第85話 魔界編20
宮殿への侵入を成功させたレオとマリア。宮殿の周辺こそ騎士たちの見張りがなかったものの、さすがに内部となれば話は違った。
数は少ないものの、魔界へ攻めてきた先行軍と同じような銃装備が施された騎士が、念入りに見回っている。何度も後ろや左右を見回しては、何歩か歩いてまた見回すということを繰り返し、本来ならば来るはずのない侵入者への対策をしている。
「・・・念には念を、ということでしょうか」
小声で、レオがマリアに己の憶測を言う。
通常ならば、魔界の人間が天界に侵入してくることなどあり得ない。空を飛ぶ手段がないためだ。だから、こうした見張りはそもそも不要のはずなのだが、それなのにわざわざ騎士たちを徘徊させているのは、やはり万が一のことを危惧してだろう。現にこうしてレオとマリアが宮殿内に侵入しているのだから、見張りを置くという行為は正しかったと言ってもいい。
「らしいですわね。でも、数自体は少ないのですから、そう苦労はしなくてもよさそうですわ」
別にどうということもないかのようにマリアが微笑む。もっと人数が多ければ苦労をしたかもしれないが、この程度の数ならば別にどうということはない。
「行きましょう」
「ええ、わかりましたわ。この時間なら、王は眠っているでしょうから、まずは寝室ですわね」
天界に何度かやってきたことがあるマリアは、この宮殿の造りを理解している。さすがに熟知しているとまでは行かないが、重要な部屋の場所くらいなら頭に入っている。何も知らないレオが先導して行くよりも、マリアに先頭に行くのは当たり前だった。
魔界の城に勝るとも劣らない廊下の広さは、見回っている騎士の目から逃れるために隠れるは十分過ぎるほどであった。騎士の視線を確認し、その死角をくぐって徐々にだが寝室までの距離を縮めていく。
見張りの騎士たちももちろん念を押して見張っているわけなのだが、やはり心のどこかに来るわけがない、という油断があるせいかどうしても隙が生まれてしまう。その隙をついて細心の注意を払いさえすれば、宮殿の中を移動するということはさほど難しいことではなかった。
「・・・手慣れているな」
ふと、レオがそう漏らす。一国の王妃であるマリアが、こういった専門的な行動に手慣れているということは驚きであり、何よりも意外であった。
レオの言葉に、マリアは昔を懐かしむようにして種を明かす。
「小さい頃、メルゼ様と街へ行こうと2人で城を抜け出したことが何度かありましたの。周りの大人たちは危険だからと言って出してくれませんでしたから」
「・・・その時の経験か」
マリアの答えに、思わずレオは苦笑してしまう。そういえばと、自身にも同じような経験があったことを思い出したからであった。大臣に耳がタコができるほど街に行ってはならないと言い聞かされ、それでもリリアの手を引いて城からこっそりと抜け出した日は、今でも鮮明に覚えている。
「城の中に籠ってばかりだと、息が詰まって嫌になるからな」
「ふふ、同じでしたのね、私たち」
お互い少しだけ微笑んで、そしてその笑顔を消す。お喋りはここまでだと2人とも気がついたのだろう。
目の前にある神聖さを感じさせる造りのドア。言わずもがな、この天界を治めている王の寝室である。最も守るべき場所だというのに見張りをつけていないのは、部屋の主が命令したのか、それともまた別の意図があってのことだろうか。
「・・・ここか」
「ええ、そうですわ。では参りましょう」
特に臆するということもなく、マリアはドアのノブに手を掛ける。罠などを警戒していないのは、万が一発動したとしても回避か防御できる自信があるからなのだろうか。
音を立てないようノブを回し、そして開く。現在はもう深夜。当然こんな時間に王が起きているはずはなく、部屋は真っ暗だった。その中に2人は素早く入り、そして再びドアを閉めた。
暗闇に目が慣れるのにはそれほど時間はかからず、あっという間に周りがうっすらと見えるようになる。部屋の中には見慣れた豪華なクローゼットや机など置かれており、いかにも王族の部屋らしい家具が勢ぞろいしていた。
