第127話 恋慕編20
「私ね、刹那に伝えたいことがあるの」
その言葉が何を意味しているのか。
これから一体何を自身に伝えるのか。
いくら刹那が鈍感でも、このシュチュエーションの中で、レナのこの表情を見てはさすがに気がつく。気のせいかもしれないが、刹那にはどこか確信めいたものがあった。
しかし、レナが口にしようとしていることは刹那も言おうとしていたことだ。レナから伝えられるよりも先に自分の口から伝えたいという妙な意地が今までの緊張や戸惑いを消し飛ばし、咄嗟に刹那の口を開かせる。
「そ、それは俺もで、だから今言おうとしたんだけど……。だ、だからその、えっとさ……」
すっかり落ち着きを取り戻したレナとは対照的に、慌てふためいて若干共同不審気味になっている刹那は核心であるレナへの想いを告げようとしたが、生憎そう上手くはいかない。単刀直入に伝えようとしているのに、かえって遠回りな言い方しかできない。今言わなければ先に言われてしまうのに、とっかかりがどうしても掴めない。
「うん、わかってる。わかってるから、私から先に言わせて。おねがい」
落ち着かせるようにレナは刹那の手を取り、優しく握りしめる。手と手が触れ合った瞬間、刹那の内で渦巻いていた不安や焦りが嘘のように吹き飛んでしまい、緊張で強張った体と激しく高鳴っていた心臓が同時に落ち着きを取り戻す。それはまるで、時間すらも氷漬けにされた世界が、太陽の陽ざしを受けて徐々に氷解していくかのようだった。あれほどあたふためいていたというのに、たったこれだけの行為で落ち着きを取り戻させるということもまたレナの魅力である。
レナのおかげで幾分か冷静になった刹那は、先ほどから出かかっていた言葉を呑みこんだ。よくよく考えてみれば、刹那が必死なようにレナもまた必死なのだ。切り出す際も、多少ながら勇気を振り絞ったことだろう。その決意を、自身の言葉で遮ってしまってよいものなのか。
当然ながら答えはNoである。思考が上手く働かなかった先ほど違い、今は自分のことだけではなくレナのこともちゃんと考えられる。レナの決心を無下にすることなど、刹那にはできなかった。
「……わかった」
それだけ言って刹那は口を閉じる。
こちらを見て微笑んでいるレナをただじっと見て、ただ言葉を待った。
ただ待つというだけなのに、その1秒1秒が永劫とも思えるように長い。
それを紛らわすために、刹那はレナの手を握り返す。
もう大丈夫と。
いつでもいいと。
そんな気持ちを込め、レナの白く細い指を自身のそれに絡める。
その行為で刹那の気持ちを悟ったのか、レナは刹那に笑いかけた。
「……ありがと」
それだけ言って一呼吸置き、あまり間を空けずレナは続けた。
「私の周りの人ってね、みんな男の人ばっかりだったの。国を守るお仕事をしてるから、それは当たり前なんだけど、特に周りの人たちを意識したことはなかったの。普通の友達……とはちょっと違うかな。普通の仲間っていうだけだった。小さい頃からずっとそこに出入りしてたから、男の人たちの中に私みたいなのが混じっているのがおかしいだなんて、その時はちっとも思わなかった」
しみじみと昔を思い出す様に目を細め、レナは語った。
兵というものは主である王を守るべき存在である。それはひ弱で非力な者に務まらないため、女性は基本的にその役職に就くことはない。もちろん例外もあるが、それを考慮したとしても男女の比率が偏っているという結果は誰しもが知っている事実であろう。だからこそ、レナの存在がいかに珍しく、イレギュラーであるかを想像することなど容易い。
「初めておかしいのかなって思ったのがね、ちょうど兵士長の仕事に就き始めたころなの。書類をまとめるのにも、部下の訓練の内容を考えるのも慣れてきた頃にね、福兵士長に言われたの。あなたは美しい、ぜひ私と結婚してくださいって。初めてのことだから本当にびっくりしてね、ごめんなさいって言って逃げちゃったの。部屋に戻って、1人でボーっと考えてた。あぁそっか、私達は仲間の前に男と女なんだなって。でも周りをそういう目で見られなかった。恋なんて、絵本の世界だけのものだってずっと思ってた」
年代の近い女性の友など兵の中にはおらず、幼き頃からずっとその環境で育ってきたレナ。その頃から共に励んできた他の兵士など、とてもではないが恋愛の対象とは見れなかったのだろう。
それは刹那と同じ境遇であった。幼い頃からの付き合いがあったがため、特に恋慕の感情を抱くことなく、結果一度も恋をしたことがないという状況に陥ってしまった所など瓜二つだ。
だからこそだ。
今まで一度たりとも男性を『男』として見なかったレナが、刹那という『男』を意識したことには、それはよほどのことであり、稀なことであった。
