9.
三日後の明朝、見送る者もなくヤン・チェンシーは突厥の王がいる狼の国へと出発する。
僅かな天宝帝の忠臣の兵と共に輿に乗せられた。これから長安でのヤン・チェンシーは療養のため後宮を出て、寺院に預けられ俗世から離れる事となる。そして…国境を超えた先では、天宝帝の養女としてのヤン・チェンシーとなる。
同姓同名での別人として。
あまり人目につかないよう明朝の出発となり、外は暗い。ワンから冷えるとよくないと毛布を肩から掛ける。
まだ春の明朝は冷える。
「これからどうなるんだろう…」
王の命令とはいえ嫁ぎ先の王を騙す様な形での婚姻である。上手くいかなければ死罪と報復からの戦が開戦されるだろう。
長安の群臣への説明では、献上品を持って行った宮女がたまたま見初められ貢女するっていう手筈らしい。
婚姻が成立すると考える官僚がいるのかはわからないが、それで戦が無くなるならなんでもいいと判断されそうである。(あまりにも突厥を舐めすぎてる気もする)
「父様…お手紙送るお約束できず、申し訳ありません。」
寺院に入るという手筈になっているので、長安でのチェンシーは俗世の者ではなくなる。生きているが死んでいる様な扱いとなる。
きっとひどく落ち込むに違いない。これまでの私が私で無くなるのだ。
マーフとはもう…でももう自分で決めた事だ。誰も知らないまま私は国を守りたいと考えた。感傷して涙が出てきた。
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「チェンシー様、国境を超えました!あと少しですよ」
輿の外にいるワンが話しかけてきた。
長安を出て途中早馬に輿を引っ張らせたりなどし時間を短縮させなんとか1ヶ月半程の旅であった。本来なら徒歩で3〜4ヶ月ほどかかる距離である。
険しい山道を登ったり道が悪く乗り物酔いで苦労した。山を超え谷に出た後草原地帯に出た。近くの小川で休憩を取ることにする。
輿から外に出て固まった体をほぐす。
「うーん!!体が痛い…こんなに遠いなんて。」
普段鍛えているからと言って、周りは忠臣の兵達もいる。普段の様相を出すとまずいと判断し大人しくしていた。
「チェンシー様、もう少しですよ。後三日程歩きましたらウテュケン山の麓に着きます。」
突厥王はウテュケンの山の麓に住んでいる様である。
ウテュケン山は、オルホン川が流れ出るハンガイ山脈にある。ウテュケンの意味は「聖山」となる。
草原地帯は乾いた土地が多いが、ハンガイ山脈は森が多く小川や水が豊か、気候が比較的温和なため昔から遊牧民が住み着いてきた。そして突厥の聖地となる。
食事を終え、他の者たちから離れ草原の方に行く。ワンが近くに控えていた。気を遣ってか1人にしてくれている。
どこまでも続く平地と山々が連なる光景が美しい。
長安と違い畑や農家といった家がない。遠くの方に白く丸い天幕が見える。そして周りには小さく羊の群れがいる。遊牧民の大地だ。
和親公主に選ばれてきた姫はどうなったかは漢人側に情報があまりない。
彼女達がこの場所で幸せになれたのかもわからない。
でも共通している事がある。国を背負ってやってきている事だ。不思議と私はこのどこまでも果てのない大地と山々を見て嫌いではないと思った。
マーフが語っていた光景だからか、あのどこかの草原で詰んでくれた白い花を思い出してか。
心地いい風を感じる。
突厥の王を見てみたいと思った。この大地を馬に乗り掛ける王を。
「勝手に離れられては困りますよ。公主殿」
後ろから声をかけられ振り返ると1人の男が立っていた。
「元徳様」
「様はいりません。不自然ですよ。公主の立場であれば。そろそろ頭を切り替えてください。チェンシー公主殿」
