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第二話〜ヴリトラの遺産〜

 一つ、竜についての話をしよう。

 このグランパル大陸に於いて、竜は生態系の頂点に君臨する種族である。

 膨大な時を生きてきて培われた知識の前では賢者と呼ばれる者すらも無知な赤子に等しく、魔法を超えた魔導を千も操り、言の葉一つで天災を引き起こす。体を覆う鱗は並の武器や魔法の干渉を遮断し、更には強力なブレスや邪眼といった特殊な能力を持つ個体も存在する。


 過去にはグランパル大陸を支配して文明を築いた記録も残されているのだが、竜の最大の弱点と言えるのが、子孫が殆んど残せないという事であった。


 竜には性別上としては雌雄が存在するのだが、交尾をする事もなければ交尾をする器官もない。

 両者の合意の上で、竜がその力を移譲する事でのみ竜は繁殖をする事ができる。

 別に竜でなくても、人間でも竜と互いに合意したならば、力を譲り受け竜に至る事もできるのだ。

 故に竜は、またの名を至れり竜──至竜(しりゅう)と呼ばれたりする。


 しかし竜は、生態系の頂点に君臨するだけあってプライドの高いのが殆んどだ。まず殆んどが力の移譲を認めようとはしない。

 それに力の移譲は一回のみであり、竜の絶対数は減る事はあっても増える事はないのだ。

 竜は途方もない寿命を持っているが不老不死というわけではなく、グランパル大陸を支配していた生物の絶対者はその数を減らして大陸の覇権を人間に譲ったのだった。



 ──そして、ヴリトラにもその寿命を迫ってきていた。


「……父さん、大丈夫か?」

「ああ、うむ。今はまだなんともない」


 ヴリトラがレイルを拾ってから、8年。ここ最近、ヴリトラの体調は急激に悪化の一途をたどっていた。

 動きは緩慢となり、今では体を動かす事も侭ならない。

 酷い時は喋る事すら困難であり、今日はまだ比較的体調は良い方だ。


「なあレイル、聡いお前なら分かっていると思うが、私はもう長くない。おそらく一年を待たずして私は死ぬだろう」

「……うん」

「だから、私が死ぬ前に、息子のお前に渡しておきたいのだ。私の全てを」


 そう言ってヴリトラが出したのは、レイルが持つには十分な大きさの肩掛け袋であった。

 動物の革で作られた、長さ1m程で底が広い肩掛け袋。しかしそれはヴリトラが作った物であり、見た目通りの性能ではない。


「これには空間拡張の魔導を施しているから、ほぼ無限に近く収納が可能になっている。既に私が溜め込んだ財宝を詰め込んだから、私がいなくても生活に困る事はないだろう。だが無駄遣いはするなよ」

