第93話 異種編2
大木の下へと運ばれた少女はその根元へと仰向きに寝かされ、3人は寝息を立てて体を上下させているその姿を心配そうに見ていた。目覚める様子はまだない。起きるかどうかも定かではないが、今はこうしておく他ない。
「・・・本当に起きんのか、こいつ」
訝しげに少女を見つめていた雷牙が、医療道具の鞄を整理していた風蘭に尋ねる。不安そうな素振りこそ見せないが、やはり雷牙も内心は心配しているらしい。
「わからないわよ。起きるって信じるしかないでしょうが」
無責任に聞こえる風蘭の言葉だが、そうするしかないのだから仕方がない。できることがあるならば、とっくに動いている。そうしないのは、やることが明確ではないからだ。
病でこの少女が倒れていたとしても、その病がどういうものであるのかわからなければ何もできないし、怪我をしているわけでもないから治療もする必要がない。風蘭の言う通り、今はこの少女が目覚めるのを待つしかできないのだ。
「そっかよ」
雷牙もそれがわかっているのかそれ以上何も言わず、木の根を枕にして横になった。ただ待っているよりも、居眠りをして時間をつぶすことを選んだらしかった。
「ほんっとに呑気なやつ。この子が起きたら起きてもらうからね」
喋るのも億劫になったのか、風蘭の言葉に雷牙が手を振って応える。幼少の頃からの付き合いだけに、雷牙がこうすることは大体予想していたが、それでもため息は止められない。もう少し緊張感というものを持ってもらいたいものだと、心の底から思ってしまう。
「雷牙って、いつもこんな感じなの?」
「その通り。呆れるでしょ?」
風蘭が笑いながら、レナの問いに答える。雷牙のこういった行為にはもう慣れているのか、特に目くじらを立てているような口調ではなかった。呆れを通り越してしまった、というところだろうか。
「ちょっとだけね。でも、休むときにしっかり休むのはいいことだと思うよ」
「確かにそうだけどさぁ・・・やっぱり無防備なんだよね」
手元にあった小さな石を掴み、眠っている雷牙の頭に放り投げる。放物線を描いた小石は見事に雷牙の頭に命中するが、当たった本人は特に気にした様子もなく眠り続けていた。
「ね?」
同意を求めようと、風蘭がレナに視線を向ける。
「まぁ、うん。あはは・・・」
レナも雷牙がここまで無防備だとは思わなかったのか、フォローできず苦笑いを浮かべるしかなかった。攻撃ともいえない攻撃だから防いだりしなかったのだと、自分にそう言い聞かせて納得させる。
そんなレナに、風蘭がちらっと視線を移す。気がついたレナが振り返って、首を傾げた。
「どうしたの?」
「さっきの話さ、今ならいいんじゃないかなって思って」
先ほどレナが言っていた『気になること』。雷牙と雷光のせいで聞きそびれてしまったが、今なら時間がある。本人にとっては取るに足らない問題かもしれないが、それでも仲間の悩みなら聞いてあげたかった。
「えっと・・・聞いてもらっていいの?」
「いいよ、仲間だし。力になれるんなら、やっぱりなりたいからね」
「・・・ありがと」
気を遣ってくれる風蘭に対して、レナが礼を述べる。悩みを聞いてくれることに対してはもちろん感謝しているが、何よりも『仲間』という言葉を戸惑いもなくはっきりと言ってくれたことにレナは喜びを感じずにはいられなかった。言葉というものは偉大だと、改めて実感させられる。
ここまで言ってくれる風蘭にならば、もう遠慮する必要はない。レナは自身が抱いている『気になること』を話そうと、口を開く。
「・・・刹那、うまくやってるかなって」
「あ~、あっちのチームのことか。心配なの?」
「それもあるんだけど・・・何してるのかちょっと気になって。それだけ」
レナの『気になること』はそれで終わりだった。確かに、聞く分には内容も薄く、大したことがないように思える。向こうのチームの安否を心配するのもこれといっておかしなことではないし、そのこと自体ごく普通のことであるから、特に深刻な悩みではないと捉えることができる。
