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 僕らはBVを走らせて、カワゴエにある実験施設に着いた。この施設ではあらゆる大陸間移動方法を研究している。都合の良いことに、ここの理事のひとりが社長と旧友だったので、飛空艇のテストをさせてくれることになったのだ。


 途中、霧による徐行を余儀なくされたため、日はだいぶ傾いている。真昼の蒸し暑さは和らぎ、徐々に夜に向かって空気が冷えていく。


「よう、世話になるな」


「久しぶりだね。どうしたんだい、急に飛空艇だなんて?」


「なに、ちょいと事業展開をな」


 大きな笑い声でごまかした社長に、出迎えてくれた理事は微笑んで応えた。敷地内には巨大な実験棟がいくつも立ち並んでいて、おそらくは『船』やカタパルトなども大いに研究されいることだろう。理事は祖父に一瞥をくれた。


「ワキさんも、久しぶりだねえ」


 祖父は無言で頷いた。ここへ向かうBVの中では引き続き『天の火教』の内紛について確認していた。祖父と社長によれば、『天の火教』に心酔していた者が『天上人』ばかりで『旧人類』はほとんどいなかった。それはその過ごしてきた環境の違いだけが理由とは思えないほど極端だったそうだ。


 教祖カワムラは何らかの理由で『天上人』ばかりを集めたと解せるが、その理由や方法はわかっていないらしい。イースタシア中に広まった革命の火はイースタシア軍によって鎮圧されたが、この研究施設は大戦期から今日に至るまで、常に権力側の軍へ技術供与をしているので、『天の火教』を鎮圧した功績も、『永久紛争』でロケットを飛ばしたのも、大戦を長引かせたのも、彼らの技術が少なからず関係している。社長はその点について理事の立場を理解しているが、祖父としては割り切れないものがあるらしかった。


「実地もできるけど、きっとまずは屋内でテストしたいね?」


 理事は軽い身のこなしでトレーラーに乗り込んで飛空艇を確認している。


「そうだな、まずは」


「零式みたいに見えるね。型はちと古めかしいようだけれどなかなか良い仕上げだ。板金かい?見た目は零式みたいだけど、リベットじゃなく溶接にしたんだね。正確だ。やはりこういった手技は研究所の連中では及ばないね」


「うちに外注してくれても良いんだぜ?」


「本当にそうさせてもらおうかねえ。しかし零式とはね。ということは、『内燃機関』かい?」


「いや、モーターエンジンだ。さすがに『内燃機関』は手に入らなかった」


 『内燃機関』。それはかつて、世界の全てを動かした動力だ。『化石燃料』と呼ばれる地下資源を燃やすことでエネルギーを得てあらゆる物を動かした。しかし『遊陸』によって『化石燃料』の継続的な調達が難しくなって、今ではほとんど用いられなくなった。


 『遊陸』後も地殻の浅い部位に在った固形の『化石燃料』は原理上採掘できたが、陸地の崩落を恐れてほとんど実施されなかった。液体と気体の『化石燃料』は『遊陸』に伴う地殻の分断によりその大半が漏れ出てしまったと言われているし、事実、既存の採掘施設からはすぐに採掘が不可能になったそうだ。


 『内燃機関』は何かを燃やして得たエネルギーによって動力を得るという単純で古典的な動力なので、『遊陸』前まではあらゆる動力がそれによって動かすことを前提としていたし、研究も盛んだったが、『内燃機関』の運用が物理的に困難になったことによって台頭したのがモーターエンジンだ。


 モーターエンジンにとっての『化石燃料』にあたる動力源は電気であり、その貯蔵はバッテリーに行われる。モーターについてもバッテリーについても比較的浅い地殻に広く分布している資源を原料としているので現在に至っても製作可能なことと、その全てが再利用可能なこと、さらに電気は頻繁かつ無限に発生する雷を用いる技術が『遊陸』後の早い段階で確立されたことで、今の世界を動かしているのはモーターであり電気と言える。


 たとえばBVは、かつて『内燃機関』と『化石燃料』によって走行していた『自動車』をモーターエンジンとバッテリーに置き換えただけの乗り物であるし、電気を製造するためにかつては『発電所』と呼んばれる施設で『化石燃料』を含む地下資源を消費していたそうだが、現在は雷から直接電気を得るための吸雷塔がこれに代わっている。


