アタリが出たらもう一個!
ピロリロリーン
やや間抜けな感じのファンファーレが鳴った。おやおやこんなところで運を使ってしまうとは。もう一度自動販売機を眺める。
「同じのにするかな」
アタリが出たら、もう一個。取り出し口のペットボトル入りのお茶を取り出して、もう一度同じボタンを押す。どうせ当たるなら、こっちのアイスがよかったのにと思いながら、さっきコンビニで買ったアイスキャンデーを眺めた。袋から取り出してクリーム色をした冷たい棒状の塊を口に突っ込む。あむ。うまい。
今日は本当は、ユキと映画を見に行こうとしていたのだが、彼女の体調が思わしくなく、中止になった。病院へ彼女を送った帰り道。
それにしても暑い。
ピロリロリーン
今度のファンファーレは自動販売機ではない。僕の頭の中で鳴っただけだ。
「マジかよ! ラッキー」
アイスも当たっていた。棒の先端に「アタリ」と印刷されている。これはサイサキがいいぞ。ところでサイサキって何だ。後でウィキペディアで調べよう。
そんなことを考えながらさっきのコンビニによってアイスの当たり棒を交換した。二本目を食べながら、バス停に向う。
バスは今にも出発するところだった。僕は走った。そう、メロスのように。特に待つ友もなく、妹の結婚式に出たわけでもなかったが、メロスのように走った。そして乗り遅れた。
ごめんよ、間に合わなかったよと心の中でセリヌンティウスに謝る。まあ仕方ないさ、次頑張れよ、と僕の心の中のセリネは笑った。なんとまあ、ありえないくらい寛大なやつだ。
ピロリロリーン
と思ったら、すぐ後ろに次のバスが来ていた。……セリネ、君のおかげかもしれない。
まあ、実際たまにあることだ。バスの到着時刻は結構ブレる。時刻表上は5分くらい差があっても、前が遅れてほぼ同時に到着することがある。
……でも変だな。このバス停は一時間に一本くらいしかバスが無いんじゃなかったっけ……。こんな立て続けに来るわけがない。まあいいか。とにかく乗ろう。考えたって仕方が無い。
バスに乗ると、犬と目があった。え? 犬? おばさんが犬を抱えている。おいおい、カゴを使ってくれよと思う。僕は犬がちょっと苦手だ。叫び声を上げるほどではないけれど。
ピロリロリーン
「うわぁ」
上げた。叫び声を上げてしまった。だってまさか2匹いるとは思わなかったからだ。おばさんの後ろの席で、おじさんがやっぱり犬を抱えている。そっくりだ。親子の犬だろうか。立派な毛並みの柴犬だ。
……それにしても、自動販売機で聞いてからこっち、「ピロリロリーン」というアタリの音が耳について離れないなあ。古い安っぽい感じの電子音で、それだから余計に。僕はそれを振り払いたいと思うがなす術もなく席に座る。窓の外を見た。おっと日差しが。まぶしっ。
ピロリロリーン
……ほらまただ。あ~、もうこのくそ暑いのに、と僕はいらいらとする。それにしても今日は異常に暑い。まるで太陽が増えたかのような暑さだ。
ピロリロリーン
もう、いい加減にしろよ。反対の窓を見る。ここは高台で、遠くにテレビ塔が見える。テレビ塔が…………?
「え?」
僕は目を疑った。1つしかない筈のテレビ塔が……2つあるのだ。
目がかすんでいるのだろうか。疲れか。いや暑さのせいか。意識が朦朧としているとでも? 冗談じゃない。目をこすってもう一回見るがやはり2つ立っているように見える。
あ、これがあれか、蜃気楼というやつか、と一瞬思ったが落ち着くんだ僕。そんなわけがない。どうやらこれは本当に、
「なんで2本あるんだよ!」
僕は叫んでしまっていた。
ばかな。この街に住み始めてもう何年か経つ。街のどこからでも見えるあの塔はいつ見ても1本だった。2本目が建設中だったわけもない。つい1週間前にあの塔の下まで行ったばかりだ。
「どうした兄ちゃん、でかい声出すなよ」
後ろの席から声が聞こえた。鉢巻姿のおじさんがこっちを睨んでいる。
「あ、すみません。……あの、つかぬことを聞くんですが……あの窓から見えるテレビ塔、あるじゃないですか。あれって、1本でしたよね?」
「はぁ? なんでだよ。通称ツインタワーって言うじゃないか。2本に決まってるだろ」
なんてことだ。僕はもう一度窓の外を見る。僕の記憶がどうにかなってしまったみたいだ。
「星が丘~ 星が丘~。……出発します」
バスが停留所を出発する。
バスに乗る前にもタワーをチラリと見たような気がするが……。タワーは1本だった筈だ。乗ってから増えたのか? ばかな。
そのとき、僕の頭にふっとわいた考えがあった。下らない考えだと否定しようとした。そんなばかなことがあるわけがない。でも、僕の無意識の底で本能の獣が叫んでいる。それが答えだ! 間違いない!