「ふ~ん・・・」
納得のいかなそうな声で風蘭がレナを見る。悩みの内容とレナの表情との関連性に、どうにも合点がいかなかったらしい。
「どうしたの?」
怪訝そうな表情をしている風蘭に、レナがそう尋ねる。
「いやさ、すいぶん刹那のこと気にかけてるんだな~って思って」
「別に心配なのは刹那だけじゃないよ。レオもリリアも、風花のことも心配だし」
「あんた最初、刹那の名前しか出さなかったじゃない」
「・・・・・」
風蘭のもっともな言葉に、レナがたまらず押し黙ってしまう。向こうのチーム全員のことを心配しているのならば、最初の言葉は『刹那』ではなく、『向こうのチーム』にすべきだったのだ。
もちろん、レオ、リリア、風花の3人のことを心配していないと言えば嘘になる。大切な仲間だから、心配することは当然のことだ。怪我のことはもちろん、『罠』に苦戦を強いられていないかなど、不安の種は尽きることがない。
「・・・そうかもしれない。もちろん、他の3人のことも心配だけど」
それでも、レナが一番心配し、気にかけているのは刹那のことだった。実戦の経験は浅いがそれなりの実力も持ち合わせているし、レオもいるから心配する必要などないのだろうが、どうしても気になって仕方がなかった。
「やっぱり、剣を教えてるから? みんなで集まったとき、いつも訓練してたし」
剣に関しては師弟関係と呼べる刹那とレナの間柄だからこそ、教えたレナは刹那のことが心配なのかもしれない。そう思い、風蘭が口に出す。
「そういうわけじゃないと思う。・・・ごめんね、自分でもよくわからないの」
「ん~・・・そっかぁ」
弱ったなと言いたげに風蘭は髪の毛を弄り、そのまま人差し指に巻きつける。
レナの力になりたいのは山々だが、肝心な理由がわからなければどうしようもない。悩んでいる本人であるレナ自身がわからないと言うのならば、風蘭が理解するのは難しい。
何か他に理由はないかと必死に頭を働かせ、考える。レナがなぜ一番刹那を気にかけているのか。真っ先に思い浮かんだ師弟関係における心配が理由でないとすれば、他に挙げられるものは一体何なのか。
考えて、考えて・・・、ふと思いついたことを風蘭が口にする。
「レナさ、もしかして刹那のこと好きなんじゃないの?」
「え?」
「だからさ、刹那のこと好きなんじゃないのって。それだとほら、ちゃんと筋が通るじゃない」
風蘭の言う通り、レナが刹那に対してそのような感情を抱いているとすれば、刹那のことを一番に気にかけていることに説明がつく。ふと思いついた割には、なかなか的を射ている答えだ。考え付いた風蘭も、少しだけ得意げな表情をしている。
「私が、刹那のこと・・・好き?」
「だと思うよ。ってか、あたしにはそれしか考え付かなかったけど」
「好き、私が・・・?」
レナが自分自身に問いかける。こんな話、風蘭に言われるまで考えようともしなかった。元いた世界では恋慕の情を抱くほどの男はもとより、同年代の友人すらいなかったし、異世界へと旅立った後も、『罠』を外すことに集中してそれどころではなかった。
それにも関わらず刹那が気になっているということは、やはり・・・。
「ち、違うよ! 刹那とはそんなんじゃないよ!」
自身の中に抱いている感情に気が付き始めたのか、レナは慌ててそのことを否定する。刹那は仲間であり、剣を教えている弟子でもある。故にそのような感情を持つべきではないと判断したためか、自身の中の感情を認めようとはしなかった。
だが、明らかに嘘をついているのは歴然。珍しく頬を朱に染めているし、忙しなくあちこちへ視線を動かしている。風蘭に負けず劣らずわかりやすいようで実に微笑ましい。
「すっごくわかりやすいから。別にそんなに無理して否定しなくてもいいのにさぁ」
