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第147話 元凶編 ー危機ー

その時だった。



「―――ッ!?」



ガチンッと、金属の音が足元から聞こえた。

同時に、右足に激痛が走る。

地を蹴るはずだった右足が踏み出せず、疾走の勢いも相成って、マリスは前のめりに地面に倒れ込んでしまった。



「きゃッ!」



マリスの転倒は、後ろを走行しているセレスにも影響する。急なことで何が起こったか理解できぬまま、セレスはマリスの体に足を取られ、地面を転がることになってしまった。



「い、たぁ……」



転んだ際に強打したのか、セレスは右肩を押さえながらも、よろよろと立ち上がる。全身にダメージを受けているものの、大きな怪我はしてはいないことが、不幸中の幸いと言えるだろう。



「マリス、どうしたの? 大丈夫?」



自身の状態もそこそこに、セレスは急な転倒をしたマリスの元へ近寄る。



「ぐ、ぅあ……」



俯せに倒れているマリスの口から、うめき声が漏れる。セレスの言葉に反応することもなく、力いっぱい歯を食いしばっている。それは明らかに痛みをこらえている仕草だった。おそらく、先ほどの転倒でどこかを痛めたのだろうが、それにしてもこの痛がり方は尋常ではない。深刻なダメージを受けたのは間違いなかった。



「マリス! 怪我したの!?」



激痛に耐えているその様を見て、セレスが慌ててマリスの体を調べていく。肩をはじめ、背中、腰と調べていき、右足を調べている途中で、セレスの手が止まる。


―――トラバサミだ。


鋸状の鋭い歯が食い込んでいるだけでなく、踝から踵にかけての肉を抉っている。元より規格外の威力に調整されていただけでなく、走行の際についた勢いが余計に傷を悪化させていた。こんな傷を負ったのでは、痛いに決まっている。魔力を扱うことができず、痛みを軽減させることのできないマリスならば、尚更だ。


傷からはどんどん血が溢れ出てきており、食いついている歯を紅く濡らす。そのショッキングな光景は、まるで食いついた獲物を決して離そうとしない猛獣のように見えて仕方がなかった。


目を逸らしたくなる様だったが、そんなことをしている場合でないことをセレスはわかっていた。とにかく、この物騒なものを外さなければと、転んだ拍子にぶちまけられた荷物を漁り始める。

すぐに目当ての物は見つかり、セレスはその無骨な代物を手に取った。


それは、痛みきった皮製のホルダーに納められた、ずいぶんと古ぼけた大き目のナイフだった。ホルダーから出し、その刃を見てみると、それがいかに使い続けられたかがわかる。ところどころ刃こぼれしていて、お世辞にも鋭利とは言えないが、通常の物よりも重く、大きいそのナイフは、叩き切るという点では他のナイフよりも優れているようにも思える。



「い、今外すから!」



セレスはそのナイフを、マリスに噛みついているトラバサミの歯と歯の間に入れ、てこを利用して無理やりこじ開けようと渾身の力を込める。

ギリギリ音を立て、伸びきっている錆びついたバネが徐々に縮んでいく。よほど強く調整されていたのか、なかなかすぐに外すことができなかったが、ある程度までこじ開けると、にちゃ、という嫌な音と同時に足に食い込んでいた歯が完全に肉から抜けてくれた。


自らの足が自由になったことを悟ったマリスは、ゆっくりとトラバサミから足を抜く。それを確認し、セレスはナイフをトラバサミから引き抜く。バチンッ! と音が森に響いてしまうが、気遣っている余裕は皆無である。マリスの足を治療することが、セレスの中で最も優先度の高い事項だった。



「マリス、診るからね!」



それだけ言って、セレスはすぐに怪我をした部分の状態を確認する。思った以上に傷は深く、露出している肉や滲み出る血に混じり、白い物が見え隠れしていた。トラバサミの歯は皮を破き、肉を抉るだけではなく、筋や骨までも損傷させているようだった。これでは、とても歩くことなどできやしない。


