第59話 戦争編3
「それで、話ってのは?」
ザインが刹那たちに部屋を案内したあと、椅子に座っているラクシーに声をかけた。・・・何か大切な話だろうか? いつものやる気のない顔と違って真面目な顔をしていた。
「あのさ・・・夜逃げしない?」
「何馬鹿なこと言ってんだ。借金なんてしてないだろ」
「だって・・・明日になったら、あんた戦争に行くじゃん」
「・・・そのことなんだがな、今日の深夜に行くことにした」
「・・・・は?」
ラクシーは、いきなりのザインの言葉に驚いた。全軍突撃は、明日のはずだ。それなのに、なぜ深夜にザインが敵地に赴く必要があるのか、さっぱりわけがわからない。
「まず、俺が最初に奇襲をかけて戦力を削ぎ落とす。ま、実力なら十分にあるから、5分の1くらいは削れるだろ。そのあとにこの国全体の軍隊と敵国の軍隊が衝突。戦力の減った敵軍はあっけなく負けて、俺たちの勝利ってわけだ」
「で、でもさ。それじゃあんた死ぬじゃん」
「あぁ、死ぬな」
なぜ・・・なぜこの男は、こんなにもさらっと言えるのだろうか? どうして、死ぬということが怖くないのだろうか? どうして、逃げ出そうとしないのだろうか?
「だったらなおさらだろ?! 逃げようよ!! 2人で!! 別に便利なところじゃなくてもいいし、寒いところでも暑いところでもいい!! あんたと一緒ならどこでもいい!! だから、一緒に逃げよう!!」
ラクシーは、叫んだ。叫ぶように、ではない。本当に叫んだ。その声は、何だか少し震えていて、心の奥に突き刺さるような、そんな声だった。
ラクシーの説得を聞いたザインは、煙草を一本取り出して口に銜え、火をつけずに言った。
「・・・俺が、どうして結婚してるのにお前に手を出さないかわかるか?」
「・・・あんたにそんな度胸ないからでしょ」
「生まれてくる子供と、お前のためだ。いつ俺が軍に召集されるかわからない。そんな中で、子供ができたら、お前と子供2人で暮らさないといけない。父親の顔を知らない子供が生まれてきて、その子供が大きくなるにつれて、自分と周りの子供たちの違うところに気がつくんだ。自分には、父親がいない、どうしてなんだろうってな。疑問に思った子供はお前に聞く、どうして俺には親父がないんだ、ってな」
そこまで言い終えると、ザインはポケットからライターを取り出して銜えていた煙草に火をつけた。もくもくと天井に上る煙は、いつもよりゆっくりのような感じがした。
「そうなれば、お前も子供も悲しい気持ちでいっぱいだ。いいことなんて、何1つありはしない。だから、俺はお前に手を出さなかったんだ。自分達の子供が悲しむことを知ってるのに、一瞬の感情で子供を作りたくなんてなかった」
煙草を深く吸い、ふぅ〜っと煙を吐き出す。煙草の先端から、重さに耐えられなくなった灰がぽろっと落ちた。
「別の相手を探せ」
「・・・・・ぇ?」
「体に手をつけなかったのはそういう意味もある。戦争が終わってから出会う、俺なんかよりももっといい男のためにとっておけ。そして、そいつの子供を産んでやれ。父親も母親もいる、幸せな子供を産んでやれ」
パシッ!!
