第106話 異種編15
雷牙の手術は無事終了した。粉砕され、散らばっていた骨を風蘭がうまい具合に集めて固定した後にレナが回復魔術で雷牙の骨を綺麗にくっつける。その後に、固定していた金属の棒を取り出し、取り出す際に切開した部分を再びレナの回復魔術で治癒させる。
腕1本につき約30分。合計で約1時間。その大半が骨を固定させるための作業ではあるが、それでも十分早い。焚火で辺りが照らされているとはいえ、昼間に比べれば当然暗い。そんな悪条件の中、それだけの時間で治療を完了させた風蘭の腕前も、なかなか馬鹿にできるものではない。
脇腹のほうは、肉片こそ吹っ飛んでいたが、傷の範囲はそれほど広くなかったため、両腕ほどの治療時間はかからなかった。風蘭が傷を縫い、その後レナが傷を塞ぎ、最後に抜糸をして終わりだ。
手術が終わった後、うまく動くか、痛みや違和感はないかと雷牙が腕を動かしている最中、暗かった空が徐々に明るくなってきた。もうじき夜が明ける。村人から殺されかけ、そして暴走したルウネを止めるために戦わざるを得なかった、悪夢のような夜が・・・、もうすぐ終わる。
「どう? 変な所とか痛い所とかない? あったらまた切開してみるけど」
手首を動かしたり、虚空に向けて拳を繰り出したりして腕の具合を確かめている雷牙に、風蘭がそっけなく尋ねる。
「何ともねぇ。ちゃんと動く」
「ま、当然ね。・・・それで、どうするの?」
「あ?」
「ルウネのこと。・・・どうするの?」
風蘭からそう問われ、雷牙は閉口してしまう。
ルウネはこの世界の『罠』だということはもはや周知のことだ。恐ろしく強く、凶悪で、凄まじい。戦闘を行った雷牙を見ればそれが冗談でないことくらいわかる。力の使い方が今一つわかっていなかったためか、何とか勝利を得たが、このまま野放しにしておくには・・・、正直危険過ぎる。力の使い方を完璧に覚えてしまったら、本当に罠としてのルウネはこの世界を滅ぼしかねない。
だが、一方で今回の事件はルウネの意思に反するものである可能性が高い。確かに、『罠』としての人格は、人を傷つけ、壊し、殺すことを喜びとする、悪質極まりないものではあるが、雷牙達が接してきたルウネが、自ら望んでそうしたとは考えづらい。
村人たちから理不尽極まりない扱いを受けてきたルウネ。それこそ、殺してやりたいほど怨んだことだろう。だが、ルウネは今までそれをしなかった。いくら人数がいるとはいえ、野生の中で育ったルウネができないわけがないのにだ。
その理由は、単純だ。ルウネが争いを好まない、心の優しい人間だからだ。
そのルウネが、自分を散々痛めつけた村人たちだけではなく、敵ではない雷牙にまで牙を剥いた。人を壊したいという理由以外で、ルウネが雷牙を襲う理由など皆目見当つかない。何か深い事情があるのかどうかは本人に訊いてみるまでわからないが、ほぼ確実にそんなつもりではなかったはずだ。根拠はないが、確信めいた何かがある。
いずれにせよ、判断がしづらいことは確かだ。もちろん、目を覚ましたルウネが正気に戻っていなければ、息の根を止めるという選択肢を選ばざるを得ないのだが、そうでなかった場合はどうすればいいかわからない。
無責任かもしれないし、優柔不断なのかもしれない。だが、選ばなくてはいけない2つの選択肢が、両方とも重く、選びがたいものなのだ。
今まで悲惨な人生を歩いてきたルウネの存在すらをも否定し、人としての幸せを一切知らぬまま、最も親しい者である雷牙達が命を奪う、この世界に関して最も安全な選択肢か。
再び暴走しかねないルウネをこのまま放っておき、暴走させた元凶である村人たちのいるこの世界に生き続けさせるという、博打に近い選択肢。
選べと言われて、簡単に選択できる物ではない。ルウネの事情を知っているのならば、なおさらだ。
風蘭の問いに、何と答えようかと雷牙が悩んでいる、その最中。
聞き覚えのある呻き声が、4人の耳に届いた。
聞き違えることなどない。この声は、ルウネの声だ。
「目を覚ましたようですね、ルウネさん」
本来ならば喜ばしい出来事のはずなのだが、雷光の表情は和らがず、口調は至って冷静なままだった。問題はここからだということを理解しているのだろう。