「うぅ~・・・」
「ま、これではっきりしたじゃん。めでたしめでたし!」
「めでたくないよぉ・・・。私、どんな顔して刹那と話したらいいか・・・」
もはや隠すことも、押しつぶすことも、誤魔化すこともできなくなってしまった刹那への感情。それを知ってしまったレナは、風蘭に打ち明ける前よりもさらに困惑してしまう。言葉にした通り、どんな顔をして刹那に接すればいいのか・・・。考えただけでも不安になってしまう。
「ん・・・、ぅん・・・」
不意に、聞こえてくる声。
刹那への対応を考えてもじもじしていたレナと、その様子を見て楽しそうに笑っている風蘭は、すぐさま表情を引き締めて声のしたほうへと視線を向ける。
声の主は、先ほど運んできた少女の物だった。年相応の可愛らしい声を出しながら身をよじらせ、背筋や手を伸ばして全員の筋肉をほぐしている。見ている分には、病気などにかかっている風には見えなかった。
「雷牙っ! 雷牙っ! 起っきなさいっての! 女の子起きたよ!」
呑気に寝こけている雷牙を、風蘭が怒鳴りつける。
「うおぅ! 了解!」
その声が耳に入ったのか、まるで雷にでも打たれたかのように跳ねるようにして雷牙が起き上がる。眠るのも早ければ起きるのも早い。さすがは大自然の中で育ってきただけのことはある。
「ん~・・・」
寝ぼけ眼を数回擦り、そこで少女はようやく目を開けた。
開かれた目の色は2つ。
血のような赤色と、闇のような黒色。
「この子、目の色が・・・」
「こんなの・・・初めて見た」
少女の目の色の違いに、驚きを隠すことのできないレナと風蘭。生まれて初めて見る奇怪な瞳に2人とも目を奪われ、少女に体の具合を聞くことも忘れていた。本来ならばあってはならない事態ではあるが、このような珍しいものを見たのであれば仕方のないことだった。
「お、起きたか。気分はどーだ?」
そんな2人とは正反対に、雷牙は特に目の色の違いを気にした様子もなく、平然と少女へ容体を尋ねる。気にしていないと言うよりも、そもそも目の色が違うことに気が付いていないのかもしれない。雷牙の鈍さには、ほとほと呆れてしまう。
「・・・・・」
少女は答えず、ただ問いかけた雷牙の顔をまじまじと見ていた。頭から足へと視線を移し、そして再び頭へと戻る。見たこともないような服装だったからか、少女の目は雷牙から離れることがない。
「お~い、聞いてんのか~」
一向に返事をする気配がない少女に、雷牙が声をかける。少女の目が覚めたことは実に喜ばしいことであるが、肝心の容体を聞いていない。何事もなければよいのだが、そうでないとしたら一刻も早く具合を聞きださなければならない。
「・・・・・」
だが、少女は口を開かない。ここまで黙られては、本当に意識があるのかすらも怪しい。ただ目が開いているだけで、本当はまだ意識がないのかもしれない。そういう病気であるという可能性も、絶対ないと言い切れるわけではないのだから。
先ほどからうんともすんとも言わない少女。不意にその細い体が力を失い、雷牙のほうへと傾く。
「お、おい! 大丈夫かよ」
自分のほうへと倒れてくる少女の体を、雷牙が慌てて抱き止める。やはり体の具合は良くなかったらしい。少女は自分の顎を雷牙の肩に乗せ、弱弱しい呼吸を繰り返していた。
「おい風蘭、どうすんだよ!」
未だに呆けている風蘭に向かって雷牙が叫ぶ。気は失っていないが、この少女が衰弱していることは目に見えた事実。一刻も早く専門家である風蘭に対処法を聞き、処置しなければならない。
「え? あ! ご、ごめん! えっと、とりあえずこっちに寝せて!」
ようやく我に返った風蘭が、少女を抱いたままの雷牙に指示する。何はともあれ、診てみないことには話にならない。寝かせるのが、弱っている様子の少女を診察するには一番だった。
「おう、任せ―――いでぇっ!!」
「は?」
「肩! 肩! 何か刺さってる! いでででで!
