第87話 魔界編22
レオとマリア、そしてジェノ。3人は、お互いの敵を見つめながら微動だにしなかった。敵の能力がわからない以上、下手に動くことはためらわれることは当然。うかつに攻撃を仕掛けて、そして何かをされてはたまったものではない。
特にマリアは、武器を持たず、己の拳と脚のみが武器という典型的な接近戦を重視する戦法であるため、余計に慎重にならざるを得ない。レオのような遠距離の攻撃とは違い、1発が外れたときの隙が大きく、そこを狙い撃たれてはどうしようもないからである。
そしてジェノも、手にしている白濁の棒を握りしめながらレオとマリアを見つめているだけ。持っているその棒を振りかざすこともせず、その場から動くわけでもなく、ただじっと2人の出方を待っている。
重く、そして底冷えしたその空気の中。ただ待っているという状況に痺れを切らし、1番先に動いたのは、レオだった。
「ふっ!」
ほとんど膝を曲げずに床を蹴り、横へと飛びながら牽制するかのようにジェノに数発の弾丸を叩きこむ。外れても防がれても構わない、ジェノがどんな出方をするのかを見ることができればいいという考えからの攻撃だった。
レオの銃から放たれた弾丸。それは目標であるジェノに向かって真っ直ぐと飛んでいき、命中することは間違いないと確信させてくれるほどの直線を描いていく。
そこでようやくジェノが動き出す。眼前に迫りくる弾丸を必要最小限で避け、手にした棒を握りしめる。それは攻撃の予兆である可能性が高い。その短い棒で一体何をしてくるのか、それを見極めようとレオは目を見開いた。
ジェノが握りしめた白濁の棒を振り下ろす。瞬間、その棒の先から光が伸びる。蛇のように細長く、不気味な緑色の光だった。見ただけでわかる。その独特とまで言える特徴てきなその形状は・・・鞭。細いながらも強烈な打撃を与えることが可能な、立派な武器である。
「ちぃっ!」
舌打ちをしながら、レオがジェノからの攻撃を避ける。目標を失ったその鞭はレオの代わりに床を破壊し、鈍い音と粉塵を巻き上げながらも逃げるレオを追い続ける。
まるで蛇。どこまで逃げようが追撃は止むことなく、まるで生きているかのように、攻撃を回避し続けるレオを追い詰めていく。
「隙だらけですわ」
ジェノが手にしている鞭でレオを攻撃してい間を狙って駆けだしたマリアがぼそっと呟く。間合いの遠いレオを攻撃している時に生じたジェノの大きな隙を逃すほど、今のマリアは甘くない。
拳を振り上げ、マリアは攻撃しようと急加速してジェノとの距離をさらに縮める。
見る限りでは、ジェノの武器は手にしている鞭のみ。攻撃の目標をレオからマリアに変えたとしても、今更間に合うわけがない。マリアの攻撃が先に通ることは明白であった。
だが、それはあくまでレオを攻撃している鞭がマリアに向かってくればの話。ジェノの能力を知らないマリアの勝手な計算に過ぎない。
「えっ!?」
驚きの声と共に、マリアの足が止まる。
眼前に迫ってくるのは、レオを攻撃しているものと同じ緑色の光。
くるはずのない、ジェノの攻撃。
「―――っ!」
ほぼ反射的に身を逸らし、間一髪のところでジェノの攻撃を避ける。だが、完璧には避けきれない。マリアの体の代わりに、身に着けていた高貴なドレスの端が、鞭によって消し飛ばされる。体に直撃していればと思うと・・・ぞっとする。
その威力にも十分驚かされたが、何よりも驚いたのはくるはずのない『第2の攻撃』だった。鞭は通常1本のはず。その1本は、今もなおレオを追尾し続けている。なら、今マリアを攻撃した鞭は、何なのだ?
