第103話 異種編12
「なんだってんだ・・・」
冷や汗が吹き出すのを感じながら、雷牙はそれだけ呟いた。これほど戦う前に恐怖を感じたのも、今までになかった経験だった。筋肉が緊張し、体が鉛のように重い。これからが山場だというのに、本当に戦えるのか本人ですら疑問であった。
それでも、ルウネの攻撃に備えて構える。いくら条件が悪くとも、歴然たる差があっても、戦わなければならない。ここで怖気づいて逃げれば、この世界は確実に壊れる。それだけは、させるわけにはいかない。今まで不幸しかなかったルウネに、これ以上の不幸を味あわせるわけにはいかないのだ。
「あははははは――――」
笑っているルウネの姿が、ぶれた。
それと同時にルウネの姿は消え、地雷でも爆発したかのように地面が吹っ飛び、土埃が舞い上がる。
移動するために地を蹴ったのだということはわかったが、驚くべきはその脚力。『眼』を使ってようやく地面が抉れるレベルの雷牙とは次元が違う。たかが移動でも、ルウネのそれはもはや攻撃に匹敵するほどの威力を秘めた強力なものだった。
最初の踏み込みですでに最高速に達しているルウネを、雷牙は捉えることができない。直線で自身の元へ接近していることはわかるのだが、速すぎて攻撃されるタイミングが見えないのだ。いつ攻撃をされるかわからなければ、防ぐこともできなければ避けることもできない。いかに『眼』を使える人間であっても、見えない攻撃であれば甘んじて受けるしかない。
だが、その点雷牙は少しだけ違う。雷牙が『眼』を発動した時にだけ使用が可能となる、『第六感超強化』。それさえ使えれば、ルウネの恐ろしいまでの一撃を受けたとしても、咄嗟に急所を外すことくらいならば、決して不可能ではない。
「・・・・―――っ!!!」
その直感を生かし、雷牙はほぼ無意識のうちに状態を逸らした。
それと同時に顔面をすれすれにルウネの拳が空を切り、打撃を与え損ねたルウネの拳は雷牙の背後に立ちそびえている樹木に命中した。
雷が落ちたような轟音が響き、それに驚いた雷牙が目を向けたそこには、樹木を易々と貫通しているルウネの姿があった。それくらいならば驚くことなどない。その気になれば雷牙にだってできる芸当だ。だが、問題は貫通している穴の部分。その周りが、『焦げている』。
理由ならすぐにわかった。ルウネの移動の速さと、繰り出した拳の速さ。その2つが合わさった攻撃は、穴を開けている樹木との間に摩擦熱を生み、それが穴の周りを焦がしていたのだ。
拳法の類を使って戦闘をしてきた雷牙も、こんな真似は出来ない。焦がすほど速い拳を繰り出すことは、『眼』を使った身体の能力でも不可能なのだ。鍛錬がどうとか、経験がどうとか、そういった類の問題ではない。雷牙という人間の体の構造では、それを成すことは不可能ということなのである。
自身ではどうやっても不可能な芸当を、目の前のルウネは当たり前であるかのように容易くやってのけた。それだけで戦慄する。『第六感超強化』を使っていなかったらと思うと・・・。
「くそったらぁっ!!」
恐怖を振り切るかのように、状態を逸らしたままルウネに向けて拳を繰り出す。無我夢中で出したせいか、腰の振りも入っていない腕だけの威力のないものになってしまった。
そんな中途半端な拳を、ルウネは蝿でも払うかのように片腕でいなし、カウンターで先ほどの強烈な拳を雷牙の腹部に叩き込む。助走がない分、威力は落ちてこそいるものの、重い一撃なのは変わりがない。防御したところで、易々と貫通されるのは目に見えている。
「っ!!」
自分でも驚くくらいの速度で雷牙は身をよじらせた。たった数センチ。それ故、ルウネの拳を完全に避けきることはできなかった。
