帰宅中(2)
頼人のその発言に優理の顔をしかめる。
そして、拗ねたような視線が頼人へ向けながら、
「やっぱり、逃げようとしたんだ?」
不満全開で口に出した。
頼人はこの瞬間、心の中で出したと思っていた言葉を、口に出してしまっていたと気づく。そのことに動揺してしまったため、取り繕おうとしても思考が混乱、そのため上手くフォローすることができなかった。
「お兄さんのドジ」
沙希からも冷たい言葉がかけられる始末。
その結果、
「沙希ちゃん、用事を思い出したから先に帰るね!」
と優理は駆け足で走り去ってしまう。
頼人はその様子にかける言葉が見つからず、追いかけてもいいのかどうかも分からないまま、優理の背中へ手を伸ばして止めようとする仕草が精一杯の行動だった。
「なんで、こうなるかなー?」
「自業自得ですね」
「知ってるよ」
「優理ちゃんはいなくなりましたけど、どうします?」
「どうするって?」
「追いかけないのなら一緒に帰りませんか? 途中まで一緒ですし……」
頼人が自虐の念を抱いているにも関わらず、沙希は笑顔で尋ねた。まるで、頼人と一緒に帰れることが嬉しいというような雰囲気を出して。
頼人は少しだけ悩んだ。
今からでも優理を追いかけることはできただろう。しかし、追いかけたところで仲直りする方法が分からない。何よりも前回のケンカの件で仲直りが出来ていないのだ。さらに悪化させてしまった状態では、どんな風に話を切り出せばいいのか、分からない。だったら、頭を冷やす意味を含めて今は沙希と一緒に帰ったほうがいいだろう、と結論を出した頼人はその誘いに頷いた。
「あ、そう言えばですけど、お兄さんと二人っきりで帰るのはこれが初めてですね」
「そうだっけ?」
「そうですよ! お兄さんと帰る時は優理ちゃんと一緒のことの方が多かったですから!」
沙希にそう言われることで、頼人も納得してしまう。
こうやって沙希と一緒に帰宅する時は、優理と一緒のことが多かった。別に沙希のことが嫌いだったわけではない。中学時代も勉強に追われ、高校に入ったら入ったでクラスの付き合いのおかげで、一緒に帰宅すること自体が少なくなっていたのだ。今回のように偶然出会い、一緒に帰ることもたまにあったが、優理とこうやってケンカしていること自体少なかったので、優理だけが抜けるという状況もなかった。
「そうだったなー。あまり意識したことなかったから分からなかったけど……」
「優理だけじゃなくて、お兄さんもシスコンっぽいですからね」
「そういうわけじゃないけどさ。ま、否定しようにも他の人はそう思ってるみたいだから否定できないんだろうけど。シスコンっぽく聞いてみるけど、最近の優理はどう? 変わったところない?」
「変わったところ、ですか? ありまくりですよー」
頼人の質問に対し、沙希は呆れたような表情を見せた後、唇を尖らせる。
ここでも優理の話題か、とでも言いたげな感じだった。
「お兄さんとケンカしたこと、後悔してましたよ」
「後悔? 怒ってるの、あいつなのに?」
「さあ? でも、そんな感じです。心ここに在らず、って感じでため息も増えてますし……。ケンカしたことは聞きましたけど、詳しい内容までは話してくれないから、どうしようも出来ないんですよね」
そう言って、頼人をチラッと見つめる沙希。
頼人もその視線の意味を理解したが、首を横に振った。
「沙希ちゃんが優理からどんな内容を聞かされたかまでは分からないけど、俺がそれを説明するわけにはいかない。兄妹ケンカなんだから、優理の友達に向かって俺の愚痴を言うわけにはいかないよ。変なこと言って、優理の友達を減らすわけにもいかないし」
「あらら、残念。でも、そんなに変なことをいうつもりだったんですか?」
「え? あー、それは言葉の綾だから気にしなくていいよ。そういうことを漏らすかもしれないって話」
「お兄さんはやっぱり優理には優しいですね」
「家族だからな」
「羨ましいなー、こういうお兄ちゃんが私も欲しかったなー」
沙希は頼人を見つめる。
頼人は空笑いをして誤魔化す。
「ったく、優理ちゃんも後悔するぐらいなら、早く仲直りすればいいのに……。意地張っちゃって」
「え? そうなの?」
「はい。お兄さんに話しかけられても、素っ気ない態度をとってしまうことに自己嫌悪してました」
それを聞いた頼人は、どうしたもんかな、と頭を掻いて考える。
今までは取り付く島がないような感じがしていたから、接するタイミングを減らしていた。それはウザいと思われないようするためでもある。
まさか、それが裏目に出ているとは思ってもいなかったので、もうちょっと積極的に話しかけに行ってもよかったのかもしれない、と思ってしまったのだ。
それでも優理の接し方は冷たいと思うけれど……。
「そういうわけで解決策は教えてあげましたよ」
「あ、だね。ありがとう」
「いえいえ。あんな風に落ち込んでる優理ちゃんを見たくありませんから。仕方なくです。この恩はデカいですよー?」
にんまりとちょっとした意地悪な笑みを浮かべる沙希。
――すげー、嫌な予感しかしない。
なんて、頼人が考えていると、
「今、変なこと頼まれるかも、って思ったでしょ?」
その考えを見越したように沙希は頬を膨らませた。
「いやいや、そんなこと思ってるわけないだろ?」
「顔に出てましたよ? というか、出さなくても分かりますけどね。この状況を考えたら」
「それもそうか。んで、俺は何をすればいいのかな? その恩返しとやらは」
沙希は視線を上へと向けながら、考え始めた。
その様子を見ていると、何か色々としてほしいことがあるけれど思いつかない、といった様子。
頼人としてその恩が軽いことを祈るばかりだった。
「お兄さんはこの恩がどれくらいのものだと思います?」
何個か候補は浮かんだけれど、選べなかったらしい沙希はそう頼人に尋ねる。
その質問に頼人は少しだけ考え込み、
「まぁ、二個か三個ぐらいの範囲かな? 内容は沙希ちゃんが選ぶとしても、それ以上のことをして優理が拗ねても困るし」
と思いついたことを素直に話してみる。
仲直りした直後に優理が甘えん坊になることは、今までの言い合いから分かっていることであり、それを蔑ろにした方がさらに大変なことになる可能性があった。それをなくすためにも、これが妥当だと頼人は考えたのだ。
「そうですね、分かりました。じゃあ、一つ目は家まで送ってください。お兄さんのことだから、すぐに優理ちゃんの元へ駆けつけたかったでしょうけど、それを禁じます。お兄さんと私だけって状況も初めてなんですから。それぐらい良いですよね?」
「それを言われたら、断れないか。というか、まだ明るいけど、一人っきりにさせられないよ。近くにこうやって男がいるんだからさ」
頼人はそう言って、沙希のお願いを聞くことにした。
お願いとしてはとても簡単であり、そこまで焦る必要もなかったからだ。
沙希も頼人の答えに「やった」と素直に喜び、頼人の手を掴むと自分の歩幅に合わせるように促す。
頼人もそれに素直に従い、沙希の家に向かって歩き始めた。