第80話 魔界編15
敵は空から襲ってくる。
そのことがわかっている以上、地上の入り口である城門を固めても意味がないと判断した城の兵の大半は、城壁の上へと移動していた。
もちろん、城門の守りもまったくない、というわけではなく、兵力の3分の1ほどは城門の守備にあてがっている。万一に地上から攻めてきたときのため、というわけだ。
兵士たちの迅速な行動もあり、天界の騎士たちが接近する前に兵の配置が済んだわけだが、準備万端とまではいかなかった。魔界の技術力はあまり発展しておらず、重火器の存在が皆無のため、遠距離の武器は弓矢ということになるのだが、兵士1人に行き渡る矢の本数が足りないのだ。
前持って大量に作っておけばこういった事態は避けられたのだが、ないものねだりをしても仕方がない。腹をくくって、兵士たちは少ない矢を持ち、城壁へ上った、というわけだ。
状況の悪さに右往左往している兵士たちとは違い、刹那とレオは妙に落ち着いていた。
レオに限っては戦闘の慣れが生じているため、戦いに関する緊張感がほとんど抜け落ちていたのだが、刹那はそうではない。
運が悪ければ最悪死んでしまう可能性もある戦闘にこれから参加するというのに、特に理由もなく、大丈夫だろう、と前向きに考えていたのだ。戦闘の慣れというわけでもなく、自信でもなく、刹那自身もよくわからない安心感。戦闘が始める直前、刹那はそんな奇妙な感覚に浸っていた。
「・・・怖いか?」
黙っていた刹那に、レオがそう尋ねる。
騎士たちも、先ほどよりかなり接近していて、もう戦闘が始まるまでの時間がほとんどないこと示していた。
「いや、別にそういうわけじゃないんだ」
「ほお、大したもんだ」
「レオはさ、怖くないの? 戦うのって」
あまりに平然としているレオ。その姿に恐怖など微塵も感じられず、刹那はそのことに疑問を抱いていた。
「俺は怖いさ。戦うのも、あまり好きじゃない。本当はな」
「え? そうなの?」
あまりに意外な一言に、刹那は驚く。
その勇ましく、頼りがいのある風貌に、恐怖という曇りがあるなど、全然知らなかった。
「あぁ。俺だって、怖い物くらいある。それが戦闘だ。殺すのも、殺されるのも、俺は怖い。
今回も同じさ。これから始まることが、俺は怖い」
「・・・そっか」
いくら頼りがいがあるとは言え、レオも人だ。傍から見て完璧であっても、実際は欠陥がある。レオはまさに、そんな感じだった。今の今まで、レオに怖いものがあるなんて、気付かなかったのだから。
「・・・お喋りはここまでだな」
両手に持っていた銃に弾丸を込め、レオは真剣な声でそう言った。
その言葉に、刹那は無言で頷き、体内の魔力を黒い大剣に形成する。
両者とも準簿は万端。兵士たちのほうも、弓を構え、矢をつがえる。
空気が静まり返り、緊張感が辺りを包み込む。一同は徐々に接近してくる騎士たちから目を離さない。1歩、また1歩と、戦いの時は迫る。
そして、兵士たちの弓の射程圏内に騎士たちが侵入したと同時に、
「今だっ! 放てぇい!」
兵士長の怒声を合図とし、各兵士から矢が放たれる。
まるで豪雨のような大量の矢が騎士たちの方向へと飛び、兵士たちは次の矢をつがえてまた構える。矢がなくなるまでその行為は繰り返され、矢が切れたら剣や槍に持ちかえるのだろう。
矢はぐんぐんと騎士たちへ接近していき、その矢尻が分厚い鎧に当たる直前、騎士たちは持っていた槍を、円を描くように回転させ、襲ってくる大量の矢を次々と叩き落としながら城へと接近していた。
「・・・矢の1本も当たらんか。これは手強いな」
苦い表情を浮かべ、レオが唸る。
