第88話 魔界編23
「・・・殲滅させる」
一言だけそう言って、ジェノが『神撃鞭』を振るう。初動で加えられた力は鞭の先の方へと伝わっていき、それが徐々に強くなっていく。小さかったしなりは大きくなり、弱かった威力は増幅していく。本数が増えても1本1本の威力は決して小さくはならず、追尾してくる昨日は欠落していない。
「くそっ!!」
迫ってくる鞭を避けようと、レオは咄嗟に横へと跳ぶ。だが、新たに形成された無数の鞭が回避行動を許さない。避けた方向から、挟み撃ちにするように別の鞭が襲いかかってくる。
「ふざけやがって・・・!」
愚痴のようにそう呟き、『眼』を使用する。通常の身体強化では、襲ってくる無数の鞭を避けることは無理だからだ。
全身から真っ白な魔力が噴き出し、体が軽くなる。四方から向かってくる鞭を潜り抜けるようにして次々と回避し、銃に新たな弾丸を補充しようと手を光らせる。
独特な金属音が銃から鳴り、マガジンに弾丸の補充を確認した瞬間、レオはジェノへ向かって弾丸を放った。逃げ惑っている今、集中して狙い撃つことなどできない。見つけ出したわずかな隙をつき、ジェノに向かって連射するだけが精一杯だった。
「無駄」
当然、闇雲に等しいレオの弾丸など、ジェノに当たるわけもない。マガジン中が空になるまで撃っても、すべて避けられてしまう。下手な鉄砲でも数を撃てば当たるという言葉があるが、ジェノに数を撃っても無駄なのである。
「く・・・」
そして、再び襲ってくる鞭の攻撃を避けるレオ。攻撃をしてもかわされ、魔力の消費が著しい『眼』を使った状態でジェノの攻撃を回避し続ける状況は、あまりにも不利である。このままでは、自滅は免れない。
先ほどのように、ホルスターに付属しているポケットから、あらかじめ精製しておいた弾丸を取り出して再び撃てば、この状況からは脱することは確かにできる。だが、できない。そんなことをしている余裕はもはやないのだ。一瞬でも鞭から目を離そうものならば、無数の鞭に叩き伏されるのがオチである。
「・・・長期戦は、危険ですわねっ」
レオと同様、『眼』を発動させて攻撃を避け続けるマリアは、今の状況がいかに不利かを理解していた。ただでさえ戦う体制が万全でないのに『眼』をずっと使い続けては、敗北するのをただ待っているも当然。
ならば、攻めていかなければならない。攻撃を避け続けているだけでは何も変わらないのならば、勇猛果敢に攻めて行くべきなのだ。
レオの攻撃が通らないことは実証された。だが、マリアはまだ攻撃をしていない。今は鞭を避けることに集中しているものの、先行軍との戦いで見せた鬼神の如き力をまだ発揮してはいないのだ。
可能性は十分ある。『眼』による身体強化を十分に発揮し、そして急接近して拳と蹴りを渾身の力で叩きこめば、いくらなんでも沈む。沈まなければ、沈むまで接近戦を続けるまで。
「行きますわよ」
覚悟を決め、マリアが行動を起こす。床を抉るほどの力で床を蹴ったと同時に、マリアの姿がぶれる。高速で移動していて、目で追い切れないのだ。
「・・・驚いた」
意外そうにそう呟き、ジェノは鞭を振るう。
だがマリアに当たることはない。いくら攻撃されようと紙一重で避け続け、鞭と鞭の間を縫うようにしてジェノへと接近する。もはや神業と言っていいほどの身体能力の飛躍ぶりに、ジェノは心の中で感嘆のため息をもらした。
「・・・でも、やっぱり無駄」
攻撃しようと、マリアが凄まじい勢いで接近してきているのに、ジェノはその場を動かなかった。動く必要がなかったからである。例え接近してきたとしても、『神撃鞭』に魔力をさらに注ぎ込んで新たな鞭を形成し、襲わせれば済む話だからだ。