その考えは、ばかばかしいが、しかし恐ろしいものだった。
「……あの音だ!」
そう、あれは「アタリ」の音なんだ! ……「アタリが出たら、もう一個」。
ピロリロリーン
……そら来た! ……この音が鳴ると……。
「次も、星が丘~ 星が丘~」
「なんでだよ!」
僕は一人ツッコミを入れてしまった。バスの停留所「星が丘」が2つに増えたらしい。さっきの星が丘からまだわずか百メートル程の距離で、またもや星が丘停留所がやってくる。
「ここ、同じ名前の停留所にするのやめたほうがいいわよねえ。紛らわしくてしょうがないわ」
前方のおばさんがつぶやいた。当たり前だ。同じバス停を並べるようなアホなバス会社があるものか。皆、心のそこから疑問に思うだろう。なぜ直さない。
しかしバス停にツッコミを入れている場合ではない。
増えたと思ったのは僕だけで、どうやらずっと前から2つあることになっているらしい。なった、のだ。世界が改竄されている。
今日の出来事を思い出す。自動販売機からだ。ジュースが当たった。アイスが当たった。ここまではいい。運が良いだけだ。何も問題は無い。
バスが二台来たのがおかしかった。偶然じゃなかったのだ。あの時も頭の中で例の音が鳴っていた。そう、バスが当たったのだ。無茶な。
バスに乗った後……そう、犬だ。そっくりな犬が2匹。あれもアタリだったということか。当たったのは僕にじゃなくておばさん達にだが、それはどうでもいい。
そしてテレビ塔……。いや、他のものは全て偶然というか、二つあったって困りはしない。しかし、テレビ塔だぞ? いくら何でもテレビ塔を2本並べて建設するバカはいない。意味がないじゃないか。
僕は、だらだらと汗をかいていた。何か僕には変な能力が身についてしまったということか……いや、僕の能力ではないな。ただ僕の耳に聞こえるだけだ。当たりの音が。そうすると僕の周りにあるものがもう一個、増えている……。汗が止まらない。いや、これは異常な暑さのせいだ……きっと。
バスにでっぷりと太った背広姿の男が乗ってきた。
「まったく、夏は暑くてたまらんなぁ」
ピロリロリーン
「まったくですな、部長」
「いや、君も部長だろう」
ピロリロリーン
「私もそう思います、部長」
「だから君も部長なんだから。3人とも部長なんだ、お互い役職で呼ぶとわけがわからん」
「そうだとも。これからは苗字で呼ぶことにしよう」
「だいたいなんで同じ部に部長が3人もいるんだ」
ピロリロリーン
「いや、数え間違えないでくれ。私も入れて4人だろう」
「そうだったな、何で今3人と言ったんだ私は」
「総務部の部長四天王と言えば我々のことですのに」
「君、それは若い奴らの影で言ってるあだ名だ、自称するもんじゃない」
ピロリロリーン
「それにしても、総務部の五人囃子とはよく言ったものだな」
「我々の苗字は林ですからなあ」
「五人とも苗字が林だとは、完全に人事部が遊んでいるとしか思えんな」
「まったくですな」
「いや遊んでいるのは社長だ、あの人が林ばかり採用してくるからこんなことに」
……僕は、目の前で次々と増殖していく「総務部長」を呆然と見つめていた。いきなり人間が増えたように見えたのに、こんな恐ろしいことが起こっているのに。誰も騒がない。見もしない。このファンファーレも僕だけに聞こえているらしい。
僕は恐ろしくなって、バスの停車ボタンを押した。これ以上部長が増え続けたら、このバスは部長だらけになってしまう。
ピロリロリーンピロリロリーン
っておい。
バスが止まって降りようとしていたところで立て続けに2つもきた。「ひぃ」思わず悲鳴を上げた。まさか、部長がさらに2人増えた……? 僕は恐る恐る振り返る。
あれ、6人しかいないぞ……。
「いやあしかし若い奴らはよく思いつくものですな」
「本当ですな。総務部の……何だったかな」
「総務部の六大学野球……だったかな、部長」
「だから部長と呼ぶと誰のことだかわからんと言っている」
「そうだとも。森部長と呼べば……」
「全員苗字が森だということを君らは忘れているのか」
やかましい部長たちを残してバスを降りた。去り際に、会話を聞くんじゃなかった、と後悔する。部長は6人に増えたが、なるほど確かにもう一つ、増えたものがあった。
彼らは5人だった時は苗字が「林」だと言っていた。しかし今、彼らの苗字は「森」らしい。……そんなものが何の当たりだというのか。
僕は泣きそうだった。誰かこの僕の頭の中で鳴るファンファーレを止めてくれ。そうしないと何か大変なものが増えてしまうに決まっている。
大変なもの? 僕はもうわかっていた。
この暑さ。まるで太陽が増えたみたいだって?