だが、それが雷牙を救った。ルウネの拳は雷牙の脇の肉を、まるで粘土細工でも壊すかのように抉り飛ばしたが、急所となる内臓部は逸れていた。激痛こそ走るが、即死するよりははるかにマシである。
「あは、あはは、ははははははは」
返り血を浴びてなお、ルウネは笑う。目の前の屈強そうな男が、こうも呆気なく壊れていくことが、楽しくて楽しくて仕方ないようだった。
「う、く・・・」
現在、ルウネとの距離はほとんどないに等しい。負傷しているのに加え、ルウネとの地力の差が激しい今の状態でその距離を維持しているということは、どうぞ殺してくださいと身を差し出しているのと同等な愚行である。
距離を取らなければならないということを考える間もなく、ほぼ反射に等しい速度で地を蹴って後ろへと跳ぶ。瞬間、ルウネに抉られた脇腹に激痛が走るが、そんなものに構ってなどいられない。一刻も早く離れなければ、次の瞬間には物言わぬ肉塊になっていてもおかしくはないのだ。
だが、その雷牙の考えを知ってか知らずか、ルウネは距離を取ろうとした雷牙にくっつき、思惑通りは離れない。右に移動しようが、左に移動しようが、ルウネは近距離を保ったまま追いかけてくる。
どうやっても、離れない。この危険な距離から、脱出できない。
「ふふふ」
逃げ惑う雷牙に、ルウネの手が伸びる。それは、『眼』を使って身体強化を施している雷牙の体を易々と抉る鉄拳ではなく、胸倉を掴むだけという生易しいものだったが、次の瞬間には雷牙の視点は反転していた。『投げられた』のである。
「くっ!!」
視界がぐるぐると回転して、どちらが宙でどちらが地面かもわからない。
ただ、そんな狂った視界で、雷牙は見た。
先ほど自身の脇腹を抉った鉄拳を、ルウネがこれ以上ないくらい不気味な笑顔で放ってきたのを。
「っ!!」
避けようにも、地に足がついていないため逃げることができない。
防ごうにも、平衡感が狂ってどこから攻撃くるのかわからない。
できなくて、わからないのならばと、雷牙は無我夢中で腕を重ねて防御をした。
「あは♪」
子供のような、実に楽しげなルウネの声が聞こえたその瞬間に、衝撃がきた。
落雷でも直撃したのではないかと思うほどの威力が全身を突き抜け、岩でも割れたような音が聞こえた。それと同時に襲ってくる、これ以上ないほどの激痛。音の正体はわかっている。ルウネの一撃をまともに受けた雷牙の両腕の骨が、粉々に粉砕された音だ。
脇腹を抉られたときと同じように、両腕を吹っ飛ばされなかったのには理由がある。先ほどよりも威力が低くなっていたのだ。故に雷牙の腕は肉片になって飛び散ることはなく、雷牙の腕の骨を粉砕するに留まった。
威力が低くなっていたとはいえ、与えるダメージが大きいことには変わりない。両腕の骨を粉砕した衝撃はそれだけにとどまらず、雷牙の体を勢いよく吹き飛ばすまでに至っていた。
吹き飛ばされた雷牙の体は轟音をあげて木々をなぎ倒していき、その度ダメージは蓄積していく。ただでさえ激痛で悶えている雷牙にさらなる痛みが襲い、何度も意識が途切れそうになった。
何もかもが強力で、理不尽とも思えるルウネの戦闘力は底を知らなかった。
「げふっ! ごほっ!」
地に這いつくばりながら、雷牙は盛大に血を吐きだした。内臓という内臓はすべて傷がつき、雷牙は全身の筋肉が弛緩していくのを感じた。心が折れたのだ。自身の全力よりも遥かに高い能力を誇る相手に、これ以上ないくらいほどのダメージを与えられたのだ。折れないほうがおかしい。
「つよ・・・い・・・」
立ち向かっていく気力も削がれ、戦う体力も奪うほど圧倒的な力を前に、雷牙は生まれて初めて戦いの最中に相手を称える言葉を呟いた。