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第149話 元凶編 ー凄惨ー

マリスが意識を取り戻したのは、セレスがその場から立ち去った直後の事だった。顎を殴られ、脳を揺さぶられ、そして意識がなくなったのだから、普通に考えればこんな短時間で目が覚めることなどありえない。


しかし、殴ったセレスが非力だったことが幸いした。そのおかげで、マリスはすぐに目を覚ますことができたのだが、いかんせん体が全く動かない。俯せであるのにも関わらずに妙なふらつきを感じるし、吐き気もする。立ち上がるどころの話ではなかった。



「ぐ……。せ、れ、す……」



それでも、マリスは歯を食いしばって首だけを動かし、辺りを見渡す。当然のことながら、セレスの姿はない。


なぜいない。どこに行った。


そんな疑問が浮かんでくると同時に、マリスは先ほどのセレスとのやり取りを思い出した。



『きっとうまくやってみせるから、だから―――……ごめんね』



ぞっとした。


血の気が引いた。


セレスが、自身よりも大事な女が、いつ殺されてもおかしくない状況に立たされている。

こんなところで呆けている場合では、断じてない。



「う、ぐ、あぁああ!!」



歯を食いしばり、無理やり体を動かし、おもむろにマリスは立ち上がった。瞬間、目の前が赤黒く染まり、気が遠くなりそうになったが、セレスへの想いがマリスの意識をかろうじて繋ぎとめた。


何度か呼吸を繰り返し、ある程度まで回復するのを待つ。酸素が全身に回っていき、視界の赤黒さも徐々に抜けていき、体の自由もある程度利くようになってくる。頭痛や、トラバサミにやられた傷の痛みはどうしてもなくなりはしないが、それでも動けるだけマシだ。



「セレス、どこに……」



何か手がかりはないかと、ふらふらとした足取りで周りを歩き回る。闇雲に走り回っても、セレスは絶対に見つからない。山賊たちに追いかけられているとすれば、全力でこの森の中を疾走しているはずだから、見当はずれな方向に探しに行っては逆に距離が遠ざかってしまう。

何でもいい。せめて、セレスがどっちへ走っていったかくらいは知りたい。


その時だった。



「おぉいッ! 殺すんじゃねぇぞぉッ! いいなぁッ!?」



遠くから聞こえる、男の怒号。それが山賊の物であり、その山賊がセレスを追いかけまわしていることを、マリスは瞬時に理解した。

声のした方角は把握した。行かなければと、マリスは歩行を開始した。



「―――うっぐッ!」



足に激痛が走るが、そんなの気にしてなどいられない。ここで行かなければ、いつ行くというのだと、自身を奮起させ、足を引きずりながらもマリスは歩くことを止めなかった。


セレスはどうしている?


無事なのか?


怪我はしていないか?


次々と浮かんでくる疑問の全てが、悪い方にしか考えられず、マリスをますます不安にする。これほど不安になったのは、生まれて初めての出来事だった。心臓が張り裂けそうなくらい鼓動し、いくら空気を吸い込もうが一向に呼吸の荒さが治まらない。



「セレス、セレス……!」



ひらすらその名を繰り返す。

頼むから無事であってくれと、強く願う。



『――――――』



その願いが通じたのか、ふと聞き慣れた声が頭に響いた。

聞き間違えることなど、あるわけがない。幼い頃より何度も何度も聞いてきたこの声の主は―――



『―――マリス!』



セレスのものだ。

声を聞くことができて安心したのも束の間、すぐにその声色の様子から、重大な危機に瀕していることをマリスは察した。今にも泣きそうで、張り裂けそうで、壊れそうなその声は、今まで聞いたことのないほどの物で、それだけセレスが追い詰められていることだと教えてくれていた。。



(セレス! 僕だ! マリスだ! 今どこ!?)



(マリス、マリス―――っ!)



(……セレス!? どうしたんだ!? 僕だよ!!)



(マリスマリス!!)



いくら声を掛けても、セレスはちっとも返事をしてくれなかった。マリスの名を、ただただ繰り返し叫ぶだけだった。


なぜだ? どうしてだ? 何で声が届かない?


