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2. 事務所と居場所。世界の構造。

 ぎしぎし、と体が軋む。全身が痛かった。

「いてて」

 体を起こして、周囲を見回す。どこだろう、ここは。広い室内、ソファとテーブルがあって、大きな事務机があって、テレビがあって。

「あぁ……」

 そう、ここはナクシ相談事務所の事務所部分だ。昨夜、結局ここに泊まることになってしまったぼくは、とりあえずの寝床として事務所のソファを提供されたのだった、と。

「……サイ?」

 ぼくが寝ているソファの向かい、テーブルを挟んで向こうにあるソファに、サイが毛布に包まって眠っていた。

 すやすやと静かな寝息を立てて眠っているサイ。長い髪は方々に散らばり、彼女が身じろぎをするとその一房がさらりとこぼれた。

「……――」

 下手に動くと、起こしてしまうかもしれない。ぼくは体に掛かった毛布を膝にかけて、横になっていた体をゆっくりと起こした。

「……」

 天井を見上げる。ブラインドが引かれた窓からは、わずかにオレンジの光が差し込んでいる。どうやら、もう朝は来ているようだった。

(今、何時だろうか)

 首だけを動かし、室内を見回す。ぼくが眠っていたソファのちょうど背後に時計はあった。六時過ぎ、まだ起き出すには少し早い時間だろうか。

 音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、窓際へ。ブラインドの隙間から外を見る。表通りでは、それなりの人通りがあり、もう街は起き出していた。最も、この東曲野の街は夜も眠ることはないのだが。

「けど、どうしてサイがここに寝てるんだろう」

 昨夜、彼女はぼくに毛布を渡した後、二階にあるという彼女たちの部屋に上がっていったはずである。

「……どうすりゃいいんだよ」

 またゆっくりとソファに戻り、背もたれに背中を預ける。横に誰かが寝ている、という状況にはあまり慣れていない。

(起こしたらかわいそう、だよな)

 依然眠っている彼女の寝顔は、とても美しい。どこかの絵画から抜け出したような、幻想的な光景だった。とても無邪気で、あどけない子供のようなその姿に、目が眩む。

「……」

 つい、テーブルの上に身を乗り出して見入ってしまう。と、突然、サイ(・・)と(・)()が(・)合った(・・・)。

「いっ!?」

「……セキ?」

 跳ね上がって心臓が口から飛び出てくるんじゃないかって言うくらい、驚いた。だって、そんな。突然目を開けるなんて思わなくて。

「あ、その、別に寝顔を見ていたわけじゃ……その、そこで寝ていたから、どうしてこんなところにいるのかって……」

 しどろもどろになりながら、どうにか言い訳をしてみる。というか、どうしてぼくが慌てなくちゃいけないんだろうか。

「……セキ」

 彼女の手が伸びてくる。反射的に身をすくめて、

「――すぅ」

 僕のシャツの、空っぽの右袖を掴んで毛布の中に引っ張りいれて。彼女はまたすやすやと寝息を立て始めた。

「――サイ?」

「……すぅ」

 どうやら、目が覚めたのは一瞬らしい。いわゆる二度寝というやつだ。寝顔を見ているのがバレなくて済んだのはよかったけれど。

「どうしたらいいのさ」

 ぼくのシャツを掴んで眠っているサイ。テーブルの上に不自然に乗り出したぼく。もしかして、ずっとこの態勢でいなきゃいけないのだろうか?


 それからどのぐらい時間が経ったのか、がちゃがちゃと事務所を開錠し、入ってきたのはパシリだった。昨日と同じく金髪を逆立て、腰にじゃらじゃらと鎖のついたポーチを提げた彼は、ぼくとサイを見て、