雷牙の言葉を最後に4人は一切口を開かず、無言でルウネの元へと歩いた。出来ることならば正気に戻っていてほしいと願いながら、一歩一歩近づく。
頭をぶるぶると震わせて意識を覚醒しようとするその姿は、一見する限りでは暴走時のような荒々しさはないように思われる。『眼』を使っていたときのように、体中からは魔力が溢れ出してだっていない。まさに、初めて会ったときのルウネのままの姿だ。
しかし、そう簡単に雷光は警戒を解かない。万が一攻撃をしてきたときに回避ができるような距離を取り、念には念を重ねる意味でルウネに問いかける。
「・・・ルウネさん、具合はいかがですか?」
「・・・大丈夫。どこも痛く、ないよ」
雷光の声に、どこか元気がないような声色でルウネが応える。どうやら、正気に戻っているようだ。殺気のかけらも感じられない。
そこで、ようやく4人は警戒を解き、座り込んでいるルウネへと歩み寄った。
「まぁ、どこも悪くねぇならよかった。気絶させた身としちゃ、結構心配だったからな」
「・・・そう。心配してくれて、ありがと」
声をかけた雷牙の顔を見ようともせず、ルウネは俯いたまま、それだけ言った。
「・・・ルウネさん、元気ないね。やっぱり、どこか痛いの?」
覇気がないルウネのことを気遣ってか、レナがそう尋ねる。
口先では大丈夫と言っていても、本当は無理をしているかもしれない。そうであったとしたら、一刻も早く治療をしなければならない。
だが、当のルウネは首を横に振り、ぼそっと一言口にした。
「本当に、体は大丈夫。どこも痛くないから、大丈夫だから」
それを聞いて、心配をしていたレナもさすがに押し黙ってしまう。本人が大丈夫だと言っているのに、無理に回復魔術を施すわけにもいかない。かと言って、これだけ元気のないルウネを放っておくわけにもいかない。
どうすればいいかとあれこれ悩んでいたレナの代わりに、雷牙がルウネに向かって口を開く。
「・・・お前、『覚えてる』のか?」
先刻の暴走行為。
村人を襲い、そして雷牙にまで襲いかかったときの事。
その記憶があるかと、雷牙は単刀直入にそれを尋ねた。
「・・・・・」
無言。
ルウネは無言だった。
口を開かず、何も言わず。
ただ一度だけ頷いて、そして両手で顔を覆った。
自身が寒気を覚えるほどの凶悪性を秘めていたこと衝撃と、その凶刃を雷牙に向けたことの後悔からだった。
「・・・そうか、覚えてたのか」
雷牙が優しくそう言ったのを皮切りに、ルウネは激しく嗚咽し始めた。
生まれてきてから、どんなにつらいことがあっても、どんなに苦しいことがあっても絶対に泣かなかったルウネが、今になってようやく抑えてきたものを吐き出した。
それこそまるで、ダムが決壊するかのように。
「う、ぁ・・・あぁ、あああーーーっ!!」
叫ぶように、ルウネは泣いた。
流れ出る涙を隠すことなどなく、泣いていることを悟られぬよう静かに泣くでもなく、今まで溜め込んできた悲しみや憤りを全て込めて、ルウネは泣いた。
「ア、アタシっ! ゆる、せなくてっ!」
しゃっくりを上げて、震えた声で、それでも伝えようとルウネは叫ぶ。
「どうして私だけじゃっ・・・ないのってっ! みんな、はっ! みんなは悪くないっ・・・のにっ!」
表情を隠していたルウネの手のひらから、涙がこぼれてくる。
一筋、また一筋と涙が手を伝って地面に落ちていくのを、4人は何も言わずに見つめていた。
「そしたらもう・・・止まらなくてっ! どうしても、抑えられなく、てっ! ダメだって、止めてって思ってるのに、どうして、も・・・止められなかったっ!」
雷牙と戦っている最中、ルウネの心の奥底にはちゃんと自身の意思が存在したのだろう。親しい人間と戦闘を繰り広げるだけではなく、完膚なきまでに壊そうとする嗜虐心と、必死になって戦っていたのだろう。
「・・・そうかよ」
ルウネの叫びを聞いた雷牙は、ほっとしたような表情をして微笑んだ。やはり、ルウネの意思でなかったのだと、本当のルウネは人を傷つけて楽しんだりなどしない、心の優しい人間だったのだと、それを確信した。
