第105話 異種編14
そこで、雷牙は異変に気がついた。
徐々にではあるが、目の前の巨大な炎が小さくなってきているのだ。
「あん?」
踏み出そうとした足を止め、雷牙は間の抜けた声を出す。
ひょっとしたら見間違いではないかとそんな考えが雷牙の頭をよぎったが、よくよく見てみれば広がり続けるはずだった炎は今もなお縮小を続けている。自然に起こり得ないこの事象に、雷牙はますます混乱する。
縮小を続けている炎は驚く雷牙をよそにどんどん小さくなっていく。不思議なのは、炎が燃え移ったはずの樹木や草花の火が何時の間にやら鎮火し、細い煙を発しているだけになってしまったことだ。炎の規模が縮小していることと何か関係があるだろうことは予想がつくのだが、具体的な原理まではわからない。
やがて炎の縮小は止み、すっかり小さくなってしまった炎は、まるで空を翔ける龍のように1本の細長い形状となって上空へ舞い上がっていき、そのまま霧のように広がって消えていった。
炎の中には、神器『神抜刀』を地面に突き刺して集中しているレナと、風蘭をかばうような形で地に伏せている雷光の姿があった。ぱっと見る限りでは3人とも炎に焼かれたような跡は見当たらない。
「おい、大丈夫か?」
3人に近寄り、そう声をかける。
それが聞こえたのか、レナが最初に目を開け、次に雷光と風蘭が立ち上がった。3人とも、雷牙が無事だったのを目の当たりにしてほっとしているようだった。
「私たちは、大丈夫。ただ、炎を消すのに手間取っちゃって、手伝いに行けなくてごめんなさい・・・」
申し訳なさそうに、レナがそう言う。
手助けがなかったのは確かに痛かったが、雷牙が抜け出してきた時よりも炎の勢いは遥かに大きかったから、3人とも出るにも出られなかったのだろう。
それに加え、あれだけの規模の炎を操り、そして鎮火させるとなれば時間もかかる。手助けなどできるわけもない。ルウネを気絶させることも大事だが、それと同じくらい消火作業も重要であることはわかる。
「そりゃ別に気にしてねぇんだけどよ、それにしても驚いたぜ。あんなでけぇ炎を操るなんてな。最初見た時は何事かと思ったぜ」
「時間をかければあれくらいなら何とかできるよ。魔力で炎を包み込んで、燃料を草木から私の魔力に挿げ替えちゃえば、あとは操るのは簡単。でも、やっぱり時間をかけないといけなかったのは私の実力不足・・・かな」
あれだけの芸当を目の当たりにした雷牙は、どうにもそうとは思えないのだが、レナにはレナなりの基準があるのだろうと思って何も言わなかった。
「それにしても兄ぃ、やられましたね。腕、ボロボロじゃないですか。よく神器を使わないで勝てましたね」
満身創痍の雷牙を見て、雷光が感心するような声でそう言った。雷牙の強さを知っている雷光にしてみれば、ここまでダメージを与えた敵を称賛せざるを得ないのだろう。並大抵の強さでは、雷牙をここまで傷つけることなどできるわけがない。
「腕だけじゃねぇけどな。体全体がギシギシいってらぁ。たぶん、今まで戦った奴の中で一番強かった」
「・・・ということは、やはりルウネさんは?」
「あぁ、『罠』だった。けど、殺しはしてねぇ。気絶させただけだ。風蘭、ルウネの様子、見て来てくれや」
「う、うん、わかった」
そう言って頷き、風蘭は足元の医療道具の詰まった倒れているルウネの元へと駆けて行った。
それを見送って気が緩んだのか、雷牙はその場に座り込んでしまった。度重なるダメージが、ここにきて噴き出してきたらしく、表情を歪めていた。
「雷牙! 大丈夫!?」
「大丈夫だって。ただ、すっげぇ疲れたし、腕が死ぬだけ痛ぇ。あと、脇腹もだな。これ、治せるか?」
雷牙は、レナのほうへ両腕を差し出した。骨を粉砕された両腕はところどころ青黒く変色しており、脇腹は酷く抉られた部分から血が大量に流れていた。細部までの具合は明かりを灯さなければ何とも言えないが、一刻も手当てをしなければならないことは明白であった。
「・・・やってみないとわからない。とりあえず、服脱いで横になって。魔力は傷に集中させててね」
「りょーかい。頼むぜ」
そう言いながら服を脱ぎ、雷牙はその場へ横たわる。
その間にレナは、村人たちが投げ入れていた木の枝を拾い集め、それらを空気の通りが良くなるように積み重ねた後、地面に突き刺していた『神抜刀』を抜く。そしてそのまま『神抜刀』に魔力を込め、すぐさま魔力を炎へと転化させ、積み重ねた木の枝に引火させた。
