25.
次の日、朝起きるのとエシンの姿は既になかった。恐らく婚姻の儀の準備や西突厥の事などで貴族を集め会議をしなくてはいけないのだろう。
私も、早速ワンとヤルカに手伝ってもらって支度をし
、マーフに会いに行こうと天幕を出ようとした所兵士に止められた。
「チェンシー様、お許しください。元徳様からのご命令でチェンシー様を一歩も外に出してはいけないと言われまして…」
「どうして!?」
公主である私の方が立場的には上なので元徳の命令など聞く必要がないと思うのだが、兵士は動かない。
「チェンシー公主様。部屋に戻ってください。」
元徳が兵士の後ろから現れた。
「元徳、どういうつもりですか!私を外に出しなさい!」
「これはあなたと突厥の為でもあるのです。婚姻前にどんな理由であれ婚姻相手以外の異性の者に会おうとするなど言語道断です。余計な噂など立たせない為にあなたの言う事は聞けません。明日の婚姻の儀まで大人しくしていてもらいます。」
私の考えはお見通しと言うことね…
まぁ、あのままお別れなんて普通嫌だもの。私の性格を分かってきている元徳ならすぐに考えつくのだろう。
本来なら元徳の言い分は正しい。婚姻前は極力家族や婚姻相手以外の男性に会うはことは許されない。
でも…私は前に進む為にもその規則は破らねばならない。ここで抗った所で元徳は絶対に譲らない。
どうすれば…
「チェンシー様、仕来たりは遵守すべきです。お部屋に戻りましょう。元徳様ご安心くださいませ。私達が見ておりますから。」
「え!?ちょっとヤルカ?」
ヤルカに諭されながら引っ張られ部屋に戻された。
部屋に戻って垂れ幕を降ろした瞬間、ヤルカとワンが私に向き直った。
「「チェンシー様!私達にお任せください!」」
ワンとヤルカがやる気に満ちた目をしていた。
「本来なら私の立場であれば止めるべきだとは思いますが、チェンシー様にはキッチリとエシン様に向き合っていただく為にもご協力いたします。」
ヤルカは2人の仲を取り持ちたいと思っているようだった。
「私は単純に面白そうだからです!」
「やっぱりそうよね!」
ワンは野次馬根性で協力してくれた。
「すみません。つい本音が先に…。ゲフンゲフン。チェンシー様がお困りなら手助けすべきと思ったのです。」ワンの白々しい発言を聞き流した。
「というか2人は何で分かったのよ。特に何も言ってなかったわよね。マーフとの事。」
「そんなの簡単です。盗み聞きしておりました。元徳様の天幕の仲の会話を。後はお二人の雰囲気から多少察しました。」
2人とも何の悪びれもない態度でとんでもない事を言った。
色々ツッコミたかったが、協力してくれるのなら何でもいいやと思った。
「とりあえず、一番厄介な元徳様は私が抑えます。ワンはチェンシー様を導くのです。」
「はい!ヤルカさん!2人で話し合った秘策を使いますね!」
怪しい笑みを浮かべる2人にちょっと怖いと思った。
「では早速行きます!」
ヤルカが元徳の元に向かって行った。
2人は何やらか話し合い、元徳の天幕に消えていった。
「どうやって連れていったの?」
「予め婚姻の儀の流れを把握されていましたヤルカ様が、儀式の不備を指摘されにいったのです!完璧主義な元徳様なら我慢ならないので修正に集中される事は予想済みです!」
お互いの性格を分かった上での高度なやり取りを臣下の優秀さにチェンシーは感服した。
「では!私は早速秘策を行いますね。」
そういうとワンは自分の天幕から干し葡萄をまぶし蜂蜜が掛かったヨーグルト入りのお椀を天幕の見張りの兵士に声をかけ、渡した。
兵士は嬉しそうにそれを食べた瞬間顔が真っ青になり掛けて行った。
「何よあれ!?大丈夫なの?」
天幕の入り口の布の隙間から様子を見ていた私はアワアワしているとワンが直ぐにこちらに来て、貴族の服から質素なワン達と同じ侍女の服に着替えさせられた。
そしてフード付きの外衣を上から着て顔が見えないようにされる。
「さぁ!これで邪魔者はいませんのでいきましょう!」
「ワン、さっきの」
「高級品の干し葡萄と蜂蜜に目が眩んだあの兵士が悪いのです!ちょっとだけ下剤をいれてありました!」
この時代干し葡萄は交易でしか手に入らず貴族しか食べていなかった。そして貴重な甘味である蜂蜜も高級品だ。
毒入りとはやり過ぎな感じだが、今は仕方ない。ごめんなさい兵士さん…
というよりここまでしてもらっているのだから絶対にマーフに会わなきゃ!
