は回復しない視界と破壊衝動の中で、速度の上がらない戦闘機を真後ろから付け狙っていた。僕は修羅を抑えて周波数を合わせる。


『僕らは敵じゃない。たぶん同じ敵を追っている』


『!?』


『それに、あなたでは僕らに勝てない。基地に引き上げて、僕らに構うな』


 やっとの思いでそれだけ伝えて、周波数を戻した。


『僕は生きてるよ。疲れた』


『生きていたか』


 祖父の安堵した声を聞きながら、敢えて戦闘機を無視して戦域を離れた。フルスロットルで回転していたモーターエンジンをほとんど停止させるようにして、僕はフロートの浮遊感に委ねるように滑空した。


 多少の空気抵抗と操縦の困難さがあるとはいえ、これを投棄せずに済んで良かった。


 戦闘機が思いのほか素直に帰投したのを確認して、僕はクラッカーをかじった。


『……撃墜したのか?』


 ヤマシタの太い声がどこか心配そうに僕に尋ねた。弐式は上手く離脱できたようで、闘いの詳細については時々響く轟音でしか確認できなかったらしい。


『してないよ。逃げて行った』


『逃げた?なんで?』


『わからないけど、敵じゃないって思ったんじゃないかな』


 釈然としない様子が通信からでも伝わるような沈黙だ。僕はクラッカーをもう一枚取り出した。


『何にしても良かった』


『なんだこれ……要塞か?』


 今度はヘリを尾行しているサハラからだった。


『座標を送ります。これは島なのか?』


『確認した。電磁写真を撮る余裕あるか?可能なら何枚か撮って戻って来い。最後まで気を抜くなよ』


『了解』


 僕は水筒の合成コーヒーで口を湿らせながら、交わされる通信をぼんやりと聞いていた。今回も疲労感はあるが、倒れるほどではない。すでに視界もほとんど戻っているし、心拍も落ち着いた。初めて零式に乗った時や、ヘリを撃墜した時よりも平静なのが不思議に思われた。


 三回目だから体が慣れたのだろうか。いや、それが答えでないことはわかっている。修羅は僕自身だ。修羅が勝っても、僕が勝っても、心には大きな虚しさが残る。そうならないためには修羅と上手くやるしかない。修羅が舌打ちをする程度の折り合いを付ける必要があるのだ。


 僕は水筒に蓋をして収納帯に仕舞い、操縦桿を握っていた左手と、トリガーを引いた右手を交互に見詰めた。

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