第139話 元凶編12
「ッざけんなぁあああああああああああああああああああああッッッ!!!」
瞬間、刹那は『眼』を発動させた。四肢が斬り飛ばされ、戦闘不能のはずだというのに、それを感じさせないほどの魔力が体中から溢れ返り、禍々しいほどの圧迫感を醸し出している。それに加えて刹那の瞳には、らしくもない憎しみと殺意が渦巻いて、先ほどとはまるで別人のようでさえある。
全てはギアスの言動と挑発。
これも掌の上の出来事、というわけだ。
だが、いくら焚きつけたところで、刹那は大剣を振るう腕もなければ移動する足もない。そんな状態で、ギアスが望む『面白い状況』になるとは到底思えない。強いて挙げるとすれば、精々、激怒した刹那を見て楽しむくらいだろう。見るからに優男の刹那がここまで激昂する姿は、考えによっては見物にもなり得る。
だが、果たしてギアスは刹那の激怒する様を見たいがため、このような挑発をしたのだろうか。
たったこれだけのために?
答えは―――NOである。
ギアスが刹那に望んだことはただ1つ。
『戦う』こと。それだけである。
四肢を失った刹那に戦うことなぞ出来るわけがないと思われがちだが、『移動』という一点においては刹那は足の他にもう1つの手段を残している。ギアスも『それ』を知っている。足がなかろうが、『それ』さえ使えば可能だ。
その手段とは周知の通り、刹那が『眼』を使用した際にのみ使用が可能となる『黒い翼』である。
「う―――ぉおおおおおおああああああああああああああああッッッ!!!!!」
怒声と同時に刹那の背中に魔力が集中し、形成される漆黒の翼。広げられたそれは相変わらずの禍々しさとおぞましさ、そして威圧感を醸し出しているわけだが、いつもとは異なる点がただ1つ存在している。
漆黒の大翼を形成している羽根の1枚1枚が、血のように『紅い』。
刹那の怒りを表すかのような紅と、深淵を思わせる黒の色が互いに合わさり、以前の物と比較しても段違いの不気味さは、ギアスの食指をずいぶと動かしたようだった。つい先ほどまでのゴミでも見るかのような表情とは違い、レオの攻撃を悠々と防いでいた時のような気味の悪い笑顔を浮かべているのが何よりの証拠。
『襲いかかる逆風や、激しい感情の爆発は、良くも悪くも人を成長させる。』
長年に渡って生きてきたギアスは、そのことを知っていた。
だからこそ刹那を焚きつけ、能力の成長を促したのだ。
うまくいかないかもしれないという危惧はもちろんあったし、何よりも刹那の折れた戦意が復活するかどうかも怪しかった。駄目で元々で試した挑発だったが―――思いのほかうまくいってくれた。先ほどとは殺気から放出している魔力の量までまるで違う。
面白くなりそうだと、ギアスは神抜刀を握りしめ、構えた。
頭に血が上っているために戦法も使うこともなく、腕もないために大剣を振るってくるような事も出来ず、猪のようにただ突っ込んでくるだけのつまらない戦いになるだろうが、それでも先ほどの斬り合いよりかは楽しめるような雰囲気を、刹那は発している。
背中の黒く、そして紅い翼。
果たしてそれにどんな『力』が隠されているのか。
早く戦いたいと、そう思わずにはいられなかった。
刹那が翼を広げ、大きく羽ばたくタイミングを見計らい、ギアスは接近して斬り伏せようと足に力を込める。
そこに割り込むかのように鳴り響く、ただ1度の乾いた音。
正体は何度も聞いた銃声。撃った人物はレオしかいない。
弾丸は刹那の倒れているすぐ近くの地面へと突き刺さった。
「レ、オ……!? な、なんで……」
当然、刹那は戸惑いを見せる。
味方が何の前触れもなく突然に弾丸を放ってきたのならば、誰だって驚かずにはいられないだろう。それは刹那だって同じであるし、共に戦ってきたレオからの攻撃であればなおさら衝撃的な出来事であった。何が何だかわけがわからず混乱し、出鼻をくじかれたためにギアスに向かって突進することも、もはや叶わなくなってしまった。
呆然としている刹那に対し、当人のレオはそれでもギアスから目を離すことなく口を開く。
「落ち着け刹那。お前を焚きつけるための挑発だ、本気にするな」
その言葉で、レオが自身に弾丸を放った理由を刹那は悟った。全ては頭に血が上り、無策で飛び出そうとした自分を止めるため。新たに発現した『紅い翼』がいくら凄まじい能力を持ち合わせていたとしても、その詳細を知ることもなく、ただ突っ込んでいくだけでは斬り伏せられることは必須。これ以上のダメージを受けたら、さすがに体が持たないということを確信していたからこその言葉だった。
レオの意図はわかった。
