第115話 恋慕編8
レナ。レナ。レナ。
何度か心の中でその女の名を呟いて、その表情を思い浮かべる。
笑った顔、困った顔、怒った顔に、心配そうな顔。その整った表情から繰り出されるたくさんの感情は、まるで四季折々の風景を思い出させる。どれも素晴らしく美しく、可愛らしく、そして愛らしい。思い出すだけでも、心臓が高鳴ってくるほどだ。
頼れる仲間であり、心から信頼できる師でもあるレナの戦っている時の姿も魅力的であった。神器である長細い太刀とレナの繰り出す巧みな技は息を呑むほど美しく、訓練中にはよく見とれていたものである。その度に刹那はレナから注意を受けていたのだが、何度注意されても綺麗なものは綺麗なのだから、1回はレナに怒られてしまうということが常だった。
気が合うためか、会話も弾むことが多かった。刹那が幼少の頃の思い出や、自身の世界のことを話すことがほとんどではあったが、これまたレナが心底面白そうな目をして刹那の話を聴き入っているのだ。刹那にしてみれば何気ない日常でも、レナにしてみれば全てが新鮮であり、興味をかき立てられる内容であるため、刹那とレナの会話は途切れることがほとんどなかった。
可愛らしく、美しく、そして楽しい。他の3人がどうと聞かれれば、もちろん楽しく、愉快な仲間だと答えるのだが、それでもレナには敵わないのだ。
たくさんのことを考え、反芻し、そして思い返してみるが、どうもはっきりとした理由にならない。他の3人と違うから―――だから、なんなのだという話だ。どうしてレナだけが特別なのか。その確固たる理由が、刹那にはわからなかった。
「……難しい顔してんな。わからないか?」
「わからないよ。俺は、そんなに頭は良くないからさ。たくさん考えても、大事なことが全然見えてこないんだ」
考えた結果を、刹那は素直にレオに報告した。
あれだけ―――と言っても、たかだか数分悩んだだけなのだが、それにしてもここまで見当がつかないのは予想外だった。悩んだ結果が、レナは他の3人の女の子と比べて特別だという事実を再確認しただけ。一体何をやっていたのだと、刹那は軽い自己嫌悪に陥ってしまう。
なかなか答えにたどり着けないことに業を煮やしたのか、レオは呆れたとばかりにため息をついた。ここまで刹那が鈍いとなれば、自身の気持ちに気がつくのに一体何日何周何カ月かかるかわからないし、その間レナをずっと待たせておくわけにもいかないのだから仕方がない。直球でこそあるが、少しだけヒントをくれてやろうと、レオは口を開く。
「……刹那、お前は女を好きになったことがあるか?」
「人をって……、もしかして?」
「ああ、恋愛感情の好き嫌いのことさ」
「ないよ、そんなの」
少しの間も空けることなく、刹那は問いかけてきたレオに言葉を返す。
生きてきた中で、刹那は恋をしたことなど一度もなかった。たまに色気づいた話もなかったわけではないが、それは友人たちの話であって刹那本人の話ではない。精々、クラスメイトの女子から手紙を預かり、それを友人に届けるといった実に小規模な郵便屋さんをしていた程度である。
小学校、中学校、高校と進学を順調に進めてきたというのに、恋愛どころか人を好きになったことがない刹那には、何か女性絡みの特別な理由やらトラウマやらがあるのでないかと思われがちだが、実のところそんなことは皆無である。女生徒や女教師に酷い扱いを受けたこともなければ、女性を見たり触れたりすると過呼吸を起こしてしまうという症状があるわけでもない。特別な理由やトラウマなど、これっぽっちもないのだ。
理由として挙げるとすれば、高校の同級生の多くが刹那の小学校、もしくは中学校に在籍していた生徒だったから、ということだろうか。小さい頃からその女生徒達を見てきた刹那にしてみれば、その同級生が少々大人っぽくなったからと言って特別な感情など沸くわけないのである。それこそまさに女としてではなく、友人、もしくは知人という見方しかしていなかったわけだから当然だ。