「泣くなよ、お前が望んでそんなことをしたなんざ、誰1人だって思ってねぇよ」
「でも・・・、でもっ! アタシっ!」
「確かに、傷つけたかもしれねぇよ。でも、誰も死んじゃいない。怪我はしたかもしれねぇけど、死ぬまでいくような重傷は負わせてねぇ。今までやられた分の仕返しだって思えば、何の問題もねぇさ。今までお前が受けた痛みと比べりゃ、ずいぶん可愛いもんだと思うぜ、俺はよ」
「そんな、こと言っても・・・」
雷牙の言うことに、ルウネは頷くことをしない。いかなる時にも暴力を振るわなかったルウネだが、それは優しさとはまた別に、やってはいけない卑劣な行為だと強く思い込んでいたことも関わってきているのかもしれない。
暴力と恐喝と暴言を、浴びるほど受けてきたルウネは、それを受けることの痛みを知っている。だからこそ、それを他人に与えた時には、必要以上の罪悪感に襲われるのだろう。痛みを知っているだけ、常人よりも余計に。
自分を許そうとはしないルウネに向かって、雷牙は言った。
「それによ、結構嬉しかったしさ」
「え・・・?」
雷牙の言葉に驚き、ルウネは俯いていた顔を雷牙へと向ける。
「俺たちのために、怒ってくれたんだろ? だからよ、何か変な話だけど、嬉しかったんだ」
「嬉しかったの・・・? 本当に? あれだけのこと、しちゃったのに?」
泣き腫らした目で、ルウネは雷牙をおそるおそると見つめる。
雷牙は笑い、そして親指を立てた。
「おう! なぁ?」
ルウネの涙ながらの告白を見ていた3人に、雷牙がそう尋ねる。
3人は少しもためらうことなどせず、笑って頷いて見せた。誰1人として、ルウネのことを憎んだり、暴走行為が許せないものだと思う者などいなかった。
「あ、あ・・・」
後悔の念と、自身が持つ凶悪性に怯えていたルウネの表情は途端に柔らかくなり、ある言葉を言おうと必死に震える声を絞り出す。
なかなか出てこない言葉。突っかかる声。もどかしい気持ち。
それでも1度間を置くことなどせず、ルウネは声を出し続け・・・、そして言った。
「あ、ありがとう・・・」
雷牙その言葉は、自身の行為に対する免罪符のようなものなのだろう。心に巣食っていた罪悪感と自己嫌悪はそれによって薄れていき、取り乱していたルウネの表情に笑顔が戻った。
この一連の流れによって、雷牙達の心は決まった。ルウネの命を奪うような真似はすべきではない、生きていてもいいのだと、生きるべきなのだと確信した。
酷い仕打ちを受け続けてきたのにも関わらず、その原因を傷つけて泣きじゃくる優しいルウネを、罠として始末するなどあり得ない。今までの『罠』とは違い、自分の意思とは逆の行動を取らざるを得なかったルウネを責めるということだって筋違いだ。
「でも、この世界には置いておけないですね」
雷光が、深刻なことを雷牙に告げた。
ルウネの心の奥底には『罠』としての意識が存在していることは確かだ。人を傷つけることに喜びを感じ、恐怖に慄いている姿を見ることに快感を覚える、非人道的で残酷な人格。
その人格の発現の原因は、ルウネを虐げてきた村の人々の行為の他ならない。積もりに積もったルウネの負の感情が爆発し、結果『罠』としての人格が目覚めてしまったのだから、根本の原因は村人たちの歪んだ常識であると言わざるを得ないだろう。
だからこそ、この世界にルウネを置いておくわけにはいかない。おそらくではあるが、死人が出ていない村人たちは、再びルウネを討伐しようと足を運んでくる。そうなれば、再びルウネが『罠』としての猛威を振るってもおかしくない。雷牙達のような強者がいなければ、今度こそ歯止めが利かなくなり、世界を滅ぼすということに繋がりかねない。
と言っても、ルウネを他の世界へ置き去りにするわけにもいかない。移動した先の世界に住む人々がルウネを受け入れてくれるかわからないからだ。もしも村人たちと同じような考えを持っていたとしたら、今回と同じようになる。それでは意味がない。
何かいい案はないかと思考している中、レナが閃いたと言わんばかりにはっと顔を上げ、口を開いた。
「そうだ! あのね―――」