これまでことごとく鞭による攻撃を避け続けてきたマリアならば、絶対に避けてくる。その避ける方向を他の鞭にほんの少しだけ操作させれば、ジェノは動かずして接近してくるマリアを遠ざけることが可能になる。
その時が来るのを、ジェノは『神撃鞭』に魔力を込める。形成はまだしない。形成するのは、マリアが十分に接近した時。作業自体は、最初に鞭の本数を増やした時と同じである。
「覚悟は、いいですわねっ!」
そして、マリアがすべての鞭をかわし、ジェノの元までたどり着く。この世界の争いの種であるジェノに渾身の攻撃を加えようと、マリアは床を蹴った。
「・・・残念だったね」
その瞬間を、ジェノは逃さない。マリアが接近するのを見計らって新たな鞭を形成し、そして襲いかからせる。普通ならばこの突然の攻撃をこの近距離で避けることなどまずできない。だが、『眼』を発動させた状態のマリアならばそれも可能にする。
目の前からくる突然の攻撃、その周辺から襲ってくる数え切れないほどの鞭。ただ、マリアの背後だけは意図的に逃げ道として空けさせてある。そうすれば、マリアは迷うことなく後ろへ跳ぶことを選ぶはず。結果的に距離を空けさせることができるというわけだ。
「それは、こちらのセリフですわっ!」
だが、マリアはジェノの思惑には乗らない。ここまで接近して、逃げるなどしなかった。勇敢にも、その鞭に向かって拳を繰り出す。魂胆は明らか、鞭を殴って強引に道を開けさせるつもりだ。
もちろん、力と力を正面衝突させればマリアの拳が砕かれるのは歴然。それならば、殴るべき場所は鞭の側面。そこを殴れば、鞭の力を拳に受けることなく吹っ飛ばすことができる。
直線的に拳を出すのではなく、ややフック気味に横から鞭を殴ろうと拳に体重を掛ける。眼前に迫ってくる鞭に物怖じせず、マリアの拳は鞭の側面へと伸びて行く。
そこで、誤算が生じた。
「え・・・?」
命中した。確かに、マリアの拳は向かってきている鞭に命中した。
しかし、拳に手応えがまったくない。まるで空振りでもしたかのように、拳に反動がこない。
「・・・予想外だったけど、嬉しい誤算」
吹き飛ばすはずだった鞭は、拳が当たっていないかのように勢いを失わず、マリア目掛けて直進する。
驚きで体が硬直しているマリアに、向かってくる鞭を避ける術などなかった。迫ってくる鞭を防ごうともせず、あっさりとダメージを受け入れる。
同時に走る、右肩への激痛。骨の砕けた音が内部から聞こえ、右腕が雷にでも打たれたかのように痺れる。
「っ!!」
痛みで我に返り、マリアはジェノとの距離を取ろうと後ろへと跳ぶ。だが、他の無数の鞭が無傷では済まさない。大半の攻撃こそは外れたものの、少なくとも5本の鞭がマリアに命中する。頭に当たらなかったのは、もはや運がよかったとしか言えない。
「あ、く・・・っ!」
痛みに悶えながら、何とかその場を脱出することに成功する。
ジェノが意図的にマリアの背後を空けていたことが幸いし、マリアは袋叩きにされるという最悪な状況だけは避けることはできたが、戦う力をすべて削ぎ落されたのは言うまでもない。打たれた箇所に魔力を集中して痛みを和らげてはいるが、もう満足に戦うことなどできない。
「・・・愚か、でしたわ」
苦悶の表情を浮かべながら、マリアはぼそっと呟く。受けたダメージは、息をするだけでも全身に激痛が走る痛烈なもの。喋られるだけでも大したものだった。
「原因は、この鞭をよく確かめなかったことにある。現段階の鞭はまだ物体化していない。ただ魔力を鞭の形にしただけ」
「現、段階・・・? まだ、上がある、と?」
満身創痍なマリアには、もう鞭は伸びない。放っておいても、何の脅威にならないということをジェノは悟ったのだろう。マリアを追っていた鞭は、すでにレオを追いまわしている鞭と合流している。