文字通り生まれて初めて。
やがては訪れるであろう感情であるが、その初めての対象が刹那だという事実。
たくさんの男性の中で、偶然とは思えない出会いによって対面した刹那だけを好きになったということは、もはや運命としか言いようがなかった。
「でもね、今はそうじゃないって言えるの。ちゃんと私の中にあるから、だからそれはおとぎ話だけのものじゃないってわかる。だから言える。私は今、恋をしている。他の誰でもない、あなたに恋をしている」
目を離すこともせず、ただ刹那の瞳を見つめ、レナは迷うことなく続けた。
「私は刹那が好きです。あなたのことが好きです」
今、はっきりと告げられた言葉。
それは他に聞き間違えようのない、れっきとした告白の言葉だった。
聞き間違えなどでは決してない。
嘘だということも断じてない。
レナの想いを、刹那はしっかりと受け止めた。
だからこそ、このまま黙っているわけにはいかない。
レナがそうしたように、自分も想いを伝えたい。
迷いも戸惑いも、刹那を遮るものはもう何もない。
自然と口が開き、言葉が紡ぎだされる。
「俺も、レナと同じだった。恋なんて、他人事みたいなものだった。俺には縁なんてないもんだって、勝手に決めつけてた。でも、恋をした。生まれて初めて恋をした」
「……うん」
「さっきから言おう言おうって思ってたんだ。先に言われたけど、俺にも言わせてくれないか?」
「……うん、言ってほしい。聞きたいの」
刹那の気持ちや想い。
想い人のそれらを、聞きたくないはずがない。
自身に関することならば、なおさら。
「俺も、レナのことが好きだ。誰よりも、何よりも、レナが好きだ」
想いを告げ、刹那の胸を満たした感情は安堵であった。散々迷い、戸惑ったが、それでも好きだという気持ちをちゃんと言葉にすることができた。達成感やら、清々しさはほとんどなく、奥から湧いてくる妙な嬉しさを噛みしめながら、刹那はほっとしていた。
「……嬉しい」
がばっと、レナは刹那に抱きついた。
何の前触れのない突然のことで、驚きもしはしたが、意外なことに刹那の平常は保ったままだった。落ち着いたままにレナの体を2本の腕で抱き締め、身を寄せ合う。
オレンジ色の髪の毛からは花のようないい香りがし、その体は思っていたよりもずっと細く柔らかで、こんな体でずっと前線に立って戦ってきたのかと驚くほどだった。
これが、レナだ。
今刹那が触れ、抱き締めているのがレナだ。
温かく、柔らかく、いい香りがし、そして落ち着く。
ずっとこのままでいたいと、素直に刹那はそう感じた。
「……刹那、とっても温かいよ」
「レナもだよ。すごくあったかい」
「すごく安心する。こんなによかったなら、もっと早く言えばよかった」
そう言って、レナは刹那の胸に顔をうずめる。
刹那はもっとレナを感じようと、レナの背中に回している自身の腕に力を込める。
こんなに小さな存在なのに、愛おしくて愛おしくて仕方がなかった。
可能であれば、ずっとこのままでいたかった。
このまま、ずっとレナの温かさを感じていたかった。
「俺もそう思う。温かすぎて、なんか泣きそうだよ」
「ふふ。……ねぇ、刹那」
「ん?」
「目を瞑って。お願い」
特にその言葉の意味を考えず、刹那は言われた通りに目を閉じる。
一瞬にして闇に閉ざされる視界。
先ほどまで見えていたはずのレナの姿を、見ることはかなわない。
けれども、レナの存在はちゃんと感じられる。
消えることなく、刹那の腕から確かな温もりが伝わってくる。
それは、目を開けていた時よりもずっと強く、はっきりとしたものだった。
そんな暖かな暗闇の中で、
「……ん」
レナの微かな吐息を感じた後に、唇に触れる柔らかな感触。
それがレナの唇であろうことを連想するには、それほど時間を要さなかった。
抱き締め合いながら、お互いの唇を求める。
より一層の温かさと幸福感が胸に溢れ、自分のものではない温もりが心地よく感じられる。
ドラマや小説の描写で、幾度となく目にしてきた口づけ。
それがこんなにも温かいものだと、刹那は初めて知った。
「……どうだった?」
不意に唇を離し、レナがそう刹那に尋ねる。
「なんていうか……、すごかった」
「なにそれ、ふふ」
にっこりと笑い、レナは再び刹那の唇を求めた。
想いを告げあい、そして相思相愛と知った2人。
この日より、2人はめでたく『恋人同士』となったのだった。
さて、今回の物語はいかがだったでしょうか?
秘められた想いに気がつき、ついには恋人同士となった2人。
初恋は実らないとはよく言ったものですが、こういった例も稀にあるかと存じ上げます。
しかし、所詮は異世界の人間同士。
いつまでその絆は続くことやら。
さて、次回の物語は『元凶編』。
事件の全てをお楽しみください