第94話 異種編3
水を汲み、帰ってきた雷光に風蘭が今の状況を説明し終えたのを見計らったかのように、少女が雷牙の体から離れる。吸血行為が終えたのだろうか、満足そうな表情をしている。
「ふ~、ごちそうさま。久しぶりだったから、ちょっと吸いすぎたかも。ごめんごめん」
あまり反省はしていないような態度で、少女は雷牙に手を合わせる。血をたらふく吸ったせいかどうかはわからないが先ほどの衰弱した様子はまるで見られず、赤い舌を出しながら謝るその姿は健康そのものと言うに他ならない。
「・・・で、俺の体がまるで鉛みてぇに動かねぇわけだが」
「あ~、やっぱり吸い過ぎたか。当分は動けないと思うよ。本当にごめんね」
やっぱりかと言いたげに、もう1度少女が謝る。何か心当たりがあるようだった。
「雷牙、貧血じゃないの? あんだけ血、吸われたんだからさ」
「うんにゃ、違う。ふらふらしてねぇし、息切れもねぇ。ただ、体が動かねぇだけだ」
風蘭の言葉に、雷牙がはっきりと答える。
食事をする際にはいつも狩りを行い、猛獣と呼ばれるほど凶暴な動物と幾度となく戦ってきた雷牙は、何度も何度も深い傷を負い、その度にそこから流れ出る血によって貧血を起こしてきた。
身を持ってその症状を味わってきた雷牙が言うのだから、体が動かなくなったことは貧血が原因ではないことは確かである。それならば、一体何が要因で体の自由が効かなくなってしまったのか。
割と深刻な顔をしながら原因を頭の中で探している雷牙に、少女が申し訳なさげに言う。
「実はね、さっき血と一緒に『マリョク』っていうのも吸ったんだけど・・・たぶんそれが原因」
血液と共に魔力も吸った・・・。それならば、雷牙の体が動かなくなったということにも説明がいく。
魔力とは体を動かす原動力。多量に消費してしまえば雷牙のように動けなくなるし、体内にある魔力がすべて尽きてしまえば最悪死に至る。雷牙の体が動かなくなってしまったということは、それだけ大量の魔力を吸われてしまったということだ。
それを聞いた雷牙が、訝しげに少女を見て口を開く。
「どうしてそんなことする必要があんだよ。何か事情でもあんのか?」
血液と魔力を直接口から吸うという行為は、あまりにも常識を逸脱している。輸血や回復術による間接的な魔力の補充ならば十分納得できる方法だが、少女の選択した吸血行為だけはどうしても理解できない。
「それは・・・」
事情を話そうと口を開きかけた少女が、雷牙の周りにいる3人を見回す。服装を見て、雰囲気を見て、敵意を抱いていない『村人』以外の人間であるということを確認し、最後に素性を尋ねる。
「一応聞いておくけど・・・。あなた達、ここら辺の人じゃないわよね?」
「あぁ、そうだ。まぁ、旅人ってやつだ。俺は雷牙」
「あたし風蘭」
「僕は雷光と言います」
「・・・・・」
3人が名を名乗っている中、レナ1人だけが未だに驚いた顔をして挨拶をすることも忘れていた。目の色が違い、吸血行為をする少女。驚愕する理由としては十分過ぎるが、いい加減我に返ってもらわなければ話が進まない。
「・・・レナさん? 大丈夫ですか?」
「・・・え? あ! ごめん!」
雷光の声でようやくレナは我に返った。ちなみに、目の色が違うと気がついてから、今の今までずっと驚いて喋ることすらできなかった。
「私はレナ。あなたは?」
「アタシは、ルウネ。・・・よかった。村の人たちじゃなくて」
少女―――ルウネの表情が和らぎ、安心したような顔を見せる。話を聞く限りでは、やはりこの辺りに村があるらしかった。雷光も水を汲みに行った際にそのことがわかっていたのか、村という単語が出た瞬間、やはりといった感じで眉を動かしていた。
雷牙たちが自分の敵ではないと確信したのか、ルウネはようやく先ほどの吸血行為の理由を話し始めた。
「アタシは、そういう体だから。定期的に血と・・・その魔力を吸わないと、動けなくなっちゃう体質なの」
「それでは、あなたがあんな人気のない所で倒れていたのは・・・」
「最近、ちょっと忙しくて・・・。血を吸うのを忘れてたの」
なるほどと、雷光は頷く。ルウネが倒れていたのは、病でもなく怪我でもなく、血を吸うことを忘れていたからであった。重い病気などでなくて、ほっと胸を撫で下ろす。
体質という言葉を聞いて、雷牙が口を開く。
