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第144話 元凶編 ー不安ー

『戦喜祭』から数日経過した。盗んだ大量の食料は1日ごとに減ってきてはいるものの、それでもまだしばらくは持つほどには残っていた。次の『戦喜祭』が始まる頃になっても、若干残るであろう大量の食料のおかげで、マリスとセレスはひもじい思いをしなくて済むようになっていた。


それは、久々に訪れた安らぎの日々だった。

今日を生きるだけで一杯いっぱいだった日が嘘のように、満ち足りた生活だった。

空腹を覚えず、ただ穏やかに1日を過ごす。

たったそれだけのことでも、2人にしてみれば高価で希少な宝石よりも、ずっと貴重なことだった。


そんなある日の昼下がりに、2人は向かい合って話をしていた。穏やかという言葉には到底似合わぬ真剣な表情をしており、重苦しい雰囲気が辺りを支配していた。


話の内容は、現在行われている戦争のこと。


戦線が、ここまで伸びてくるのではないかという、物騒な話だ。


「……一番戦線が近い街だから、いつか来ると思ってたけどな。それにしても、急だ」


ため息をつきながら、マリスがぼやく。

人間の軍隊と、神々の争い。戦力が拮抗しているからといって、まったく戦況が変わらぬわけではない。運や地の利によってそれらは微々ながらも変化する。今回のことは神々の方に少し運が向いただけの話だ。特に驚くようなことではない。


しかし、それに振り回される平民層の人間にとっては死活問題だ。今まで過ごしてきた家や町を離れ、別の住処を見つけねばならなくなる。行動が遅ければ、最悪戦争に巻き込まれるかもしれない。戦況の変化はいくら微々たるものでも、不安の種には変わりなかった。


「でもね、誰が言ってたかわからないし……それに確かな情報ってわけでもないから」


今回の情報の入手者であるセレスが、マリスに取り繕うように言う。

先日の戦喜祭で活躍したセレスの魔術『広範囲伝達』は、ある人物の魔力を元に、その人物と会話することができる能力であるが、少しの応用で不特定の人間を盗聴できる能力へと変わる。


そのカラクリを話す前に、セレスの能力について補足しておく。


そもそもこの能力を使用した戦喜祭の時、なぜあの範囲と無数の人の中、セレスはマリスという1人の人間を察知し、そして会話することができたのかと言えば、それは一重にマリスの魔力を元にして探し出したからなのだ。


魔力というものは、人それぞれ微妙に違う。刺々しかったし柔らかかったり、禍々しかったり神々しかったりと、同じものはどれ1つない。血の繋がりがあったなどの場合においては、魔力の質が似通ったりするものの、それでも完全に同じにはまずならない。性格やしぐさ、顔や体系が完全に同じ人間が存在しない事と同じだ。


つまり、会話したい人物の魔力と、、セレスの広範囲に広げられる魔力を接続すれば、非常に広範囲な無線機となるが、別に人物など選定せず、適当な人物の魔力を接続をすれば、一方的に盗み聞きができる盗聴器と早変わりする、というわけだ。


便利な応用ではあるが、いいことばかりというわけでもない。少しでも心の中で呟いたりしてしまえば相手側に聞こえてしまうため、使用の際は十分注意する必要があるというデメリットもある。


しかし、それを補って余るメリットがある。現にセレスは、町から離れた古ぼけた小屋から、町の情報を得ることができている。直接町へ行かなくとも情報を得ることができるのは大きいし、標的さえ変えれば様々な情報を大量に仕入れることができる。それがセレスの能力のもう1つの使い道だった。


そして今回セレスが手に入れた情報が、戦線の話。

重要である情報ではあるが、あまり手に入って嬉しいものではない。


「その情報が嘘だとしても、やっぱり警戒しておくに越したことはないな。逃げ遅れてからじゃ遅いんだから」


「わかってる、けど……」


言いずらそうに顔を伏せ、続ける。


「ここから離れたくないよ。思い出、たくさんあるもん」


ぽつりと、寂しげにセレスは言う。

気が付いた時には路地裏のゴミを漁り、同じ境遇の者からは虐げられ、巡回している騎士に追いかけられる日常を送って来た2人にとって、ようやく見つけた心の拠り所がここだった。狭くて寒くて、今にも壊れそうなオンボロではあるが、それでもたくさんの思い出が詰まっている大事な場所だった。


そこから出ていくというのだから、つらくないわけがない。まだ確定したわけではないし、2度と戻って来られないわけでもないのだが、それでも不安なことには変わりない。この小屋を破棄し、出ていくということは、思い出を棄てることと同義だった。


「……僕だって、ここを出ていきたくなんてないさ。でも、仕方ないよ。戦闘に巻き込まれるわけにもいかない」


「……うん、わかってる」


マリスの言うことに、セレスは静かに頷いた。

ここまで出て行こうと言っているマリスも、別にここを離れることを望んでいるわけではない。セレスと同じように、マリスもこの小屋に愛着がある。可能であれば、いつまでもここでセレスと過ごしていたいのは、もはや言うまでもないことだった。


だが、その思い出に執着するあまり、セレスの命を無下にするわけいはいかない。例えここが壊れたら、また立て直せばいいし。思い出がなくなったのならば、また作ればいい。壊れてもなくなっても、取り返しはつくのだ。


しかし、命はそうはいかない。一度失ってしまっては最後、二度と戻ることはないのだ。どんなに手を尽くそうと、どんなに祈ろうと、死人が生き返ることはない。その理を、嫌というほど見せつけられてきたマリスだからこそ、ここを離れることにためらいをほとんど覚えなかった。思い出を優先するあまり、自分はおろか、セレスの命まで危険に晒すわけにはいかない。


