トラウマ
部屋に入ると、頼人はまずカバンをベッドに放り投げた。
そして、タンスの上に飾ってある写真立てを手にとって見つめる。
写真には幼い頃の頼人と優理、そして両親が笑顔で映っていた。
これからも、この幸せがずっと続くと思っているかのように。
しかし、それは違った。
非情にも現実という化け物が両親を奪い去ってしまったのだ。
――あれから十年か。
月日が経つのは本当に早く、十年経った現在も忘れることも出来ない。いや、出来るはずがなかった。
両親を失くすには日が悪すぎるぐらいのタイミングだったから。
その日は二人の誕生日。
つまり、今日が命日なのだ。
――日にちさえズレてたら、違ってたのかもな……。
あくまで、理想を物語る。
不意に頼人の鼻にゴムの焼け焦げたような匂いが漂ってきた。
頼人は思わず窓に近付き、外を眺める。
しかし、外の景色は平和そのものの光景。いつも通り、忙しそうに車が走り、犬を連れた人が散歩をしていた。
ゴムが焼け焦げるような原因は何一つなかったことに、安堵のため息を漏らす。
「それもそうだよな。分かってたのに……」
ゴムの焼け焦げる原因――交通事故が起きたにしては静か過ぎるので、何も起きていないことは分かっていたはずだった。それでも、こうやって気になってしまうのは、優理と同様にトラウマを抱えている証拠なのだろう。
「――拭い去るには、まだまだ時間が足りないか……」
頭を一掻きして、写真立てをタンスの上に戻すと、ベッドに向かう。ベッドの上に投げ捨てたカバンを床に下ろし、代わりに頼人が寝転がる。
さすがに疲れたので少しだけ休もうと思い、目を閉じた。
しかし、現れたのは暗闇ではなく、十年前の今日の映像。
見飽きたと言い切っていいほどしつこく、辛いと表現するには苦痛が出てしまうほど、見たくもないものだった。
助手席に乗っていた頼人を父親が上に重なるようにして庇っており、後ろでは母親が優理を庇っている。父親も頭から血を流しており、隙間から見えた母親の腕も血で染まっていた。
その中で一番耳に残っているのは、「お母さん」と優理が泣きながら母親を呼ぶ声。さまざまな恐怖が襲い掛かり、助けを求めて悲しんでいるのだろう。
頼人も泣いてしまいそうだったが、優理の泣き声を聞いていると泣くまでには至らなかった。それ以上にどうやったら優理が泣き止むか、それだけを考えていたと思う。
しかし、怖くないわけではなかった。
証拠に頼人も父親の服を握り締めていたのだから。
瞬間、ゆさゆさと身体が揺らされる。
それと同じくして優理の声が聞こえ、頼人はゆっくりと目を開けた。
視界に入ったのは必死に起こす優理の姿。
ちょっとだけ涙目になっている。
「――どうしたんだ? つか、部屋に入る時はノックしろって言ったろ?」
ゆっくりと身体を起こしながら、優理の頭に手を置く。
優理は頼人に即座に抱きついた。
「したよ! したけど、お兄ちゃんが部屋の外まで聞こえるような唸り声上げてるから、心配になって入ったんだよ!」
「あー、そのせいでこんなに汗かいてるのか……」
起き上がる際に気が付いた、制服の下のシャツの気持ち悪さの理由に気付く。さすがにこのまま抱き疲れるのが嫌だった頼人は、優理の肩を掴むと引き離す。
が、優理はそれを拒否するように首を横に振った。
「臭いだろ? 止めろって」
「いいの」
「良くないって」
「……あの事故の夢、見てたんでしょ?」
「…………ああ、その通りさ。だけど、大丈夫に決まってるだろ?」
「大丈夫じゃないよ。お母さんやお父さんって言ってたんだよ? もう、昔みたいに強が
らなくていいんだからさ、少しは優理にも頼ってきてよ」
