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歌うたいの賛歌  作者: 椎名尊
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 廉太郎がこの世界にやってきて、それなりの時間が経った。今ではすっかり歌の歌い方も覚え、祭典ではジルの横で高らかに賛歌を歌い、そこから放たれた魔力で人々へ、時に魔石の力を、時に安寧を。


 廉太郎とジルの関係も少しずつ変わっていった。それまでジルに甘え、頼るしかなかった情けない男は、泣くことも落ち込むこともなくなった。その昔住んでいた世界は、今となっては夢のようにすら感じる。神官たちは相変わらずどこか余所余所しい所もあるけれど、それに固執することもなくなった。マキシードの無表情も実はそれなりに表情があるんじゃないか、と思うくらいまでにはなり、ジルの事で二人で話していると、それを彼女が何と勘違いしたのか、ヤキモチ妬いたりもする程度には仲良くなった。


 ジルは廉の膝の上が一等好きだった。取り寄せたお菓子を摘まみながら、そこでうつらうつらしていると、廉太郎が眠りを誘うような歌を歌う。いつも忙しいジルのつかの間の休息の為に。恋人同士のような関係なのに、どこかでそれは違うと廉太郎は感じていた。


 どこか


「俺の歌が元気ないのは、ジルが最近すごく忙しそうにしているからだよ」

「ごめんね。色々と調べものしていて」

「大変な事?俺じゃあ手伝えない?力不足?」


 まだジルの手助けになりえないのかと、腹立たしく苦虫を噛み潰したような顔をすると、ジルは首に巻き付いて「そんなことないよ」と甘えてくる。これをされるとそれ以上責めることが出来なくなってしまう。


「上手く説明できないの。なにをどうしたらいいのか…」

「ジルでもそういうのがあるんだ」

「失礼だな!私は万能じゃないぞ!」


 ワザと揶揄うようにすると、ジルはぷうぅと頬を膨らませて廉太郎の鼻を摘まんだ。


「神官に任せられないの?」

「そういう前例がないみたいだし、それにこれは私じゃなきゃだめなんだ…」

「そっか…」


 寂しげな表情をしているジルをゆったりと抱きしめる。国の重責を担っているジル。まさにその小さな体を張って臨んでいる。廉太郎が歌を歌ったり、こうやって甘やかしてやることがジルにとっての救いなら、いくらでも何を置いてもジルの傍に駆けつける。


「でも俺でも手伝えることがあったら、ちゃんと言えよ?最近はマキシードにもかなり認められているんだ」

「へぇ!マキシードに?」

「まぁな!」

「そうなの?マキシード」


 少し離れた所に相変わらず黙ってたたずんでいるマキシードに、ジルがちょっとふざけたように声を掛けると、「ええ、まぁそういう事にしておきます」と相変わらずの無表情で答えた。その間がおかしくて、ジルと廉太郎は目を合わせて笑い出し、おかげで沈みかけていた空気が一気に浮上していった。


 廉太郎の歌には力がある。それがジルの口癖だった。実際にその効果はかなりのもので、廉太郎は自分の声に滋養強壮の力でもあるのか、と真剣に考え込んでいたらジルが「そうきたか」と笑っていた。


 だけどジルの疲れ方がだんだんとひどくなっていった。廉太郎が歌を歌っても、抱きしめてもぐったりしている。まるで重い流行病気に罹ったかのように、ベッドに伏せることが多くなった。マキシードは彼女を気遣いつつ、補佐としての役目や彼女の代わりを果たした。廉太郎も何か手伝ったが想像以上に専門的な事が多く、結果としてマキシードの足を引っ張るような形になった。


「廉太郎様は出来るだけジル様の傍にいて差し上げてください」

「ごめん役立たずで…」

「そうではありません。今ジル様の傍にいて差し上げるのが、あなたにしかできない最も大切なしごとなのです。


 若干気落ちしながらもその通りにすると、ジルにもただひたすらに歌ってと請われるだけだった。


「ジル…大丈夫かよ」

「ごめんね…」

「早く良くなってさ、また街へと行こうよ。あの髪飾りを付けてさ」


 ジルの体調が崩れ始めたとき、廉太郎は仕事のしすぎだと思い、マキシードを説得して城下町へと繰り出した。ジルは立場上何かがあってはいけないから、自由が極端に制限されていた。祭りは既に終わっていたけれど、まだその名残はあって、国外から入ってきた変わった品物が色とりどりに露店を飾っていった。そこでのジルは年相応のお洒落を喜ぶ女性だった。なんでも買えるはずなのに、彼女が欲しがったのはたった一つの髪飾り。それは彼女がいつも身に着けているペンダントと対になっているかのようなデザインで、こうして倒れ込むまで必ずそれで髪を飾っていた。


