18.
エシンは阿波の前に来た時に確信した。
「人外の手と結んだか、阿波よ…!愚かな事を!」
灰色の顔になり白目を剥いていた。跨っている馬も同様でまるで石の様になっていた。突き出した手には何かを握り締めそこから黒い霧が発生していた。
黒い霧を晴らすため風の力を飛ばした瞬間、阿波はいきなり泥のように溶け出し一つの黒い塊になった。
そして徐々に形を形成し、巨大な蛇へと姿が変容した。
3メートルほどの黒い蛇がエシンに向かって飛びかかり、口の中から液体を飛ばして来た。
エシンが瞬時に避け、馬から降りる。馬は走り出し何処かへ行った。
液体が飛んだ地面は溶け出していた。
「人ではなくなったか!」風のかまいたちで蛇の体を傷つけながら近づき剣で斬る。
鱗が硬く、肉までいかず傷がつく程度であった。
蛇の攻撃と毒液を交わしながら攻撃を与える。
「かなり硬いな。これは時間がかかりそうだ」
汗を脱ぐっているとエシンの顔スレスレに矢が飛んでいき鱗に弾かれていた。
後ろを見るとチェンシーが馬に乗りながら矢を構えていた。
「チェンシー!?何故ここに来た!今のはお前か!?」
「そうよ!何とか当たった!理由なんて一つでしょ!あなたを守るためよ!」
「危うく俺にも当たりそうになったぞ…」
違う意味でエシンは冷や汗をかいた。
チェンシーが馬を降りようとした瞬間、馬がチェンシーの服を噛みながら、蛇の毒液を避けた。
「ひぇええ!何よこれ!?というか助けれくれてありがとう!」
「ブフーッ!」
馬がそのまま乗っとけ、と言わんばかりに鼻で返事した。
「そいつはアルプだな。そいつを乗りこなすには並の突厥人でも無理なのだが、というか何故チェンシーが乗れてるんだ」
「よく分からないの。この子とってもいい子よ!それよりそれをまず倒さなきゃ!」
蛇とエシンが警戒しながらお互いを攻撃しあう。
隙を見てチェンシーが弓矢で応戦するがあまり効果がない。
「あの鱗やっかいだわ…!何か他に手は!?」
草原地帯で使えるものなどないが、一つ気になる物があった。
アルプから飛び降り、石を拾う。
「アルプ!ちょっと離れてて!」
枯れ木を集め石と石を打ち、火をつけた。それを矢尻に火を灯し矢を放った!
火に触れた鱗に矢を受けた蛇はシューッ!!と声を出して苦しんでいた。
「火に弱いみたい!これならいける!」
もう一本矢を放とうとした瞬間蛇はこちらに向かって毒液を放っていた!
当たる!と思い目をつぶっていると体に衝撃を感じ倒れ込んだ。
目を開けるとエシンが覆い被さり私を庇い避けてくれていた。
「エシン!?」
「くっ…!少し掠ったか…!」
腕に毒液がかかり皮膚が溶け血が出ている。
私のせいだ!?
「これくらい大丈夫だ。気にするな!」
エシンは服の裾を破り腕に巻きつけた。
血がどんどん布を染み込み赤く染めていく。
このままじゃ私が足を引っ張ってしまう。どうすればいいの…!?
「あまり無理をするな。俺が守ると誓ったんだ。お前の夫となる男だからな」
エシンは私の頭を撫でた後立ち上がり蛇の元に走っていく。先程よりも剣捌きが鈍くなっている。毒が回り出していた。蛇は容赦なくエシンに攻撃し尻尾を思いっきり振りエシンを吹っ飛ばす。
地面に叩きつけられボロボロになりながらも起き上がる。
「エシン!?」
「来るな!!!」
エシンは蛇の前に立ち私から庇おうとする。
ただ見ているだけなの?
ただ守られているだけ?
子供の頃を思い出す。長安で一時数万人程の死者が出た流行病が蔓延した時があった。
病気が移った母は治療法もないこの病に侵されていた。母は優しく微笑み移してはいけないから来てはいけない。と、私を近づけないように部屋に入れなかった。父にせがんでもただただ首を振るだけであった。
ドア越しに母が吐血し苦しんでる声が聞こえていた。
少しずつ命が削られていく様子を聞いていた。
そしてある日顔に布を被せられた母の姿があった。
その後遺体は棺に入れ家の外へ連れて行かれる時に棺に泣いてしがみついた。
「母様!?母様!?連れていかないで!嫌だ!離れたくないよ!!」
私を父は抱き抱え2人で泣いた。大切な人を失った事。母の病気に対して子供だった故に何もできなかった事。母は1人でに死んだ事。
嫌よ…嫌!!!
何もできないまま人が死ぬのはもう嫌!!
エシンの姿が母と重なる。
感情が一気に抑えられなくなった瞬間背中から強烈な熱を感じ背中から光が照らしだす。
蛇が光に反応し標的を変えチェンシーの方に飛びかかり噛みちぎろうと襲って来た!