長身痩せ型の体系をしており文官の服装をしている。だが、顔立ちが鼻が高く目が切れ長である。漢人の顔立ちとは違う。
阿史那 元徳は、齢30歳程の突厥と胡人の混血である。長安育ちだが、突厥と漢人の文化を精通しており突厥語も話せる。今回の婚姻の関係で朝廷側から派遣された官僚である。数少ない私の正体をわかっている人間だ。
「ごめんなさい…そうね。気をつけるわ」
「ウテュケン山の近くに来るとそろそろ迎えの兵士が来ます。そうなれば、残るのは私とワンだけになる。ここまで来た長安の忠臣は引き返します。いわば我らを守る者が減る。気を引き締めてください。」
元徳は、頭の切れる男である。天宝帝は、もしもの時のためにこの男を回してきたのかもしれない。
休憩していた使節団の元に戻り支度をしていると、遠くの草原から馬に乗った10人程の集団がやってきた。
よく見ると武装している様に見えた。
「あれは誰かしら。もしかして迎えが来たの?」
「…いやあれは!?公主殿!今すぐ籠の中へ!」
横からワンが無理やり私を押し込み籠の中に入れられた瞬間、長安の兵士が悲鳴をあげた。
「うぁああ!!」
「なっ何!?」
「チェンシー様!顔を出してはいけません!今矢を向けられております!」
ワンのただ事ではない声が事態の深刻さを感じさせた。
迎えかと思った集団は次々と矢を発射しながら近づいてくる。そこに長安の兵士たちが反撃する。
何故自分たちに向かって攻撃してくるのか理解ができない。それに騎馬民族の攻撃は統率が取れており次々に味方の兵士がやられていく。
このままじゃ外にいるワンや元徳まで危ない!
私も外に出て応戦すべきか、だがその場合味方の兵士が混乱してしまう。
どうすればいいの!?
焦り出した瞬間、別方向から5、6人ほどの新たに馬に乗った武装集団が現れ私達を襲っていた集団を攻撃しだす。
「お前達!コイツらを1人残らず逃すな!」
1人的確に命令を出す馬上の男がいた。
男の命令による統率の取れた連携によりあっという間に最初に襲ってきた者達はやられていた。
「どういう事なの?同じ突厥の者達に見えるけど」
「分かりません。公主様。今は大人しく籠の中にいてください。私があの者に話しかけますから」
と、元徳に外に出かけていたら頭をグイッと中に入れられた。
辺りは落ち着きを見せ、騎馬民族の死体が転がる。
その中を元徳が歩き、先程命令していた男の元に行く。
「助けていただき心から御礼申し上げる。我らは突厥王に参謁するために、長安から参りました。いきなり襲われた故我らも状況がわかっておりませぬ。」
「ああ、何とか間に合ったみたいだな。だが、何人かはやられてしまったみたいだな。遅れてすまない。コイツらは今回の婚姻を破断にするつもりできた者達だ。」
「なんと…!賊ではなく突厥内部の者ですか?では我々は殺されていたかもしれぬと!」
「うぅむ…遅かれ早かれ分かることだし今事情を伝えても良いかもしれんな。今悪いが俺たちも一枚岩ではないってことだ。東と西に分かれて王を決めてる最中だ」
男は笑いながら高らかに答える。
「では…内紛状態だと?信じられん!その様なことは何も聞かされていない!!それよりも……貴殿はどういった方なのですか?」
飄々とした男に元徳は訝しげに問う。
「あぁ悪い名乗ってなかったな。こんな状況だが、突厥王を名乗っている。阿辛勃可汗(エシン ボル カガン)だ。」
可汗は突厥の言葉で王という。
長身で肩幅が広く筋肉質である。狼の毛皮の外套と青い絹の衣を纏い金の帯で留めている。弓と剣を帯刀している。
風に靡く黒髪は背中まで長く自然に流れている。まるで悠々と大地を掛ける黒狼の様な美しさを感じさせた。
男は自信ありげに微笑する。その目は血の様に赤い目であった。