「……どこからツッコめばいいっすか」

「ツッコむ前に助けてくれると助かる……」

 片腕で体重を維持し続けていたため、もうぼくの左腕はぷるぷると震えて余力はいくばくもない。はぁ、とパシリはため息をついて、サイの毛布からぼくの袖を引っ張り出した。

「あ、ありがとう……」

「サイさんは寝ぼけてると行動が色々アレなんで。あんま気にしなくて大丈夫っすよ。ちょっとやそっとじゃ起きないし」

 パシリはぼくがソファに丸めたままだった毛布を簡単に畳み、背もたれに引っ掛けて、そして台所に入っていく。と、すぐに顔を出す。

「洗面所とトイレ、廊下にあるっすから。顔洗ってくるといいっすよ」

 それだけ言ってすぐにパシリは引っ込み、とんとんと小気味良い包丁の音が聞こえだした。言われたとおりに廊下に出て洗面所に入り、顔を洗って排泄を済ませた。

「あの、パシ、リ?」

「なんで疑問系なんすか」

 台所に入る。鍋に味噌を溶かし込みながら、パシリは答える。

「いや、あの。ぼくは、どうしてたらいいのかな、って」

「あー、そうっすね。じゃあ二階に上がって画伯を起こしてきてほしいっす。二部屋あるけど、奥の部屋が女子部屋なんで」

流しやコンロを往復しながら、パシリは手際よく調理をこなしていく。確かにここにいてもぼくに手伝えることはないし、言われた通りにするしかないだろう。

「けど、勝手に部屋に入っても平気なの?」

「大丈夫っす。オレいつもやってるんで。カギも掛かってないと思うし」

「……そうなんだ」

 なんとも無用心な。しかし、一宿一飯の恩義もあるし、とりあえず言われた通りにしたほうがいいだろう。ぼくは事務所の表に出た。

「んっ」

 大きく伸びをする。吸い込んだ空気は紛れもなく朝のそれだ。冷たくて、頭がしゃっきりする。全身が透き通るような感覚。こんなにも清々しい朝は久しぶりのような気がした。

「二階……」

 すぐ横に、階段の上り口を見つけて上がる。二階は廊下が伸びており、扉が二つ。奥が女子部屋、と言っていたっけ。

「お、お邪魔します」

 ドアノブに手をかける。若干さび付いた音がして、扉は開いた。カギはかかっていなかった。ほんと、無用心だ。

 玄関に入ってすぐ左手に小さな台所があり、右手には木の扉がふたつ。おそらくトイレや風呂場だろう。靴を脱いで上がり、すぐに居間と思しき場所に。そこの左右には部屋がそれぞれ一つずつ。

「……こっちか」

 丁寧にネームプレートの掛かった、木製の引き戸。『がはくのへや』とひらがなで書かれたネームプレート。おそらくサイが書いたんだろうな、と思った。

「画伯、パシリに言われて起こしに来たんですけど――」

 待つこと数秒、返答はない。

「画伯、朝ですよ。起きてください」

 戸をこんこんと叩いて声をかけてみる。返答はない。

「――起きてください画伯。もう朝ですよ」

 少し強めに戸を叩いて、やはり返答はなく。仕方なく、その引き戸を少しだけ開けてみることにした。中を覗くと、薄暗いながらも窓から差し込む光で部屋の中が見えた。

 六畳ほどの広さだろうか。部屋の隅には机があり、小さな鏡台があり、そしてベッド。あるのはそれだけ、女性の部屋にしては殺風景だった。

「画伯、朝ですよ……」

 控えめな声に、身じろぎで反応する画伯。どうやら、意識は覚醒しかかっているらしい。

「……画伯、起きてください!」

「ん――おぉ、おはよう。セキか」

 思い切って大きな声を出すと、むくりと起き上がった画伯はぼくの顔を見て首を傾げた。

「パシリはどうした?」

「下で朝食を作ってます。起こしてこいって言われたので起こしにきました」

「そうか、その役目は君のものになったんだな」

 ベッドに腰掛け、全身を伸ばす画伯。ふぅ、と息を吐いて。

「うん、目が覚めた。身支度をしたら下に下りるから、セキは先に戻っていなさい」

 言うなり立ち上がり、しゃがみこんでベッドの下にあったカラーボックスから服を取り出す画伯。ぼくが引っ込む暇も与えず、上着に手をかける。

「ちょ!」

 電光石火、背を向けて後ろ手で引き戸を閉める。中から笑い声が聞こえた。


 事務所に戻ると、サイはまだ眠っていた。台所に入ると、とても香ばしい匂いがしていた。何かを炒めているらしい。

「画伯は起こしてきたよ。サイは?」

「あぁ、ほっといて大丈夫っす。食事が出来たら起きて来るっす」

 炒め物を作り終え、大皿に盛るパシリ。そして人数分のご飯を茶碗に盛っていく。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。よっつ?