わけがわからずパニックになる。こんな時だからこそ、セレスの声を聞きたいのに、話したいのに、それが叶わない。


冷静さを失くしたマリスは、とにかく先ほどの声を頼りに全力で疾走した。足が地面に着く度に血が吹き出し、傷ついた骨が軋むが、そんなこと知ったことではなかった。痛みなど、どこかへと消え失せていた。今までのどんな局面よりも、今のマリスは速かった。



(落ち着いて! すぐ行くから! 大丈夫だから!)



駄目だとわかっていても、声を掛ける。

藁にもすがる思いだった。もしかしたらという、底の浅い甘い考えだった。

それでも、声を掛けずにはいられなかった。セレスに届かずとも、叫びを止めるわけにはいかなかった。



(マリスッ! マリスッ!! マリ―――)



セレスの声が、何の前触れもなく……途切れた。

まるで張りつめた糸が切れたかのように、たった今まで聞こえていたセレスの声が、あっさりと消えてしまった。



(セレスッ!? どうしたッ!? セレスッ!! セレスッ!!)



強く呼びかけようが、一向に返事は来ない。来るわけがない。

唯一の支えとも言えるセレスの声を失ってしまったことで、マリスは走ることを止めてその場に倒れ込みそうになった。止血をしていたはずの布きれはいつの間にか外れていて、そこから血が流れ出ていることに加え、体力の限界を越えてまでの全力疾走をしているのだから当然だ。


もはやどうしようもなくなりかけたその時だった。


ボタボタと妙に重みのある音が、雨のように断続的に聞こえてきた。一体何の音かは皆目見当もつかなかったが、少なくとも今のマリスにとって都合の良いものではないことはわかる。明らかに木の葉や木の枝が風で揺れるような自然な音ではない。おそらくは、『生き物が何かをした音』だ。

本来であれば絶対に近づかず、手ごろな木の陰に隠れるなりしてやり過ごすのだが、マリスはそうはしなかった。


きっとそこに、セレスがいる。


なぜだかわからないが、妙な確信があった。

仮にその場に居合わせている『生き物』が山賊達だとして、何の武器も持たずにただ突っ込んで行くなど愚行でしかないのだが、今のマリスにはそんなことに思考力を割く余裕などなかった。頼むから無事であってくれという、セレスへの強い想いしかなかった。


目の前の木を避け、蔓を払い、背の高い植物をかき分ける。


手のひらを鋭い葉で切って出血し、足場の悪さに何度も転びそうになったが、構うことなくマリスは前進する。この先にセレスがいるかと思うと、気が気でなかった。一刻も早く、セレスと対面したかった。



「セレスッ!!」



最後の藪を払い、セレスの名を呼び、その場に飛び込む。

濃厚な鉄の臭いが充満しているそこには、広がっていた。

―――マリスにとって、これ以上ないほどの絶望が。





++++++++++





「ばっかやろうが殺しやがってッ! 楽しむどころか金にもなりゃしねぇだろこの間抜けがァッ!」



後ろから追いついてきた山賊の親玉であろう男が、セレスに大斧を振り下ろした男を大声で怒鳴りつけていた。他の山賊達もセレスの死体の周りに集まってはいるが、親玉の剣幕に声ひとつ発せずにいた。


生きてさえいれば、例え『楽しめず』とも売り飛ばして金にできたかもしれない。しかし、死んでしまっては身ぐるみを剥ぐことくらいしかできない。もしかしたら、何か高価な物を所持している可能性も否定はできないが、ぱっと見る限りでは小汚い浮浪者の女。貴重品の類を何も持っていないであろうと予想させるセレスには、もはやその身しか価値がないことを親玉は知っていた。



「すいやせん……。ちょいと手元が……」



「言い訳なんざどうでもいいんだよボケが。……まぁいい。次やったら殺すぞ、いいな?」



「へ、へぃ!」



「しかしまぁ……、肩口からバッサリか」



そう言いながら、親玉は足元のセレスの死体を見つめる。


肩から腹部の辺りまでバッサリと切られているその体は、今もなお流れ出ている大量の血液によって真っ赤に染まっていた。濃厚な鉄の臭いは、山賊達にとっては散々嗅ぎ慣れているものであるが、それでも不快であることには変わりない。臭いだけでも不快であるのに、直接手に触れることなどできなかった。



