第114話 恋慕編7
レナが風花と風蘭の2人にいじられている頃、刹那はレオを探して林の中を歩き回っていた。雷光にレオが自身のことを呼んでいるということは聞いたものの、肝心の場所を聞いていなかったのだ。そこまで広くはないとは言え、ちょっとした学校程度の規模はあるこの世界を歩き回って人を探すとなれば骨が折れる。
こんな時に『眼』を使って空から探せればいいのにと、刹那はため息をついた。黒い翼を広げて、晴天のこの空を自由自在に飛び回るという感覚は、今までにない素晴らしいものだった。小学生の時に『翼をください』という曲を歌った記憶が刹那にはあるが、確かにその通りであった。いくら金を積もうが、名誉を築こうが、この爽快さを手に入れることなどできやしない。もしその2つとこの手に入れた翼、どちらを取ると尋ねられたら、刹那は迷うことなく後者と答えるだろう。
だが、惜しむべきは燃費の悪さ。しばらく飛べば体全体がずっしりと重くなってしまうほど疲労が溜まるが故、ちょっとした足代わりに使えるような代物ではないのだ。先の世界で、刹那はそのことを自分の身を持って実感している。歩くよりも、走るよりも、翼を使ったほうがエネルギーの消費量が激しいのである。
現に、先ほどの短時間の使用で、刹那のスタミナはごっそりと削られている。厳密にはスタミナではなく、『眼』の発動と翼の形成による魔力の著しい消費であるのだが、いずれにせよ体の重みが邪魔をして歩くのが割とつらいのだから同じことだ。使っていれば慣れるのだろうかとそんなことを思いながら、刹那はとぼとぼとレオを探し続ける。
「来たか」
「うわっ!!」
不意に後ろから肩を叩かれ、刹那は思わず声を上げてしまう。慌てて振り向いてみると、ずいぶん待ったぞと言いたげな表情をしながら腕組みをしているレオの姿があった。やっと見つけたという安堵からか、刹那は深いため息をついてその場に座り込んでしまった。
「はぁ~……。やっと見つけたよ。こんな所に居るなんてわからないって」
「ん? 雷光から林に居るって聞かなかったのか?」
表情を一変させ、レオは意外そうな顔をしてそう刹那に尋ねる。
「聞いてないよ。だからこんなに時間がかかったんじゃないか」
「伝えてくれって言っておいたんだが……。まぁ、たまにはそんなこともあるか」
確かにレオの言う通り、雷光が伝え忘れるなどということは、かなり珍しいことの部類に入る。優等生が忘れ物でもするようなものか。
理由としては、一刻も早く刹那の攻撃によって破壊された地面を見たかったということしか雷光の頭になかったため、うっかり伝え忘れてしまったというだけの話なのだが、雷光の内情のことなど知り得ない刹那とレオには真実を知ることはできないのだった。
「それで、話ってなんなのさ。何か大切なこと?」
「いや、そんな堅っ苦しい話はするつもりはない。ただちょっと困ってたみたいに見えたんでな」
「困ってた? 何に?」
レオの突然の言葉に、刹那は首を傾げる。
「作業にだよ。お前ら、なかなか作業が再開できなくて困ってたじゃないか。顔真っ赤にしながらよ」
「えっ!? あ!? み、見てたのかっ!? ずず、ずっと!?」
レオの言葉を聞くなり、急に刹那は取り乱し始めた。視線が合う度に顔を赤らめ、視線を泳がせ、そして作業が逐次止まってしまうという、なんとも言えない恥ずかしい場面を見られたとなっては、さすがに驚かざるを得ないようである。その慌てようときたらレオも予想外だったようで、たちまちにやにやとした笑みを浮かべてしまう。
「そんなにうろたえんなよ。見たのはちらっとだから、心配するなって」
「い、いやいや! だ、だってさ! あ、あんなとこ見られたって、め、めちゃくちゃ!」
「……どうしてそんなに恥ずかしがる必要があるんだよ。別に、恥ずかしがらなくてもいいだろう?」
少しだけ間を置いて、レオはさりげなく本題を切り出した。
ここからが重要である。風蘭に、答えを誘導させるような真似をするなと釘を刺された以上、余計なことは言えない。刹那自身に考えさせ、そして答えを出させる必要がある。といっても、いきなりレナについてどう思うなどという、直球過ぎる問いかけをするのも怪しまれるだろうから、まずは様子見をするのが第一条件。そこから徐々に中核に迫るというのが、レオの目論見であった。