マリアは迷うことなく、ある場所へと歩を進めた。そう、王であるマキージャのベッドである。非常に大きなベッドで、部屋の4分の1を占めているその中には、侵入者が自分の部屋に入ってきていることなど気づいていない呑気なマキージャが深い眠りについている。
「もしもし、起きてくださいませ」
眠りから覚めてもらおうと、マリアはマキージャの体を揺さぶる。確かに、天界に『罠』が存在しているとするならば、王であるこの男に話を聞くのが一番確実で手っ取り早い。だが、あまりにも大胆すぎる。別に悪いことではないのだが、もう少し慎重にいってもいいのではないかと、誰もが思わずにいられない。
「ん・・・誰、だ」
「お久しぶりですわマキージャ様。マリアにございます」
「・・・!? マリア、マリアだと――――」
いるはずのない人間の名を聞いて驚愕し、叫びそうになったマキージャの口をマリアがとっさに押さえつける。今ここで叫ばれては、今までの隠密行動が台無しになってしまう。それだけはさせるわけにはいかない。
「お静かに。私が来たのは貴方にお聞きしたいことがあるからです。答えてくだされば、手荒な真似はいたしませんわ」
事態を読み取ったのか、マリアの言葉にマキージャはこくりと首を縦に振ることで了承の意を示す。今ここで抵抗しても、力のない自分には何もできないということを悟ったのだろう。今ここで叫べば騎士は駆けつけてくれるだろうが、その場合マリア達に殺されてしまうかもしれない。マキージャは、命が惜しいあまり、声を出すという真似はしなかった。
だがマキージャのその目は、屈服したときに見せる特有の弱弱しいものでは決してなく、睨みつけるような反抗の色を灯していた。これが、今できる精一杯の抵抗だった。
「・・・わかっていただけたようですわね」
微笑みを浮かべ、マリアはマキージャの口から手を離す。手が口から離れてもマキージャは叫ぼうとはせず、ただ黙ってマリアからの質問を待つ。
「それでは、お聞きします。なぜ、急に戦争を仕掛けられたのですか? 今まで共存してきたというのに、いきなり理由もなく攻めてくるのにはそれなりの理由があると思いますが・・・」
「・・・・・」
マリアの質問に、マキージャは答えない。それだけはどうしても答えるわけにはいかないのだ。魔界に攻撃を仕掛けろという命令を下したのは、天界の重要機密である『神女』。マリアに戦争の原因を喋るということは、『神女』の存在を知らせてしまうことだ。だから喋らない。王という名の張りぼてであるマキージャの今すべきことがそれであった。
「・・・もう1度言います、なぜ戦争を仕掛けられたのですか?」
「・・・・・」
頑なに、ただ頑なに発言することを拒むマキージャ。その態度にマリアが痺れを切らしたのか、仕方ないとため息をつく。
「忠告いたしますわ。喋らなければ、少々痛い目に遭っていただきます」
「・・・・・」
マリアの忠告を無視し、マキージャは沈黙を守る。その面構えは、絶対に喋らないという頑強な雰囲気がひしひしと伝わってくるようだった。
「・・・ごめんなさい」
そう謝ると同時に、マリアがマキージャの鼻を摘む。そのせいで呼吸ができなくなったマキージャは口を開け、そこへマリアが間髪いれずベッドのシーツの端を口に放り込み、顎を押し上げて噛ませる。そしてマリアは、マキージャの右足の脛の部分を、魔力で強化された腕で容赦なくへし折った。
「っんぐが!!」
バキンっという嫌な音と共にマキージャの顔が激痛で歪み、呻き声がシーツ越しに聞こえてくる。
あらかじめマリアがシーツを噛ませたのはこのためだった。激痛を与えれば喋る、ということは拷問の類を知っていれば周知のことであろうが、それをしてしまえば十中八九叫び声をあげられる。それを防ぐためにシーツを噛ませておき、激痛のせいで出る叫びを最小限に抑える。マリアのしたこの行為は、周囲の騎士に悟られることもなく激痛を与え、聞きたいことを白状させるには最良の手段だと言えよう。
激痛に悶えるマキージャを、マリアは憐れみのこもった表情で見つめ、そして言う。
