お泊り
沙希との約束の前日――土曜日。
あの日以来、頼人は魔物に襲われることはなかった。
単純に襲うタイミングがないだけか、それとも勇者の剣を手に入れているからなかなか手を出せないのか、それは分からない。ただ、唯一襲われていないということだけが事実。
それが逆に頼人にとって不安でしかなかった。
襲われるまではアミナがやって来たからと言って、本当にやってくるのかどうかも分からず、もしかしたら外れているのかもしれないという甘い考えを持っていたため、深く考えず、あまり周囲を気にする必要がなかったからだ。
しかし、出会ったことにより、今まで以上に警戒してしまい、心にゆとりがあまり持てない状態。下手したら、人間不信にでもなりかねないほど、毎日が緊張に満ち溢れており、今まで感じたことがなかった肩こりや頭痛さえ感じてしまう、そんな毎日を送っていた。
だが、そんなことを言って外出しないわけにはいられず、頼人は優理に頼まれた夕食の材料を買い終わり、いつものように玄関を開けながら優理に向かって言葉を投げかける。
「ただいまー」
「おかえりー」
「お帰りなさい」
「ん?」
帰ってきた言葉に頼人は首を傾げる。
最初に帰ってきたのは優理の声であることは間違いない。もう一人も流れ的に考えるとアミナの声じゃないとおかしいはずなのに、その声の主はアミナの声ではなかった。
それを確かめるために台所へ向かおうと靴を脱いでいると、優理とその声の主はわざわざ台所から玄関へやって来て、
「お邪魔してます、お兄さん」
と頼人へ笑顔を向ける沙希の姿。
「いらっしゃい、沙希ちゃん。今日は遊びに来たの?」
靴を脱ぎ、頼人は立ち上がると手を伸ばして荷物を取ろうとしていた優理へと渡す。
改めて沙希と顔を合わせると、頼人はなぜかドキッとしてしまう。
いつも以上に色っぽく見えたからだった。私服姿を何度も見たことはあったが、沙希はどちらかというとお淑やかな服を着ることが多い。しかし、今日に限っては肌の露出が多い服を着ていたからだ。
それ以上に普段とは違う大人びた雰囲気すらも感じるほどだった。
――化粧をしてる……?
パッと見では分からないぐらいの薄化粧ではあったが、目元などを見ると赤のラインなどが入っていることに気付く。
「あの……変ですか? 祖母の付き添いで美容院に行ったらしてもらったんですけど……?」
沙希は頼人にジッと見られていたことが恥ずかしかったらしく、モジモジとしている。
そう指摘されて、頼人は思わず動揺してしまい、
「いや……その、ごめん。化粧してるって思わなくて……うん、似合ってるよ!」
「あ、そうですか? ありがとうございます!」
「……お兄ちゃん、鼻の下が伸びてるよ?」
優理はそんな頼人をジト目で見つめていた。
面白くないという雰囲気を隠すつもりが一切ない。そんな冷たいオーラまで身体から発されていた。
「伸ばしてないって! 知り合いが化粧してきて雰囲気が変わったりしたら、さすがに驚くものだろ? んで、なんで沙希ちゃんがいるんだ? 今日は早く帰って、明日に備えないと駄目だろ? 明日は俺と買い物に行く約束してるんだし」
「だからこそだよ、お兄ちゃん」
「え?」
「お兄さんが寝坊しても良いように、今日は泊まりに来たんです!」
沙希が元気よく答える。
よほど明日が楽しみなのか、満面の笑みで。
「そ、そっかぁ……」
ちょっとだけ困ったように頼人は髪を掻き、視線を優理の方へ向ける。
優理の表情は相変わらずのジト目。
「さ、沙希ちゃんのために豪勢な料理でも作ろうかな」
優理は頼人に軽く拗ねた態度を取り、背中を向けると頼人の突っ込みを待つことなく、台所へ向かう。
その場に残された頼人はため息を吐くことしかできなかった。
「何を拗ねてるんですかね?」
「さあ?」
「もしかして明日のこと、納得してないとか?」
「ははは……うん、その通りなんだけどね」
「じゃあ、説得して――」
「説得するまでのことはないと思うけどさ。ほら、仲直りしたばっかりだから俺と一緒にどこかに出かけたかったってだけだし」
「あ、なるほど! もうちょっと後の方がよかったですか?」
申し訳なさそうに落ち込む沙希。
「予定としては……だけどね。まさか、こんなに早く言われると思ってなかった俺のせいだから、気にしなくていいよ。優理とはいつも一緒に入れるんだし、また違う日にでも埋め合わせするからさ」
こうフォローすることが頼人には精一杯だった。
そのフォローに沙希は少しだけ救われたらしく、ちょっとだけはにかむ。
「じゃあ、私も優理ちゃんの手伝いしてきますね。優理ちゃんが私のために料理を作ってくれるなら、私はお兄さんのために頑張ります! 期待していてください!」
「お、おう。怪我はしないようにね?」
「大丈夫ですよ! 家でもすでに花嫁修業の練習みたいなものをさせられてるんで!」
沙希はそれだけ言い残し、台所へ向かった。
「花嫁修業の練習ってどういうことだよ」
思わず疑問に思ってしまった言葉を頼人は漏らすと、予想外の人物から返事が返ってくる。
「つまり、練習の練習というわけですね」
アミナだった。
どうやら沙希が来たことにより姿を消しているらしく、声だけは聞こえるように調整していることを理解した頼人は、自分の部屋に移動する。
さすがに玄関口でアミナと会話するのは、沙希に気付かれる可能性があるからだ。
部屋に入り、上着を脱ながら、
「アミナも大変だな」
と他人事のように話しかける。
「まー、こういうことを考えていなかったわけではないですから問題はないですよ。もし、この状態がキツくなったら、この部屋に逃げ込みます」
その言葉を行動で表現するようにアミナは姿を現し、小さく息を吐いた。
さすがの頼人もそれを制限するような真似は出来ず、首を縦に振る。
「こういう時はしょうがないな」
「ありがとうございます。あの……少しだけ尋ねたいことがあるんですけど、沙希さんってあんなにテンション高い方でしたっけ?」
「え? 違ったっけ? そこら辺はあまり意識したことないからなー。明日が楽しみなんじゃないか? なんか気になることでもあるのか?」
「気になるというか……女の勘なんですが、もしかしたら頼人さんのこと好きなのかなって」
頼人が予想もしていなかったアミナの言葉に、頼人は噴き出した。そんなことがあるわけがない、と今まで接してきた故の反応。
「おい! 変なこと言うなよ!」
「もしかしたら、ですよ。だから気にしちゃダメです! それでは!」
「こら、逃げんな!」
頼人が止める前に、アミナは身の危険を察したのか、姿を消すと返事が一切なくなる。
姿を見る術がない以上、頼人に為す術がなくなった。
この場に残されたのは、そのことに対する戸惑いと沙希を意識してしまう感情のみ。
――これ、どうすんだよ!?
頼人は必死にその感情と気持ちをどこかへ行かせようと必死になる。
しかし、それは非常にもどこにも行ってはくれなかった。




