第138話 元凶編11
「……っち。せっかくの楽しみを邪魔しくさって」
憎々しげに、ギアスは呟く。だが、それはレオに向けられたものではない。視線も、レオから外れている。どこにそれが向いているのかと、レオはギアスの動向に注意を払いながら確認した。
それは、四肢を斬り飛ばされて戦闘不能となっているはずのレナであった。
レナは体をよじり、何とか腕の落ちているポイントまで到達しようと、必死に這っている。魔力も自由に扱えず痛覚を抑えることができないためか、顔も歪んでいる。なぜそうまでして腕まで辿りつこうとするかなど一目瞭然だ。斬り飛ばされた腕の治療するつもりである。
腕をなくしてどうやって治療をするのかと、疑問に思うかもしれない。今までレナが自身以外の人が負った傷を治す際には、裂傷部位に手をかざし、そして自身の魔力を流してやることによって他者の自然治癒力を飛躍的に上昇させるという方法を取っていた。こう聞くと、レナの治療には腕が必要不可欠のように思える。それならば、レナがこうも必死で自身の腕の元へ這い、そしてたどり着いたとしても、それは徒労に終わってしまうことは明らかだ。
だが、腕がなければ傷を治療できないのは、あくまで自身以外を対象にした場合である。自身の傷を治す分には、魔力を自身の裂傷部位に集中すればいいだけのため、他者の傷を治す場合に必要な『手をかざす』という工程が必要ないのだ。もちろん、末端部分である手に魔力を集中して治癒させる方がずっと速く済むのだが、ないものは仕方がない。速度が遅くとも、治らないわけではないのだから。
だが、それを見逃すほどギアスは甘くはない。
レオとの勝負を邪魔するつもりならば、なおさら。
「!? おいッ! 何をするつもりだッ!」
必死に自身の腕まで這っているレナと、そのレナにあからさまに何かを仕掛けようと神抜刀を構えたギアスを見て、レオが叫ぶ。だがギアスは止まらない。自身の周りの氷壁の速度の操作を解除し、わざと崩壊を早めてその隙間から脱し、その場でレナ目掛けて神抜刀を振る。
もちろんその刃が届くことはないが、ギアスは代わりに先ほどレオに放ったような『つらら』を飛ばしたのである。だが、先ほどと違うのはその本数。4、5本という少なさだ。
しかし、それで十分なのだろう。機動力である足を奪われ、迫りくるつららを叩き落とす神抜刀を振るう腕もないレナならば、確実に命中させることができる。
「やらせるかぁァッ!!」
レナへと向かうつららの軌道の先を読み、あらかじめ先のほうへとレオは弾丸を連射した。防御も回避もできない以上、つららが急所に命中する確率のほうが高い。絶対にそれだけは避けなければならない。そのためにも、つららの1本たりとも撃ち漏らしてはならないのだ。
だが、そう事はうまく運ばない。レオが計算して撃った弾丸は、あくまでそのままの速度でレナ目掛けて直進した場合のものである。そのため、ギアスが例の能力を使ってつららを加速させるなり減速させるなりすれば、レオの計算が全て台無しになる。
それを知ってのことだろう。ギアスは表情を変えないまま能力を発動させ、全てのつららの速度を急激に上げた。速いなどというものではない。『超集中力』を使用しなければ捉えられないほどの速度だ。レオの放った弾丸と比べてみれば一目瞭然である。
レオの弾丸を悠々と置き去りにしたつららは、レナ目掛けて真っ直ぐ突き進んでいく。だがレナは気付いていない。這う度に走る激痛に悶えながらも、それでも進むことを止めないレナが、唐突な攻撃に気づけるわけがなかった。
「レナぁああああああああ!!!」
刹那が気がつき、声を張り上げるが遅い。
高速で飛ぶ、無数のつらら。
その全てが、無情にもレナの背に深々と突き刺さった。
「う―――あァァァッ!!」
激痛が走り、レナは身を縮こまらせる。痛みを軽減できない今、そのダメージはもろに伝わる。鋭い先端が肉を突き破られる痛みは、並のものではないはずだ。絶叫を上げたあと、脂汗を滝のように流しながらじっと耐えているレナの表情を見れば、それがよくわかる。
それに加え、貫かれたつららによってレナは磔状態になり、地面に固定されてしまった。もはや動くことなどできない。戦いに復帰することは、叶わなくなったのだ。
だが、問題はそんなことではない。
