第96話 異種編5
周りの家よりも一回り大きかった家の中も外見通り広く、畑で使った後であろう土のついた農具や日持ちのする食料、寝床やテーブルなどを置いてもまだ人が住むには広すぎるほどだった。
もちろん、長の家族が何人いるかもわからないし、それが全員入ってしまえば一概にそう言うことは言えないのだが、ごく普通の大きさの家で育ってきた4人にしてみればかなりの広さであることには変わりはない。
その中に居たのが、1人の老人。その人物がこの集落の長だということは、誰の目から見ても明らかだった。年を感じさせない鋭い眼光と、威厳のある雰囲気がそれを肯定している。
「さて、あの化け物のことを聞きたいとのことでしたが・・・その前に1つ尋ねたい。そのことをどこでお聞きなすったのですかな?」
明らかに訝しんでいる様子だった。先ほどの男は快く話してくれたが、やはり見たことのない服装をした若い4人組が、こんな辺鄙な所へやってきて、村を荒らしている人物のことを聞きたがるとなれば怪しまれても仕方がない。
「ええ、実は私たち旅をしておりまして、町に立ち寄ったんです。そしたら、少し妙な噂が立っていましてね。興味が沸いてきたので、ぜひお話を伺いたいと思ってここへ来たという次第です」
情報を得るべき相手だ。疑心と警戒心を与えてはならない。
それをわかっているのか、雷光は咄嗟にそんな出まかせを言い出した。当然、町なんて通ってきてなどいないし、噂だって聞いていない。完全な嘘だった。
その嘘を、雷光はごく自然に、一切の迷いも躊躇もなく、あたかも本当であるかのように長へと言ってのけた。よくもまぁ、そこまで口が回るものだと感服せざるを得ない。
「町か・・・ふむ、そうかそうか。それならば、主等は町のほうからやってきたのか」
雷光の言葉を信じたのか、長は誰にするでもなく1人でに何度も頷いた。その際に、町か、そうか町か、と何度か呟いていたが、それは何を意味するのかはわからない。
「とりあえず、座らなければ話はできぬな。どれ、適当にくつろいでくだされ」
そう言って、長が広い床へ座るよう4人に促しながら、自分もまた床へと腰を下ろした。
4人は顔を見合わせたが、長の言う通り立ったままでは話がしづらいということは確かだ。少し遠慮しながらも、4人は床へ座った。
「さて、あの化け物のことだが・・・その何を聞きたいのですかな? あらかたのことは、あの男から聞かれたものだと思いますが」
あの男というのは、最初にルウネのことを聞き、そして長である目の前の老人の家まで案内してくれた、あの男のことだろう。
確かにあらかた聞いたが、それだけではこの世界の『罠』だということに結びつけるには不十分だった。だから、ここで長に聞くべきことは1つ。ルウネの出生前の事。
「あなたの言う、その化け物が生まれる前のことを聞かせてください。生まれた後と、やってきたことはすでに聞きましたので」
「生まれる前、ですか。ふむ・・・。ということは、あの化け物がこの村から生まれたということも、町で?」
「ええ、そうです。それで、どうですか。その時、何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと・・・。そうですな・・・」
腕を組み、長は唸り始める。
ルウネが生まれる前の話となれば、おおよそ20年ほど前の話になる。それほど昔にあった出来事ならば、確かに思い出すことは少し難しいだろう。
だが、覚えているはず。思い出せないだけで、しっかりと覚えているはずだ。ずっと唸っているのも、頭のどこかに引っかかっている記憶を何とかして取り出そうとしている何よりの証拠。それがルウネに関わる事柄であるのならば、なおさら忘れているわけがない。