「……するわけ、ないだろ」


 ヴリトラの冗談に、レイルは涙を堪えながら返す。

 物語でよく描かれているように、竜はよく財宝を溜め込んだりしている。

 しかも数千年の久遠な時を生きてきたヴリトラが集めてきた財宝の数々は、人間があらゆる贅を一生費やしても消えやしない程だ。

 レイルがどのように無駄遣いしようと、消えるわけがない。


「それと、一番大事なものをお前に渡しておこう。これから、お前が一人で生きていくにも大丈夫なように、私の力をお前に移譲する」


 ここで一つ、おさらいをしておこう。

 竜が力を移譲するという事は、その魔力や知識などの全てを、相手に譲り渡すという事だ。これを譲り受ける事で、その者の魂の形が竜へと姿を変え、繁殖する事となる。

 力の移譲は一回のみ。その理由は、力を移譲すれば文字通り全ての力を相手に譲り渡すという事だからだ。


 ──そして力の移譲方法は、相手を喰らうという事だ。


「さあレイル、喰らうがよい。私の血肉を、心の臓腑を」


 おもむろに自らの爪を胸に当てたかと思えば、ヴリトラの胸からは夥しい程の血が噴き出し、地面にべちゃっと音を立ててナニかが落ちてきた。

 ドクン、ドクンとまだ脈打っているそれは、ヴリトラの心臓である。


 これらを、父であるヴリトラの血肉を喰らう事が、力の移譲なのだ。

 もちろんレイルは、その事を知っている。死期を悟ったヴリトラから何度も聞かされ、心構えをしておけと言われていたから。

 しかし、いざ目の前にするとその決心が鈍る。

 親を喰らうなど、人間の観点から見れば最大の禁忌の一つだからだ。


 しかし、ここでヴリトラを喰わねば、力の移譲は行われず、ヴリトラはただ無駄に死んだ事になってしまう。

 いくら超常の生命力を持つ竜でも、心臓を抉り取れば長くは持たない。

 だからレイルに残されたのは、父の死を意味のある死にするのか無意味な死にするのかの二択しかないのだ。

 当然、息子のレイルが取る選択肢はただ一つ。



 ────……ぐちゅっ、はぐ、はぐ、がじゅっ



 瞳からは涙が滂沱と流れながら、レイルはヴリトラの心臓を喰らう。

 その血を一身に受け、体を深紅の血に染め上げながら。ただただ、涙だけを流してレイルはヴリトラの血肉を喰らう。

 力の凝縮であるヴリトラの血肉は他の生き物にとっては甘美であり、レイルの体は貪欲にヴリトラの血肉を飲み込んでいく。


 辛いだろう。父の血肉を喰らうなど、狂おしい程に辛いだろう。

 我が子がそんな感情を抱いている事を知りつつも、ヴリトラは安堵の表情を浮かべていた。


「──ありがとう、レイル」

「っ、……っ、ぅ……んっ……」


 まるで凪の中の水面のような穏やかな声で、ヴリトラは人差し指をレイルの頭に乗せて撫でてやった。

 その鱗は硬くてゴツゴツしていて、慣れていないのか少し痛い。そんなヴリトラの不器用な優しさが伝わってきて、レイルは漏れ出た嗚咽を必死に噛み殺す。


 単純に価値観の違いなのだが、ヴリトラは嬉しかったのだ。我が子のレイルが、自分の力を継承してくれる事に。

 竜にとって力の移譲とは、それ程までに大事な事柄なのだ。


「レイル、お前はこれから、自由に生きろ。誰の思惑に囚われる事もなく、自分が思うがままに生きていくんだ。私とは違った道を、歩んでくれ」

「っ……と、とうさんっ……」

「私は、ずっと人間たちの思惑に翻弄されてきた。ただ人間が思うままに、私自身は何も生み出さないまま」


 ヴリトラの生涯は、その通り人間たちの思惑にずっと翻弄されていた。

 遥か古代、大雨を降らして人間たちを苦しめていた神々を滅ぼすために、人々の願いによって生まれたのがヴリトラである。

 誕生と同時に神々を滅ぼす力を有していたヴリトラは天上の神々を退けたのだが、あまりに強大な力を恐れ、ヴリトラを生み出した人間たちは次はヴリトラが消える事を願った。


 こうしてヴリトラは、人々の勝手な思惑に翻弄され、人との関わりを断って誰にも気付かれる事もなくひっそりと生きていくつもりだった。

 けど、運命の悪戯というべきか、ヴリトラはレイルと出会い、我が子として育てた。


「レイル……我が息子よ。お前と出会えた事で、私も何かを生み出せると、生み出していいのだと知る事ができた。……誇らしい我が息子よ、私と出会ってくれて、私の息子になってくれ、感謝、する……」


 黄金の瞳は次第に輝きを失い、レイルの頭を撫でていた指はスルリと落ちて、それ以降ヴリトラは何も喋らなかった。

 瞳を閉じ、ヴリトラは満足した表情を浮かべて、その長い長い久遠の生に幕を閉じたのだった。


 決して順風満帆な生ではなかったが、だけど最期にそれを帳消しにしたのだろう。

 言わずとも、満ち足りた笑みで逝ったヴリトラの顔が物語っていた。


「……感謝する、か。それはこっちの台詞だよ、父さん。俺を育ててくれて、俺の父親になってくれて、本当にありがとう」


 けど、それはヴリトラだけに限った事ではない。

 最悪な、まさに地獄と呼ぶに相応しい人生から救い上げてくれ、両親が注いでくれなかった無償の愛を注いでくれて、父にもなって育ててくれたヴリトラに、レイルも尽きる事のない感謝をしているのだ。


 血が繋がっていなくても、種族が違っていても、たしかにレイルとヴリトラは親子であった。

 しばらく、レイルは父の亡骸の前から動けずにその場に立ち尽くしていた。

 空は曇天に覆われ、ポツリポツリと雨が降ってきたのだった。




 *****




 父であるヴリトラが息を引き取ってから、レイルが完全に持ち直すまで数日の時間を要した。

 唯一レイルの愛情を注いでくれた存在が死んだのだ。まだ14歳のレイルには、ショックが大きかっただろう。


 だけど、このままこうしていたらヴリトラに怒鳴られてしまう。

 だらしない息子を叱るために、あの世から戻ってきそうだ。

 身支度を整えて、レイルは石を積み上げただけの簡素な父の墓前で、別れの挨拶を済ませる。


「父さん、俺行ってくるよ。父さんが言った通り、自由に生きてみる」


 ヴリトラの血を飲み干し、肉を喰らい尽くしたレイルの体は劇的な変化を遂げていた。

 白かった肌は浅黒く変色し、サラサラだったブロンドは脱色して白に輝き、動物のような毛並みに変わった長い白髪を一本に纏めてマフラーのように首にかけている。青かった瞳は黄金郷を奪ったかのような眩い金色に変わり、目付きも柔和なものから鋭い目付きへと変わっている。


 ヴリトラとの力の移譲が無事に終わり、レイルの魂の形が変わりそれに伴って外見も変わったのだ。

 それに加えて身体機能も飛躍的に向上しており、そこらの魔物が集まった程度では傷一つ付けられない程に強くはなった。

 これなら、ある程度の安全は確保できるだろう。父の、ヴリトラの大切な遺産だ。


「もう、ここには戻ってこないかもしれないけど、父さんの事は忘れないから」


 レイルの服装も変わり、黒い革鎧の上に黒のロングコートを羽織り、胸や手足には鱗で作られた防具を装着している。

 どれも父であるヴリトラの革や鱗を髭で繋ぎ止めて作成された一品だ。

 死期を悟ったヴリトラが、息子のために密かに製作していたものだ。

 他にも数々の武器を製作しており、やや過保護だと思うが、それだけレイルの事を大事に思い愛しているのだろう。


「それじゃあ父さん、行ってきます。さようなら」


 一度だけ、父の墓に頭を下げて、レイルは漆黒のコートを翻してその場を後にする。

 決して、振り向いてはいけない。振り向けば、きっと決心が鈍ってしまうから。きっと、涙が溢れてしまうから。


 レイルは、未だ見ぬ世界に向かって、歩き出したのだった。

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