とにかく止血しなければと、セレスは自身の服の一部をナイフを使って破き、それを使ってマリスの傷口の上を強く縛った。若干、流血の勢いが弱くなったような気がするが、この程度では応急処置にもならない。一刻も早くの治療が必要なことは明らかだった。

しかし、ここにはまともな医療道具など存在しない。ぶちまけられている荷物の中にも、そういった類に物は存在しないし、この森の中で調達するというのも絶望的だ。せめて、街が近くにあったのならば、死ぬ物狂いで掠め盗ることもできたが、現在地から最寄の街までは、どう頑張っても行くだけで1日はかかってしまう。戻ることも考えれば、その間にマリスの息が絶えてしまうことも十分あり得る。



「どうしよう……! どうしよう……!」



慌てきったセレスは、ただそればかりを繰り返し呟く。いくら思考しようと、この場を打開する手が思い浮かばなかった。


早く何とかしなければ、マリスが死ぬ。


最愛のマリスが、死ぬ。


死ぬ。死ぬ。死んでしまう。



(―――ッ!!)



ぶんぶんと頭を振り、頭の中の考えを霧散させる。悪いことを考えていても、事態は決して良くはならない。そんなことよりも、今できることをやらなければ、それこそマリスが死ぬのを見ているだけになってしまう。


治療道具をここで調達するのも、街へ行って盗むのも駄目。それならば、マリスを直接街まで連れて行くしかない。セレスの細見で、男であるマリスを支えて歩くのはかなりの無茶だし、最善の手でないことは、セレス自身が一番良くわかっているのだが、今の追い詰められた状況で思いついたことはそれくらいだった。


そうと決まれば、一刻も早く移動を開始しなければならない。こうしている間にも、マリスはもがき苦しんでいるのだ。

背負うのはいくらなんでも無理だとわかる。怪我を負っているマリスに負担をかけてしまうが、肩を貸す形で一緒に歩くしかなかった。



「マリス、歩ける……? 大丈夫……?」



「だぃ、じょうぶ……。いけ、るよ……」



セレスの問いに、マリスはそう答える。全くもって強がりであることは明確であるが、受け答えができる分、傷を負った瞬間よりは痛みが引けているようだった。


マリスを抱き起そうと、セレスが肩を掴み、ゆっくりと抱き起す。マリス自身も己の力で立とうと努力してはいるものの、足の激痛からか、うまく力を入れれないようだった。

よろよろといった具合に、セレスが歩行を開始する。予想以上に歩くのに体力を使うし、何よりも移動する速度が遅い。この調子では、いつになったら到着するのか、わかったものではなかった。


一歩、また一歩。前へは進めてこそいるが、セレスは焦っていた。間に合わなくなるのではないかという考えはもちろんのこと、足を地につけるたびに歪むマリスの顔を見るたびに、早くしなければという思いが強くなって仕方がない。



「ん……うぅ……」



涙腺が緩み、セレスの視界がぼやける。今まで何度も危険なことやつらいことがあったが、今の状況に勝るものを、セレスは味わったことがなかった。マリスが―――愛しき男が、もしかしたら死ぬかもしれない恐怖と不安が胸の内で渦巻き、叶うことならば今すぐにでも泣き出してしまいたい衝動に駆られる。



(ダメッ! そんなこと、絶対!)



今泣き出したら、もう止まらなくなる。そうすれば、絶対にマリスは手遅れになる。それはできない。絶対にだ。


泣き出すことを耐えながら歩く。歩く。ひたすらに、歩く。


どれくらい歩いただろうかと、ふと後ろを振り返ってみる。かなり歩いたつもりだったのが、実際は大した距離を歩いていないことに愕然としてしまう。マリスを傷つけた憎たらしいトラバサミが、この薄暗い状況でも見えるのだ。予想したよりもずっと歩行がずっと遅いものになっていることを、改めて思い知らされた。