引火した際、暗かった辺りがほんのりと優しい明かりに照らされる。先ほどの巨大な炎と比べれば、いくらか心が落ちつく。規模が小さければ、人を死に至らしめることが可能である炎も、これほどまでに安心するのだから不思議である。
「よし、これで明るくなった。雷牙、ちょっと触るよ?」
「あいよ」
一言断って、レナが雷牙の腕を取り、真剣な表情で診る。
雷牙が痛がると思ったのか、遠慮がちに触診したり、じっくり眺めたりと、腕の具合を慎重に探る。
「・・・腕のほうは、かなりひどい。このまま私が魔術を使っても、変に骨がくっついちゃう」
診断の結果を、レナは隠しもせず正直に雷牙に伝えた。
レナが使う、一般的な回復魔術は、使った相手の体力と引き換えに怪我の治癒を早めるというものである。そのため、雷牙の腕のような複雑に骨折した状態で使うとなると、意にそぐわぬ形で骨がくっついてしまうことになる。『治癒を早めることはできても、上手く傷を治すこと』はできないのである。
「こっちは終わったよ。ルウネは大丈夫だった。時間が経てば起きてくれると思う」
どうしたものかと頭を悩ませるレナの元へ、ルウネの診察を終えた風蘭が医療用の道具が入ったバッグを持って駆けてくる。表情に憂いは見えない。思っていたよりも、ルウネの状態は悪くなったらしい。
「風蘭・・・、どうしよう。私じゃ、雷牙の腕は治せないよ」
レナが不安そうに、やってきた風蘭にそう言う。珍しく、弱気な声だった。傷ついた仲間に何もできないということが悔しいのだろう。
「? レナでも治せない? どれ、ちょっと診せてみて」
その場にしゃがみ込み、風蘭が雷牙の腕を取る。ふむふむと頷きながら肩から指の先まで触診していき、片腕全体を診終わった後、レナの言葉に納得したと言わんばかりにため息をついた。
「あ~、確かにね。これじゃ変にくっついちゃうもんね」
「でしょ? どうしよう・・・」
「そんな顔しなくても大丈夫だってば。これから切開して、出来るだけ元の形に修正して固定するから、その後に回復魔術をお願い。そうすれば、変に骨がくっつく確率はぐっと減るから」
特にうろたえた様子もなく、風蘭はバッグからメスやら、金属の細い棒やらを取り出した。メスは腕を切開するため、金属の細い棒は骨を固定するためのものであるということは、医療の深い知識までは持ち得ていないレナにでもわかる。
回復魔術とて万能ではない。単純に、傷を通常よりも早く治癒させるというだけのものだ。少し前に、刹那の腕をレナの回復魔術で繋げたことがあったが、あれは切り口がとても綺麗だったからであり、今回のような複雑に砕けた骨を元通りに治すということはできない。
だからこそ、風蘭の医療知識が生きる。もともと医療は人の怪我や病気に対して、最も早く傷が治るように、最も良い状態で治すことを目的として考えられた知識や技術だ。魔術や魔力が使えない人間、あるいはそんな超常現象を知らない人間が編み出した英知である。
だが、結局は完治までに時間がかかってしまう。風蘭の行う医療行為は、『傷を上手く治すことはできても、早く治すこと』はできないのである。もちろん、傷に対して何もしないよりは、治療を行ったほうが断然に傷の治りが早くなることは確かではあるが、結局は人の持つ治癒力に頼るしかない。
しかし、風蘭の使う医療術と、レナのの使う回復魔術、両方を組み合わせた場合、これまでとは比にならないほどの性能を発揮する。風蘭の医療術で最適な回復状態を整え、レナの回復魔術で完治にまで至る過程を早める。相乗効果という言葉が見事に合う、万能な回復手段であった。
「じゃ、サクッとやっちゃうからね。本当なら姉さんにやってもらうんだけど・・・、まぁそこは我慢しなさいよ」
風蘭の治療の技術は、姉である風花に少しではあるが劣る。その分、治療薬などの知識や調合術は風蘭のほうが深いのではあるが、この場合は調合の知識など役には立たない。純粋な手術の腕が要求される。
とは言っても、風蘭も手術の腕が壊滅的に悪いというわけではなく、今回のような簡単な部類に入る手術くらいなら普通にやってのける。最も、メスを捌く際の繊細さなどは風花に劣ってしまうが、結局は治るのだから問題はない。
「わぁってる。じゃ、手っ取り早く済ませてくれよ」
それだけ言って、雷牙は目を閉じた。さすがに疲れたらしい。ものの数秒とかからないうちにいびきが聞こえ始めるが、それでも腕に魔力を集中させているのはさすがとしか言いようがない。