「そう、まだある。今の鞭を形成している魔力をさらに凝縮して、完全に物体化させるというもの。威力も、今のものとは段違い。だから、この鞭に打たれたあなたはまだ生きている。これが物理化したものだったら、もう死んでる」
「・・・先ほどの、仕組み。あれは、魔力だからすり抜けた、と?」
「そう。私の魔力の属性は風。触ることは許さず、一方的に風圧で敵を嬲ることのできる便利な属性。だからあなたの拳はすり抜け、代わりにダメージを受けた」
先ほど起きた奇妙な出来事。そのからくりを、マリアは後悔しながら理解していた。あらかじめ鞭に触れられるかを試していれば、まだ戦うことができたはずなのにという悔恨の念が頭に浮かんできてならない。
「もうあの男が動けなくなるのも時間の問題。手も出してこない、ただ逃げてるだけ。もうじき自滅する」
ジェノの言葉は真実であった。レオは『眼』を発動させているのにも関わらず、ジェノによる鞭の攻撃を回避できていない。襲ってくる鞭の本数が多くなったのに加え、『眼』の発動による魔力の著しい消費のせいで体が思うように動かせないためである。
鞭がレオの体の至る所をかすり、その度レオは襲ってくる痛みに歯を食いしばって耐える。傍目から見ても、もう限界がきているのは明白だった。呼吸が荒々しくなり、体の動きも鈍くなっていく。時間が経過するにつれてレオは疲弊していき、鞭によるダメージが蓄積していく。
もはやどうすることもできない。ジェノに攻撃することもできず、まともに攻撃を避けることもできない。時間は決して有利に働かず、いたずらに体力を減らし、傷を増やしていくだけ。勝利の光は、もう完全に消え失せていた。
そして、その時は訪れる。
「ぐぅあっ!!」
レオの腹部に、鞭による痛恨の一撃が加えられる。内臓までダメージが届いたのか、レオは口から血を吐き出しながら勢いよく壁に叩きつけられた。勢いのあまり壁は崩れ、その中にレオは埋もれてしまう。銃を握ったままの血にまみれたレオの右腕が、その瓦礫の中からだらしなく伸びていた。
「・・・意気込んだ割には、大したことなかった」
レオを戦闘不能とみなしたのか、ジェノは『神撃鞭』への魔力の供給を止めて鞭の形成を解く。死んでこそはいないだろうが、傍から見てもレオは戦闘不能ということが明らかだからだ。もはや何の脅威にもならない。
「まだ、やるの?」
立っていることがやっとのマリアに、ジェノはそう尋ねる。レオのことはもう眼中にないようであった。
「・・・もちろん、ですわ」
痛みに耐えながらも、マリアは拳を構える。
虚勢を張っているのが見え見えだった。戦う力も、体力も、もうほとんど残っていないのが丸わかり。そのマリアを動かすのは国民に対する想いなのか、それとも別の何かなのか。
「・・・構わないけど、勝ち目はないことはわかってる?」
「わかって、ますわ」
「奇跡でも期待してるの?」
「期待しなければ、やっていけません、わ」
そう言って、マリアは笑う。少しでも自分に余力が残っていると思わせるために、痛みをこらえて。
「そう・・・。なら、下がってたほうがいい。邪魔になるだろうから」
「?」
ジェノの言ったことが、マリアには理解できなかった。やるのは自分だというのに、なぜ下がらせるのか。そして、邪魔になるというのは一体何のことなのか。
答えは、すぐにわかった。
「マリアさんっ! レオっ!」
マリアの背後から聞こえる、青年の声。
その声で、今ここに入ってきた人物がわかってしまう。
なぜ、どうしてここに来たと、そう思わずにはいられなかった。
来たところでどうしようもない。2人掛かりで勝てない相手に、その青年1人で勝てるわけがない。
現れたのは、奇跡などではなかった。
―――絶望だった。