「さ、セキ。食事を運ぶの手伝って欲しいっす。片腕でもお皿は運べるっすよね」

「え、ちょっと待って。ぼくの分もあるの?」

「何言ってんすか? セキだけメシ抜きなんてひどいことしねーっすよ」

 そういう問題ではないのだが。けれど、こんないい匂いがしていては、お腹がそれを拒むはずもなく。

「ん……ごはん……」

 四枚の取り皿を事務所のテーブルに運ぶと、サイがもぞもぞと動いて頭をもたげた。

「パシリ、今朝はなぁに?」

「ベーコンとタマネギのソース炒めっす。顔洗ってきてください」

「はぁい」

 突然起きたサイはてきぱきと毛布を畳み、廊下に消えると戻ってきた。もうすっかり、昨日と同じサイだった。

「おはようセキ。昨日はよく眠れたかしら?」

「……まぁ、うん」

 なんていうか、ここの事務所の人間はみんな変わっていた。


 その後、降りてきた画伯も揃って四人で朝食を食べて。テレビを見たり新聞を読んだり食事の後片付けをしたり各々思い思いの朝を過ごして、そして時刻が九時になり。

「さて、それじゃあ始業といきましょうか」

 サイがぱん、と両手を叩く。新聞を見ていた画伯がそれを畳んで居住まいを正し、パシリが台所から出てきた。その二人を見て、ぼくもなんとなく姿勢を正した。

「実は、昨日の事件のほかに、もう一件。ナクシかウセモノが関わっている事件の依頼がきているの。ちょっとこれを見てくれる?」

 ぱたぱたとスリッパを鳴らして歩き、事務机からクリアファイルを取り出すサイ。それをテーブルの上に置いて、中身を広げた。

「ふむ、傷害事件か」

 そのうちの一枚を取り上げた画伯が顎に手を当てる。

「そう。いま、この近所で通り魔が出るらしいの。被害者は老若男女、区別なく襲われているわ。ちょっと怖いわよね」

「通り魔?」

 ぼくもそのうちの一枚の紙を取る。そこには、事件が起きた日付と場所が記されていた。

「けど、この事件ってナクシとかウセモノが関わってるんすか? こういうのって警察の管轄な気がするっすけど」

 そう、これは警察の管轄だ。傷害事件なんていうのは、一般人の手に負える代物ではない。被害者も出ているならなおさらだ。

「なるほどな」

 資料に目を通していた画伯が言い、立ち上がる。

「この事件、ナクシやウセモノが絡んでいるかは正直まだわからない。

 しかし、そうと判断し得る理由として、一人も目撃者がいないことがあげられる。この東曲野で、目撃者なしに五件もの襲撃を起こすというのは難しい。

 そしてもう一つ、これが重要なのだが」

 自然、全員の目が画伯に向く。まるで、テレビの名探偵のように画伯は声高々に、

「サイがこの事件をナクシやウセモノが絡んでいる、と直感している」

 密かに期待していたぼくは、がくっと力が抜けた。そんな理由で、と言いかけて、

「なるほど、そりゃ確かに怪しいっすよね」

 パシリもそれに同意した。

「あぁ、セキは知らないだろうな。サイはね、ことナクシやウセモノに関しては異常なまでに直感が働く。その彼女が、この件にはそれらが絡んでいると言っているんだ。判断要素の一つにはなり得るよ、充分にね」

 資料をまとめてテーブルに置き、ソファに座り直す画伯。

「そう、それに、この事件はセキとは無関係とも言えないのよ」

「え?」

 サイにいきなりそう言われて、声が裏返る。それはいったいどういうことなのか。

「最後の事件の日付を見てみなさい」

 手に持ったままだった資料に再度目を落とす。最後の、五件目の事件。二日前の、深夜に発生、となっていた。ただし、そこだけワープロで印字されたものではなく、誰かの――おそらくはサイの――手書きによるもの。

「……これって」

 他の資料に目を通す。誰にも目撃されることなく行われた五回の犯行。そして、その手口は、布か何かによって首やからだを締め付けられる、というもの。

「あの洋服お化け!?」

「正解。最後の被害者って、セキ。あなたなの」

 あの夜。サイに助けられたあの夜、ぼくが襲われていた洋服お化けが、この事件の犯人というわけだ。

「事件の被害者は、どれも一命を取り留めている。証言では、裏路地でいきなり背後から首を絞められた、と言っているわ。

 そして目撃者は皆無……いえ、二人ほどいるわね。ここに」

 サイは自分とぼくを交互に指差し、頷いた。

「きっとあの洋服お化けは存在密度が薄くなっていて、一般人には見えないのね。けれど、セキには見えた。

 あなたはナクシやウセモノに対して通常あり得ないレベルで共感性を持っている。それが、あの洋服お化けを目視できた要因でしょうね。

 今まで生活してきた中で、他人に見えなかったものがいくつも見えた、というのもそれで説明できる。つまり、あなたの生活が変わってしまったのは、あなたがナクシになってしまったからなの」

「ぼくが、ナクシ……?」

 この喪った右腕と引き換えに、そんな面倒な特性がぼくに備わってしまった、ということだろうか。

「あなたが喪ったのは右腕だけじゃない。その居場所を喪って、それと引き換えに、ナクシやウセモノの居場所、拠り所となる能力を得たのね。その力は、とりわけウセモノに対して強く働くみたいだけれど」

 居場所。そう、それは確かに、喪った。バイトを辞め大学を辞め、家すら追い出されて。ぼくは、自分の居場所をなくしている。

「だから、セキ。あなたはしばらくここで過ごしなさい」

「……は?」

 どうして、そうなるのか。

「あなた、その体質を改善したいとは思わないかしら?」

 思わないわけがない。日常生活すら困難なレベルなんだから、どうにかしたいに決まっている。

「それなら、その力を薄めるしかない。そのためには、あなたが喪ったものを取り戻した、と思えるようになるしかない。

 だから、あなたをこの事務所で雇ってあげる。しばらくここで生活して、自分の居場所を見つけなさい」

 居場所を見つけろなんて。そんな簡単に言わないでほしい。

「言ってることは理解、できるけど。けど、それは無理だよサイ。

 ぼくにはそんな、ウセモノに対抗するような術はないし、襲われたらやられるだけだ。そんなの、助けてくれたサイが一番よく知ってるじゃないか」

 そう、あの洋服お化けに為す術もなくがんじがらめにされ、危うく落ちるところだったのだ。そんなぼくが、ここにいて役に立つとは思えない。

「セキ、昨日サイが言っただろう? 君を守ると。君がこの事務所に居る限りは、サイが君をウセモノから守ってくれるよ。心配することはない」

 画伯が言う。そりゃ、言ったけど。

「大丈夫っすよセキ。サイさんは、約束はちゃんと守ってくれます。セキがそうなってどんな生活を送ってきたのかはわからないっすけど、オレたちはおんなじ世界の仲間っすから。爪弾きにしたり、しないっすよ」

 ぽんぽんと肩を叩いて、パシリもそう言う。同じ世界の、仲間?