そのカラクリは、懸念を抱いたマリアが拍子抜けするくらい単純で、そして予想外のことだった。
「・・・残念、当たると思ってた」
そう呟くジェノの持つ、白濁の棒。その先から出ている、『2つ』の緑色の光。
簡単な話だった。マリアを襲った鞭は、現在レオを攻撃しているものではない。新たに形成された、もう1つの鞭だったのだ。
「ただの鞭じゃない、『神器』か」
襲いかかってくる鞭の攻撃をかわしながら、レオが言う。
最初は1本しかなかったはずの鞭が、後になって2本に増えていることの奇妙さ。そしてその威力。同じものを所有しているレオにはわかる。ジェノの持っている白濁の棒。それはまさしく、神器であるのだと。
レオの言葉に、攻撃の休めることなくジェノが答える。
「そう、『神器』。魔力を込めることによって鞭を自在に形成と操作ができる、『あの人』が私にくれた大事な宝物。名は、『神撃鞭・骨』」
ジェノの鞭を振るう力に拍車が掛かり、レオとマリアは逃げ惑うことしかできない。攻撃しようと接近するものならば容赦なく鞭に撃たれ、かといって遠くへ離れても追ってくる。
接近戦でしか攻撃できないマリアはもとより、遠距離が主体であるレオでさえも攻撃のタイミングを計りかねているようだった。
{・・・このままだと埒が明かんな}
逃げているだけでは何も解決しない。ただいたずらに時間を浪費するだけである。こちらから何か動き出さなければ、この戦局が変動するということはまずない。
だが、ジェノに攻撃しようにも、逃げに徹した今の状況下でジェノを狙い撃ちすることはかなり難しい。何発か撃てば命中する軌道に撃ちこむことは可能だが、先ほどのように避けられるのは目に見えている。
攻撃に移るためには、まずジェノの攻撃を止めさせなければならないという考えにレオがたどり着くまで、さほど時間はかからない。そして、すぐさまそれを実行する決断をし、決行する。
「ふんっ!」
変わらず追ってくる鞭を避けながら、レオは銃と一体化しているマガジンを開け、中の弾丸を全部破棄する。弾丸を新たに精製している時間さえも惜しい。あらかじめ精製しておいた薬きょうの黒い弾丸を1つ、ホルスターに付属している小さなポケットから取り出し、空のマガジンにセットして間髪入れずにジェノへ向けて撃つ。うまくタイミングを掴めたのか、弾丸は真っ直ぐとジェノの方向へ飛んでいく。
「マリアさん! 離れてっ!」
レオの声にマリアが反応し、一時的に『眼』を発動させる。羽のように軽くなったマリアは、鞭の攻撃を風のような速さで潜り抜け、瞬時にジェノから離れることに成功する。魔力の消費を抑えるため、距離を取った後は『眼』の発動を止めるのも忘れない。
レオの放った弾丸は確かにジェノ目掛けて飛んではいるが、弾丸の軌道を完全に読まれてしまっている。先ほどと同じく、回避されるのは必然。それはレオもわかっている。だから、『避けられても構わない弾丸』を撃ったのだ。
予想通り、ジェノは弾丸を必要最低限だけ動いて回避する。弾丸はジェノには命中せず、その足元へと被弾する。それでいいのだ。命中せずとも構わない。近くに当たればそれでいい。
「?」
足元の違和感に気がついたのか、ジェノはかわした足元の弾丸へと目をやる。そして驚く。その弾丸を中心に、黒い円が広がっていたのだ。それは徐々に円から球へと形を変えてゆき、ジェノを包み込む。
「・・・っ」
ジェノが慌てて脱出を試みるが、もはや遅い。その弾丸から発生される『ある力』によって動くことができないのだ。
その力とは、すなわち重力。レオの放った弾丸の属性は闇。相手を引きつけ、そして押しつぶす底知れぬ力。弾丸を中心にして作用するその能力は、目標から弾丸が外れようが関係ない。近くにさえいれば、射程圏内なのである。
「く、う・・・」
マリアは床に足を食いこませ、その重力に引っ張られぬよう必死に耐える。レオの忠告がなければ、マリアもあの重力の球の中で押しつぶされていたことだろう。
レオの重力による攻撃は、何もジェノだけに作用するものではない。放ったレオ自身も、そしてマリアにも作用する。命中せずとも効力は発揮するが、強力すぎるその力は十分な距離を取っていても引き寄せられないようにするのが精一杯。故に、今攻撃されれば避ける術がないという諸刃の攻撃なのである。
幸いジェノの攻撃である鞭は消え失せていた。それは、レオの攻撃が命中したと裏付けるものであった。あれだけ強力な重力の中で、攻撃してくる余裕などできるわけがない。押しつぶされ、圧縮され、そして戦闘不能に陥っているに決まっている。
弾丸の効力が切れたのか、凄まじかった重力も収まり、黒い球が徐々にその色彩を失っていく。見えなかった内側の様子とジェノのダメージの具合を見ようと、レオとマリアは目を凝らした。
黒い球の中に浮かぶ光景。それを見た2人は・・・戦慄する。
「な!?」
マリアの表情が、驚愕の色に染まる。
「馬鹿な・・・、直撃したはずだ・・・」
次いで、レオが信じられないと言わんばかりに目を見開く。
2人が見たもの、それは・・・。
「・・・油断した。もう少しで死ぬところだった」
凄まじい重力をまともに受けたはずなのに、あろうことか無傷でいるジェノの姿だった。
その周りには、重力の爪痕である引き寄せられた瓦礫の破片や、隕石でも落ちたかのような穴がしっかりと残っている。それらはレオの放った弾丸の威力の高さを十二分に証明してくれているのに、肝心のジェノには効果がまったく見られない。
考えられるのは1つ。何らかの手段を使ってレオの攻撃を防いだのだ。そうでなければ、あの重力の塊の中で無傷でいられたことに説明がつかない。
「甘く見てた。少しだけ真面目にやる」
そう言うなり、ジェノは持っている神器に魔力を込める。魔力を鋭敏に感じることができるよう訓練をしてきたレオには、うっすらとわかってしまう。ジェノの注いでいる魔力の量が、先ほど込めていた量とは比べ物にならないほどの膨大な量だと。
「2本じゃダメだった。それなら、数を増やすまで」
ジェノの言葉通り、『神撃鞭』の先からは、無数の緑の光が伸びていた。それは、一際太くなっている1本から枝分かれした状態で派生していて、まるで大木を連想させるような雄々しささえも感じられる。
「・・・殲滅させる」