「同い年の連中はいなかったのか?」
王室で育ったレオにとって、その疑問と問いは普通のものだろう。自身の立場は一国の王子。同い年の友人など皆無であり、歳が近く親しい人物といえば、それこそ義妹であるリリアしかいないのだ。
「いたよ。周りはみんな同い年ばっかりだったさ。逆に、同い年じゃない人とはほとんど関わらなかった。そういうもんなんだよ、俺の世界って」
「ほう。なら、女の友人はいたのか?」
「男子と比べれば少ないけど、結構いたよ。みんな気さくで、いい奴らだ。よく野球したりバスケットとかしたっけな」
「そいつらとは、レナみたいにはならなかったのか? 同じような気持ちにはならなかったのか?」
「ないよ。全然ない。中学校まで同じ教室で着替えを済ませてたくらいだし、そんなのは歩に用になかったよ」
「……ないんだったら、話は早いんじゃないのか?」
ようやくここまで来たかと言いたげな調子を含み、レオは刹那にそう言った。
「要するに、恋愛の感情を抱けなかった女の友人とリリア達は同じってことだ。でもレナは違うんだろ? 今までの女の友人達とも、リリア達とも違う。今までにない感情だ」
言葉の通りである。刹那の女友達に抱いていた感情と、リリアと風花、風蘭に抱いている感情は全くと言っていいほど同じであったのだ。気軽に会話できる仲であって、特に色気のある意識をしているわけでもない。男性の友人と比べてもこれといって違う点も見当たらない。ただ女性というだけの、大切な友人なのである。
そしてレナ。レナだけが違う。今までの女友達とも、リリア達3人とも違う、もっと違う感情が芽生えている。他の人物とレナが一体何が違うのかもわからないが、それだけは間違いない。その感情が一体どのようなものなのか。なぜわからないのか。刹那は、少しだけ自分自身に苛立っていた。
「刹那、今まで女を好きになったことはないって言ったな? だからお前は誰かに恋をしている感情がわからないんだ。どんな風になるのかなんて、書物や人伝で得た知識しかないだろう? お前自身が身を持って体験したわけじゃないんだから、そりゃ当然だ」
「えっと……、何が言いたいのさ?」
「もしかしたらだ、刹那。お前が今レナに対している感情と、誰かに恋をしている時の感情は同じものかもしれないってことだ」
「それってつまり……、そういうことなのかな」
空を見上げて、刹那はレオの言葉の意味を理解する。ひょっとしたら、無意識のうちにこの話題を避けようとしていた意図もあったかもしれないが、ここまで直球に言われてしまってはそのことを認めざるを得ない。レナだけが特別で、他の人とは違うという理由。いくら鈍感な刹那でも、薄々とその答えに感づきつつあった。
「俺はお前じゃないから、お前の本心なんてわからん。だから聞く。お前はレナのことをどう思ってるんだ? 本当に仲間で、剣を教えてくれた師であるという認識しかないのか?」
口調は真面目ではない。どちらかというと、本当にただ世間話をしているだけという感じだ。だがその口調の裏側には、答えなければならないだろうと思わせるような雰囲気を感じられた。
再び、レナのことを思い刹那は目を閉じる。
幼さの残ったあどけない笑顔。
頼りになる仲間であり、尊敬できる師でもある。
可憐で、けれどもどこか可愛らしい。
触れるとわかる、思いのほか華奢な体。
気がつくと目で追っていて、目が合ったりするとなぜだか安心できる。
さっきもまた、大変な出来事が起こってしまってお互い恥ずかしい思いをしてしまったが、それで初めてレナが特別なのだということに気がついた。
どうしてレナだけが例外なのか。
他の3人と、何が違うのか。
レオに手伝ってもらって、ようやく刹那は理解できた。
そう、それは―――
「……あのさ、レオ」
「ん?」
「俺、レナのことが好きだ。それが、俺の答えだよ」