 この世界には、表と裏がある。今まで、当たり前のように表の世界で暮らしてきたぼくが、突然裏の世界に落っこちて。誰にも理解されなくて、戸惑っていた。

 それを、仲間と言ってくれた。守ると言ってくれた。心配するなと言ってくれた。

「……ぼくが、なんの役に立てるかはわからないけど」

 もしかしたら、サイたちなら。理解してくれるかも知れない。

「しばらく、お世話になります」

 歯を食い縛って、頭を下げる。そうしなくちゃ、泣き出しそうだった。

「それじゃあ」

 言って、サイがぼくの目の前に左手を差し出してくる。画伯とパシリが、左右からぼくの肩に手を置く。ぼくは差し出された手を握った。

「改めまして。よろしくね、セキ」

 にっこりと、笑顔で。サイはぼくを迎え入れてくれた。


 そして。

「……ねぇパシリ。ぼくはどうしてきみと二人で歩いているの?」

「……オレに聞かないでほしいっす」

 時刻は夜十時半。ぼくとパシリは、二人で夜の東曲野を歩いていた。ネオンが眩しいこの通りはいわゆる歓楽街というヤツで、そこを男二人で歩いているというのはなかなかに辛い光景だった。

 今朝、ぼくはサイと握手を交わし、ナクシ相談事務所に迎えられた。そして、記念すべき初の事件である『洋服お化け捕獲作戦』(サイがその場でつけた)に参加することになった、のだが。

「セキのその力は、この仕事をするうえでとても役に立つと思うの。だから、まずはあの洋服お化けをおびき出すために、力を貸してほしいの」

 とか言い出した。ぼくは自分に出来ることならやりたい、と思っていたから内容を聞いた。そうしたら、

「まぁ、ぶっちゃけ早い話が、囮だよ」

「……囮」

 画伯がそう言ったその時点で、もう嫌な予感しかしなかった。

「だいじょうぶよ、さすがにあなた一人では危ないもの」

 サイが言って微笑む。その笑顔に、ぼくは少し安心して。


「パシリ……どうしてぼくは……」

「オレ、泣いていいっすかね……」

 その結果が、パシリと二人での囮捜査、だった。一応、離れた場所からサイと画伯が見張っている、らしいのだが。男二人で歓楽街を歩く、というのはどうにもいただけない。すれ違うひとたちがぼくらを横目で見ながら何かひそひそ話しているのがもっといただけない。

「……これも、仕事っす」

「わかってるよ……」

 パシリが慰めてくれるのが、なんだかよけいに空しさを感じさせた。


 * * *


 とりあえず夜まですることがない、ということで。画伯は二階に上がり、パシリは事務所の掃除をし始めた。そして、ぼくとサイはテーブルを挟んでソファに向かい合って座り。

「それじゃあ、まずは基本から」

 ぼくは、サイにナクシやウセモノについて、教わることになった。

「ナクシが超能力者、というのはすでに説明したけれど。その成り立ちは、基本的にネガティブ。何かを喪ったことによる、等価交換の賜物よ。等価交換、ってわかるかしら」

「……一には一、十には十。何かを得るには相応の対価が必要、って」

 少し前に、そういった言葉が流行ったことがあったから知っていた。

「そう。だから、その当人にとって、喪ったものが大きければ大きいほど、ナクシとしての能力も大きくなる」

 テーブルに置かれた紙に、サイが棒人間を書き込む。その棒人間に入る矢印と出る矢印、両方を書き込んで、同じような大きさの丸をそれぞれに書いた。

「これは、何も人間に限った話じゃない。セキは、昨日の一件でそれを思い知ってると思うわ」

 昨日の一件、つまり家が一軒まるまるウセモノになっていたことだ。

「この世界に存在するものすべてが、ナクシになる可能性がある。そして、ナクシは常にウセモノになる可能性を内包している。つまり」

 かりかり、と紙に方程式を書いていく。『世界→ナクシ ナクシ→ウセモノ』。

「この世界の全てはウセモノになり得る」

 世界と、ウセモノを矢印で双方に繋ぐ。少し解釈は違うが、A=B、B=CならA=Cということだ。

「けどサイ、ぼくは二十数年生きてきたけど。ナクシやウセモノと関わることになったのは、つい最近だ。今までは、そんなのとは縁がなかった」

「そうね、何かを喪ったからといって、誰もがナクシになるわけではないわ」

 紙に、たくさんの棒人間が書かれる。

「確率の問題もあるけれど。そんな風になってしまうほど強い喪失を味わう人間は、そうはいないわ」

 棒人間を一人ずつバッテンで消していき、一つだけを丸で囲う。

「百人いれば、一人いればいいほう。下手したら、千人いても一人もナクシにならない可能性もあるわ。

 けれど、それはどちらかと言えば幸せなことよ。だって、ナクシになるには強い絶望が必要だから。何かを喪ってナクシにならなかった、ということは、つまり強い絶望を感じなかったということだもの。