風蘭の指示通りに少女を寝かせようとした雷牙が、突然肩の痛みを訴える。よほど痛いのか、少女に負荷がかからない程度に体を動かし、その痛さをアピールしている。
いきなりの雷牙の発言に、風蘭は怪訝な顔をしながらも様子を見ようと近寄る。別に刺さるようなものは肩になかったのに、どうしていきなり刺さるような痛みが走ったのかわけがわからなかった。ひょっとして虫にでも刺されただけじゃないのかと、勝手に予想を立ててみる。
「どこよ?」
「ここ! ここ! こいつが顎乗せてるほうの肩!」
必死になって指をさし、早く診てくれと言わんばかりに大声をあげる。
半ば呆れたようにため息をつき、風蘭は言われた通りに少女が顔を預けているほうの肩へそっと手を置いた。少女のほうを先に診なければならないというのに、どうしてこいつはこうも大袈裟なのだろうと思いながらも、雷牙が指さしている部分をしぶしぶと診てみる。
「え゛・・・」
痛みの原因を見た風蘭が、声にならない声をあげた。てっきり虫か何かに刺されたのだろうと思っていただけに、『これ』が痛みの原因だったことに若干引いていた。
「おい! どうなってた!」
風蘭の声色に不安を覚えたのか、雷牙が肩の様子を聞こうと言葉を促す。
「え~っとねぇ~・・・」
答えたいのは山々だが何と言ったらいいものかと、風蘭がぽりぽりと頬を掻く。
「その~・・・あんたの肩をね」
「おぉ! 肩がどうなってんだ!」
「その子、噛んでる。ってか、あんた血、吸われてる」
「はぁぁあああ!?」
驚き、慌てて雷牙が肩を見てみる。風蘭の言う通り、痛みが走った肩には白い歯が刺さっていて、少女はそこから溢れだす鮮血を、実に嬉しそうな表情をして飲んでいた。喉が渇いていたのかどうかは知らないが、とにかく勢いがいい。全身の血液をすべて飲み干さんと言わんばかりだ。
「どうすんだよこれ!」
「吸わせとけばいいんじゃないの? その子、すっごく嬉しそうだし。飽きたら放してくれるでしょ」
「無責任過ぎんだろ! 俺、干からびるっつの!」
「そうなる前に離れるよう、ちゃんと手伝ったげるわよ」
痛みの原因である少女を何とかして引き離してもらいたい雷牙であったが、顔を綻ばせ、喉を鳴らしながら自分の血を飲んでいる少女を見ていたら、途端に引き離す気が失せてしまった。
風蘭の言う通り、飲むだけ飲んだら放してくれるはず。少し痛いが我慢してやるかと、雷牙はため息をついた。
「・・・飲み終わったら、ちゃんと事情話せよな」
なぜあんな人気のない場所で倒れていたのか。どうして血を吸うのか。そして、この世界の『罠』についての情報。聞きたいことならば山ほどある。一刻も早く聞きたいが、この少女の気が済むまで血を吸わせてからでも遅くはない。
そんな雷牙の話を、聞いているのかいないのか。少女は頷くこともせず、ただ黙々と血を吸い続けるだけであった。
その光景を、離れた所で見ている人物が1人。
「・・・どういう状況なんでしょうね、これ」
片手に水の入ったバケツを持った雷光は、目の前で起こっていた現状の把握に努めながら、4人の元へと歩き出した。