そして、追い詰められていくセレスに追い打ちをかけるような事態が発生する。


後ろの―――トラバサミの方向から、人影が見えた。数は3。遠くからでもわかる野蛮な装備は、先ほど撒いたはずの盗賊であることを教えてくれた。



「う……そ……」



血の気が引き、みるみる顔面が蒼白に染まっていく。こんな状態では、逃げるに逃げられない。見つかったら終わりだ。


「マリス! ごめんね!」


セレスは少々強引にマリスを引っ張り、近くの木の陰へと身を隠した。激痛が走り、マリスは思わず声を

上げようとするが、セレスの表情を見てただならぬものを感じたのか、必死に歯を食いしばって耐えた。


それにしても、なぜ先ほどの山賊らが、正確に自分たちの通ったルートをなぞってきたのかが気になって仕方がなかった。最初から追ってきていたのであれば、もっと早い段階で接触しているはず。それなのに、今になってどうして奴らがここに来ているのか。


その答えは簡単に出た。マリスの足に食らいついたトラバサミを外した際に鳴り響いた、あの音だ。この薄暗い森の中で、甲高い金属音が鳴り響けば、何事かと思うのは当然だし、山賊たちがあのトラバサミを仕掛けたと仮定するならば、真っ直ぐにここまで来れるのも当然の話だ。


盗賊たちは、トラバサミの位置へ真っ直ぐ歩み寄り、それぞれがしゃがみこんで辺りを調べ始める。暗くて良く見えはしないだろうが、血で歯が赤く染まっていることくらいならわかるはずだ。さらに悪いことに、トラバサミの周りには持ってきた荷物がばら撒かれている。そのことから、トラバサミにかかった獲物が動物でなく人間―――しかも、手負いであることがばれてしまう。動物であったのならば食糧にしかならないが、人間であればまた別の『使い道』がある。山賊たちに言わせれば、人間のほうがよっぽど価値があるのだ。見逃す道理など、あるわけがない。


そこまで考えが至ったのか、山賊たちは立ち上がり、散開して辺りを調べ始めた。さすがに、血液が付着している地面や木、木の葉を目印に探すには暗すぎたのだろう。もっとも、今のマリスとセレスを見つけ出すには十分な行動だ。10分と経たないうちに、山賊たちは2人を見つけ出すだろう。



(ま、ずい……)



足の激痛に耐えながらも、マリスは自分らが今どれだけ危険な状態であるかを理解していた。正直言って、このままではただ死の訪れを待つだけだ。先ほどと同じ手段はもちろん使えないし、強引に突破するにしても、荒事に慣れている山賊相手に弱り切った2人の攻撃が通じるとは思えない。


同じような目に何度も遭ってきたマリスであったが、今回ばかりはどうにもできないことを悟っていた。確実に、どちらかが死ぬであろうことも。少なくとも、2人が一緒に生き延びることはできない。


自身の力のなさを、マリスは思い知らされる。もしも魔力が使えたら―――戦うことができたのなら、もしかしたらこんな運命を変えることができたかもしれない。山賊の手から逃げ延び、セレスと共に安全地帯へと向かうことができたかもしれない。


けれど、マリスには戦う術がないのだ。力も弱ければ、人を殺したことだってない。知恵もなければ、セレスと共に逃げることもできる足だってない。



(仕方、ないか……)



だからこそ、取るべき手段を実行しようと決意したときに、マリスは自分の命をすっぱりと諦めることができた。他の誰でもない。セレスのためなのだ。セレスが生きてくれるのであれば、命など惜しくはない。


やるべきことはただ1つ。自身が死ぬ物狂いで山賊をひきつけ、その間にセレスを逃がす。これだけだ。


口にするは容易いが、実際にやるとなれば話は別だ。足や、武器や、実力など、問題点を挙げるときりがないが、そんなものは関係ない。できるかどうかではなく、やらねばならないのだから。


恐くないと言えば嘘になる。命が惜しくないと言えば強がりになる。

弱くても、惨めでも、恰好悪くても、それでも譲れないものが、マリスにはあった。


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