ショートショート・イケメン男性との同棲は甘くない
1.
秋月美香は25歳の非正規雇用のOLで、駅から遠く古びたアパートの狭い一室にひっそりと暮らしていた。
居間には、ちゃぶ台の上にテレビが置かれている。
美香の顔立ちは整っているとは言えない。
男性に声をかけられることはまずなく、デートの経験は皆無に近い。
安月給で家賃や生活費を払えば貯金など夢のまた夢であり、結婚は考えていなかった。
唯一の慰めは、スマートフォンを使ってイケメン男性の顔写真を集めることだった。
しかし、街中で堂々と見知らぬ男性の顔を撮れば、すぐにトラブルになってしまう。
体育館やプール、スポーツジムでは盗撮が厳しく禁じられている。
ある日、駅前の交差点を歩いていた美香は、目に留まった美男子の顔写真をスマホで撮ろうとした。
突然声がかかった。
「おい、何で写真を取るんだ?」
美香が顔を向けると、すぐそばにある交番の警官だった。
「交番を写真に取っちゃいかんぞ」
「いえ、その男性の写真です」
「ああ、指名手配のか。指名手配の写真なら取ってもいいぞ。そうですよね。部長?」
警官は交番の奥にいる巡査部長に目で確認を取った。
「ああ、指名手配なら一向に構わん。ただし交番の中は絶対に駄目だから」
「ありがとうございます」
美香は指名手配の男の顔を写真に収めた。
事件は横領らしいが、美香には何の関心もない。
2.
そんな日々が続いたある日のことである。
美香の部屋のドアを、軽くノックする音が響いた。
「どちら様ですか?」
「隣に越してきた滝沢というものです」
ドアを開けると、そこに立っていたのは若いイケメン男性であった。
黒いプラスチック製のフレーム眼鏡が、どこか知的な印象を与えている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
美香も礼を返した。
滝沢は働きに出る様子もなく、来訪者もほとんどない。
ただ買い物に出かけるだけの生活らしい。
女がいると美香は想像したが、その気配はまったく感じられなかった。
3.
ある夜のこと。
美香は仕事を終えて帰宅すると、巨人阪神最終戦をテレビで観戦していた。
この試合で巨人が勝てば、リーグ優勝が決まる大一番である。
(トントン)
ドアがノックされた。
「どちら様ですか?」
「滝沢ですけど、テレビが壊れてしまったので、野球を見せてもらえませんか?」
「どうぞ、どうぞ」
美香は自然な笑みを浮かべてドアを開け、滝沢を部屋に招き入れた。
「すみません。これ、お礼の代わりに持ってきました」
滝沢は缶ビールを差し出した。
自分用のものも持参している。
美香は恐縮しつつも、野球を観ながら滝沢と乾杯した。
「今日、巨人が勝つとリーグ優勝ですね。あなたはどっちのファンですか?」と滝沢は訊いた。
「わたしも巨人ファンです」
「それは気が合いますね」
試合はすでに終盤、巨人が2点差で負けており、8回裏まで無得点の状態であった。
「あと、一回で逆転できますかね」と美香が問う。
「2点差じゃ、まだ分かりません。たとえ負けてもあと2試合残ってる。あと1勝するか、2位のチームが負ければリーグ優勝です。でもこの試合で決めてほしいですね」と滝沢が解説した。
「え?なんで、また」と美香は不可解である。
「それは秋月さんと祝杯をあげたいからですよ」
美香は滝沢が自分に好意を抱いているのではないかと考えた。
その試合は、9回裏に劇的な逆転サヨナラホームランが飛び出し、阿部監督が胴上げされた。
「やりましたね!」
美香は冷蔵庫に備蓄してあったビールや簡単なおかずを惜しげもなく取り出し、滝沢とともに祝杯をあげた。
その日から二人は同棲を始めた。
4.
滝沢は働いている様子もないのに、なぜかコンビニのATMからカネを下ろしている。
「明さん、なんでそんなにお金があるの?」
「両親が早く死んだから、生命保険金が6千万ほど」
「でもブラブラしてちゃ駄目よ。仕事を探してね」
美香は滝沢が定職についたら、正式に結婚してもいいなと思うようになった。
美香は滝沢と二人きりで過ごす時間に胸を高鳴らせていた。
美香はこの日のために少し背伸びをしてレンタカーを借りた。
美香が運転して、助手席には滝沢が座る。
「今日はゆっくりドライブしたいわね」
美香は高速道路に車を滑り込ませた。
しかし、心地よい緊張感はすぐに恐怖に変わる。
背後から、赤と青の光が瞬き、サイレンが耳をつんざく。
「その車止まりなさい」
後方から響く命令に、美香は咄嗟にブレーキを踏み、窓を開けて免許証を差し出した。
「一体どうしたんですか?わたしは違反なんかしてないですよ!」
警官たちは冷徹な視線で車に近づき、助手席の滝沢を見つめた。
「その男の人も降りなさい!」
滝沢は静かに車から降りた。
警官たちの視線が、彼の顔に穴を開けるかのように注がれた。
「警察署まで同行願います」
署内の冷たい空気の中、二人は別々の部屋に通され、取り調べが始まった。
「一体これはどういうことですか?」と美香が聞く。
「あの男は横領の容疑で指名手配されているんだよ。あんたは犯人隠匿罪で調べているんだよ」
「何ですか。犯人隠匿罪て?」
「あいつみたいな指名手配犯を匿うことだ」
「わたしはそんなことは知りません。最近、同棲したばかりです」
そのとき、別の刑事が部屋に入る。
「おい、あいつの指紋から、横領で指名手配されている高梨良房だとわかった。逮捕したぞ」
「ちょっとスマホを貸してくれますか?」と美香を犯人隠匿罪で疑っていた刑事が言った。
「いいですよ」
刑事は画面をスクロールし、画像を確認する。
「随分、男の顔写真が多いな」
「ちょっと趣味で集めてまして」と美香はバツの悪そうな顔をしながら答えた。
彼女は重大なことに気づいた。
指名手配犯の写真を撮ったのを思い出したのだ。
もしそれが高梨良房だったら、言い逃れできないだろうと、美香は覚悟を決めた。
だが刑事がいくら調べても高梨の写真は出てこなかった。
「あんたは帰っていい」
刑事は美香への疑いを捨てた。
彼女は自宅に帰るとスマホを見て、指名手配の写真を探してみた。
撮ったはずの指名手配の写真が消えていた。
念のために交番の前に行き、撮った写真を見た。
「横領、高梨良房。逮捕ずみ」
誰かが彼女のスマホを見て消したのだ。
美香は誰だか考えてみた。
消したのは同棲していた高梨良房しかいないと気がついた。




