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「……るよ。まあ、あの……が……ると言えば気になるねえ」
僕は意識を取り戻したが、疲労のせいか体が動かない。目も口も動かすことができないが、聴覚と嗅覚は普段以上に研ぎ澄まされているのを感じる。手も足も動かせそうにないほど重く感じるが、頭が特に重く、痛い。
「あの時というと、応答が無かった時だな?」
「そう。あれはおそらくアドレナリンが大量に出たんだ。すると体は臨戦態勢に入る。神経が過敏になるし、痛みやなんかの不利な感覚は逆に鈍くなる。それに時間の経過がゆっくりに感じられる。パイロットにとっては有利な特性と言えなくもないが、特に心臓への負担は大きい。気を失ってしまったのはその時のオーバードライブが影響しているんじゃないかねえ。本人の感覚が本当だとすれば、時間感覚は六〇倍だよ。心臓も平常時の六〇倍動いていた可能性がある。並外れたアドレナリン量だったんだろう」
「危ねえと思うか?あの子を飛空艇に乗せるのは」
社長の問いに、理事はほとんど間を置かずに答えた。
「私にゃわからんよ。資質があることはわかったがねえ」
「問題は、どういう状況でそうなるのかだと思います。それと、コントロール可能かどうか」
冷静な声でサハラが発言した。
「そのとおりだね。あの時はスロットルも全開にして明らかに様子がおかしかったし、多かれ少なかれアスリートにはそういうことが起こるものだよ。作用は違うがランナーズハイという現象とかね」
社長は思案しているようだが、やがて口を開いた。
「お前はどう思うんだ」
しかし、意見を求められた祖父はそれまで同様沈黙している。
「お前の孫だろ」
祖父が体を少し動かした気配を感じた。
「頼みがある」
「私かい?」
理事が驚いたように聞き返した。
「図面が欲しい。飛び切り早い飛空艇の設計図が」
「そりゃ構わないけれどねえ」
「おい、どういう意味だ?お前の孫をどうするのかって俺は聞いてんだ」
社長のいらだたしげな声を制して祖父は続けた。
「あいつは心配いらねえ。そのうち目を覚ますし、慣れてくりゃあどうということもねえ。第一、外すなんざ本人が納得する道理がねえ」
「でも、俺が誘ったんですよ。『船』に乗っていた同級生と仲が良さそうだったから。でも少し強引だったかもしれませんし」
「こいつはもうそんなことをとやかく考えちゃいねえ。俺にはわかる。こいつはあの時、戦闘機乗りだった。地面に居る俺ですらも無性にトリガーが引きてえと思った。それは恐ろしいことだ。ヒコーキってのは俺やこいつまでそんな風にしちまう。だが、お前らの見立てでは相手はカワムラなんだろ?だったらそれくらいの衝動は必要だ」
「カワムラって、あのカワムラかい?聞いていないよ。宗教戦争絡みなのかい?『船』の失踪は」
「まだわかりませんが、そうじゃないかと思っています」
「お前は二〇年前にも戦っているだろ。だからこその頼みだ」
理事は呆れたように笑った。
「新事業だって言うから協力したんだけれどねえ」
そこで理事は少しだけ間を置いて、空気を少しだけ震わせた。
「新事業よりも面白そうじゃないか」
空気の震えが大きくなったのを感じた。戦慄にも似た揺らぎが伝播する。
「良いよ。徹底的にやろう。とにかく零式のデータは興味深い。パワーのあるモーターエンジンを積んだことは予想以上に当時の弱点を補っているよ。しかし、データからわかったモーターエンジンのメリットを最大限に活かすならばエンテ型だ。このタイプには伍式という試作機がかつてあったのだけれど、主翼とプロペラを後ろに配置しているから普通の飛空艇をひっくり返したような形だよ。これも内燃機関特有のデメリットがあってねえ。当時はそれをクリアできずに試作で終わったんだよ」
「完成していない機体で大丈夫なのか?デメリットというのは?」