 たとえば失恋をして辛い思いをしても、普通は友達が慰めてくれるものね。ひとはそういう風に、どこか拠り所を探して生きている。それがあれば、ナクシになることはまずないわ」

 失恋、という例えに、胸が苦しくなる。けれど、それを表には出さない。

「セキは、自分の居場所を喪った結果として、ナクシやウセモノの居場所となってしまう能力を身につけた。そして、あなたの中にある絶望は、ウセモノばかりを呼び寄せるわ。

 なぜなら、ウセモノは絶望の中で、それに耐え切れなくなってしまったものだから」

 言うと、サイは紙に二つの単語を書いた。くるりと紙を回転させ、ぼくに向ける。

「喪失共感……補填共感……」

 声に出して読む。

「字で見てだいたいのニュアンスはわかると思うけど。

 喪失共感は、その喪失を共感する。喪ったものが同じ系統だったナクシやウセモノは、互いに引き合う。『あなたもこれを喪って辛いのね』と、お互いに慰めあう感じかしら。こういう言い方はどうかと思うけど、身も蓋もなくいえば、『傷の舐め合い』ね」

 話を聞いて、ぼくも同じことを思った。お互いに辛い気持ちがわかるから、お互いで肩を叩き合う。つまりはそういうことだ。

「じゃあ、この補填共感っていうのは……補填、つまりその喪失を補填しようとするってことなのかな」

「うん、飲み込みが早いわね、セキは頭がいいんだ。

 そう、補填共感は、その喪失を持ち合わせた相手に引き寄せられる。喪失共感が両想いなら、こっちは片思いね。相手が持っているものを奪おうとすることもある。

 ウセモノになりやすいのは、こちらの共感性が強く出るナクシね」

 くるり、とサイは補填共感の文字を丸で囲む。

「少し話が逸れたけど。セキのナクシとしての能力は、この喪失共感。それを高いレベルまで引き上げた共感性、だと分析するわ。

 その結果が、よくわからないものに絡まれる、というあなたの身の回りの変化ね」

「……なるほど」

 自分の置かれた状況が理解できてきた。つまり、ぼくはとっくに超能力者の仲間入りをしていて、その力がぼくを追い詰めた原因、ということだ。

 こうなった要因は外因であり内因であり。全ての要素が絡み合って、ぼくはナクシに成った。

「この事務所の人間は、画伯もパシリも――サイも、ナクシなんだよね?」

「そうね、みんな何かしらの能力を備えているわ」

「みんなは、何を喪ったの? どんな能力を得たの?」

「……それは、追々わかると思うわ。今わたしが話さなくても、ね。それに、わたしが話してしまっても意味がないもの」

 サイは首を振って続ける。

「話を続けるわね。ナクシの能力は、喪ったことにより得たもの。つまり逆を言えば、喪失を補填できれば、力はなくなるの」

 最初に書いた棒人間の矢印をさらに書き加え、丸が出たり入ったりしている。

「セキは居場所を喪ったから他者の居場所になるナクシとなった。それはつまり、新しく居場所を得れば、その力はなくなる、あるいは薄まる。少なくとも理論上は」

「理論上……?」

「残念ながら、ナクシやウセモノは基本的に日陰者だから。それを実証できるほどのデータもケースもないのよ。わたしも、今までの経験でこうして情報を持っているけれど、これらだってわたしの仮説、推論であって、本当に正しいかはわからないもの」