わかったが、それでも気持ちは治まらない。
『もっと戦いたい』という、ただそれだけのためにレナを傷つけたギアスを許せない気持ちが、どうしても治まらない。
「でも俺は―――」
「―――その気持ち、俺が晴らしてやる」
刹那の言葉を遮り、レオがぴしゃりと言い放つ。そのせいか、レナをギアスに傷つけられて向かって行こうとして止められ、それでもなおギアスに向かって行こうとした刹那は何も言えなくなってしまった。
レオから言われた落ち着けという言葉を聞き入れたということもあるのだが、何よりも口を噤まざるを得なかったのはレオの言葉の裏に隠れている『感情』のせいである。
例えるのならば青い炎。
表面上は冷静を保っているようだが、内面は違う。恋人を傷つけられた刹那と同等の怒りを覚えている。それも当然の話で、仲間を、ましてや身動きの取れないレナに追い打ちをかけるような真似をされておきながら、落ち着いてギアスと対峙するようなことは出来なかった。
思い知らせてやる必要がある。
ここまで嘗められ、コケにされて、これ以上好き勝手させるわけにはいかない。
「せつ、なぁ……」
弱々しく自身を呼ぶ声。
レナのものである。
その声で、刹那はようやく我に返って『眼』の使用を止め、ほぼ瀕死の状態であるレナのほうへと振り向く。同時に刹那の背中の『紅い翼』が、まるでガラスが砕け散るかのように霧散し、醸し出していた不気味さと共に虚空へと消え失せた。
魔力を著しく消費する『眼』と得体の知れない『紅い翼』の使用を止めたことで安心したのか、苦痛で歪んでいたレナの表情が若干の和らぎを見せた。刹那が四肢を斬り飛ばされていても正気と戦意を保っていられるのは、体中の魔力を傷口に集中させ、止血と鎮痛の効果を施しているためである。それがなければ、とうに失血とそのショックで昇天している。
だがそれも、魔力を自在に操れるだけの量があれば成せる所行である。仮に戦いなどで体内の魔力の大半を消費してしまった場合、止血も鎮痛もできないために、四肢の切断までいかずとも、片腕だけを切断されるだけでも死に至る。
レナが危惧したのはそこである。
刹那が発現させた新たな『紅い翼』は、どんな能力を持っているかなど、今の段階ではわからないのだ。その能力を使用するために膨大過ぎる魔力が必要だった場合、斬り傷の止血を行うことができなくなり―――死ぬ可能性が出てくる。
だがそれも、レオの銃弾のおかげで杞憂に終わった。冷静を取り戻した刹那は、『眼』と『紅い翼』の使用を止めてくれた。それがどれだけレナを安心させたかなど、到底語ることなど出来やしない。
自身の愚行がいかにレナを心配させてしまったかを、刹那はその表情を見て初めて悟った。同時にレナの容体が今更ながら気になり、体をよじらせて近づく。
激怒していた時とはまるで違う、必死で焦ったような表情。
レナが刹那を想っているように、刹那もレナのことを想っているのだ。
心配など、できないわけがない。
「……で? せっかく面白くなりそうだったのを止めたのだから、その分、貴様が埋め合わせをしてくれるのだろうな?」
刹那を焚きつけることはもう無理だと思ったのか、ギアスは元の標的だったレオを見てそう言い放った。新たな能力を開花させた刹那と戯れることが出来ない事は残念ではあるが、それでもまだレオが残っている。歯応えは十分あると、ギアスは踏んでいた。
「あぁ……、もちろんさ」
それをあえて否定せず、レオは銃のマガジンを取り出し、中の弾丸の全てを破棄した後、ホルスターから1発の弾丸を取り出して装填した。予め大量の魔力を注ぎ込んで精製したとっておきの弾がのうちの1つである。一度決めた以上、これからは本当に『殺す気』でいかなければいけない。容赦などなく、加減だって微塵もしない。今まで手を抜いて戦っていたと言えば、それは嘘になるのだが、これから取る手段は相手を『戦闘不能にする』ものではなく、本当に『息の根を止める』ものである。最初は足を撃つなどして戦闘を終わらせようとしていたのだが、それもおしまいである。
絶対に、『殺す』。
後先のことなど知ったことではない。
刹那と同様に、レオもギアスを許せないのだ。
「貴様の能力の種もわかったことだしな。お望み通り―――楽しませてやる」
「ほう、私の能力を……。ただの強がりではなかろうな?」
「あぁ、まず間違いなく見抜けたと思う」
「よかろう! ならば試してみるがいい!!」
楽しげに。
本当に楽しげにギアスはそう言った。
ならば応えてやろうと、レオは銃口を向ける。
応えた後、加減したことを後悔ながら死んでいけと、そのまま引き金を引いた。