「一番の問題は冷却だよ。零式のような牽引式の機体は、プロペラの発生させる猛烈な風を、ほとんど直接エンジンに吹き付けられるから空冷式でもエンジン温度を安定させやすいが、推進式を採用することの多いエンテ型は、プロペラは後ろの空に空気を押し出すから、速力は出しやすいし、主翼への無駄な揚力にもならないから運動性も上がるんだけれど、エンジンは焼き付くほどの高温になる。内燃機関の場合にはね」
「つまり、モーターエンジンならば冷却の問題はクリアできるということですか?」
「可能性は高いねえ。計算速度ながら、さっきの零式でも最高で時速七〇〇キロメートル出ていた。伍式ならエンジンによっては時速一〇〇〇キロメートルに届くと思う。時速一〇〇〇キロメートルと言ったら音速まであと少しだ。それほどの速度で飛べば、プロペラの風に頼らなくとも相当な量の空気にさらされるだろうし、モーターエンジンだからそもそも発熱が少ない」
「もしそれにするなら、その飛空艇には俺が乗ります」
サハラは静かに決意表明した。
「それは良いが……そっちの子はどうするんだい?そんなに大きい子が乗られる飛空艇なんて、爆撃機くらいだよ」
不安そうに理事を見詰めるヤマシタに視線が集まった。
「あの試作機のコックピットを見た時から、『俺、乗れるのかな?』って思ってましたよ、実際」
失笑した理事をたしなめるように社長が話し出した。
「だったら爆撃機でも何でも作るまでだ。さっきのこいつの動きを見ただろう?こいつはデカいだけじゃねえぞ。それにもし本当に『天の火教』の残党が相手なんだとしたら、飛空艇だけじゃ決着はできねえ。拠点を制圧する、捕まったやつらを助け出すためには白兵戦が絶対に必要なんだぜ?俺たちの目的はヒコーキ飛ばすことじゃねえ」
理事は笑いを止めて社長に向き直った。
「あんたの言うとおりだ。それじゃあ大型である程度取り回しの良い機体を見繕うよ。なんなら具合の良いのを等倍に拡大するか、縮小しても良いかもしれないねえ」
「それなら弐式水上機はどうだ?」
「弐式か……悪くないねえ。少しサイズダウンすればちょうど良いよ。ただ、弐式は普通一〇名以上で運用するという点だけは少し気掛かりだねえ。一人じゃあ襲われた時に碌々反撃できないよ?」
「俺たちが護りますよ。零式と伍式で」
「それも良いが」
祖父は言葉を溜めた。
「俺も弐式に乗ろう」
「おじいちゃんが!?」
想定外の発言に驚いて、僕はようやく体の呪縛が解けた。
「お前、狸寝入りだったのか?」
サハラは安心したような顔をしながら僕を茶化した。本当にそう思っているわけではないことはわかっているが、念のため弁解することにした。
「金縛りみたいに体が動かなくて」
言い訳じみた弁解になることは予想できたが、予想以上に言い訳じみていた。しかし、その場に居る全員が納得していた。
「相当疲れたみてえだったからな」
気遣うような言葉を社長に掛けてもらって、なんだか照れくさい気持ちになった。
「おじいちゃんも行くっていうのは本気?」
「行っちゃまずいか?」
祖父は意味深げに口元だけ笑った。
「理由はいくつかある。長距離の電磁無線は傍受されやすいから、トウキョウからの指示は限られちまう。お前らの状況を正確に把握できねえから、もし戦闘になっちまった時、的確なアドバイスができねえ。それに、そんなことはねえように作るつもりではあるが、これだけの突貫製造だから故障しねえとも限らねえ。せめてどっかの島に不時着して整備してえって場合、エンジニアが必要だ。もちろん弐式の銃座に座る人間も居た方が良い」
「保護者としてもひとりくれえ大人が居た方が良いしな」
視線が集まって、社長は慌てたように言葉を継いだ。
「だってお前ら、行くとなったら親になんて言うんだ?まさか本当のことなんて言えねえだろ。嘘を吐く時ってのは多少の本当があると気が楽なんだぜ。『こいつのじいちゃんと一緒に旅行する』ってな」
サハラとヤマシタは複雑な表情を浮かべた。僕もそうなっていたかもしれない。
「……もちろん俺たちはありがたいですが、巻き込んでしまって申し訳ないという気持ちがあります。クラスメイトを探すだけなのに、飛空艇を造っていただくばかりでなく、同行まで……」
社長もまた難しい表情で押し黙った。理事と祖父も纏う空気は同様に重い。
「巻き込んだのはお前らじゃねえんだ」




