沙希の気持ち 【優理視点】
「お兄ちゃん、次いいよー」
優理が居間へやって来ると二人は隣に座っていたことに疑問が持った。
さっきまでは向かい側に座っていたのにも関わらず、なぜ隣同士にいるのかが分からない。唯一、分かるのはテーブルに置かれた空になっていたコップ。中身はそこに少しだけ残っている色からオレンジジュースだと判断できた。きっと沙希が持ってきたということも。
だからと言って、再び向かい側に座ればいいだけの話である。
頼人に関しては少しだけ恐怖に近い顔が浮かんでおり、沙希に関しては寝間着のボタンが二つほど開かれていた。しかし、風呂から出た直後ということ考えれば、「暑いから」という理由で納得できる。
ただ、それ以上に女の勘が違う答えを引っ張り出してくる。
沙希が頼人を誘惑していた。
この現実を突き付けてくるのだ。
「あ、そうだな。俺、風呂行ってくるわ」
頼人は何事もなかったかのように、優理が状況を問いかける前に立ち上がり、そそくさと風呂場を移動し始める。
誘惑されていたのか、それともされていないのか、そのことを聞くためには呼び止めればいいだけの話だったが、優理はそれを聞くことが怖くて、目で頼人の姿を追いかけることが精一杯の行動だった。
「沙希ちゃん? もしかして……」
「あ、なんか寒いと思ってたら、ボタン開いてたんだ。気付かなかった」
優理が尋ねる前に沙希は誤魔化すように寝間着のボタンを上まで閉める。
その行動は優理にとって白々しく映り、何かのスイッチが入ってしまう。
「ねぇ、沙希ちゃんはお兄ちゃんのことが好きなの?」
頼人が座っていたところに優理は正座で座り、『逃がさないよ』と言わんばかりの真剣な目で沙希を見つめた。
沙希はそんな優理の発言に対してちょっとだけ驚いた顔をしたが、すぐに優理と同じく真剣な顔になる。
「その話をするにはここは嫌だから、優理ちゃんの部屋に行かない? もしかしたら、お兄さんがいつ出てくるかも分からないし……」
「……そうだね、分かった」
頭に血が上っていた優理にとって、その意見は願ってもいないものだった。言われて、その通りだ、と気付いたぐらいだったから。
二人は立ち上がると優理の部屋へと向かう。
今までのように会話することなく、無言で部屋まで行くのは優理にとって初めての行動であり、少しだけ居心地が悪いものになってしまったが、真意を聞くにはこの雰囲気は重要だと思ったため、我慢することにした。
部屋に入ると、二人は自然と向かい合うようにして、正座で座る。
そして、二人は真剣な目をして見つめ合うだけだった。
聞いた優理でさえ、どうやってこの話を再び切り出せばいいのか、分からなかった。
しかし、このままというわけにも行かず、優理は勢いに任せて尋ねる。
「お兄ちゃんのことどう思ってるか、教えてくれる?」
「聞いてくれてありがとう。私から言い出すのはちょっと……ね?」
「ううん、いいよ。それでどうなの?」
沙希は少しだけ恥ずかしそうにモジモジした後、
「うん、好きだよ。優理ちゃんが一緒に過ごしているのが羨ましいぐらい、大好き」
意を決したように、嫉妬交じりにきっぱりと答えた。
分かっていた答えとはいえ、優理の頭にガツンというような衝撃が走る。
――なんで、今まで気付かなかったんだろ……。
答えにではなく、優理の衝撃が走ったのはこっちの方の意味合いが強かった。
小学生の頃からの付き合いで、毎日ではなかったがしょっちゅう一緒にいたにも関わらず、そのことに気付くことが出来なかった――つまり、それだけ頼人のことを好き勝手に話したり、愚痴ったりすることで、優理の知らないところで沙希は傷ついてしまっていたのではないか、と優理は考える。
「ご、ごめん。今まで好き勝手、お兄ちゃんのことを話して!」
即座に優理は謝った。
沙希は優理のその言動にびっくりした表情をして、
「え、え……う、ううん! それは気にしなくても大丈夫だよ!?」
慌てて、フォローを入れた。
優理が文句を言う、そう思っていたからこそのとっさの発言。
「そ、そか……、それなら良かった。お、お兄ちゃんのどこを好きになったの?」
「どこ……、全部かな? ううん、全部っていうよりも誰にでも優しくて、必死に優理ちゃんを護ろうとしてる姿……だと思う」
「や、優しいところ?」
「うん。ほら、お兄さんの親友の大沢先輩だって、なんだかんだ言っても突き放したりしてないでしょ?」
「あれは突き放す行動が面倒だからしないだけだと思うけどなー」
「あ、そうかも……。じゃあ、優理ちゃんとケンカしたとしてもちゃんと優理ちゃんの心配をしてるところ……かな?」
「うん、それはそうだね。今回もそうだったし……」
「その時に家まで送ってもらったんだけど、優理ちゃんのことばかり聞いてたよ?」
「そっか」
優理は沙希の口からそれを言われ、恥ずかしくなってしまう。どんな状態であれ、ちゃんと自分のことを見てくれている、と他人でも分かってしまうほど気にかけてくれていることを実感してしまったからだ。
しかし、それを沙希が忌々しげに呟く。
「本当に嫉妬したよ。なんで、優理ちゃんばかり見てるんだって……」
それを聞いてしまった途端、優理に生まれていた気持ちは一気に消滅する。それだけ沙希は傷ついてしまっていたんだ、と気付かされて。
「ごめん」
「ううん、私の勝手な感情だからさ。優理ちゃんのせいじゃないよ。だからね、お願いがあるんだ」
「もしかして――」
「そうだよ。私の恋を手伝ってくれないかな?」
沙希が頼人のことを好きだ、と分かった瞬間から、いつかは言われると思っていたセリフ。
優理はその覚悟を持って聞いたはずなのに、それでも心に痛みが走ってしまう。大事な兄が盗られる、という気持ちからくる痛み。その痛みを初めて味わう優理は、すぐに返事は出せないでいると、
「優理ちゃんもお兄さんのことが好きなの? 異性としてだけど」
と沙希に尋ねられる。
優理はその言葉に固まった。
今までそんな感情を持ったことも考えたこともない――とは言い切れなかった。血を繋がってない事実がある以上、一回は考えてしまうことなのだ。そのことは頼人にも話したことない秘密。それを見破られたような気がしてしまったのだ。
まるで、沙希にそれを牽制されてしまったような気分になる優理。
しかし、そんな優理を余所に、沙希の言葉は続く。
「いくらブラコンだからって、お兄さん離れしないと駄目だよ。だからね、その意味合いも含めて手伝って! 優理ちゃんだったら今までのこともあるから、嫉妬の度合いもちゃんと分かってるし! だからね、お願い!」
「…………うん、分かった」
優理は沙希のお願いを断るだけの言葉も、理由も思いつかなかった。いや、その理由を考える時間さえもくれなかったのだ。
だから頷いた。
それ以外の回答が思いつかなかったから。
その返事を聞いた沙希の喜ぶ姿を見て、優理の心はさっき以上に痛みは増すばかりだった。