「う、む。すまぬが、うまく思い出せん。何かあったような気はするんじゃがな・・・。昔のことを話していればいずれ思い出せると思うが・・・それでもよいかの?」
確かに忘れてはいなかったようだが、思い出すということまで記憶を引き出せなかったらしい。
雷光が睨んだ通り、ルウネが生まれる前に何かあったことは間違いない。それが良いことなのか、果たして悪いことなのかはまだ判別できないが、聞く一択しか選択肢はない。
「ええ、お願いします。他の事にも興味があるので」
「そうか・・・。うむ」
雷光に促されて、長は腕組みを崩さずに語り始めた。
鋭かった眼光は少しだけ和らぎ、憎悪の念さえも弱まったような気がする。
「今こそこうして密集はしているが・・・昔はそこらに家が点在しているような村だった。この広い土地を、儂たちは持て余していての、個人がいくら広く領地を取ってもまだ余るくらいじゃった」
ここへ来るまでに見た、美しい自然の風景。そのすべてが、この村の人の物であったことに、一同は純粋な驚きを見せる。
広いどころではない。下手をすれば国を2つや3つほど作れるほどの、広大な土地だ。この集落に住んでいる村人のような少ない人数では、分けたところで使い道もないのだろう。人数があってこその土地の広さだ。少ない人数には、広い土地など扱えるわけもない。
「広い土地の使い方を知らぬ我々は、ただ生きることしかできんかった。ただ食べ物を作り、外敵から身を守り、そして子を成していた。それで・・・」
その続きを話そうとして、長は口をつぐむ。その様子から、続きはあまり口にしたくないようなことだということを悟ったが、長は構うことなくゆっくりと口を開いて再び語り始める。
「それで、そんな日々を送っていたある日のことだ。1組の夫婦が誕生した。男のほうは、村で一番の狩りの名人でな。どんな飢饉が迫っても、必ず1匹は獲物を取ってくる村の命綱じゃった。相手は、村一の美人だという噂の絶えない女じゃった。気立てもよくて、よく笑う・・・自慢の娘じゃった」
一同が、息を呑んだ。
今、なぜ長がその夫婦の話をしたのか。そして、なぜそんなに言いづらそうに話すのか。あくまで推測ではあるが、ほぼ確実と言っていいはずだ。おそらく、その夫婦はルウネの・・・。
「よくおしどり夫婦だと言われた。羨ましい、とな。見ているだけで、こっちが幸せになるような、そんな仲だった。村の若い者たちもそれを見てなぁ、自分らも同じようにと次々と夫婦の間柄を作っていった。子宝にも恵まれて、村は一気に賑やかになったのを昨日のように覚えとるよ。だが・・・肝心な娘夫婦の間にはなかなか子供ができなんだ。周りの子供がみんな大きくなっていくのを、ただ寂しそうに笑って見とるだけだった」
1つ1つ思い出しながら、長は語り続ける。
「だが、その夫婦の間に念願の子供ができた。娘はいつまでも嬉しそうに腹を撫でてな、夫はいつも以上に狩りを頑張っとった。村の人間もそれは喜んでな、祭りごとを催したりもしたもんだ。今まで何度も子供ができて喜ぶ夫婦というものを見てきたが、あれほど喜んだ夫婦は見たことがなかった。
月日が経って、娘の腹は大きくなっていった。つわりがひどければみんなが心配して食い物をたくさん持ってきて、赤子が腹を蹴ったとなれば村人が集まって1人残らず娘に声をかけた。もう、娘夫婦の赤子は村の一員も同然だった。早く産まれて来いと願うのは、夫婦だけでなく村の願いでもあったよ。
そんなある日、娘が陣痛を覚えた。村の医者が立ち合っての出産となった。村の者たちはこぞって見守りたいと口にしたが・・・さすがにそれだけはと、医者が許さんかった。出産の立ち合いに許されたのは、夫と、医者と、そして儂だけだった。
