家に帰って
「ただいまー」
頼人は疲れた表情を浮かべ、ため息を吐きながら安心出来る我が家の玄関のドアを開ける。
靴を脱ぎ捨て、台所へ向かっていると、
「おかえりー」
二階から声が聞こえ、そのまま廊下が軋む音と小走りに近い音が聞こえ始める。
頼人はその主を待つことなく台所へ行き、冷蔵庫に常備されているアクエリアスをコップに注ぎ、一気に飲み干す。
――あー、いつも以上に美味く感じるのは絶対気のせいじゃないな。
一回飲んだにも関わらず、喉の乾燥が取れないため、再びコップにアクエリアスを注いでいると、妹の優理が台所に姿を現す。
胸近くまである明るい栗色の髪を揺らしながら、頼人に近付き、頼人の目を蒼色の目で覗き込んでくる。何かあったのか、と疑っている表情だった。
「どうした?」
「また面倒事に巻き込まれたんでしょ?」
「よく分かるよな。特殊能力か、何かか?」
「分からないと思ってるのはお兄ちゃんだけじゃない?」
「あー、分かった」
「何が?」
「その左右から少しだけ出ているおさげが、特殊な電波を拾うアンテナになってるんだろ?」
頼人はそう言って、優理の下ろした髪から少しだけツインテールを作るように結ってあるおさげを軽く掴む。
そして、動物の耳を触るかのように上下。
普通の女子なら嫌がる行動だが、優理はそんな様子は見せなかった。その代わりというように少しだけ冷たい視線が向けられる。
その反応に頼人はすぐさま手を話した。
怖かったからではなく、つまらない反応だったからだ。
「さすがは俺の妹だな」
「それはどうも。まぁ、お兄ちゃんもそれだけ面倒なことに巻き込まれて、ストレスが溜まってることでしょ?」
「まーな」
「っていうか、なんで嫌がらないんだよ。普通、年頃の女の子は髪を触られたら嫌だろ?」
「他人だったらね。お兄ちゃんだから問題ないよ。それに、優しくする事に理由はいらないんでしょ? 優理の名前の通り♪」
「優理がそう言うなら、それでいいんじゃないか?」
頼人は自慢そうに語る優理を片目で見つつ、コップに注いだ二杯目のアクエリアスを飲み干す。
子供に付ける名前には両親の願いが含まれている。
両親が優理の名前に付けた願いは、先ほど優理が言った通り、『優しさに理由はいらないんだから、誰にでも優しくしなさい』である。頼人も漢字通り、『人に頼られる人間になってほしい』という意味がつけられていた。
しかし、頼人は優理ほど、この名前が好きではない。
いや、名前の発音は外人っぽくて気に入っているが、漢字で表した時にそのままなのが嫌なのだ。
「むー、お兄ちゃんってそういう冷めた所があるよねー?」
頼人の発言に優理は不満そうに口を尖らせる。が、すぐにそれはなくなり、息を吐いた。何を言っても無駄なのを知っているからである。
「お兄ちゃんはお兄ちゃん、優理は優理。だから、優理の真似をしろなんて言わないよ」
「真似するつもりもないさ」
「そういや、お婆ちゃんは?」
「買い物行ったよ」
「買い物?」
時計を確認してみるとすでに夕方の六時を過ぎている。
普通ならば祖母の買い物は終わっている時間帯。そもそも、こんな夕方に買い物に行く事は基本的に少ない。
――買い忘れか? 珍しいな。
頼人は興味をなくし、ペットボトルを冷蔵庫に戻す。
すると優理は、あからさまなため息を吐いて、不満をアピールしてきた。
「何だよ?」
「忘れたの?」
「え?」
「今日、優理たちの誕生日でしょ?」
「あっ、忘れてた」
「じゃあ、頼んでた物も忘れたんだ……」
ジト目で優理は頼人を見つめる。
頼人はそれに対して、苦笑いすることしか出来なかった。
――忘れたくて、忘れたんじゃないんだけどな。
心の中でソッと優理には言えない言葉を漏らした、
原因は先ほどのアミナのせいだからだ。
あの件がなかったら、絶対に忘れていないのだ。そもそも、それを口実にアミナの話から逃げ出そうとしたぐらいなのだから。
「……冗談♪ ちゃんと優理が買ってきてるから、安心していいよ」
ジト目で見ていたかと思えば、急に優理は笑顔を作る。
そして、ポケットから取り出すものは蝋燭だ。
「……さすがだな。それがなかったら誕生日ケーキって言わないからな」
「でしょ? 褒めてもいいんだよ?」
「ただ、買い忘れると分かってたのがお兄ちゃんとしてショックだけど」
「え? ああ、それは違うよ? お兄ちゃんが忘れてなかったとしても、個人的には準備してるし。毎年だけど……」
「え、それって無駄になるんじゃ……」
「――うん。無駄になるけどさ、やっぱり大事だから……ね?」
少しだけ遠慮気味に優理は笑う。
その笑みの影にある悲しみに頼人はすぐに気付き、優理を抱きしめて、頭を撫でる。
頼人の抱擁に応えるかのように優理もまた頼人の背中に手をまわし、胸に顔を埋めた。
「ごめん。思い出すつもりはなかったんだけど…」
「トラウマって、そんなもんだから気にするな」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「こっちこそだ。蝋燭助かった」
「うん」
頼人が優理を宥めていると、玄関のドアが開く音が聞こえ、
「ただいまー」
と祖母の珠子が帰ってきたことを伝える声が二人に届く。
優理は頼人の胸から離れると急いで玄関へ向かう。
「おかえり、お婆ちゃん。今日はありがとう!」
「いいのよ、せっかくの誕生日なんだから。あら、頼人ももう帰ってたの?」
「うん、もう帰ってるよ! 急いで、準備しないとね!」
「いや、急がなくてもいいから。普通通りで十分だよ」
優理に遅れて、頼人が玄関へ顔を出す。
そして、珠子が持って帰って来たビニールで包まれた物と箱に入った物を受け取り、台所にあるテーブルへの上へと運ぶ。
頼人と優理は中身を見なくても、その中に入っている物を理解していた。
箱に入ったものはケーキ、ビニールで包まれた物は握り寿司。
この二つは二人がそれぞれ好きな食べ物なのだ。
頼人がテーブルに置くと祖母はにっこりと笑って、
「ありがとう」
感謝の言葉が投げかけられる。
その言葉を聞いた頼人は、少しだけ恥ずかしくなってしまい、カバンを持って、自分の部屋へ逃げようと歩き出す。が、それでも伝えたい言葉があったので、伝えてから逃げることにした。
「いいよ。というか、それを言うなら、こっちの台詞だって。本当にありがとう」
「いいのよ、孫だもの」
「うん、そうだね」
頼人はそのまま祖母と優理の脇をすり抜け、自分の部屋へと向かう。
向かっている最中、下から二人の楽しそうな笑い声が聞こえた気がしたが、そのまま気にしないことにして頼人は部屋へと入った。