「――分かったよ。つか、普段から頼ってるだろ? 家事方面で」
「それとこれは別!」
頼人は優理の真剣な口調に、これ以上拒む言葉が出てこなかった。
それだけ優理も昔と違い、成長した事を思い知らされる。
だからこそ、優理の背中に手をまわして、今度は頼人から抱きしめた。優理本人がそれを望んでいるのだから、素直に甘えようと思ったのだ。
「それでいいんだよ」
「だな」
「やっと優理に甘えてくれる日が来てくれたね」
「嬉しそうに言うなよ」
「いいじゃん。普段は優理がこうやって甘えさせてもらってるんだから」
「俺は優理の兄貴だから当たり前なんだよ」
「うん、頼れるお兄ちゃんだね」
「そうだろ、そうだろ」
「――あ、ちなみに今日の夕方の事、聞いてもいい?」
話題をすり替えるように優理が尋ねた。
頼人は一瞬、首を傾げたがすぐに思い出す。話すには軽い気分転換になると思った頼人は、優理の要望に応え、そのことについて話すことにした。
アミナのことや通報して警察官に尋問されたことを、冗談を交えながら話す。
それを聞き終わった優理は笑っていた。
「誕生日の日に災難だったね。そんなことなら、アミナって子の話をちゃんと聞いてあげてればよかったんじゃない?」
「それはそうかもしれないけどさ……。さすがに異世界とか話が厨二過ぎる」
「お兄ちゃんもそうだったし……類友ってやつじゃないの?」
「今さら、そっちの世界に興味なんてない」
「知ってる。今は落ち着いてるもんね」
そこで頼人はあることに気付いた。
優理の様子を見る限り、アミナのことを知らない感じだった。それどころか、完全に他人事になっている。
だからこそ、頼人は優理にそのことについて尋ねる事にした。
「優理はアミナのこと、知らないのか?」
「え? どういうこと?」
「いや、アミナは俺の名前を知ってたから、優理の知り合いかと思ったんだが……」
「さすがに小学生に知り合いはいないよー。もし知ってても近所の小学生ぐらい。その中にもアミナって名前の子いないし」
「そっか。じゃあ、なんで俺の名前を知ってるんだ?」
優理の話を聞いて、頼人が頭を悩ましていると、
「最近、転校して来た子なんじゃない? それでさ、近所の人に教えてもらったとか?」
優理は頼人の悩みを一瞬で吹き飛ばすような答えを言った。
その発言を聞いた頼人は、「あー」と納得。
「なるほどな。それだったら分かるかも……」
「でしょ?」
「さすがは優理」
「えっへん」
優理が頼人の胸から顔を離し、少しだけ威張りながら頼人を見つめる。正解をしたご褒美を貰いたいかのように。
しかし、それはある声によって阻止された。
「優理ちゃんー! まだ下りて来ないのー?」
待ち疲れたような珠子の声だ。
その声を聞いた優理はハッとした表情で、
「あ、お兄ちゃんを呼びに来たんだった……」
と情けない顔をして、誤魔化すように苦笑した。
頼人にもこの状況に対するフォローの言葉が思いつかず、苦笑い。
「とにかく下りるか。お婆ちゃんが待ちくたびれてるし」
「うん。あ、お風呂は?」
「後で良いよ。ほんの少し気持ち悪いだけだし」
「ん、そうだね。じゃあ、誕生日パーティ始めよっか?」
「ああ」
優理は頼人の膝の上から下りると、慌てた様子で部屋を出て行った。
頼人もそれに続く。
一階に下りると、居間のテーブルに並べられた豪勢な料理を前にしながら、優理が珠子に謝っていた。
その様子を見た頼人は少しだけ場違いで面白かったため、内心で少しだけ笑ってしまう。
今はこんなにも幸せが溢れていることを実感しながら。
その平穏がもうすぐ壊されるとは知らずに……。