乾いた音が部屋いっぱいに広がった。
その音がして少し経ってから、ザインは右頬に痺れるような痛みに気がついた。
何が起こったのかわからなかった。ゆっくりと、ザインはラクシーのほうに向き直った。・・・ラクシーは、目に涙を溜めていた。少し上がっている手から、ザインは自分がラクシーに叩かれたことがわかった。
ラクシーの目から涙がこぼれたと同時に、口を開けてラクシーはそっと言った。
「ばか・・・」
ぎゅっと唇を噛みながら、ラクシーは自分の部屋に走っていき、叩きつけるようにしてドアを閉めた。
・・・ザインは、これいいのだ、と思った。悲しみは時間が癒してくれる。
ラクシーは自分のことを愛してくれている。自分を失ったラクシーは深い深い悲しみに襲われるだろう。それはもう立ち直れないくらいの。
でも、月日が流れて、国が平和になって、治安も安定して、争いなんて起きない世界になったとき、ラクシーの悲しみは癒されるだろう。そして、そのときに現れるだろう。ラクシーと一緒にいてくれる自分に代わる大切な存在が。
自分で勝手に納得し、ザインはテーブルにあった灰皿に短くなった煙草を押し付けて火を消した。・・・これから準備をしなければならない。忙しくなる。
ザインは、まず武器を移動用の車に詰め込むことから始めた。車は家の外にあったため、家の中に隠してある大きめの銃火器を全て1人で運び出さなくてはならなかった。・・・肩に武器を担いで階段を上っている途中、額から汗が流れ落ちた。相当の重みが肩にかかってきて、それはもう重いというより痛いという感じだった。銃火器の金属が肩にめり込んできて骨に当たる。痛みに耐えて車に運び込んだ。
運び終えた後は車のタイヤ交換だった。もともとそんなに使う機会がなかったので、タイヤがボロボロになってしまっていて、どうやっても使えそうになかった。
ザインの車は大きめのほうだ。当然タイヤも大きい。だから、その大きなタイヤを地下から転がしてくるのにかなりの時間がかかってしまった。・・・一回だけ、階段を踏み外してタイヤが転がっていってしまったが、壁にぶつかる前に追いついて止めることができたので、何とか音を立てずに済んだ。
次に、車の点検。先ほども言ったが、車を使う機会はそうない。ちゃんと良い状態でなければ長い距離は走れない。
車のエンジンをかけてみるが、ブルルルル・・・・と鳴るばかりで一向にエンジンがかからなかった。おかしいな、と思って給油計を見ていると、0になっていた。もう一度地下に降りてガソリンを持って来、給油タンクになみなみと注いだ。そのあとにもう一度エンジンをかける。・・・今度はちゃんとかかった。
運転席に乗り込んでライトを照らしてみる。これは大丈夫だった。ちゃんと光る。これで夜中でもちゃんと運転できる。
戦地に赴く足も、武器も準備できた。あとは・・・ラクシーのことと今泊まっている旅人達のことだった。旅人達は・・・たぶんラクシーがうまく説明してくれるだろうから大丈夫だ。難しいのは、ラクシーのほうだった。何て言って、何と書いて別れればいいものか・・・。
はっ、と我に返り、頭をブンブン振って今の考えを消す。そうだ、さっき別れは告げたじゃないか。これ以上何かを伝えるのは自分の自己満足だ。ラクシーのためじゃない、自分のためにしかならないじゃないか。
ザインは、ラクシーには何も言わず、何も書かないで家を出ることにした。
地下に戻り、刹那たち宛の手紙を書いたあとザインは自分の部屋に向かい、自分の机の上にある、はしゃいでいるラクシーとむすっとしている自分が写っている写真を手に取った。ずっと前、そう、結婚するよりも前に撮った写真だ。そのため、お互いが少し若い。ザインはまだ髭なんて生えてないし、ラクシーは髪が少し長いままだ。
そしてそれを見て何かを思い出すようにして微笑んで、静かにその写真を胸ポケットにしまった。思い出の詰まった薄っぺらい、でも、とても大切な紙切れを。
準備は・・・全て整った。もうここにいる意味はない。まだ深夜ではなかったが、早く出て悪いということもないはずだ。ザインは階段を上ると、準備していた車の運転席に座ってキーを回してエンジンをかけた。そして、アクセルを踏む直前に、一度だけおんぼろで狭い自分とラクシーの家を見た。結婚して、ずっと2人きりで住んできた家。たくさんの思い出が詰まっている家。そんなこの家も、もう戻ってくることがないのだと思うと寂しくなった。
ザインは名残惜しそうにアクセルを踏み、この地を後にした。愛する人のために、この戦争を終わらせるため。