 つまりやってみなければわからない、と。ぼくは実験台ということか。

「その言い方には語弊があるけれど……ぶっちゃけ、そうなるわね。けれど、わたしは純粋に、困っているあなたを助けてあげたいとも思っているのよ?」

 かち、とボールペンをノックして芯を仕舞う。

「もしセキが他に居場所を見つけたのなら、そこに行ってしまっても構わない。それがあなたの選択なら、それを否定することは誰にもできないし。

 けれど、行く場所がないというのなら、ここにいていい。お給料は雀の涙程度だし、お休みだって不定期だけど。少なくとも、パシリのご飯はおいしいわ」

 屈託のない笑顔で、サイは言う。彼女の口から出たそれが、嘘偽りない彼女の本心であることはわかった。取り繕わない、正直な心をぼくに話してくれている。

「……どこにいても、そう変わらないし。助けてもらった恩もある。それを返すまでは、ここで働かせてもらえると、ぼくも助かる」

 だから、ぼくも真っ直ぐな心でサイに向かい合う。その目を見て、ぼくは言った。

「恩返しだなんて、大げさだなぁ……ただセキが危なかったから助けただけよ。それに、あそこで取り逃してしまったから、こうしてまた捜査をすることになってるんだし」

「それでも、助けてくれたのは事実だから。借りや恩は、しっかり返さないと寝覚めが悪いんだ」

 謙遜するサイに、ぼくは答える。受けた恩は、返して当然だ。

「セキは律儀なのね。真面目で、誠実で。そういう男のひとって、わたし案外好きかも」

「――あり、がとう」

 サイがそう言って微笑む。その笑顔にどくん、と心臓が跳ねた。急に恥ずかしくなって、サイの顔なんか見ていられなくて。視線を逸らしながら、どうにかそれだけ言った。


 * * *


 ぶぶぶ、とポケットで携帯が震える。ディスプレイには『画伯』の文字。

「はい、もしもし」

『やぁセキ、調子はどうかね?』

 事務所のメンバーで携帯を持っているのがぼくと画伯だけである、というのは少し驚いた。こういう仕事には、携帯電話は必須だろうと思っていたからだ。けれど、色々な事情があって日陰者になった以上携帯を持てないひともいる、というサイの説明で一応は納得した。世の中には、いろんなひとがいるのだ。

「調子……ただ二人で歩いてるだけですよ」

『なに、そうぼやくな。私たちはちゃんと離れた場所から監視しているし、洋服お化けが近づいて来たらすぐわかるようにはなっているよ』

 ぼくたちは、囮として二人で歓楽街を歩いている。

 というのも、ウセモノというのは基本的にひとの思いが集まった場所、つまりはひとがいっぱい集まる場所に集まりやすい、という性質があるらしいのだ。補填共感が産んだ怪物、とも言っていた。つまりは、ひとが多ければ多いほど、喪ったそれを持っている人間を見つける可能性も高い、ということ。

「けど、近づいてきた、ってそんなのわかるんですか?」

『うむ、問題ない。それができるから、この作戦を実行しているんだ。手段がなければ、いくらサイとて無意味に我々を危険に晒したりはしないさ』

「……なら、いいんですけど」

 自分にできることは何でもやる、と言った。だから、このナクシやウセモノを引き寄せる能力は囮としてうってつけなのだから、それを使わない手はない。

『とりあえず、携帯は手に持っておきなさい。洋服お化けをこちらが捉えたら、ツーコール。君たちに何かしらの行動を起こそうとすれば――まぁ、いわゆる敵対行動だろうな。それを起こそうとしたら、ワンコール、携帯を鳴らす。

 ワンコールで着信が切れたら……走りなさい』

「どこへ?」

『なるべく人気のない場所がいいな。裏路地のほうへ逃げ込めばいいだろう。あとはこちらでどうにかする』

「はぁ……」

 どうにかしてもらわなきゃ困るのだが。とにもかくにも、相手が動くまでは、ぼくらはこうして歓楽街をうろうろするしかないらしい。

『それではいったん切るよ。何か変わったことがあれば連絡をよこしなさい』

 それだけ言うと、通話が切れた。変わったこと、といわれても。

「画伯、なんて言ってたっすか?」

「――このまま囮を続けろって」

「うっす」

 どこかしょっぱい気持ちになりながら、ぼくらはひたすら歩き続ける。やがて日付が変わろうかというころ、事態が動いた。


 背筋がじりじり、と嫌な気配を感じる。そう、この気配は以前に感じたものと同じだ。まるで、捕食者のような。鋭く狡猾な気配。左手の中で、振動が二回。画伯も、相手を補足した。

「きたっすか」

「うん」

 二人、正面を見据えたまま短く話す。

「まだ、下手に動かないほうがいい。気付かないふりをしておこう。無駄な警戒をさせちゃいけない」

「うっす」

 パシリはこんな見た目ではあるけど、現状を把握する能力はそう低くないらしい。頭の回転が早い、ということだ。

「このまま、少し遠回りをしながら人気のないほうに移動しよう。あえて、襲いやすいようにする」

「……大丈夫っすかそれ?」

「いざとなったらパシリを差し出せ、って画伯が言ってた」

「ひでぇっすねそれ……」

 そして、背中に嫌な気配を感じながら、ぼくらは移動を開始する。決して振り返ることはしない。目が合ってしまえば――目があるのかどうかは微妙だが――おそらくは追いかけっこの開幕になるだろう、と予感していた。

 ネオンの眩しい大通りを抜け、日陰となる通りに入る。建物と建物の隙間。そう、ここがスタートだと。なんとなくわかった。

「パシリ」

「うっす」

 交わす言葉は短く。ぼくが走る準備を整えるのと、手の中で一度だけ携帯が震えるのは、ほぼ同時だった。

「走って!」

 足を踏み、地面を蹴る。背後には、濃密な気配。振り返ればひらひらゆらゆらと揺れる、不吉な、黒くてごわごわした質感の、洋服お化け!