「体質だったら、村のやつらに協力してもらえばいいんじゃねぇのか? 事情を話しとけば問題ねぇだろ」
雷牙の言うことには一理ある。体質であれば、自分ではどうしようもできない。自分の血を吸ったところで意味を成さないのだから。
それならば、助けを求めるしかない。自分で解決できなくとも、人に助けてもらえればそうとも限らない。特にルウネの場合ならば自分以外の血を吸えさえばいいのだから、他人が助けられないということはないはずだ。
雷牙の言葉を聞いたルウネは寂しそうに笑い、そして言った。
「・・・それはできないの。アタシ、村の人たちにすごく嫌われてるから」
「嫌われてる? 村のやつらにか?」
「うん、そう。みんなが言うんだ。薄気味悪い目をしやがって、ってさ」
確かに、ルウネのように左右の瞳の色が違うということは非常に稀である。それは数ある世界の中で幸運の象徴だと主張する異世界もあるだろうが、どうやらこの世界はルウネの目を忌み嫌うべきものとして扱っているようだった。
「アタシが生まれてきたときは、もうひどかったらしいんだ。目の色が違う子なんて不吉だって村の人たちが言って、それで一度殺されかけたんだって。その時はお父さんとお母さんがかばってくれて、何とか助かったみたい」
覚えてはないけどね、と付けたして、ルウネは笑う。雷牙たちは、悲しそうな微笑みを浮かべているルウネにかけるべき言葉が見つからなかった。口を閉じたまま、ただ黙ってルウネの話に耳を傾ける。
「でも、お父さんもお母さんも疫病で死んじゃって・・・それがおかしいの。疫病を撒いたのはお前だって言われて、村のみんなからぶたれて、石を投げられて、唾を吐かれて。本気で言ってるんだよ? 冗談なんかじゃなくて、本気でアタシのこと殺そうとしてさ。それで逃げちゃった。だって怖いんだもん。殺されたくもなかったしさ」
懐かしむようにしてルウネは話すが、決して笑いごとなどではない。疫病などという自然なものは、人が操ることなどできるわけがない。工業や医学の発達した世界ならばともかく、このような世界ならば論外だ。
確かに、自然の災害は人々の行いの善し悪しに関係なく訪れる。悪いことなどしていないのに、なぜこんな目に遭わなければならないのだという不満の捌け口が必要なのもわかる。だがそれを、不吉な目を生まれ持ったからという理由でルウネのような少女に向けるのは筋違いだ。ルウネは、何も悪いことなどしていないのだから。
「村の外に住むようになって、1人。それはそれで構わなかったけど、血と魔力はもらわないといけない。今まではお父さんとお母さんにもらってたけど、その2人はもういないし。しょうがないから、夜に出歩いてる村の人からもらったのよ。何か知らないけど、アタシ小さい頃から力も強くて足も速かったから、気絶させるくらいはわけなかった。食料も奪ったこともあったっけ」
ルウネ自身は気付いていないようだが、人体の仕組みに詳しい風蘭は、ルウネの吸血の理由の正体に何となくだが気付き始めていた。おそらくだが、ルウネは知らぬ知らぬのうちに魔力を消費し、身体を強化している。それが、ルウネが無意識に引き起こしているのか、それとも体が勝手に魔力を消費しているだけなのかはわからないが、その可能性は高い。
通常、消費された魔力は休息を取ることで回復する。だが、それはあくまで魔力の使用をやめている状況での話。常に身体の強化をしている状態でも、魔力が回復していくという便利な機能は、今の人体には付属されてはいない。そのため、魔力を消費することを止めなければ、魔力が回復することはまずないと言っていい。
それが、ルウネの吸血行為に結びつく。強制的に身体強化を施されている状態であるルウネは、休息を取ったところで魔力の回復はしない。そのため、吸血行為という名目の魔力の補充を行う必要がある。長期間吸血をしなければ、ああして倒れてしまうくらいの消費力だ。そうでもしなければ、彼女の魔力が追いつかないのだろう。
「そんな理由で、アタシは村の人の助けは借りられませんってこと。でも、あなた達が来てくれて本当に助かったわ。正直、もうだめかと思ったし」
雷牙たちの暗い雰囲気を感じ取ったのか、ルウネが明るく話そうと努める。その様子は、もう半分慣れているような感じさえした。もう何年と殺気を感じ取り続け、罵詈雑言を浴びてきたのだ。慣れでもしないと、精神的に持たないのだろう。