問題はただ1つだ。
「おいお前ぇえええええええッ!!」
似つかわしくない、荒々しい怒声を刹那が張り上げる。
それに含まれている感情は、紛れもない『敵意』だった。ギアスを睨みつけ、物理的に不可能ではあるのにも関わらず、今にも襲いかからんばかりの気迫を見せている。ここまで刹那が激怒したのは、異世界の旅が始まって以来、初めてのことだった。
レオとの戦いを邪魔されたからだろうか、ギアスはその激昂をものともせず、面倒臭そうに刹那の方へとその顔を向けた。怒りで見開いている刹那の目とは対照的に、まるで価値のないゴミでも見るかのような目をしている。
「……喧しいな。何だ?」
「どうしてレナをやったッ!? もう戦えないだろうッ!! 無抵抗の人間になんで攻撃したァッ!! 答えろォッ!!」
「馬鹿か貴様は。その小娘は腕を治そうとしていたではないか。向かってくる意思があったのだぞ。潰しておくのが定石だというのがわからんのか」
何をいまさらと言わんばかりの態度で、ギアスは刹那に言い放つ。
確かに、ギアスの言っていることは正しい。いかに重傷であっても、いかに絶望的な状況でも、レナは戦おうと自らの腕へと向かった。『戦意』は消えていなかったのだ。それならばやはり、潰しておくのが当然の行為。
本来であれば、レナは死んでいてもおかしくない。相手がギアスでなければ、手を抜かれていなければ、まず間違いなくレナは息をしていなかっただろう。それにも関わらず、痛がり、呻くだけの体力がレナにあるのは、ギアスが急所を外すよう攻撃をしてくれたおかげである。つららの速度が異常に速かった
急所外しの攻撃に関しては、ギアスの考慮に感謝すべきことなのだが、刹那は納得できない。理屈ではわかっている。わかっているが、心では納得できない。大事な恋人を―――レナを傷つけられたことは事実なのだ。正論だからといって引き下がれるわけがない。
刹那の内なる炎の原因を知ってか、ギアスのつまらなそうな表情は一変し、最初のような不気味な微笑に変わった。
面白みのないゴミに、ただ1つだけの価値を見出したのか。
それとも、何やら良からぬことを思いついたのか。
どちらにせよ、ろくでもないことには変わりないことはわかりきっている。
一体何を仕掛けてくるのかと思った矢先、ギアスは口を開いた。
「なんだ貴様、その小娘に惚れているのか?」
先ほどからの刹那の態度を見ていれば、レナに持っている感情に関してはある程度は予測がつく。その気持ちを利用し、焚きつけるのが、ギアスの思惑である。
戦う術も、移動すべき足も失っている刹那が、ギアスに立ち向かえるとは到底思えない。気力だとか、気持ちの問題だとか、そうではなく『物理的』に無理なのだ。戦うどころか、ギアスに接近することさえ難しいはず。刹那とレナを『こんな風』に追いやったギアスが、そのことに気がつかないわけがない。
「な、なに……?」
だが、それとは別にギアスはわかっている。
刹那の『もう1つ』の移動手段を、ギアスは知っている。
だからこそ、煽る。
刹那を煽り、その手段をさせようとする。
なぜか。それは―――
「図星か? そうなら、もっと『押さえ込んで』やろうか?」
「……もう1回言ってみろ」
―――そうしたほうが面白くなるだろうと、ギアスが踏んだからだ。
「お前の大好きで大好きでたまらない恋人の体を穴だらけにしてやろうかと言っているんだよ、糞餓鬼」
微笑みながら、それでいて冷たい声でギアスはそう言い放った。その裏には冗談ではなく、本当にやりかねないほどの凄みがある。現にギアスはレナに追撃を仕掛けようと、神抜刀を振りかぶっている。
人を傷つけて、どうしてそうも笑っていられるのか。
なぜ敵対していない人間にここまでの傷を負わせるのか。
なぜ―――レナを傷つけるのか。
様々な考えが嵐のように頭に駆け巡った後、刹那はそんな『理由づけ』などいらないということに気がついた。ギアスにつっかかっていく『理由』なぞどうでもいい。重要なのは、ギアスがレナを傷つけ、冗談でも追撃するような言動をしたことだ。
絶対に許せない。
レナを傷つけておいて、笑いながらいたぶろうとするギアスを、許せるはずもない。
この日、この場所、この瞬間。
刹那は生まれて初めて、本気で『キレた』。