ははは。
はははははははは。
そうだよ! 増えてるんだよ! だって聞こえたじゃないか、窓の外のツインタワーを見る前だ、太陽をもろに見ちゃって眩しいと思ったその時だ。ほら、空を見るがいい!
そこには、燦々と輝く太陽が、2つ……!!
ピロリロリーン
……またしてもとんでもない間違いをしでかしたことを知った。東の空を見る。もう昼だというのに……3個目の太陽が昇ってきている!
助けてくれ。助けてくれ。このままじゃ僕のせいで、この星から夜が無くなる。
僕は、目をつぶった。何も見てはいけない。僕の見たものが増えるのかどうかはわからないが、何も見ずにとにかく家に帰らなくては。なあに、ここからなら数百メートル。道だってわかっている。なんとかたどり着ける筈だ。
ガチャンッと音がして、自転車に衝突した。腹を押さえてうずくまる。
「す、すいませ……」
思わず前を見てしまう。
ピロリロリーン
「「あ、こっちこそすいません」」
もちろん目の前には自転車に乗った女子高生が2人いた。そっくりだ。きっと双子だろう。
ピロリロリーン
いかん、と思った時は既に遅い。三つ子の女子高生は交互にぺこぺこ謝りながら去って行った。慌てて目を背ける。これ以上食べ盛りの子供を増やしてあの家の家計に打撃を与えるわけにはいかない。
なんとかマンションの入り口にたどり着いた。途中、止めてあったベンツのタイヤを6個に、信号の青ばかり5つに、猫の尻尾を2本に増やしてしまったりしたのを除けば、大した被害を出さずに済んだ。郵便ポストが3つ並んでいるくらい、誰も困らない筈だ。
エレベータに乗る。僕の部屋は6階だ。ユキはまだ帰っていないだろう。彼女に何と言って説明すればいいんだ? というか、まずユキをうっかり増やしてしまわないようにしなければ。「この女は誰なの」「君だよ」……同一人物なのに三角関係というややこしい事態になる。
困ったことに気がついた。6のボタンが押せない。見てしまったら、ボタンが増えてしまう。……って、いいのか。増えたとしても、とにかく6階には着ける。
結果3つになった「6」ボタンから真ん中を選んで押した。ああ、このファンファーレの音も、すっかり耳になじんでしまった。とにかく部屋に帰らなくては。ここは何階だ……。
ピロリロリーン
え? 僕は青くなる。ずっと目をつぶっている。何が増えた? ……。
恐る恐る目を開くと、階表示は「5」を指していた。5階……。あと一個上だ。
何が増えたんだろう。見たところ、おかしなものは何もないが……。
僕は何となく嫌な予感がして、エレベータを降りた。6階には階段で行けばいい。……階段。あった。さっきから、5階に並ぶ部屋の表札やドアを見てしまっているが、幸いにもファンファーレは聞こえていない。……収まったのだろうか。少しほっとする。
ピロリロリーン
油断大敵。ああ、しまった、佐藤さん家が二つになってしまった。増えたのがドアだけであることを願って、足早に通り過ぎる。とにかく階段だ。
階段を駆け上がる。
……あれ? おかしいな。僕らの部屋の前には消火器があった筈。しかし、無い。ここは6階の筈だが……。ふと横を見る。「佐藤」……の……表札が……二つある……!?