目立たないようワンが私を連れて山の頂から麓まで歩いていく。
何人か兵士とすれ違ったが、バレずに降りれた。
マーフがいる天幕はウテュケンから少し離れた場所にあった。周りには民衆の天幕があった。
少し緊張しながらも、外から声をかけた。
「マーフ、今いる?」
中から勢いよく天幕の布を捲られマーフが顔を出してきた。
「チェンシー!?何故ここに?」
驚いた顔のマーフがそこにいた。
「あなたと話をしたくて来たの。」
私の出立を見てマーフは直ぐに状況を察した。
「…分かった。入ってくれ。」
ワンは近くに控えてる。と言って離れていった。
マーフの天幕の中は貿易品が入った袋が沢山あった。そして懐かしの長安の品物もある。
「わぁ!絹やお茶、香水もある!」
基本突厥の服は王族以外はフェルトが多い。チェンシーの服はできるだけ絹だけで作ってくれているようだが、やはりフェルトと組み合わせているものも多かった。そしてその他のものは突厥にはない物である。
あぁ…お茶なんてしばらく飲んでいないわ。こっちでは、飲み物と言えば乳か馬乳酒ばかりだ。
それらに子供の様に興奮している姿を見てマーフは笑っていた。
「これらはこっちの貴族に飛ぶように売れる。全部チェンシーにあげよう。」
え!?と喜びかけたが、この品を見にきたわけではない。
改めてマーフの方に体を向けた。
「マーフ、あなたに話をしにきたの。…私は明日、婚姻の儀を経てエシンの可敦になるわ。」
マーフは悲しそうな目をした。私のためにここまで来てくれた罪悪感で胸が締め付けられる。
「君がその道を選んだ事には何も言わない。…一つ聞きたい。そんなにあの王が好きなのか?」
マーフの瞳を見つめ返した。瑠璃色の瞳は揺れていた。
マーフとの幼い頃の時間、成長してからの共にした日々。それらが一気に思い返す。
長安では、穏やかな時間を過ごしていた。マーフの帰りを待ち会えば西域の話を聞いて想像する。外の世界は私の知らないことばかり。
それを教えてくれたマーフ。
ふと、あのままの時間でマーフが婚姻相手だったらと考えた。穏やかで優しいマーフはいい夫となると思う。
けど、私は長安でずっとマーフの帰りを待っている事になるだろう。
共に行く事も出来るだろうが、胡人の旅はとても過酷だ。優しいマーフは置いていくに違いない。
そしてエシンの事を考えた。
ただひたむきに私を想ってくれた。
私を守ってくれた背中、好きになれと言われた時の笑顔。抱きしめられた時の匂い。
時間は短いが全てが私の心の中にある。
そして出会って間も無い頃、共に草原をかけた時の光景は忘れられない。自由で平等な突厥の世界。
生きていきたいと思える相手と世界だと思った。
「ええ。好きよ」
自然と口に出していた。
マーフは驚いた顔をしたが、目を瞑り直ぐにいつもの優しい笑みを浮かべてくれた。
「そうか。……けどごめん。俺も諦めない。俺はチェンシーが、好きだから」
マーフは、私の手を握った。
旅を重ねていった苦労を感じさせるごつごつした指が重なる。
「マーフ…!?」
「覚えているか?入宮前の夜。お互いを想いあったあの夜。あの時にちゃんと向き合うべきだったんだ。俺は選べなかった。…俺が不甲斐ないせいで。」
違う。マーフの選択は間違ってはいない。あの時はお互い抗えない状況だった。
私は突厥にくる運命だったのだと考えた。
「だが君が、俺の生きる理由だった。君の笑顔が俺を救ってたんだ。」
マーフの目を見た。握られた手が熱くなってくる。
マーフの想いが伝わる。
「…ごめんなさい。……ごめんなさい。」
私はマーフの手から手を離し下を向いた。
2人を選べる立場ではないと思っている。けど、エシンの顔が頭から離れないのだ。
目から涙が流れる。