 今も少し離れた鏡台にそれはそっと置いてある。ほんの2~3週間前の話なのに、まるでかなり昔のようにも思えた。


「そうだね。行けたら嬉しいなぁ」

「じゃあ早く良くなって。いくらでも歌を歌うから。抱きしめるから」


 ジルの髪を優しく撫でると、それに委ねて深い眠りへと落ちていった。


 廉太郎はその言葉通り、ジルの為に尽くした。マキシードが止めても続けた。だけどいくら歌を歌ってもジルは回復に向かわない。自分の無力さを嘆いた廉太郎を、彼女はすっかり力を無くした声で「違うの。廉が悪いわけじゃない」と慰めた。折角強くなったと思うのに、これでは最初に逆戻りだ。廉太郎は歯がゆさを感じつつも彼女の手を祈るように握りしめた。


 ある時、ベッドにいた彼女をマキシードは車いすで連れていってしまった。ジルもそれを理解していたかのようで、黙ってそれに従っていた。呆然としていた廉太郎に、暫くして戻ってきたマキシードが告げたのは信じがたい事実。


「な…んだよ……それ……」

「この世界の理です。ジル様も承知しています」

「俺は聞いていない!」

「そんな事はどうでもいいのです。このままでは世界が崩れます。鍵はあなたに託されるのです」


 魔力が大きいものがこの世界に二つ以上存在しては、その均衡が崩れ消え失せてしまう。その場合古きものが消え新しきものが跡を継ぐ。廉太郎がやってきたときから、否それよりも遥か昔にジルの運命は決まっていたのだ。


 叫び声を上げそうになったところを、数人の男がかりで魔力の込められた猿轡をはめられてしまった。


「私にはジル様のようにあなたを抑えきれるような魔力がありません。不愉快でしょうが従っていただきます」


 相も変わらずその凍り付いたような表情のマキシードを睨み付けるが、彼の後ろに控えていた屈強な兵士に拘束され、そのまま地下へと引きずるように連れていかれた。

 マキシードとはそれなりに心許せる仲になっていたと思っていたのに、この仕打ち。何よりもジルが心配だ。マキシードの話が正しければ、ジルはこの世から消えていってしまう。そんなことは認められない、認めたくない。どんなことをしても阻止してやる。

 そばを歩く鉄仮面を睨み付けながら、そう心に誓っていた。


 この城にこのような場所があったのか。石造りのらせん階段を固い靴音を響かせながら只管降りていくと、荘厳で巨大な扉がわずかに開かれており、そこから中へと連れていかれた。沢山の蝋燭がともり、メーデを小さくしたような魔石を中心にして大きな魔方陣が描かれていてそこに久しぶりに立ち上がっているジルがいた。廉太郎の心を鷲掴みにした、あの白い生地に金の刺繍が施されたケープを着て。


「廉」


 自分に向ける笑顔はいつものままなのに、感情は悲しみに支配されている様に見えた。ようやく外されたさるぐつわを忌々しく睨み付け、ジルに怒鳴りつけた。


「なんで教えてくれなかった!」

「言うタイミングを逃しちゃった。廉との生活があまりにも楽しくて」


 これから消えるという未来を微塵にも感じさせない明るさが、かえって廉太郎の心に深く突き刺さった。あの温もりが、あの笑顔が、あの声が、そのすべてが間もなく消える。


「何か方法はないのかよ…」


 絞り出すような声に反応して蝋燭がぶるぶると震えた。魔方陣にはジルの施した強力な結界がある。それすら僅かながらにも突き抜けていく魔力に、控えていた神官達は畏れ慄き、感嘆の息を洩らした。


「私もね、色々と探したんだよ。でも私自身がそうやって『お父様』と入れ替わったの」

「お父様?」

「長い事この世界を守ってきた人。この世界を守るために、魔力が成長を遅らせるのに、私がこの世界に来た時には時間がかかり過ぎちゃったらしくってね、すっかりおじさんになってしまった!と怒られたわ。小さな私を娘のようにかわいがってくれたの。私の魔力が安定した時……消えちゃったけど」


 彼女の首元にはいつも付けていたペンダントが揺れていた。『お父様』が買ってくれた鎖にぶら下がるそれは、この世界の鍵となる石が埋め込まれており、ひとりで寂しい時彼女をずっと支えてきてくれた。あの髪飾りと似たような細工が施された石。


「いやだ…」


 ジルに駆け寄り抱きしめると、「ぐぇっ」と色気のない声がする。ああ、また力の加減を間違えている。でも今は緩める気が全くない。


「ジル…いかないでよ…俺は一人になってしまう」

「大丈夫。廉の歌声はみんなの心を癒す。あなたの周りには沢山の仲間がいる」

「ジルがいなければ意味がない!」

「えへへ…ありがと……」


 ジルも廉太郎に負けじと抱き返す。生まれた世界でもこの世界でも、きっとジルはずっと廉太郎の傍にいたのだ。そう思えるほどジルと廉太郎のつながりは深かった。これだけぴったりと互いを求めあうのに、なぜ別れなければならない。