「おい、罰だ。てめぇ、こいつの持ち物漁れ」



「へい。……あの、親分。ちぃと頼みがありやして」



「あん? 何だ」



恥ずかしそうに頬を掻いている手下の言葉に、親玉は首を傾けた。



「その……持ち物を漁ったら、この女、好きにしていいですかね?」



「はぁ? 何言って―――あぁ、そうだったな。お前は死体でも『イケる』んだったな」



「へへへ……。いいですかね?」



「しっかり漁るなら構わねぇよ。……おい、お前ら戻るぞ。さすがに死体とヤッてる様なんぞ見たかねぇだろ」



親玉の言葉に最もだと深く頷き、山賊達はその場を後にしようと背を向けた。


その時だった。


空から―――天から、鈴の音が降り注いできた。


りーん、りーん、と鳴り響くその音は、まるでこの世の物ではないと思えるほど美しい音色をしており、山賊達は注意や警戒をすることを忘れ、ただその音色に聞き惚れていた。

音はだんだん近くなる。正体はわからないか、鈴の音を鳴らしている『何か』が接近してきていることには間違いない。



「おいお前ら、ボケっとしてねぇで構えとけ……。なんか、やべぇぞ」



頭のその言葉に、他の山賊達は我に返り、各々武器を構え始めた。いくら美しい音色だと言っても、こんな森の中でしかも空から聞こえてくるなど明らかにおかしい。


いつでも獲物は叩き込める。来るなら来い。


山賊達はそう思っていたのだが、それが思い上がりであることを、すぐさま悟ることになる。



「……一足遅かったか。私の手で始末したかったのだが、まぁいい。手間が省けたとでも思うか」



いきなりだった。


いきなり目の前に、真っ黒な外套を羽織った少女が出現した。


何が何だか、わけがわからない。どうすればこんなことが起きるのだと、山賊は1人残らず混乱していた。



「ついでだ。貴様らも始末してやる」



言葉の意味を理解し、山賊達は構えていた武器を、無言で少女に振り下ろした。ためらいや加減などなかった。少女から放たれている威圧感は、今まで対峙してきたどんな獲物よりも強烈なものだったからだ。手心など、欠片ほども加えている余裕などなかった。


全力で距離を詰め、全力で武器を振るった山賊達。


その山賊達が、一瞬で肉塊と化した。


血が辺りを濡らし、切り刻まれた肉片が舞い、砕けた骨が散らばる。

まるで雨あられのように降り注ぐそれらを、いつの間にか腰元の大太刀を抜いているギアスは躊躇なく浴びていた。断末魔を絶叫する間もなく、山賊達は1人残らずギアスによって切り刻まれたのである。

そして、しばらくの静寂と静止。


ボタボタと、妙に重量感のある音と共に、宙の肉という肉は地面に落下し終わり、再び森に静寂が戻る。同時に、ギアスはまるで解氷したかのように動き出し、山賊達を切り刻んだ代物であろう大太刀―――『神抜刀』を鞘に納めた。



「さて、次はアダムのほうか」



自身の行った残虐極まりない行為を何とも思っていないギアスは、そうポツリと漏らした。

監視役だったギアスにはわかる。単独でいるよりも、一緒にいるときのほうがずっと長かった2人のことだ。番であるセレスがここにいる以上、マリスも近くにいる可能性が非常に高い。今この場にいないことが疑問だが、今は関係ない。どうせ近くにいるのだからと、ギアスは薄く笑った。


もう少しだ。もう少しで終わる。


全ての元凶であるアダムを、もう少しでこの世界から抹殺できる。


神の悩みの種が、消える。


その時が来るのが、待ち遠しくて、楽しみで、仕方がなかった。



「……?」



唐突に、音が聞こえた。ガサガサという蔓や藪をかき分ける音だ。どうやらギアスが探すまでもなかったらしい。


今接近している人物は、間違いなくマリスだ。本来であれば魔力が極端に少なく、それをうまく扱えていないためか、マリスを感知することは極端に難しいのだが、ここまで接近していればさすがにわかってしまう。


無意識のうちに手が腰元の大太刀の柄に伸びる。だが、姿を現した瞬間に斬りかかるつもりなど、ギアスには毛頭なかった。神の手を散々煩わせた罰の代わりに、この凄惨な状況を見せつけたかった。打ちひしがれ、嘆き、そして絶望していく中、自身が生を受けたことを後悔させながら殺してやりたかったのだ。



「セレスッ!!」



悲痛な叫びと共に出現したのは予想通り、ギアスが待ち焦がれていた標的であるマリスであった。


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