人数こそは少ないものの、あの大量の矢を、盾も使わず槍1本で防ぐほどの実力を持ち合わせた騎士たちを無傷で倒すことは、相当の難易度になるに違いなかった。多少の傷は覚悟しなければならないかもしれないと、レオは改めて気を引き締めた。
兵士たちは手元の矢を必死に撃っていたが、その矢は高速回転した槍によって防がれ、ついには底をついてしまった。そして、騎士たちに与えられた傷は皆無。矢による攻撃は、どうやら無駄だったようである。
「どれ、撃ってみるか」
すっと、レオが左手で握っている銃の先を、騎士の1人に向けて構える。どうやら、この位置から狙撃するつもりらしい。
「防がれるんじゃないのか?」
あの大量の矢を防いだ騎士たちに、弾丸が防げないとはどうも思えない。先ほどのように、叩き落とされて終わりなのではないかと、刹那は不安になる。
「まぁ、この距離なら防がれるだろうな」
「じゃあ、撃たないほうがいいんじゃないのか? 弾だって、まだ節約しないと」
「弾は魔力の蓄えがある限りは心配ない。それに、これは実験さ」
「?」
何の実験かを聞こうとする前に、レオはすでに引き金を引いていた。火薬の弾ける音と共に弾丸が発射され、それは騎士の1人目掛けて飛んでいった。
当然その弾丸を防ごうと、騎士が槍を構え、そして高速回転させる。だが、
「!?」
防いだ槍は呆気なく弾丸によって破壊され、そして鎧の一角をも破壊することに成功していた。
騎士は傷つけられた鎧の部分をしばらく見つめ、そしてそのあとに弾丸を撃った張本人であるレオを睨みつけた。予想外だった結果が気に入らず、その怒りの矛先を向けられた、というところか。
「・・・普通の槍で、結晶の弾丸を防げるわけがないだろう」
やっぱりな、といった様子で、レオは銃を下した。
武器である結晶は、鉄やその他の金属をいとも簡単に切り裂き、打ち砕き、そして貫く。それができないのは、同じ結晶か神器のみ。
先ほどの騎士が持っていた槍と鎧は、レオの弾丸で呆気なく壊れた。ごく普通の槍と厚いだけの鎧だからだ。ということは、騎士側にしてみればレオの攻撃を防ぐ手段がないということを示唆している。
唯一できることとすれば、回避することだけ。いくら強力でも、当たらなければどうということはないのだから。
「レオ、今のうちに撃っておかなくていいの?」
せっかく弾丸が通用するとわかったのだから、今のうちに撃てばよいのではないか。刹那はそう思い、レオにそう尋ねた。
「この距離だと避けられる。さっきので防げないことはわかっただろうからな。
もう同じことはしないだろう。それを続けてたら、お前の言う通り、弾の無駄になる」
命中する距離になったら撃つ、と言いたいのだろう。
だが、その機会はレオが思ったよりも早く来るようだった。
「!? 速度が・・・!」
レオの弾丸に何を感じたのか、騎士たちは揃いも揃って城へ向かう速度を上げた。それは、今までの速さの倍以上。まだ接近するまで余裕のある距離が空いていたのに、その距離がぐんぐんと狭まっていく。
「・・・っち、特攻か」
「特攻?」
「俺の弾丸を防げないと理解して、特攻をかけてきたんだ。のろのろ動いていたらやられるからな」
「でも、それだと普通逃げるんじゃないのか?」
危険を察知したら逃げるというのは当然の行為だ。誰もが傷つくことを望まないし、死だって望まない。命が惜しいのなら、敵陣に突っ込まずに逃げるべきなのだ。
それなのに、騎士たちは恐れを知らないかのように、ただ突っ込んでくる。おかしいではないか。
「逆だ。殺されたら、兵力を削ぐことができないだろう?