「言ってくださったほうがお互いのためです。言わなければ、今度は指を1本1本細かく折らせていただきます。・・・私も、極力こういうことをしたくないのです。どうか理由を教えていただけませんか」
言い終え、マリアはマキージャの口からシーツを取る。基本的には温厚であるマリアは、こうした苦痛を与えることを好まない。それが例え敵であるマキージャに対してもだ。できることなら早いうちに喋ってもらえればありがたいが、強情なマキージャはそれをしない。やりたくはないのに、やらなければならない。それが、マリアの心を痛めつけていた。
「い、言えぬ。絶対に言えぬ・・・」
だが、マキージャはマリアのことなどお構いなしに喋ることを拒む。傍から見ても、どんな苦痛を与えようが喋ろうとしないのは明白だった。いくらマリアが心を痛めようとも、マキージャには関係ない。ただ己の守秘義務を果たすのみである。
「・・・『言わない』じゃなくて、『言えない』のか?」
今まで口を閉ざしていたレオが、マキージャの言葉に反応する。
マキージャも、レオの言葉の意味がわかったのか、しまったという表情を隠せないでいる。
「それだとまるで、守秘義務があるみたいじゃないか。自分の意思で起こしたのなら、そんなことをわざわざしなくてもいいだろうに。大方、誰かに命令されたってところか?」
「し、知らぬっ! そんなこと私は知らぬぞっ!」
「嘘をつくのが下手だな、図星なのが見え見えだぞ。ポーカーフェイスも満足にできないようじゃ、王は務まらないぜ?」
「ぐ、くぬ・・・」
言い返すことができず、マキージャは唇を噛みしめて押し黙る。この行為が、レオの言葉を肯定することになる。十中八九、この戦争はマキージャが起こしたものではなく、第三者がマキージャを操っていたのだと、レオとマリアは悟った。
「貴方が引き起こしたわけではなかったのですか」
「・・・そうだ、私が起こしたものではない。国民の命を著しく失わせる戦争など、誰が好き好んでやるものか・・・」
マキージャは、苦々しく吐き出すようにして言った。
魔界と今まで共存してきたのに、理由もなくいきなり戦争を吹っ掛けるなど、本当はマキージャも望んではいなかったのだ。戦争で勝利しても得る物はないに等しいし、何よりも騎士たちを駒扱いして命をむざむざ散らせることなどしたくはなかったというのが、マキージャの本音であった。
「よかったですわ。貴方の意思ではなくて」
ほっとしたように、マリアが呟く。命を軽々しく扱う行為を、目の前のマキージャが望んでいないということがわかって安心したというところであろうか。
「お前は戦争をしたくはなかったんだろ? だったらどうして戦争なんて始めたんだ。誰かに唆されたとしてもお前は王だろう、面と向かって断ってやればよかったじゃないか」
もっともなことをレオが言い出す。
王政で国を治めているとすれば、その国の最大権力者は王であるマキージャだ。側近の誰かが戦争をしようと示唆したとしても、それを好まないマキージャが拒否すれば絶対に軍は動かないはずである。
牢などに幽閉され、勝手に始められたというのならわかるが、こうしてやつれてもおらず、錠だってされておらず、今マリアが足の骨を折るまでは健康体そのものであるマキージャが幽閉されていたとはどうしても考えづらい。
それならば、なぜか。
納得のいく答えを得ようと、レオはまっすぐにマキージャの目を見た。
「・・・私は、張りぼてだ。王など、ただの飾りにすぎぬ。この国の実質的な指導者は・・・『神女様』だ」
ついに、マキージャの口から『神女』の言葉が出た。国の重要国家機密を漏らしてしまったということは、もうレオとマリアに隠し事はできないと判断したためだろうか。
「神女?」
「この天界がこうして空に浮かぶより遥か昔から生きておられる、我々にしてみれば神のような存在だ。その存在は明るみになってはおらず、知っているのは私を含めて10人に満たない」
「・・・そいつが、魔界に戦争を仕掛けろって命令した、ってわけか」