「モーターエンジン?でもなるほど、良いかもしれないねえ。零式の機体に最新のモーターエンジンを積んで精度の高い加工をすりゃあそこそこだよ。モーターエンジンの方が低出力時のトルクが確保しやすいから、離着陸が安定するし、もちろん『内燃機関』に比べりゃ発熱も圧倒的に少ないからねえ。それに、混合比だとかなんだとかって『内燃機関』で必要だった細かい機構も無くて済む。今にして思えば、『内燃機関』なんて単純なようで面倒な代物だよねえ……よし、B棟を使おう。あの建物に頼むよ」


 理事がサインを記入した書類を受け取った研究員が、構内電磁通話でB棟に待機しているほかの研究員に何か指示をしたようだった。僕らも示された建物にトレーラーを付けて試作機を降ろした。


 建物の中ではすでに試験の準備が整っていて、建物の最奥に見える巨大なファンはスイッチが押されるのを心待ちにしていたようにさえ感じられた。ファンの前には気流を整えるフィルターがあり、その手前が五〇メートルほどの長く広い実験空間となっている。


「ファンに向かって飛ぶんだよ。まずは安全帯を使って空中姿勢からテストだ」


 理事の言葉を受けるか受けないかのタイミングで、研究員が手際良く試作機に安全帯を取り付けていった。


「で、誰が乗るんだい?」


 僕らは顔を見合わせた。決めてはいなかった。それは一瞬のことだったが、サハラがすぐにも乗ると言い出しそうな気配を僕は察知した。


 しかし、これは試作機で、一番良いエンジンは別の機体に積むはずだったし、サハラはその機体に乗るのが最善に思えた。それに、ヤマシタは体格からしてこの試作機に乗ることは困難であるし、試験の数値に影響が出そうなほど体が重たい。もっと言えば、これは僕の祖父と、祖父の勤めていた工場が作成し、その知り合いの試験場で行うテストだから、万が一の事故のことを考えると、僕が乗ることが最適解であると思えたので、僕は名乗り出ようと意を決した。


「俺が乗ろう。俺が造った飛空艇だ」


 しかし、その意思がより強かったのは祖父だった。


「いや、僕が乗るよ、おじいちゃん。それが一番善いと思う」


 僕は、僕が出した結論を祖父に伝えた。祖父が乗ることにもある程度の道理はあるが、祖父を巻き込んだのは僕だ。


「俺が乗るよ。そもそもホヅミを探しに行こうと言い出したのは俺だ」


 もちろん、サハラがそう言い出すのはわかっていた。


「誰でも良いが、私はてっきり、子供たちは見学に来たのだと思っていたよ」


 理事の言葉を聞き流し、社長は少しだけ考えて僕の肩に手を置いた。


「こいつに乗るのはお前だ。お前が言ったように、それが一番善い。操縦桿の握り方を教えてやってくれ」


 祖父は諦めたように、僕と試作機のコックピットへ向かった。


「良いか、必ず左舷から乗るんだ。左舷には乗る時の取っ掛かりになるバーがあるし、主翼の一部が頑丈になっていて足を掛けられる」


 僕は言われたとおり左舷に回り、バーを引き出して力一杯よじ登った。そう大きくない機体にも見えるが、いざ乗り込もうとすると自分の体をできるだけ機体に引き寄せる必要があるし、コツが要る動作だ。そういう意味では鉄棒の逆上がりによく似ている。もちろん、コツを掴めば難なくできそうな点もそれと近い。


「計器のことは後で詳しく説明するから今は省略するが、着座した時に足の間にある、そいつが操縦桿だ。前に押せば水平尾翼の昇降舵、エレベーターとも言うが、そいつが下がって機首が下がり下降する。反対に、手前に引けばエレベーターは上がって機首も上がる。操縦桿を右に倒すと、右の補助翼、こいつはエルロンと言うんだが、それが上がり、左のエルロンが下がることで機体は右に倒れる。だからたとえば右に旋回したい時は、基本的には操縦桿を右に倒して機体を傾けた後、手前に引いて機首を上げてやりゃあ良いが、もうひとつ、方向舵、ラダーってのもある。こいつはペダルで、右を踏めば垂直尾翼のラダーが右を向くから、機体を水平にしたまま右に曲がれるが、これ単独じゃ大きくは曲がれねえから、操縦桿と組み合わせて旋回の足しにしたり、もしも敵に後ろを取られた時なんかに複雑な回避運動を取るために使うんだ。で、ここにあるのがエンジンのスロットルレバーだ。加速する時はレバーを押し込む。減速は手前に引く。始動するには横にずらす仕組みにしてある」