出産が始まって、娘は長い時間痛みに苦しんでいた。赤子はなかなか産まれてこず、時間もどんどん経過していった。あまりの痛みに気絶し、そして痛みで目が覚め、そしてまた気絶する。それを、幾度となく繰り返した。目を覆いたくなる、ひどい光景だった。
つらく、逃げ出したくなる光景だったが、儂らはそれをせず、ただ見守った。娘があんなに苦しんでいるのに、痛みも何もない儂らがその場から逃げ出すのは、あまりにも無責任に思えたからな。目を逸らすことも許されず、その場から逃げ出すこともできず、儂と娘の夫は声をかけ、見守るだけだった。
そんな苦しい時間を娘は耐え、そして産声が上がった。悪夢のような時間は終わったのだと、儂らは思った。これで娘の苦しむ顔をもう見なくて済む、とな。だが妙なことに、赤子を取り上げた医者の手が止まっていた。いつもならば、まず先に夫と妻に赤子を見せるはずなのに、その日の医者だけは違っていた。おかしく思ってな、儂は医者の手元の赤子を覗いた。そして・・・驚愕した。医者が固まっているのを、初めて理解したよ。その赤子は、左右で目の色が違っとったからな」
昔を懐かしむように話していた長が、顔を少し歪める。
「赤色の瞳は夫、黒色の瞳は娘譲りの色だった。医者と儂は絶句して物が言えなかった。赤子の愛らしさとは裏腹に、その瞳はどこまでも薄気味悪かった。まさに、呪われた瞳だった。じっと見ていると吸いこまれて、そのままどこか暗い場所へと引き込まれるような感じがしてならなかった。
儂と医者の様子に気がついたのだろうな。夫婦は声をかけてきよった。どうした、とな。儂と医者は何と言っていいかわからず、黙って腕の中の赤子を渡した。
儂は、娘が腹を痛めて生んだ子に絶望する2人の姿を見たくなかった。娘が苦しんでいる姿は見ていられたのに、どうしても嘆き悲しむ姿だけは見たくなかった。
だが、その夫婦は驚きもせず、気味悪がりもせず、ただ泣きながら喜んでいた。瞳の色のことなど、まるで目に入ってなどいないかのようにな。娘は赤子を大事に抱き、夫は娘と赤子を守るように抱いていた。2人は赤子をまるで天使のように思っていたかもしれんが、傍からみる分には、羊の皮をかぶった悪魔が2人の幸せそうな顔を、醜い笑顔で見つめているようにしか見えんかった」
長の表情が、憎悪の念で完全に歪む。
村に入って最初に会ったあの男と同じ・・・いや、ルウネの母親の父としてそれ以上の憎しみだった。忌々しく、そしてできることならこの手で殺してやりたいという心の声が、ひしひしと伝わってくる。
「娘の子が産まれたということは瞬く間に村全体に広がった。村の人間の誰もが、夫婦の間に出来た子供を誰よりも早く目にしようと、こぞって家に押しかけた。誰もが期待し、そして希望となるべき子を見ようと夢中だった。
だが・・・娘の子となるべき『物』を見た瞬間、閉口し、そして気味悪さを覚えた。村の人間は、1人残らず産まれてきた悪魔におぞましさを感じたのだ。呪われた瞳を持つ赤子を、もはや誰も人と認めようとはしなかった。悪魔のような子ではなく、悪魔そのものだ。
だが、夫婦はそんな声など気にしなかった。これ以上愛すべき存在があるものかと言わんばかりに赤子を可愛がった。その姿に、儂を含めた村の連中が唖然としてな。なぜその呪われた子をそこまで可愛がるのか不思議で仕方がなかった。
あまりの可愛がりように村の者たちはもう何も言わなかった。瞳こそ薄気味悪く不吉だが、それ以外は何も変わったことがない赤子だ。放っておけば何も不吉なことは起こらぬだろうと、村人たちは納得したようだった」
そのときはな、と長は言った。
「産まれてきた子が化け物と呼ばれるようになった出来事がある。ある日、用があって夫婦の家を訪ねた男が、信じらぬものを見たという。それは、幼き少女が自らの母親である娘の首筋に噛みついている様だった。すぐさま娘と悪魔を引き離そうとしたが、それを夫に止められたという。
