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歌うたいの賛歌  作者: 椎名尊
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 廉太郎の体の調子は、日に何度か飲まされる薬のおかげか、それともただひたすらに休養をとっていたせいか、見る見るうちに回復していった。その間ジルやマキシードが日に何度も廉太郎の様子を見舞った。医師はただひたすら診察を行い、看護師はそれを補佐する。どこかよそよそしく、自分とは違うのだと思わせる態度で滅入るけれど、ジルたちは違っていたのが救いだった。


 それでもコロコロと表情の変わるジルに対して、鉄仮面のように表情が変わらないマキシードの事を、最初はどうしても廉太郎は馴染めなかった。なにか自分が悪い事をしたのか、身に覚えは全くないが、とにかく嫌われているんじゃないかとすら思ったくらいだ。それをジルに伝えると、マキシードが笑ったことのあるのを見たのは誰もいないと、ケラケラと笑い転げた。


 体調が回復していくと、沈み切っていた気持ちも浮上してきたのか。廉太郎の表情にも明るさが見えてきた。ジルはそんな廉太郎の精神状態を見計らって、すこしずつ状況説明をしてくれるようになった。俄かには信じがたかったが、ここは廉太郎の住んでいた場所とはまるで次元が違う世界だった。確かに城を核に四方に広がる町は中世のヨーロッパのような、でも見た事もない機械があるのを見ると、まるで童話の中にでも出てきそうな世界だった。自分が馴染んだ世界ではないそこでも、言葉が解するのは不思議だったが、それは言葉の記憶が全て変換されるという、なんとも都合の良い機能が働いたからだという。おかげで混乱も最小限度に留まっている。言葉が通じるというのは凄い。廉太郎の不安の大きな部分を取り除いているのだから。

 ジルが忙しい時、マキシードのみの時もあったけれど、彼はこの世界に関する廉太郎の疑問に的確に答えてくれたし、不思議と彼が横にいる事で気まずい空気になることもなかった。世代的にも近いようだし、同性の(ちょっと変わった)友人が出来たようで、それも廉太郎の救いになっていた。


「やっぱり俺は死んだのか」

「元の世界ではね」

「そっか…死んだんだ…はは…」


 青々とした芝生の上に座り、眼下に広がる街並みを眺めながら、廉太郎は隣に座るジルの頭の上に、自分の頭を載せていた。太陽の光は体だけではなく、心の元気にするというのを目にしたのは、新聞のコラムだったか。この世界の太陽でも同じ効果があるんだろうか。そんな事を考えながら、ジルに甘えていた。自分が既に死んでいる、というのはすごくショックな筈だけれど、まだ現実感が湧かない。実際に顔をつねってみると痛いし、今日の様に遠出をしたら、久々の運動でもあって疲労もしている。この芝生のほんの少し冷たい感触も、どこからか漂う甘い花の香りも、そして今横にいるジルの温もりも感じることが出来る。これが死後の世界なら、死ぬというのはいったいどういう事なんだろう。


 死後の世界なんて考えたことがない。というのは嘘だ。思春期にはつまらないことで自殺を考えた事は一度や二度ではない。小学生の頃は死んだ後の事を考えたら怖くて、布団の中で泣きじゃくっていた所を母親に見つかり、結局そのまま一緒に寝てもらった事もある。ここ数年は特に悲惨だった。外れた歯車はなかなかかみ合わない。むしろ悪い方へばかりと転がっていく。半ばうつ状態に陥り、そもそも自分はいらない存在だったんじゃないのか。転がり落ちるような短い人生に未練なんてないと思っていた。それなのにいざこうなってみると後悔ばかり。情けないとは思いつつも自分の死を受け入れるというのは難しい事。


「死ぬっていうのはどういう事なのかなぁ」

「分かんないよ」

「だよな」


 ぽつりと口からこぼれた疑問は、あっさり空中分解していった。自分よりも若い女の子にそんな哲学的な事を聞いてどうする。小さく自嘲すると、ジルから思わぬ言葉が出てきた。


「私と廉太郎はこの世界では異質なの」

「え…?」


 体を少し離し彼女の顔を見つめるも、肩をすくめて「そのうち説明するね」とお道化ただけだった。


 今の状態が不満なわけじゃない。みんなが良くしてくれている。だけど廉太郎はふとした拍子に、やっぱりここに感じている全てが夢のように思えてしまう。そうなると湧き出してしまう後悔と懺悔。歌なんかに、拘らず早く別の道を見つけるべきだった。家を飛び出して以来会ってない両親に会いに帰るべきだった。ごめん。これからは身も心も入れ替えてやり直すよ。そうやって安心させて田舎暮らしをするべきだったんだ。


