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『飛空艇の計算速度に応じてファンが気流を作るから、正面に向かう分には加速、減速、ロール、好きなように操縦して良いからね』


 僕は常に正面に見える、どんなに飛んでも近付くことのできない回転体に向かって飛び続けた。スロットルやプロペラピッチの操作にも慣れ、操縦桿の応答性についてもおおむね確認できた。


 一時間程度は飛行しただろうか。フィルター越しに見えるファンが禍々しく邪悪で、あたかも今回の黒幕であるようにすら思え、そこに思い切り近付いて射撃し、粉々に破壊したい衝動が僕に芽生えた。


 もっと言えば、まだ機銃すら積んでいない零式にも、機銃すら積む意思のなかった祖父にも憤りを感じていて、僕はそれらの感情に気付いて驚愕した。破壊したい……!この際ホヅミや『船』はどうでも良かった。一メートルすら近付かせないあの忌々しい機械を破壊したい!僕はプロペラピッチを上げて、スロットルを徐々に全開へと押し込んだ。


 少し前に進んだような感覚はあったが、すぐに所定の距離へと押し戻される。ピッチを上げたことで下がっていた回転数が再び急速に上がっていく。また少し前へ出ては戻される。


 僕は嗚咽を漏らして泣いていた。僕は確かに何かが悔しく、何かに怒っていた。僕は昨日から、何度も自問している。『自分には何ができるのか』。


 風防を閉め、操縦桿を握り、零式と飛んで、それが少しだけわかった気がしていた。どこへでも行ける、どこまでも高く飛べる、何でもできるような感覚。しかし、実際にはたかが一メートル進むことすらままならない。約五〇メートル先の機械にすら到達できず、破壊する手段すら持たない無力感。この作戦への不安や、参加への意欲についても、僕はまだ自分の気持ちを確かめられていなかった。


 『助けたいやつの顔をイメージできている』サハラはそう言った。僕はイメージできているだろうか?夏休みが少し経過して、僕はホヅミの顔を正確に思い出す自信がない。それまでは毎日顔を合わせ、目元のほくろや、笑った時の犬歯、眉の生え具合も覚えていたが、今ではどこか印象がぼやけてしまった。


『……おい!聞こえるか!おい!計器を確認しろ!聞いてるか!』


 いつの間にか聴覚が遮断されていた僕は、祖父の怒声にようやく気付いた。僕は言われたとおりに計器を確認した。速度、高度、気圧、酸素分圧、バッテリー残量、バッテリー温度、エンジン温度、それらの数値を伝えて正常であることが確認されたし、異常を示す表示も無かった。


『応答が無いから心配したよ。急降下したわけでもないのに気絶したのかと思って。まあ、たとえ気絶しても、うちの安全帯は機体とパイロットを守れるけどねえ』


 理事は笑った。僕を落ち着かせようとしてくれているのがわかる。


『すみませんでした。僕は何分くらいこうでした?』


 僕は抑えきれない嗚咽を漏らしながら確認した。


『三〇秒ほどかねえ』


『三〇秒?僕の感覚では三〇分くらいは夢中で飛んでいたんですが』


『いや、確かに三〇秒だ。俺たちも最後の応答を確認している。疲れたんだろう、一旦降りろ』


『じゃあ、着陸を練習してみようかねえ。まずは安定を保てるぎりぎりまで速度を落とすんだ。そして足を出して、高度を下げる。とにかくそこまでやってみようか』


 僕は全開にしていたスロットルを引き戻した。高い応答性のモーターエンジンがその回転数を落としていくと、自動的にトルクは上昇していくのがわかる。ある程度速度が下がると、零式が少しふらつくような感覚があった。