「どこまで逃げればいいんすか!?」

「わかんない、サイたちがどうにか、してくれるまで!」

 暗い路地を全力疾走する。生まれる二人分の足音は夜の街の喧騒に消え、そして音もなく迫るウセモノ。長くは続かない追いかけっこ。行き止まり(ゴール)はすぐだった。

「はぁっ……!」

「うわぁ、なんていうか――セキ、こんなんに懐かれてたんすか」

 これが何なのか理解した今なら、冷静に観察する余裕もある。

 これは、女性用の衣服だ。長袖のワンピース。少しごわごわした質感、黒と見えたその色はしかし、上半身に集中している。下半身、スカートの部分は、薄いピンクや、かわいい花柄も見受けられる。

「きみに締め上げられたときのあの感情も、今ならわかる」

 この洋服は、おそらくは着る主を喪ったのだ。この服の元の持ち主は、よっぽどこの服を気に入っていたんだろう。あるいは、勝負服というやつだったのかもしれない。

「きみの持ち主は、きっと」

 そう、上半身を染めたその黒は、血の色だ。真っ赤な血は空気に触れると酸化してどす黒く変色する。なんらかの原因で、この服の持ち主は死んで。血まみれのまま着られることなく処分されそうになったその洋服が、ウセモノとなった。

「まるで幽霊っすね」

 言いながら、一歩後退するパシリ。周囲に気配を向けるが、サイたちの気配はない。もしかして、はぐれてしまったのか? だとしたら、まずい。

 さらに一歩、後ずさって。かこんと。ぼくのカカトが何かを蹴った。反射的にそちらを見てしまう、地面に転がった空き缶。瞬間、相手から視線を逸らしたことを後悔する。前面の気配が、一気に膨れ上がった。

「セキ、危ないっす!」

 だん、と一歩を踏み込む音。体が押され、壁に激突しそうになる。手をついてどうにかそれを防ぎ、視線を戻す、と。

「パシリ!?」

 パシリが、洋服お化けにがんじがらめにされ、身動きが取れなくなっていた。ぼくを、庇って?

「あ、ぐぅ……」

 ぎちぎちと、洋服の右袖がパシリの首に食い込む。引き剥がそうと洋服お化けを掴むが、どれだけ引っ張ってもそれは剥がれない。むしろ、それによってより、パシリの首が絞まっている。

「が……」

 パシリが空を仰ぐ。びくん、とその体が最後に動いて、必死にもがいていた手足が動かなくなる。……嘘だろう?

「ぱ、パシリ!?」

 拘束から解き放たれたパシリが地面に崩れ落ちる。そちらに駆け寄ろうとして、今度はぼくの番だった。左腕を絡め取られ、洋服お化けは肉を引きちぎらんとばかりに食い込んでくる!

「あ、づ、この――」

 右腕がないから、それを引き剥がそうとすることもできない。

結局、このままぼくもコイツに絞め殺されてしまうのか。全身を覆い尽くす悲しみ、絶望。それはぼくのものなのか、この洋服のものなのか。きっと、両方だった。

「パ、シリ……!」

 ぎちぎちと左腕が軋む。足を思い切り踏み込んで、パシリの元へ向かおうとして引き戻される。ぐるりと全身が洋服に包まれて、結局ダメか、とどうにかして逃れようと上を向いて。見上げた空には、明るい月が。

「やっと見つけた、今度は逃がさないんだから!」

 その月を背負って、空から声が降ってくる。いや、降ってきたのは声じゃ、ない!

「あなたの心の隙間、わたしが埋めてあげる……!」

 その言葉とともに、右手を突き出してぼくのほうへ落っこちてくるサイ。どこから飛んできたんだこの子は!? その手がぼくに、ぼくを包んでいた洋服お化けに触れ、そこから眩しい光が溢れる。

「う、わぁっ!?」

 着地なんて、まったく考えてなかったんだろう。どさり、とぼくを下敷きにして、サイは地面に倒れた。ぱさり、と洋服お化けが地面に力なく落ちる。

「はぁ、はぁっ……! もう、セキ。足速すぎる、見失っちゃったじゃない」

息を切らして、上気した頬で。ぼくの上で、ぼくに向かって悪態をつくサイ。思わずごめん、と謝って。

「やぁ、終わったか……いや、追いつくのに時間がかかってしまった、すまない」

 向こうの通りから画伯が現れる。白衣をなびかせて、ネオンを背負って歩いてくる姿はどこか様になっている。と、いうか。

「ちょ、そうだ、そんなのんきなこと言ってる場合じゃない!」

 がばっと起き上がる。きゃ、とサイが短く悲鳴をあげるが、今はそれに構っている暇はない。パシリが、パシリが。

「ぱ、パシリ!」

 地面に崩れたまま動かないパシリに寄り、肩を揺する。しかし、反応はない。まさか、死、んで、しまった?