「それで、あんた達は何でこんな所に来たの? 辺鄙な場所だし、ここらは観光名所っていうわけでもないのにさ」
4人は顔を見合わせ、迷った挙句、本当のことを話すことにした。身の上を明けてくれたルウネに嘘を言うのは何だかためらわれるし、何よりも『罠』のことを尋ねに村に行った所で村人たちと平和的な会話ができることすらも怪しい。それならば、目の前にいるルウネに聞くのが一番である。
「俺たちは色んな世界を旅しててな、その度にその世界で起こった厄介事を解決して回ってんだ」
「世界? じゃあ、あなた達はこの世界の人じゃないってこと?」
「ま、そういうこった。で、この世界で何か変わったことはねぇのか?」
雷牙の突然の言葉にルウネは戸惑いを見せる。この世界とは異なる世界から来たというのだから、混乱するのは当然であり、そもそもそんな世界があることすらルウネは知らなかった。通りで自分を見て敵意を抱かなかったと納得がいった。
「変わったこと、ね」
訊かれたことに、ルウネは先ほどと同じく寂しそうに笑って答えた。
「やっぱりアタシ、かな。こんな目してる人なんてアタシ以外いないし、こんな体質もおかしいしね」
「・・・生まれつきだろ、それは。俺たちの言ってるのは、もっと害のあるやつだ」
「村の人たちもしょっちゅう傷つけてるしさ。食べ物だって奪ってるし、血を吸うなんて害以外の何物でもないじゃない」
ルウネの言葉に雷牙が違うと言おうとしたが・・・言葉が出てこなかった。ルウネの言っていることは、紛れもなく正論であったからだ。
生きるためとはいえ、ルウネが人に害を与えているのは事実。夜な夜な人を襲い、血を吸い、そして食料を奪う。本人もそれは害以外の何物でもないということを認めているし、『罠』の条件にも当てはまる。
さらに、ルウネの目と体質。左右の瞳の色が違うことは非常に稀だということはわかりきったことではあるが、体質についても非常に稀であると言わざるを得ない。存在していること自体滅多いにないというのに、その2つの症例が1人の人間にいっぺんに表れるということが・・・『異常』なのだ。
もちろん、完全な偶然ということも十分あり得るが、同時に『人為的に起こされた現象』とも捉えることができる。むしろそのほうが、目の色と体質に合点がいく。ルウネがこの世界の『罠』として産み落とされ、人に害ある者として君臨させられたのならば、非常に稀な2つの症例を持ち合わせていることに筋が通る。
だが、雷牙は納得などしなかった。考えがそこまで至った時点で、考えるのを止めた。
「・・・まだ決めつけるのには早すぎるだろ。害っても、そこまで悪質じゃねぇし、村のやつらにも話を聞いてみないことには話にならねぇ」
「兄ぃの言う通りですね。それに、ルウネさんの行いは世界を狂わせるほどのものではありませんし、『罠』と決めるにはいささか早いかと」
雷牙と雷光が、もっともなことを言う。
今までの『罠』は多くの人々の命を失わせ、生の営みによって育んできたものを破壊するという悪質極まりないものであったが、ルウネがやってきたことは違う。
確かに、ルウネは村の人たちに害を与えてはいるが、何もそれは人の命を奪うような悪質なものではない。生きていくための食料と、血を奪っているだけだ。雷光も言ったように、それだけでは世界は狂わない。『罠』としては、あまりに不出来過ぎるのだ。
「とりあえず、行先は決まったね。村に行って、情報を集める」
レナの言葉に一同が頷き、それに賛同する。
「雷光、あんたのことだから、さっきの水汲みの時に村の場所も見てきたんでしょ?」
「ええ、その通りです。いつでも案内できますよ」
風蘭にそう雷光が返す。先ほど水汲みの帰りがやけに遅かったのは、やはり村の場所を確認しに行っていたからのようだった。もっとも、そうでなければ今まで何をやっていたのだ、という話になってしまうのだが・・・。
「それなら、行くか。ルウネ、お前はどうする?」
「アタシはここにいる。・・・行ったら、あなた達まで何かされるかもしれないし」
「・・・そか」
無理に来いとは言えなかった。一緒に行ったところで、ルウネの言う通り村人から敵意を向けられ、情報収集どころではなくなるからだ。胸が痛むが、ルウネにはここに居てもらうのが一番だった。
雷牙たち一同はルウネに背を向け、雷光を先頭に村へと歩き出した。