「ジル!なんか方法があるはずだよ!今からでも遅くない」

「廉ってば。そんなの私だって沢山探したってば」


 ジルが忙しい中、体に無理をしてもやっていた調べもの。この世界に残る方法を探していたのだ。そこで分かったのは、ジルたちの存在は肉体すらまやかしという事。流石のこの世界でも魔力がなくても生きてはいける。だけどジルや廉太郎のような転生者は違った。肉体自体が魔法で構成されているので、それが無くなれば消滅する。自給自足というのはそういう意味が含まれていた。

 ジルが最後の力を明け渡した瞬間。それは彼女の消滅を意味する。そしてそれは逃れられない運命。


「町へいこうって…約束しただろ…」

「行きたかったなぁ…」

「今度はピアスを買ってあげるよ。髪飾りとお揃いの」

「へへ…うれし…」


 いつも笑っていたジルの声が震えていた。初めて聞くジルの涙声。いつも自分を慰めてきてくれた女の子が、初めて見せた弱い姿。こんなにも小さな存在は、廉太郎が来るまで一人で世界を支えていた。

 その重き荷が今下ろされようとしている。


「やだよ…やだよ……ジル…行くなよ…!」

「ごめんね…廉…ごめんね…」


 どんなに泣いて乞いても変えられない。ジルの命の終わりは刻一刻と近づいていた。


「廉……愛している……いつまでも…」

「ジルッ!」

「鍵を渡します。この世界を守って」


 最後の凛とした声が響き渡り、ジルが廉太郎の腕の中から消滅した。彼女は眩い宝石の粉となり、それはそのまま魔石へと吸い込まれていった。ペンダントと髪飾りがカランと乾いた音を立てて床に落ち、ジルの香りを纏った白いケープを残して。


「ジル…?ジル?ジル!!!いやだーーーーっ!!」


 空になった腕をいくら彷徨わせ叫んでも、その空虚が埋まることはなかった。


* * *


「廉太郎様…」


 ジルが消えてから幾年経ったのだろう。嘗てジルの側近だったマキシードは、今廉太郎の傍にいる。青年だった廉太郎は人よりもはるかに長い時間をかけて、壮年の男性へと変わっていった。ジルを失った直後の暫くは、荒れ果てていたため、神官たち総出でジルの作った魔方陣に閉じ込められていた。

 年齢不詳の彼は実はジルの父親と称する男がが作りだした傀儡だった。ジルが一人で寂しくないように。機械弄りが得意だったその男は、小さな女の子の為にマキシードを作った。そのマキシードはジルの魔力で動いていた。だから彼女が消えた瞬間、人形と化していたそれは、そのまま捨て置かれそうになっていたが、廉太郎が魔方陣から漏れるわずかな魔力を使い、泣きながら魂を込めた。


 ぎこちなく動き出したマキシードは「こんなに悲しい歌は聞いたことないです」と寂しげに語った。いつ来るか分からない次なる存在の為に、人の寿命をはるかに超えて生きていく。マキシードの中にそんなジルの寂しさを見た気がした。


 そうしてマキシードは廉太郎の世話係となり、廉太郎がジルの代わりとなってからは、ジルの時同様常に傍にいて、よき友人として補佐として傍にいた。


「うん。来るみたいだね」


 この所の体中に起きる騒めきは予兆だったのかもしれない。その昔すげなく断られた廉太郎の歌声は、今やこの世界になくてはならない存在になっている。

 だけど

 そろそろ次なる存在がこの世界にやってくるのだろう。男だろうか、女だろうか。まだ子供だったら可哀想だな。自分はジルのように正しく導くことが出来るのだろうか。


 『鍵』を握りしめ、自分にジルを重ねる。


「マキシードこれからが大変だよ」

「また少しの間賑やかになります」

「うん。でもこの役目を終えたとき、俺はジルに会える気がするんだ」

「ジル様に?」

「だから頑張らなくちゃ、ね」

「なんだかジル様の苦労が目に見えるようです」

「言いやがったな!」


 長い年月の中、小さな恋を一度だけした。ジルには黙っておこうか。いや、彼女は案外敏いからばれるな。笑って許してくれるかな。いやこの際許してもらおう。お取り寄せのチョコはないけれど、


 その代りこれから先すべてを君に捧げるから。もう二度と離さないから。


 その先にどんな世界があるか分からない。しっかりしている風で甘えん坊のジル。もしかしたら『お父様』に甘えているかもしれないな。そうしたら『お父様』には悪いがひっぺ返して、この腕に抱こう。ジルは怒るかもしれないけれど、その代わり沢山キスをしてやる。 


 空を見上げるとキラキラと光るものが、ふんわりと落ちていくが見えた


【了】

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