 僕は研究員のひとりからヘルメットが手渡された。近付いてきた理事が真剣な面持ちでこちらを見ている。


「それに、プロペラのピッチを変えるバーもスロットルレバーの横に付いている。これはプロペラが空気を掻く量を調整するモンで、奥に倒せば効率よく直進できる。逆に手前に倒せば運動性が上がって離陸や旋回がしやすくなる」


 理事が僕に小型のヘッドフォンの付いた無線通信機を手渡してくれた。


「テスト中はきっとこいつが無いとやりとりできないからね。ところでこの零式は馬力いくらだい?」


 祖父はどこか不機嫌そうになった。


「二千ちょっとだ。それがどうした」


 祖父の不機嫌さは意に介さず、理事は続けた。


「カウンターでロールしちまうよ?エルロンで相殺した方が良い」


 祖父はますます不機嫌そうな表情になった。


「ラダーで取ってる」


 理事はマイペースに通信機をテストしている。理事の声がヘッドフォンから鳴っているようなので、僕はそれを耳に当てた。


「足りないよ。零式の最終的な馬力は千強だった。モーターエンジンとはいえ、二〇〇〇超えているならエルロンを、そうさなあ、実測で四ミリメートルほどトリムした方が良いかねえ。トリム付いているんだろう?」


 僕は付属しているマイクに向かって言葉を出してみた。


『トリムって?』


 僕の声が理事の持っているスピーカーから発せられた。


「右の脇にある縦の円盤がエレベータートリム。横の円盤がエルロントリム。少し奥の横向きの円盤がラダートリムだ。飛空艇ってのは、BVと違って、ハンドルがまっすぐならまっすぐ進むってモンでもねえんだ。風、速度、高度、今言ってるプロペラの回転のカウンタートルクなんかで、なかなかまっすぐには飛ばねえ。まっすぐに飛ばすためには、たとえば常にラダーを一センチメートル踏み込んでなきゃいけねえとか、操縦桿を五ミリメートル引いてなきゃいけねえとか、そういうこともあり得る。だが、同じ姿勢を保つのは体力を消耗しちまう。それで、トリムだ。たとえばラダートリムは、右回りに回せば右のラダーペダルを踏んだのと同じように、ラダーが右に切られる。トリムで調整すりゃあペダルを踏み続けていなくても済む。エレベーターやエルロンのトリムも同じように、操縦桿のような急激な動作はできねえが、可動翼の微調整を記憶させられるんだ」


『つまり、理事さんがおっしゃるには、そのエルロントリムをどちらかに回すってこと?』


「プロペラの反作用の反対、つまりプロペラの回転方向と同じだから、右回りだ」


 僕は早速エルロントリムと思われる円盤を右回りに回してみた。


『飲み込みが早いねえ。そうそう、あとコンマ七ミリメートル。……はい、そこ』


 ヘッドフォンから伝わってきた理事の指示に合わせてトリムを回した。それによってエルロンが動いたらしいが、手を離してもトリムは戻るわけではないようだった。


「まあ、とにかくやってみようかねえ。もしもこれで右旋回し過ぎちまうようなら、ワキさんに夜食くらいは奢らさせていただくよ。ただ、左旋回は堪忍しておくれよ?そうなるようならそれはカウンターだからね。ああ、一応申し上げておくが、もちろんこの安全帯は旋回にも対応できるように、自在軸で設計されているから、旋回すること自体は問題ないからね」


『それじゃあ、吊るよ』


『いつでもどうぞ』


 理事が手を挙げて研究員に指示をすると、どこかふわふわとした感覚を伴って僕と零式は空中へ吊り上げられた。社長や研究員に促されて、サハラたちが離れた場所に移動して行くのが見える。


『じゃあ、風防を閉めようか』


『フウボウ?』


 僕の疑問符に、祖父がいらだたしげに理事から電磁通信機のマイクを取り上げた。


『コックピットの窓、天蓋だ。頭の横に把手があるだろう。左側だ。そいつを掴んで閉めるんだ。重いぞ』


 僕は当該の把手を握り、力を込めて前へ押し出した。頑丈そうなガラスと合金の塊が油の行き渡ったレールを滑って僕を包んだ。一瞬の静寂。僕は目の前に見える操縦桿と計器、それにガラス越しに見える巨大なファンをただ見つめた。それはいつか見た、遥か下で渦巻く低気圧のように大きかった。