 自分がしていたのはただ無意味に周りを心配させただけじゃないのか。


 膿のように淀んだ感情。少しずつこの世界に馴染んでいくというのは、それだけ昔の世界から離れていくこと。嫌な思い出ばかりのはずなのに、戻れないとなると途端に湧き出る郷愁。ジルが優しければ優しいほど、それは辛く悲しい現実を突きつけていた。そのくせジルとマキシード以外の人間は、廉太郎を「客人」として扱う。丁寧で優しいのだけれど、ある一定の所からは踏み込ませない。それはまるで、お前と自分たちとは違うのだ、と壁を作られているようでもあった。

 色々交差する思いは心の底に汚泥を作り、感情を高ぶらせ、噴きだす。廉太郎は時折発狂するような状態にもなった。


「廉!落ち着いて!」


 ガラスの大きな花瓶が割れた瞬間、ジルは慌てて部屋へと入ってきた。まるで餓えた野生の獣の様な廉太郎は、ジルと、その背後に無表情に構えるマキシードを睨み付ける。


「うるさい!!お前に俺の気持ちが分かるか!!」

「そのままだと廉が傷つく!」

「黙れ!黙れ!黙れ!!」


 はぁはぁと肩で息をしながら喚き散らす。ジルはそんな廉太郎の傍に構わずかけ寄りながら、小さく呪文を詠唱する。マキシードはそんなジルに何かあったら、いつでも廉太郎を押さえこんでやろうと様子を伺っていた。以前近寄っていくジルを止めようとしたら、物凄い目で睨み付けられたのだ。それほど強い意志をマキシードは受けた事がなかった。だからこの場はジルに任せることにしている。だけどジルに何かあったらただ事では済ませない。


 花瓶が割れたのは廉太郎が感情のまま叫んだから。ジルが最初廉太郎の発声を止めた理由がこれだ。彼の声の力はこの世界では大きなエネルギーとなっていた。それは本人が自覚するよりも凄まじく、またうまくコントロールしないと本人すら傷つけてしまう。

 だからジルは廉太郎の声が出せるようになった暫くは、いつも彼の傍にいた。廉太郎の声が暴走しないように結界を張る為だった。あちらの世界では誰にも認められない声だと、ヤケクソになって潰してしまった廉太郎の声は以前と同じか、それ以上に澄んだ声が出るようになっていた。だけど以前としてトラウマとなってしまった深い闇の部分と相まって、あまりのギャップに処理しきれない感情が蠢く。すると今度は自分の死に対する不安などが湧きおこる。廉太郎はジルが傍にいる事によって、それらが寸でのところで抑えられていたと感じてはいた。


 少しずつ制御を覚え、落ち着いた頃合いを見計らって、ジルは仕事に復帰するようになった。彼女は彼女でこの国を支える重要な仕事を持っている。軽く結界を張るだけで済むようになってからは、廉太郎の自由度が増していった。だけどそれそれは小さな寂しさと共に、逆に現実世界を自覚させることになった。歩いて回れば回るほど、知らない世界が広がっていく。冒険の様なワクワクした気持ちよりも戸惑いの方が大きい。ここに住む人々は日本人の容姿をしていない。ジルだってオリエンタルな顔立ちだ。だけどなぜかジルだけは自分に近い感じがした。言葉で上手く説明できないけれど、ジルが傍にいるととにかく安心する。自分より体格も年齢も小さな女性に頼る自分が情けなくて、必死に頑張ろうともがいた。

 この世界を受け入れないといけない。ジルに迷惑をかけてしまう。そんなプレッシャーと今回は夢見が悪いせいもあって、感情の歯止めが利かなくなってしまったのだ。


「れーん!つっかまえたー」


 額には脂汗を滴らせ、それでもいたずらっ子の様な笑顔で、ジルは廉太郎の腰に巻き付いた。ふーふーと息を吐きながらジルを睨み付けるも、彼女は決して離れようとしない。彼らを取り巻く空気は廉太郎の放った波動と、ジルの結界が混ぜ合わさったように淀み、少しずつ穏やかに澄み渡っていた。


 ボロボロと廉太郎の目から涙が零れ落ちる。情けない。自分はいつもこうやって人に迷惑をかけてしまう。ジルに頼ってばかりではと思っているのに、結果的に彼女がいないと抑えきれない。


「ジルぅ……」

「うん。大丈夫だから。廉は大丈夫だから」

「ジル…ごめん…ジル…俺…」

「大丈夫だって。廉が不安なのは仕方ないんだよ。私が傍にいるから。安心して。ね」


 自分がどうしてこうなったのか、何が不安なのか。廉太郎ですら混乱をしているのに、ジルはいつもこうやって廉太郎の傍にいてくれた。何度この小さな体に縋ったか。でも廉太郎には彼女に甘える事しかできなかった。


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