ここはまだ5階だった。どうやらエレベータで聞いたファンファーレは「5階」を増やしたらしい。僕はもう家に帰ることだけを考えることにした。布団に包まって寝てしまいたい。
とにかく、もう一階上に上がらなくては。6階は(今は7階になってしまっているが)すぐそこだ。
階段へ走った。メロスのように……とか言ってる場合じゃない。とにかく6階にたどり着かなければ。
ピロリロリーン
だが、たどり着いたのはまたしても5階だった。
「くそっ」
すぐに階段で上へ。
ピロリロリーン
「またかっ」
ピロリロリーン
「負けるかよっ」
ピロリロリーンピロリロリーン
「なぁっ!? ……ちょっ。ちょっと待ってくれ……」
ピロリロリーンピロリロリーンピロリロリーン
「ま、待てってば。はぁっはぁっはぁっ……」
ピロリロリロリロリロリロリロリロリロ……
ファンファーレが途切れなく鳴り続け始めた。僕は必死に階段を上り続けたが、増え続ける5階からいつまで経っても抜け出せない。もう何階まで来たのだろう。足が痛い。もう走れない。階段の手すりにつかまって僕は肩で息をしていた。
上を眺めると、折れ曲がった階段の間から上が見えた。遥か空のかなたまで、延々と続く階段が……。このマンションはもともとは8階建てだったが……今は軽く100階以上はあるに違いない。大気圏を突破するのもそう先ではないだろう。
「もうっ。いいから。助けてくれ。頼む。神様か何か」
僕はうわごとのように懇願した。目に見えない何かに向って。頭の中のファンファーレは相変わらず、5階を増やし続けている。ドアが2つある佐藤さん家も際限なく増え続けていることだろう。そして僕の部屋はもう地上何千メートルだろうか。
階段の途中にへたりこんだ。このまま……増え続ける5Fの狭間で、僕は死ぬのだ。永遠に家にはたどり着けない。
その時、階段を上がってくる、子供の声が聞こえた。
「ねえ、いっぱいの「い」を「お」に変えると?」
「えーっと、おっぱい?」
へっ。
僕は笑ってしまった。
よくある子供同士の下らないなぞなぞだ。僕は朦朧とする意識でそれを聞いていた。あれは同じ6階に住む……隣の柴崎さんとこの兄弟じゃないか。小学校3年生か4年生か、そのくらいだった筈だ。いつもうるさいんだよな……。
って、ダメだ。上がってきたら。この階段をいくら上っても、6階にはたどり着けない。……ここは無限に続く5階なんだ。君達、上がってきたらダメだ……。
止めなければと思ったが、疲労が激しくて声が出ない。すると、僕の耳に子供たちの声が聞こえた。
「ブブーッ」
僕もつぶやく。
「そう、ブブーッだ」
……そう、はずれだ。はずれ。おっぱお、だよ正解は。僕は脳裏でそれを繰り返しながら意識を失いそうになっていた。
子供達は、階段の途中で寝転がっている僕を見てビックリしたようだが、僕があまりに青い顔をして死にそうになっているので怖くなったのか、声もかけずに階段を駆け上っていった。僕には止める気力もなかった。
「ただいまー」
ガチャン
………………え?
階上から聞こえてきた声に、僕は耳を疑う。
な、なぜ?
なんで、帰れるんだ家に。5階の筈だ。僕は慌てて立ち上がり、階段を駆け上がった。
そこは……6階だった。
消火器もある。僕は自分の部屋に走りよって、ドアノブに鍵を差し込む。カチャリ。開いた。間違いない、自分の部屋だ。僕は部屋に入った瞬間に気が抜けて、ぶっ倒れた。意識はすぐにとんだ。
*
ジリリリリリ……
電話の音で飛び起きた。時計を見る。まだ午後1時……たいした時間寝ていたわけではないらしい……。
僕はまわりを見渡した。頭の中にあの悪夢のようなファンファーレは鳴っていない。そして何も増えてもいない。窓から外を見ると、ちゃんとここは6階の高さのようだった。
……夢……だったのか。
窓から遠く向こうに、ツインタワー……いや、シングルタワーが見えた。見慣れた風景だ。
家に疲れて帰って、それから見た夢だったのだろうか。でも、ポケットにはコンビニでアイスを買った時の領収書が入っていた。アタリかどうかわからないが。ペットボトルのお茶も、途中で飲み干したのか、それとも落としてきたのか、手元には無かった。
僕はなんとなく思った。
柴崎さん家の子供が口にした言葉、あれが鍵だったんじゃないだろうか、と。「ブブーッ」そう、ハズレ、だ。アタリの世界を抜け出す呪文だったのだ。あれで、全てが元に戻った……。
ジリリリリリ……
まだ鳴り続けている電話に、出られる程度には元気が回復した。全く、しんどい一日だった。
「あ、もしもし、ヒロキ?」
ユキだった。病院かららしい。小声だが、嬉しそうな口調だ。
「どうした、ユキ? 身体は大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫。ねえ……ビックリしないで聞いてね?」
「なんだよどうしたんだ」
あんな経験をした後だ。今日はもうきっと、これ以上ビックリすることなんかないだろう。
「……ヒロキ、お父さんになるよ」
…………。
………………。
……………………。
なんだって?
「……本当に?」
「うん。できてた」
「…………でかした」
ユキは笑い転げた。
「うん。ありがとう」
今日の悪夢のことなんて、すっかり吹き飛んでいた。
「ユキ、今から迎えに行く」
「え、いいよぉ。一人で帰れるって」
「お前ひとりの身体じゃないんだ」
「もう。バカなんだから。それ言いたいだけでしょ?」
「わかった? ……まあいいじゃないか。暇なんだ。二人で何か食べよう」
「うん」
「……なあ」
「何?」
「名前、考えなくちゃな」
「もう、気が早いって」
その時僕の耳にあの音が聞こえた気がした。
「……2人分」
「……え? どうして?」
「たぶん、双子だと思うんだ」