『プロペラピッチは下げた方が良いですね?』


『そうだねえ、その方が安定して速度を落とせる』


 プロペラの角度を浅くしていくと、エンジンの回転数が一時的に上がり、機体も安定した。


『足を出すと空気抵抗が増してさらに速度が下がるから、速度を落としきる前に、そろそろ開こうか。その後フラップも下ろそう』


『フラップは右手側の赤いレバーだ。ほかのと同じように安全装置が付いている』


 足を開くスイッチを、閉じた時と反対の操作で作動させた。少しの揺れと減速の感覚の後に、零式の姿勢は安定した。


『速度は下がるが、重量バランスは向上するから、モーターのカウンタートルクも相殺しやすいし、姿勢自体は安定するんだよ』


 理事は僕の考えていることを察知したかのように解説してくれた。これらは、後に搭乗するであろうサハラとヤマシタへ向けての説明でもあるようだ。


 速度はかなり下がった感覚があった。僕は続いてフラップを下ろした。前に突き出されるような急激な減速を感じて、反射的に操縦桿を引いた。


『エレベータートリムで水平を保つんだ!機首を上げ過ぎると失速するよ』


 急いで操縦桿を少し戻し、エレベータートリムを操作した。


『よし、速度をもう少し落とそう』


『速度計は時速一〇〇キロメートルを指していますが、まだ下げた方が良いですか?』


『本当の零式はそれくらいで着艦していたと思うけれど、空母との相対速度は時速六〇キロメートルほどだから、そのレベルにできると良いねえ。それに今の内にできるだけ低速で飛ぶ練習をした方が良い。この機体なら時速五〇キロメートルくらいまでは落とせるんじゃないかな?』


 スロットルを絞って、さらに速度を落とす。


『あまり急激に速度を下げるとキリモミになりやすいから気を付けるんだよ。航空眼鏡は無かったね?よろしい、機体の角度や高度はこちらから指示するよ』


 速度計の針は低速域では間隔が広い。時速九〇キロメートル、八〇、七〇、六〇……零式の揺れが激しくなる。先ほどまでの飛翔感は薄れ、ただ水中に漂うような感覚に陥る。時速五〇キロメートル。


『よし。高度をゆっくり下げて。その速度だと、もうほとんど揚力がないと思うから慎重にね。フラップを下ろした機体は水平にしていると高度が落ち過ぎるので、操縦桿を引いて高度と角度を調整するんだよ。地面に置いてあった時の角度を思い出すんだ』


 高度を下げていく。研究施設の床が近付いてきた。


『角度、速度、いずれも悪くないよ。そのまま降りていこう。この高さになると安全帯はあまり利かないから気を付けるんだよ』


 コックピットからはすでに接地したと思えるほどの高度となったところで、零式が一瞬弾むように浮かんだ。地面に着いた感覚とは思えなかったが、とにかくふわりと舞ってしまった。


『今のは地面効果だよ。地表が近くなると、翼の下に入った気流が圧縮されて揚力に寄与するんだ。だから地表近くならば低速でも揚力が得やすいが、つまり着陸の時にはより力強くエレベーターを下げる必要がある』


 押さえつけるように操縦桿を押し出して、再びクッションのような弾力を感じる高度まで降りた。揚力不足で不安定になっていた主翼が安定したのがわかる。


 僕は右手でさらにエレベーターを下げて、押し戻そうとするかのような地面効果を制圧し、左手でスロットルをさらに絞った。おそらくこの速度で着陸できずに舞い上がると、揚力が足りずにバランスを失うだろうことは僕にもわかった。だから決して操縦桿を緩めないように、重く固定しながら高度を下げる。スロットルレバーをさらに引いて速度を下げるが、地面効果でまだ安定している。


 速度は時速三〇キロメートルまで下がった。高度計はすでに一メートルの表示を下回っている。がつんという衝撃があって、今度こそ地面に着いた。わずかに跳ね上げられたが、腕はもちろん全身に汗を吹き出しながらも操縦桿は緩めなかった。スロットルを最大限に引いて、地面に定着した。


 少しふらつく感覚はあったが、目の前のファンはその回転が肉眼で確認できるほどゆっくりと回り、やがて停止した。それは零式が停止し、計算速度がゼロになったことを意味した。僕は着陸した。


『良いフライトだったよ。お疲れ様』


『よし、スロットルレバーを横にシフトしてモーターエンジンを完全に停止させたら、バッテリーとの接続を切るんだ』


 スロットルレバーの安全装置を外すのに手間取った。それを入れたのは遥か以前のことのように思われたからというのは言い訳になるが、とても疲労しているのは事実だ。


 僕は作業を終えて風防を開けた。乗った時とは反対の手順で把手を出して降りようとしたが、思うように手足が動かず、意識も遠のいた。崩れるようにコックピットから落ちそうになり、薄れる意識の中で、主翼に落ちて零式を壊してしまうと危惧した瞬間、大きな棒に持ち上げられた。それは駆け寄っていたヤマシタの腕で、零式を傷付けずに済んだ安心感を得た僕は、眠るように気を失った。

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