8.
「ヤン・チェンシーに命ずる。そなたはこれより、
天宝帝の養女とする。狼の国ウテュケンの王に嫁ぎ和親公主としてこの国の為に尽くす様に!」
謁見の間に響きわたる宰相の言葉に私は動けずにいた。
玉座に座し御簾で顔が見えない王に不敬だが、思わず立ち上がって叫んでいた。
「そ、それはどういう事ですか!?」
「ヤン・チェンシー!!帝の前ぞ!なおれ!」
周りにいた兵士に肩を掴まれ無理やり跪かされる。
朝、起床したらすぐに呼び出されこの状況となった。
「かねてよりウテュケンの王から、和親公主を寄越せと言われておった。これ以上の国境の小競り合いを続けるのであれば大群を向けるとな。帝の尊い姫君を野蛮な突厥に嫁ぐなどあってはならん事である。だが、ヤンよ。これは大いに名誉なことぞ。この龍の国長安の安寧を支えるのは御主に掛かっておる。」
「では何故私にっ…!」
「簡単な事だ。突厥の言語を訳す事なく理解でき、外交上の動きもわかるであろう。これほどの大役を外交官の娘しかできぬ」
やっと理解できた。自分の推薦人の理由を。
「では何故秘密にするのです。私は和親公主の事は聞かされておりません。父の立場であれば勅命がかかれば私を差し出したはずです。それに養女になれば秘密所ではないのでは…?」
父からはこの様な話を聞いていない。妃候補として立派に勤めを果たせとしか…
秀女まで行い私が後宮に入れるよう回りくどいことなどせず、ただ勅命すればいい。公にしない理由が分からなかった。
ガタガタと体が震える。あまりにも予想できない状況に頭が混乱する。
突厥は、とても凶暴な騎馬民族で国境の村々を襲い全滅にした事も伝え聞いている。
そして北の大地の覇者でこの唐と同等ほどの力を持つ。
「ええい!!こやつ!帝の決定に文句を申すか!?本来なら反論した時点で打首にしてもおかしくないのだぞ!」
宰相の男が大声を上げ勅書の巻物にシワがいく。
そこに――――――
「楊国忠。下がれ。」
御簾の向こうから一言声が聞こえた。
名を呼ばれた楊国忠は横に傅く。
御簾から貴妃殿下に連れられ天宝帝が現れた。
齢60以上の老齢の王は未だ威厳のある出立をしていた。長身で姿勢が良く鋭い目つきをしていた。
貴妃はチェンシーに一瞥した後、帝のそばに控える。
昨日見た時よりも化粧をしており可憐で美しい。
すぐにチェンシーは平伏し顔を伏せた。
「チェンシーよ。そなたの問いもわかる。この様な形になったのは、この王の為だと思ってくれ。古からこの龍の国と狼の国は争い合っておった。数々の姫を送り失敗もあれば、和平に繋がった者もいる。和平に繋がれば多くの民が助かるのだ。今回の要請は我らの悲願でもある。和親公主とはとても重要な役目であるのだ。」
「心得ました。とても大切な役割である事は…」
「養女の件は公にはせぬ。あくまでも突厥の前でだけ名乗っておれ。この事を知っておるのはごく僅かな忠臣のみだ。」
つまり形式上だけの立場というわけね…
「秘密裏にした理由は和親公主自体を反対する者が非常に多いと言う事だ。いっ時の和平などこれまでの歴史を見れば分かる。ほんの僅かな時だとな。意味の無いものと思っておる者もいる。だが、日に日に国境から届く知らせは目をつぶる惨状と聞く。また群臣達を納得させる時間も無い。秀女を行い後宮に大勢の宮女を入れ誤魔化す必要があった。全ては愛する貴妃を守る為だ。すまないとは思っておる。」
徐に帝はふらつかれた。すぐさま貴妃が体を支える。
周りの者達がざわつき出す。
「陛下、そろそろ…」
「うむ。では、チェンシーよ。三日後には出立をするように。」
天宝帝は御簾の奥へと消えていった。
若かりし頃の名君から1人の女を愛する暗君と噂される人と聞いた。一言で言うならそうなるかもしれないが、そこには何ものにも変え難い愛情しかないのだと感じた。
「陛下はお体が悪くなられたのですか?」
「お前が心配する必要はない。この国の人間ではなくなるのだからな。今すぐ部屋に帰る様に。周りの者にはこの事は悟られぬようにな!」
宰相は冷たく言いシッシッと手を動かす。
この人以前から評判の悪い人だと市井にまで噂されてた人だわ…
「仰せのままに」
チェンシーは言われるまま部屋に戻された。
ワンが待っており、耳元に顔を近づけ小声を出してきた。
「チェンシー様。私もお供いたします。」
「ええ!!」
思わずチェンシーは大声を出してしまった。
「チェンシーさま!」
「ごめん…でもとても危険な所かもしれないよ。国にだって帰ってこれないと思う。」
「元々私には親など居ません。運よく私の器量を気に入ってくださった名士の屋敷の方が宮女にしてくださった身です。後宮から出れるのならどんな理由でもいいのです!何より面白そうです!!!」
最後の一言が本音だと感じた。
「面白そうって…私はちっとも面白くないわ。父様にも家の者にも一生会えなくなる。公にされて行くわけじゃないもの。それに……」
マーフの顔が出てくる。
私の大事な人。
突厥と胡人が繋がっているかまでは私は知らない。
ましてや突厥の宮がどんな場所かも分からない。
北の大地は何もないと聞く。文化も環境も言葉も未知の世界。そんな所で生きていけるのか…
「チェンシー様、こんな私でもわかる事があります。ここにいれば一生何も出来ず終わるのです。このニ年間で分かるほどに…ここは残酷な場所です。むしろとても喜ばしい事なのですよ。」
ワンはチェンシーの手を握りしめる。
「チェンシー様お一人にはさせません!!」
「ワン…。」
私よりも歳若くか弱い子かと思っていたが、むしろ私よりも芯の強い子だと感じた。
そうよ、帝が言っていた様にどんな形であれ和親公主が行けば戦にならなくなる。それは大勢の人間が死なずに済むのだ。
マーフはこの国の人間ではないが胡人と長安は密接に関わった関係。戦になればマーフだって危ない。
それに父様や家の者も。
「ワン。私についてきてくる?」
「もちろんでございます!」
2人は手を取り合い笑い合った。