だから突っ込んでくるんだ。死ぬ前に、ってな」
「!? そんなのって!!」
「そのことをどう思うかはお前の自由だ。だが、今はなるたけ余計なことは考えるな。・・・来るぞ」
言うなり、レオは銃口を騎士たちに向け、連射した。無数に発車される弾丸は、途切れることのない銃撃音と共に騎士たちへと襲いかかる。
当然、騎士たちは避ける。先ほどの遅い動きでは避けられなかっただろうが、今は違った。弾丸が命中する直前に急加速した騎士たちは、レオの放った弾丸をいとも容易く避け、そのまま城へと急接近する。もうすぐ槍の射程圏内に入る距離まで来ていた。
「刹那っ! 迎え撃つぞっ!」
「わかった!」
レオの怒声に返事をし、大剣を構える。隣りで鳴っている銃の連射音を聞きながら、刹那は自分へと向かって来ている1人の騎士をじっと見ていた。
顔まですっぽりと覆われた兜を装備している騎士の表情はわからず、ただ無情に手にしている槍を構え、そのまま凄まじい速さで突進してきた。先ほどの移動の速度とは段違いの速さに、一瞬面喰ってしまう。レオの弾丸を避けた速さよりも、さらに速い。
だが、大丈夫だ。あまりの驚きに、自身の体が硬直していまうような驚きはまったくない。確かにその速さで迫られ、槍を突き立てられたら、確実に絶命するだろう。それが怖くないと言えば嘘になるが、それがたまらなく怖いというわけでもない。
刹那は、自身が驚くほどスムーズに大剣を振るい、突進してくる騎士に合わせて槍を大剣で流し、そして・・・
「ふっ!!」
大剣の持ち手で、騎士の横腹を思い切り殴った。
騎士の体を覆っていた荘厳な鎧はまるでガラス細工が砕けたかのように破壊され、その柔らかな横っ腹を大剣の柄がえぐっていた。それと同時に、手に伝わってくる何かがへし折れるような感覚。おそらく、肋骨辺りが折れたのだろう。それが、とてつもなく嫌な感じだった。
「・・かっ・・・が・・・」
声にならない声を上げ、騎士は脱力する。いくら魔力で強化した体で行った攻撃といっても、柄の部分で殴られたくらいでは死なない。襲ってくる激痛に悶絶しているか、それに耐えられず気絶するかのいずれかだ。
・・・初めてやったにしてはうまくできたかもしれない。
殺さず、そして勝つ刹那の考えた戦い。死を与えずとも、襲ってこなければ十分なのだ。
だからこれでいい。命を奪うだなんてことは、もう刹那にはできなかったし、そうしたいとも思わなかった。
「刹那っ!」
レオの声で我に返る。何事かと思って振り向き、瞬時に体が動いていた。
「!? くっ・・・」
騎士の1人が、槍で突いていた。間一髪のところで回避したものの、刹那の頬には赤い一筋の線が走っていた。もしレオの声がなかったら、頭部を貫かれていたことだろう。背筋が凍る。これは、レナとの訓練ではないのだ。
「ふんっ!」
伸びてきた槍を手で掴み、篭手で覆われた騎士の手元を、重いきり蹴飛ばした。
「ぐ、が・・・!」
魔力によって身体を強化していれば何事もなかっただろう。だが、この騎士は身体の強化をしていなかった。体術の経験も浅く、体重の軽い刹那の蹴りなど、本来ならば牽制くらいにしか使えないのに、この騎士は相当な痛みを感じている。それが何よりの証拠だ。
痛み故に、騎士の手から槍が離れる。表情こそわからないが、兜の中の顔が歪んでいることが容易に想像できた。
その一瞬が、チャンスだった。
「っ!」
手元を蹴った足を折りたたみ、もう片方の足で顎の辺りを蹴りあげる。そのたった一撃の蹴りで、騎士の兜は熱したプラスチックのようにぐにゃりと歪んだ。
蹴られた騎士の顔面は空へと向き、刹那は上げた足をその顔面へと叩きこむ。例えそれが兜という防具があっても、今の刹那には無意味である。騎士は蹴りの勢いに呆気なく地面へと打ちつけられ、そのまま動かなくなってしまった。死んでいないということは、時折聞こえてくる小さな呻き声が証明してくれた。