『どうでえ、乗り心地は』


 祖父の声に、僕は現実に引き戻された。これはアミューズメントでは無いのだ。


『悪くないよ』


『長旅になるからな。それじゃあ、まずはバッテリーを繋ぐ。正面計器の左奥にある黄色いスイッチを上に上げるんだ。黄色く目印してあるのはひとつだけだ。それを入れれば計器やなんかが光るはずだ』


 まるで零式に命が吹き込まれたように全ての計器が淡く光り、いくつかは何か細かく動いている。


『バッテリーを繋げば、すぐにでも始動できる。スロットルレバーの安全装置を外して横にシフトすればモーターエンジンが回転し始める。今回は空中姿勢からのテストだから、動かす前にベルトをしっかり締めるんだ』


 安全装置は跳ね上げるような動作で外れるようだが、僕はベルトやそのほか身支度に不備が無いかを確認した。ベルトはかなりきつく締まるようだったが、これは背面飛行時の操縦姿勢を安定させるためと思われた。


 僕は安全装置を外してレバーをシフトした。シフトすると、安全装置が今度はレバーが容易に戻らないように再び掛かった。BVが始動する時のような高く静かなモーター音がしてきて、目の前のプロペラが回転を始めた。零式はモーターの回転の反作用で少し左に傾いた。


『高速になるまではカウンターを打ち消せねえ。本来は接地している状況だから今はとりあえず心配すんな』


 とはいえ零式は大きく傾いている。安全帯がこれ以上の傾きを制限してくれているようだが、体感としては四五度程度傾いているように感じられる。ヘッドフォンから小さな声が漏れてきて、どうやら祖父と理事もサハラたちの居る部屋へ移動するようだった。僕は自分の状況に精一杯だったので気付かなかったが、正面のファンも回転を始めていた。


『風を出すので、姿勢は安定するからね。最初だけ右旋回を入れて姿勢を戻しても良いよ』


 モーターエンジンと正面のファンの速度はかなり上がっている。理事からの指示を受けて、僕は操縦桿を右に倒した。操作がエルロンに伝わる感覚があって、機体は大きく右に傾いた。


『倒し過ぎだ!』


 エルロンは想像以上に大きく風を受けて、零式と僕が垂直に右に傾いたところで、僕は操縦桿を戻した。経験したことの無い重力の受け方をして、僕は初めて落下への恐怖を抱いた。


 しかし、ベルトががっちりと僕を包み、安全帯が零式を繋ぎ止めているので、落下どころか姿勢すらほとんど変わらなかった。僕はその安心感で落ち着き、操縦桿を今度は慎重に左へ倒した。零式は姿勢を直し、僕はまた操縦桿を元に戻した。僕の耳には入っていなかったが、ヘッドフォンの向こうからの祖父や社長たちの慌てたような声が、安堵の溜め息に変わっていた。


『なかなか上手いよ』


 理事だけは落ち着いていていて、なにか作業をしながら通信をしているようだった。


『今、数字を見ているんだけれどねえ、安全帯に掛かっている負荷は無くなったよ。つまりおめでとう、君は飛んでいるよ』


 単純な嬉しさや喜びという単語では言い表せない感情が溢れた。それらにも似ているが、これは通過点でしかないという現実や、今まで漠然としていた『船』捜索への責任感が、操縦桿を握る僕の両手にみなぎった。ヘッドフォンの向こうでは悲鳴にも似た歓声が上がった。


『それじゃあ『足』を仕舞うぞ!右手側にある緑色のスイッチの上下が足の開閉だが、その横にあるボタンが安全装置になってる。ボタンを押し込んだ状態でないと切り替えられねえからな』


 僕は言われたボタンを押し込んだまま、現在下がっているスイッチを上へ切り替えた。機体が少しふらつくような感覚があり、少しして治まった。先ほどよりも強く浮き上がるような感覚があって、僕は操縦桿を少し前に倒して調整した。


『足を仕舞ったから揚力が上がったんだよ。エレベータートリムで調整すると良い』


 操縦桿を左手で固定しながらエレベータートリムを前に回していくと、不安になるほど軽く回っていたトリムが突然重くなる箇所があった。そこからさらに回すと、零式は下降するような挙動を示したので、僕は操縦桿を戻し、トリムも手前側に回して水平についても安定させた。


『良いねえ、安全帯の数字がまたゼロになった。ところで、傾きの方はどうだい?』


『そういえば、今は操縦桿は真ん中ですし、トリムも最初の位置から動かしていないです。安定しています』


『良かった。上手く相殺できているみたいだねえ』


 直接見えなくても、祖父が悔しそうにしている姿が目に浮かぶ。

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