「……そろそろ、荷物の準備をしてくるよ」


そう言って、マリスは立ち上がった。

荷物といっても、この小屋にある役立つものなど、たかが知れている。余っている食糧と、そこの深い鉄鍋。埃だらけの毛布に、継ぎ接ぎだらけの服が2、3着。他にも欠けた食器やら、拾った書物が少々あるが、そんなもの持って行ったところで仕方がない。避難する上で最低限の荷物と言われれば、これくらいのものしかない。


それだけの荷物を、何も2人で準備する必要などない。突然のことで落ち込み気味のセレスならば、なおさらだ。1人で済ませようと、マリスは歩き出した。


「待って」


セレスの声がする。


「私も、手伝うから……」


余裕の感じられない、弱弱しい声。出て行かなければならないことはわかっているが、まだ心の整理はついていないようだった。生まれ育った場所から出て行かなければならないかもしれないと宣告されれば当然のことであるが、マリスが思っていた以上にセレスはショックを受けていたようだった。


そんな状態のセレスに、手伝いをさせるわけにはいかない。正直、そんな状態で手伝われても邪魔になるだけだし、何よりも注意不足が原因でセレスに怪我をさせたくはなかった。


「……いいよ、僕1人でもやれるし。それに―――」


「大丈夫。私は、大丈夫だから。……あのね、マリス」


マリスの言葉を遮り、セレスが続ける。


「もしここがなくなってしまっても、私たちはずっと一緒だよね? 離れ離れなんてこと、ないよね?」


不安な表情のまま、セレスがマリスに問いかける。

セレスがあそこまで落ち込んでいたのは、思い出の詰まった小屋を破棄しなければならなくなった事だけが理由ではない。幼い頃からずっと一緒だったマリスが、今回のようなどうしようもない理由でマリスと離れ離れになってしまうのではないかという不安が、今のセレスをどうしようもなく落ち込ませていたのだ。


小屋を破棄するよりも、思い出を棄てるよりも、マリスを失うことが、セレスにとって恐ろしくてたまらなかった。未来に不安と恐怖しか覚えなくなったり、どうしよもなく理不尽な事柄で騎士隊に殺されかけたりなど、幾度もの困難や挫折を乗り越えてこられたのは、マリスのおかげと言っても過言ではない。人生の支え、あるいは生きがいとも言えるマリスがいなくなることなど、セレスにしてみればありえないこと。想像するだけで、身が凍る。


愛しき家族の不安を取り除くかのように、マリスはセレスのか細い手を優しく握る。


「僕はどこにも行ったりしないよ。ずっとセレスと一緒さ。だから、セレスも1人でどこかに行ったりしないでくれ。僕を、1人にしないで」


「うん……、うん……」


ぽろぽろと、セレスの目から涙が溢れてくる。不安と緊張のせいで張りつめていた線がようやく切れたのだろう。堰を切ったかのように、セレスの涙は止まることを知らなかった。


涙が溢れ、次第に嗚咽も大きくなり、終いには大泣きしたセレスの手を、マリスはずっと握っていた。


セレスが落ち着くその時まで。




+++++




危険な物はどこまでいっても危険なのだというのが、神の従者であるギアスの意見である。


いつ暴発するかわからない弾丸の込めた銃を、玩具だと言って子供に与える親が、果たして存在するだろうか。答えは否である。そんな親はどこにもいないし、これからも現れることなどないに決まっている。万が一いるとするならば、それは人間の姿を借りた悪魔か何かだ。そんなことをする奴など、人間ではない。


同じように、いつ神に牙を向けるかわからないアダムとイヴの生まれ変わりを、自由にさせておくことなど、あってはならない。本来であれば、この世に生を受けた時点で、すぐさま殺しておかなければならなかったのだ。


ギアスの任務は、マリスとセレスの監視。敬愛する神に危害を加えるような前兆を見られれば抹殺するよう命じられたものの、2人が動き出す気配は微塵も見られない。神への反逆など、これっぽっちも考えていないのだろう。


だが、それはあくまで現時点での話。これから先、牙を剥かないとは限らない。何もしていないから放っておくなど間違っている。『何かあってからでは遅い』のだ。


ベストは、今すぐ2人を殺すこと。拠点としている小屋はすぐ近くだし、戦闘能力を持ち合わせているというデータもないため、それを実行するのは容易いと思われる。


しかし、こんな人気のない場所で殺されたとなれば、明らかに不自然さが目立ってしまう。ひょんなことから、ギアスが手を下したことを神に知られてしまうかもしれない。疑問に思った神に問いただされ、知らぬ存ぜぬを突き通すことは、ギアスにとって難問もいいところだ。


となれば、どうやって2人を殺せばいいか。


より自然に、誰にも疑問に思われないような殺し方はないか。


……ある。


硬直状態である戦争を利用すればいい。

戦線はまだこちらにまで伸びてこそいないが、今すぐにでもギアスが加勢すれば、すぐさまここまで拡大するだろう。そうすれば、あとは容易い。兵士や、他の事情を知らない神々がやったかのように見せかけて殺せば、全てが終わる。神に仇を成す存在を消すことができるし、自身がやったと知られることもない。


そうだ、それしかない。


神のために、やるのだ。


決心したギアスは、2人のいる小屋を一瞥し、背を向けて戦線へと向かった。



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