マキージャの告白のおかげで、すべてに合点がいった。おそらく、マキージャの言う神女こそこの世界の『罠』なのだろう。遥か昔から今まで生き永らえるという人間離れしたことも、『罠』であるならば納得だ。
「神女様は巧みに国を操ってこられた。だが、同時にやり方が強引だった。国を良い方向へと導こうとはしていたが、反乱分子は疑惑の段階で全て処分した。反論を許さず、自分の思い通りに国を動かしてきた神女様に逆らうことのできる者など、この天界には存在しない。居るのは、私のような従順な駒だけだ。本来王に相応しい器を持たない私がこの座に着いているのも、神女様が操りやすい愚か者であるという理由だからだ・・・」
今までの神女の所業を、マキージャは次々と愚痴のように漏らした。王に任命されたということは、その者の無能さが認められたという何よりの証拠。長い間、マキージャは己の劣等感を抱きながら過ごしてきたのだろう。駒であるということを自らに言い聞かせ、ただ言う通りにしていればいいのだと余計なことは考えず、人形のように神女の言う通りにしてきたのだ。
「その神女ってやつは、この世界にいるべき人物じゃないんだ。だから、倒さなくてはいけない。居場所を教えてくれ」
「・・・・・」
レオの言葉に、マキージャは初めて迷いを見せる。本来ならば、何があっても神女の居る場所を喋るべきではないのだが、やり方が強引過ぎる神女にそのまま権力を預けていていいものなのかと疑問に思うところもある。
それに、まだマキージャは魔界へ向けて進行しようと準備をしている軍隊に攻めろ、という命令を出してはいない。神女の命令に従って軍隊を攻めさせれば、天界の人間、魔界の人間を問わず甚大な被害が出ることは間違いない。
心の内で揺れているマキージャの背を押すように、マリアが優しく語りかける。
「貴方も、たくさんの人の命が失われることを望んではいないのでしょう? その神女様の言う通りにしたところで、何の利も得ないではありませんか。ただいたずらに人々が傷つけ合い、その果てには何もないのですよ? そんなの、あんまりだとは思いませんか?」
「・・・・・」
「私は国民のためにここまでやって参りました。国民を大事に想っているのは、貴方も同じはず。飾りでも、貴方は王なのです。王ならば、国民のために尽くさなければなりません。戦争を止めるために、協力してください」
言うことはすべて言ったのか、マリアはその後何も言わず、押し黙っているマキージャの答えを待つ。協力してほしいと、心の奥底から願いながら。
「・・・王座の、王座の下に神女様は居られる」
ぽつりと、呟くようにしてマキージャが言った。
「そこに、居る」
もう一言だけ言って、再び口を閉ざす。言うことはもうすべて言ったのだろうか、マキージャはもう何も言おうとはせず、無表情のままマリアに折られた足をさすっていた。何を問われても何も答えないだろうということは、その様子から容易に予想できる。
「ありがとうございます。よく決心をしてくださいました」
答えを得たマリアは頭を下げ、レオのほうを向いて目配せをする。視線を向けられたレオは頷き、2人はドアのほうへと向かう。マキージャを気絶させるなどして口封じをしないのは、する必要などないとわかっているからである。
ドアを開ける直前、マリアはドアを見つめたまま言った。
「貴方は自分を愚か者だと言いました。王になるべき人間ではないと。でしたら私も、そして魔界の王であるメルゼ様も同じです。不手際もありますし、どうすればいいのかわからなくなる時だってあります。でも、上に立つべき人間は、何よりもまず下々のことを第一に考えなければならないと思うのです。その点で言うならば、神女様よりも貴方のほうがよっぽど王に相応しいと思いますよ」
呟いたあと、マリアはドアを開けて部屋の外へと出た。その後に続いてレオも部屋の外へと出てドアを閉める。神女の居場所を突き止めた2人の成すべきことは、もはや言うまでもない。
たった1人だけ部屋に取り残されたマキージャ。その心には、マリアの呟いた短い言葉がいつまでも反響していた。