夫の説明によるならば、その子は定期的に人の血を吸わなければ生きてゆけぬのだそうだ。そう言った夫の首筋にも、何やら噛んだような赤い痕が残っていたらしい。
男は口止めをされたらしいが、それはあっという間に村に広がった。血を吸わなければ生きてゆけぬ存在・・・化け物だ。瞳の色が違うこともある。そいつはもはや我々とは異種となる存在だ。
頼りになり、何度も村を飢餓から救ってきた夫と、誰からも好かれている娘だ。産まれてきた悪魔から何としてでも救わねばと村の皆は立ち上がり、何とか誕生した化け物を葬ろうと夫婦の家へと集まった。篝火を燃やし、松明を持ち、武器となる農具をかき集め、いつでも殺せるよう準備を万全にしての実行だった。
いざ家に乗り込もうとして・・・それを夫婦に止められた。村人たちは、なぜ止める、お前たちを守るためだ、と主張したが、夫婦はこう返した。
私たちの娘を殺したければ、まずは私たちの目の前でお前たちの子を自分の手で殺してみせろ、それが出来たら殺しても構わない、とな。
言われた村人たちは何も言い返すことができず、引き返すしかなかった」
自分の子を想う強い気持ちは、どうやらルウネの両親も村の人間も同じだったらしい。
仮に村の人間の誰かが自らの子を殺したとなれば、迫害の対象はルウネではなくその親になっただろう。自身の子を殺す者など、もはや人間ではなく『化け物』なのだから。
「それから幾度となくその化け物を殺そうとしたが・・・どうしても夫婦が揃って邪魔をする。夫婦が2人とも家から出るということはなかったし、あの悪魔も毛嫌いされておったから外を1人で出歩くということもなかったから、どうやっても殺すことなどできなかった。
子を想う気持ちが強いことは認めざるを得なかったが、夫婦が必死になって守っているものは『化け物』だ。それをいくら説明しても、夫婦は聞く耳を持たんかった。八方塞となって、もう奴に対してこの世から葬る手段は断たれてしまった。心苦しかった。2人を救う術がなくなったのだからな」
何が救う術だと、雷牙が心の中で悪態をついた。愛する子を懸命に守る親が、お前たちの目にはそんな風に映るのかと、腹立たしさを覚えずにはいられない。
その思いは雷牙だけではなく、他の3人も同じようだった。真面目な顔をして長の話を聞いているようで、その心は苛立っていることが、鈍感な雷牙でもしっかりと理解できた。雷光に関して言えば、作っていた笑みも消え失せ、内から湧き出てくる怒りを、歯を食いしばって耐えている。相手の機嫌を損ねることだけは避けていた雷光がだ。
それを見て、雷牙はかえって冷静になることができた。先ほどの自分のように怒りで我を忘れ、目の前の長に殴りかかってしまわないとも限らない。万が一のためにも、自分は冷静でなければならないと、雷牙は自身に言い聞かせた。
「何があってからでは遅いと、何度も何度も思った。村の連中も同じ考えだったようでな、何とかして手を打たなければならないと知恵を出し合ったのだが・・・どうにもうまくいかん。強硬策に出ようと考えたこともあったが、取り止めた。いくらあの化け物を愛し続けようが、あの夫婦はまだ村人から好かれておったからな。闇討ちであの化け物を殺そうが、それで夫婦からの信頼をなくしてしまえば意味がない。儂らの目的はあの化け物から夫婦を解放することであり、夫婦から嫌われるということではなかったからだ。だから、儂らはそのとき、夫婦が化け物に愛を注いでいる光景を、ただ指をくわえて見ることしかできんかった」
そして、ついに最悪の時がやってきた、と。
長が重々しく口を開いた。