レオの問いかけに、刹那はえーとやらうーとやらと顔を赤らめながらお茶を濁す。非常に恥ずかしいのである。なぜ恥ずかしいのと問われた刹那が言うべき答えは1つしかないのであるが、それを説明するには先ほど起こった出来事を話さなければならないことは間違いない。レナを押し倒してしまったという、人に言うには何ともいえない恥ずかしさが伴う出来事を、今ここで告白しなければならないのだ。
ちらっとレオを見て、刹那は覚悟を決めた。いつまでもこうしていても仕方がないと悟ったらしい。
「え、っとさ……、さっき、その……。レナをさ、えっと……お、押し倒しちゃって、それで、その……えっと……」
「ほお。それはそれは……、なかなか」
真っ赤になりながら口ごもっている刹那を見ながら、レオはただにやにやと笑っているだけだった。というのも、レオは刹那とレナが『そうなってしまう』場面を一部始終見ていたわけであるから、単に刹那の反応が面白くて笑っているのである。
確かに刹那の言う通り。あんなことがあっては、目を合わせるだけで頬を赤く染めてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。だが、そこでそうだと認めてしまっては先に進むことはできない。だからこそ、違う方向へと質問を続ける必要がある。
「そうなったってことは、ちゃんと意識はしているわけだ」
「? 意識って、どういうことさ」
「仲間としてはもちろん、女として、レナのことを見てるってことだよ」
そう言ってから、少し露骨過ぎたかとレオは思い返したが、肝心の刹那は言っていることの意図を理解できていないようで、しばらく腕を組んで考えていた。
「……そりゃレナも女の子なんだから、当然なんじゃないのか?」
「確かに、その通りだ。けどな、普通に意識してるくらいだったら、よっぽど女が苦手じゃない限り、作業に集中できなくなるくらいになるなんてことはまずないはずだ。仮にだ。リリアか風花、あるいは風蘭に同じようなことをしたとする。そうなったら刹那、お前はさっきみたいに作業を中断せざるを得ないほどそいつらを意識するのかって話だ」
レオの言葉に、刹那はそうかもしれないと頷いていた。
あくまで予想で、何も根拠がない想像なのであるが、おそらくリリア、風花、風蘭のいずれかを、先ほどのレナと同じようなことをしてしまったとしても、目を合わせただけで作業を中断してしまうなどということになるとは到底思えなかった。大方、押し倒した際にお互いの事を気遣い、その後は何の気にも留めずに作業を続けるというのが目に見えるようである。
レナともそうなるのではないかと一瞬脳裏をよぎったのだが、押し倒した際に感じ取れた女性特有の柔らかさと華奢さ、微かに漂ってくる石鹸のような匂い、吐息がかかってしまうほど接近した端正な表情を味わってしまったあとでは、どうもそうなると納得することはできなかった。他の3人も同じことにだと言えるのだが、先ほどと同じよう、どう考えてもそんな想像ができない。刹那がそうなってしまうだろうと素直に認めることができたのは、『レナだけ』なのである。
「……レナだけ、なんだろ?」
刹那のそんな心境を見透かすかのように、レオが優しく問いかけた。
「……うん、そうだ。そうなるのは、レナだけだ。……と思う」
そう言った刹那の言葉には、嘘も、偽りもない。
本当にその通りなのだと、刹那は心の底でそう認めてしまっていた。
しかしながら、1つ。
たった1つだけ、疑問に思うところがある。
「……どうして、レナだけなんだろ」
他の3人では駄目で、レナならばそうなるという理由が、刹那にはいまひとつわからなかった。レナは確かに剣の師であるし、他の3人よりも仲はいいとは思う。が、それらが全ての理由だとは思えない。自分でもなぜそうだかわからない刹那は、無意識のうちにレオにそう尋ねていた。
「さぁな。俺はお前じゃないからわからんよ」
「……そっか」
てっきり答えてくれると思っていたのに、レオがそう言うのには少しだけ意外だったのだが、わかっていてもこの場合は黙っていたのかもしれないと納得することができた。こればかりは人に頼っていいものではない。自分で考え、答えを導き出さなければならない。