「チェンシー!?」
エシンは手を伸ばし駆け寄ろうとする。
蛇の牙がチェンシーを貫こうとした瞬間一気に光が辺りを飲み込み何も見えなくなった。
―――――――――――――
「あれ…?」
気がつくと何もない暗い空間に立っていた。足元は水に浸かっており、水の波紋が広がる。
先程の化け物やエシンが居ない。
周りを見渡すと1人の少女が後ろ向きに座っていた。その背中には大きな黄金の羽が生えていた。
白く長い髪が地面まで伸びていた。
「せっかく起きたのにもう死んじゃいそうじゃない」
少女が不満げに話しかけて来た。こちらに振り向きもせずため息を付いていた。
「あなた…ミスランね。死んじゃいそうって化け物相手に戦ってるのよ!こっちだって必死なのよ!」
何故か分からないが少女の態度に苛立ちを覚えた。
「何も出来ない癖に勝手に飛び出してきて、足引っ張ってる。馬鹿みたい」
「ばっ…!?何よそれ!そういうあなたは高みの見物ってわけ!?」
ミスランは挑発的な発言をしてくる。まるで嫌われたいかの様な言い方だ。
「そうよ。私はずっとずっと眠っていたかった。誰にも邪魔されず、誰にも干渉されず、永久に。」
「それって…」
魂が覚醒してこなかったのはミスラン自身が拒否していたのだ。
「皆が困っていても苦しんでいても知らないふりをしていたの?突厥の皆はあなたの覚醒をずっと待っていた。あなたに会いたいと願っていた人もいた。」
「そんな事どうでもいいわ。ワタシには関係ない」
冷たくミスランは告げた。
封印を解いた時のエシンの顔を思い出す。本当に愛おしそうに抱きしめてきた。
エシンだけでない、歴代の可汗達はずっとミスランの復活を待ち望んでいた。膨大な時間を彼らは費やして親から子へ継承してきた。
その彼らの事をどうでもいい、と言った。
この目の前にいる者はいったい何を言っている?
怒りが頂点に達した。
「あなたいったい何なのよ!!!いい加減こっち見なさいよ!」
ミスランの肩を掴み無理やり振り向かせた。
顔を見た瞬間固まった。深い瑠璃色の瞳から涙を流していた。それは星空の様な瞳だと思った。透き通る様な美しい瞳に魅入られる。
「ワタシは…人間になりたかった…」
ミスランはボロボロと涙を流し続ける。
「この力のせいで沢山の人を傷つけた…。ワタシは誰にも求められたくない…女神になんてなりたくなかった…!」
ミスランが心を閉ざした理由はわからない。女神が人を傷つけたという事なの…?
「それなら何で覚醒したの?」
「……」
「答えて。あなたは本当はずっと…人を救いたい気持ちがあったのでしょう。」
ミスランは顔を下に向けながら小さな声で呟く。
「……アナタがあんまりにも泣いていたから…」
「え?」
「放っとけなかったのよ…」
もしかして、母が死んだ時の事を言っている?
「あの時からアナタの側にいてあげようと思ったの」
人を傷つけたくないから近づきたくないって言っていながら人の側に居たい、矛盾している感情に驚く。
神の慈悲深さと矛盾している感情が人間くさくも感じた。
それに苦笑いしながらミスランの手を握る。
手を握られた事に驚いたミスランが顔を上げチェンシーの目を見た。
「人になったって何も救えなかったわ。ミスラン。私には力が無い。ただの漢人の娘よ。でもあなたには力がある。人と神、どちらかじゃなくてどちらも、じゃだめ?」
ミスランが目を見開いている。
人と神の共存。そして人とも神とも言えない存在になる。
「ミスランをずっと探してる人がいるの。あなたを大切に思ってる人が。あなたが私の側に居てくれた様に、私もあなたを大切にしたいの。」
子供の頃からずっと私を見ていたミスランが愛しくも感じた。
エシンはまだきっとミスランを求めてる。
2人は私を守ってくれた。それなら…2人を助けたいと思った。
多分私はエシンの事も好きになりかけてたんだと思う。
でも自分の感情なんかより2人を会わしたいと思った。
ミスランはチェンシーとの握った手を見つめる。
「クルト…。」
ミスランは一筋の涙を流した。その名前を聞いた時にすぐに過去の風の狼の名だと気づく。
「ありがとう。チェンシー。アナタは優しいわ。そんなアナタの側にいれてよかった。やっぱりワタシはアナタが好き。どうしようもなく愛おしい存在よ。」
ミスランが笑顔を向けて来た。その笑顔は清廉で純潔さを感じさせた。
ミスランは目を瞑り、手を重ね指と指を絡ませてくる
「ワタシとチェンシーは同じ存在になるの。溶け合って混ざって一つになる。さぁ、願って。守りたいと。」
手を繋ぎお互いの顔を近づけおでことおでこを当てる。
生まれた時から一緒ではない。お互いを尊重し心から思い合った瞬間一つとなったと感じた。
全身を暖かな光に包まれていった。
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エシンが叫んだ瞬間、蛇の体を強力な光線が貫いていた。
穴がぽっかりと空き、そのまま崩れ落ちた。
エシンの目の前には、金色の羽が生えたチェンシーが腕を突き出し立っていた。髪色が白色に変化し瞳が深い青色をしており息遣いが荒くなっていた。
「チェンシー…お前…」
女神ミスランの姿と被る。黄金の羽と白い髪、数千年ぶりの記憶。
蛇はそのまま灰となり消えて行った。
エシンは直ぐにチェンシーに駆け寄り抱き寄せた。
チェンシーの姿はすぐにいつもの姿に変わった。
「エシン…今の…」
「ミスランの力だろう。かなり無理をしたはずだ。今は休め」
エシンの腕の中で意識が途切れだす。
薄れていく意識の中で、あの少女が語りかけて来た気がした。
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