恋焦がれた人が目の前にいる。今でも私はマーフが好きだ。
けど、あの真っ直ぐ見つめてくる赤い瞳の彼を支えたいと思った。ぶっきらぼうなところも、自分勝手な所も、私の事をどんな時でも真っ先に選んでくれた彼が好きだ。
暫くの沈黙のあと、マーフは私の頭を撫でてくれた。
「わかった。チェンシーが決めた事だ。受け入れるよ。…けど、君の事が好きで諦められない事は許してくれ。」
「マーフ…。ありがとう。」
「もし、君に何か酷い事があったら真っ先に攫いに行くから。ついでにあの王を抹殺する。」
「マーフ!?!?」
不穏な事を言うマーフに焦る。
そんな事になれば私から見たら地獄の様な光景だ。
「さてと、俺は今日にはここから発とうと思ってたんだ。元徳殿の言い分もわかるがやっぱり見てられないし。それに、彼のお陰で決心がついた事もある。それで最後に俺からの贈り物があるんだ。」
マーフは、立ち上がり部屋の外に出ていってから直ぐ戻って来た。
その手にはあの、白い花があった。
「それ!マーフが昔くれた花よね」
「あぁ、突厥に来た時に見つけて渡した花だ。覚えてくれてたんだな。また貰ってくれるか?」
「もちろんよ!」
テングリ・チェチェクの花を受け取り花の香りを嗅いだ。ほんのりと甘い香りがする。
「それ、近くの突厥人の子にどこに生えてる教えてもらったんだ。今の時期はほとんど咲いてないけど少しだけ咲いててよかった。」
「ありがとう…」
嬉しさと寂しさで胸がいっぱいになる。
「この花の花言葉も教えてくれたんだ…『大切な思い出』って言うんだ。」
その言葉を聞いた瞬間、マーフとのこれまでの時間が駆け巡る。
また涙が流れた。
「…素敵ね。」
この花がより一層好きになった。マーフが居たから今の私がいる。あの日々は大切な思い出である事には変わらない。
「後は、ヤン様に君の事情は伏せて別の場所にいると書状を送った」
「父様に!?」
長安にいる父は、きっと寺院に私がいると思っているだろう。
「ここにくる前にヤン様に会ったが、とてもやつれていた…。せめてもの君が別の場所でしっかりと生きていると言う事は教えて置くべきだと思ったんだ。」
父様…やはり心配でその様な事になっていたのね…
ごめんなさい。私はもう帰れないけど、父様の事はずっと想っています。
「ありがとう…。マーフ。あなたはどこにいくの?」
「……それは詳しく言えない。俺は一族を抜けてきたんだ。また前みたいには戻れない。でもやらないといけない事がある。俺にしかできない事が。」
マーフは決心したような顔をしていた。
「それは…隠してた髪を晒す理由に繋がるの?」
元徳の話し合いの後からマーフは髪を隠さなくなった。
前にマーフが西域にもこの髪の人間がいる、と言っていたがあれが本当の事なのかわからない。
突厥に向かう最中に色々な街や村を訪れたが、マーフほど美しい金髪を見た事がない。突厥人にも出会っていない。
何か理由があるはずだと思った。
「そうかもしれない…。けど言えないんだ。ごめん」
マーフは優しく微笑んだ後そろそろ戻ったほうがいいと見送ろうとしてくれた。
出口の前でマーフに呼び止められ振り向いた瞬間、抱きしめられていた。
「マーフ…!?」
「ごめん。少しだけ。」
強く抱きしめられていたがマーフの手は少し震えていた。
私が…傷つけたんだ…
でも中途半端な感情は持ってはいけない。
私は抱き返さず、マーフの腕の中で静かに受け入れた。
「マーフ…元気でね。」
「あぁ、また必ず会おう。」
2人は微笑み合い、私は天幕を出ていった。
1人残ったマーフヴァルドは、チェンシーが出ていった方角を見つめ拳を握った。
「今度は、君の知ってるマーフとしてではないかもしれないけど…」
そう呟いた。