「嘘でしょ、ねぇ……」

 サイと画伯が寄ってくる。倒れたままのパシリを見下ろして、

「あら、久しぶりね」

「うむ、そうだな。最近は荒事も少なかったし。ほら、起きないか」

 そう呑気に言葉を交わして、あろうことか画伯はパシリの横っ腹を蹴った!

「ちょ、何してるの!?」

 いくらパシリだからって、その扱いはあんまりだ。ぼくを庇って、くれたっていうのに。

「いいんだ、セキ。パシリはこういうヤツなんだ」

「こういうヤツって! あんた人でなしですか!?」

 死人に鞭打つような扱いをする画伯に食って掛かる。その背後で、

「あー……死ぬかと思った。久しぶりっす、この感覚。気持ちワル――」

 その声に振り返る。いや、待って。パシリ、普通に起き上がってえずいてるんだけど。

「……どういうこと?」

 死ぬかと思った、って。さっき完全に死んで……あれ?

「いやパシリ、死ぬかと思った、というか完全に死んでたぞ今。まぁ、パシリだからいいがね」

「いつものことながらひでーっすね画伯……まぁ、こうしてピンシャンしてるからいいっすけど」

 言って、よいしょ、と立ち上がるパシリ。どうやら、状況が飲み込めていないのはぼく一人らしい。頭上にハテナマークがいくつも浮かぶ。

「パシリはね、死ねない体なの。ほぼ不死身、今のところ何度かこうして死ぬような目に遭っているけど、毎回こうして蘇生してる。そういうナクシなの」

「まぁ、復活のときの感覚はいつまで経っても慣れないっすけどね――う、吐きそう」

「だいじょうぶかね」

「あと脇腹いてーっす」

「ふむ、倒れた時に打ったのかもしれないな」

 壁に向かってしゃがみこむパシリの背中をさする画伯。……不死身?

「でたらめだ」

 なんだか、自分が泣き出したいのか叫び出したいのか、それとも喜びたいのか。よくわからなかった。とにもかくにも、

「……つまり、ぼくは心配し損、ってこと?」

「そうなるわね。けど、あんなにも動揺して。セキは本当に優しいのね」

 サイがぼくの肩を叩き、地面に落ちたままの洋服を拾い上げる。掲げるように持って、

「さすがにこれはもう着られないわね……今度、供養してもらいましょう。はいパシリ、持って帰って」

「ちょ、まだオレをコキ使うんすか!? セキぃ……」

 泣きそうになりながらぼくを見てくるパシリ。

「……ぼくは疲れたから。頑張って」

 見上げた空は、ネオンに照らされて星はほとんど見えない。ただ、半分より少し欠けた月が、ぼんやりと浮かんでいるだけだった。


 それから数日後。ぼくらは西曲野にある神社にやってきた。

 神主さんに洋服を預け、四人で境内を歩く。石畳の上を歩くぼくとサイと画伯、そしてわざと石の敷かれた場所をじゃりじゃりと歩くパシリ。

「これで一件落着、ね」

 両手を組んで上に伸ばし、サイは青く晴れた空を見上げる。雲がぽっかりと平和そうに浮かんだ空は、けれどどこか寒々しい。

「事件も解決したことだし、どうだろうサイ。セキの歓迎会も兼ねて、今夜は少し豪勢にいかないかね」

「あ、それいいわね画伯。そうと決まったら、お店を探さなくちゃ」

 画伯が取り出した携帯をいじり、どうやらグルメナビのようなサイトを見ているらしいサイ。歓迎会なんて、開いてもらうほどでもない。けれど、それを受け入れることも、なんだか大事な気がした。

「あ、みなさん。おみくじあるっすよ、おみくじ。引いてみないっすか?」

パシリが向こうにある建物を指差す。その建物はお守りや破魔矢などを取り扱っている場所のようだった。

「おみくじかぁ、いいわね。引いてみましょ」

 てくてくとそこまで歩き、百円玉を四枚、紅白の袴を着た女性に渡した。じゃらじゃらと鳴る筒から一人ずつ棒を引き出して、番号を告げる。

「全員揃ったわね? それじゃ、せーのっ」

 サイの合図で、ぼくらは手に持った紙を中央に掲げる。

「あ、すごい。サイ、大吉だ」

「うおぉ、オレ凶っすか!?」

「私が中吉で、セキが吉か。実に分相応だね」

 その後、四人でそれぞれのおみくじを回し読み、自分のものが手元に戻ってくる。そこに目を落として、ぼくは目を細める。

「どうしたのセキ? 何かいいこと、書いてあった?」

「……ううん、なんでもないよ。さ、結んで帰ろう」

 すぐ側の木の枝に、おみくじをくくりつける。そうして、ぼくらは神社を後にする。

(失物、いつか戻る――か)

 いつか、それがいつかはわからないけど。ぼくを理解してくれるひとが少しでもいるのなら、それはそう遠くないのではないか、と思った。




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