真実の愛にがっかりしました
その事件(生徒比)は、昼休みに中庭で起きた。
「おまえより、メルのほうが可愛い」
学園でも有名なカップルを眺めて、令嬢たちは思った。
知るか。
男のほうはカール、そのカールにくっついているのがメル、そしてふたりの前にいるのがロッテである。
カールは伯爵家、ロッテもカールの家と同等の伯爵家、メルは男爵家に生まれた。
そのカールとロッテは同じ階級の家として息子と娘を婚約させたものの、反抗期のカールがメルに靡いた。その結果がこれである。
「だいたい親が勝手に決めた婚約で、俺はおまえなんかこれっぽっちも好きじゃないんだ」
カールの言い分に、野次馬の男子が「言ってやれ!」と野次を飛ばしている。
カールの言い分に、中庭にいた女子は「なにあれ」と白けている。
温度差がひどい。
「メルは俺が心を許せるたった一人なんだ!」
男子はまた「いいぞ!」と野次を飛ばす。
女子はさらに「は?」と白ける。
広がり続ける温度差。
「伯爵令嬢だからってお高くとまった可愛げのない女なんか願い下げだ!」
男子の笑い声と女子の軽蔑の視線にもはや緩衝地帯はない。
「俺の子供はメルが産む!」
いいぞと囃し立てる男子の野次と、女子のドン引き。
「放課後、カール様のお父さまとお母さまにご報告に行くの」
ここに来て初めてメルが発言し、男子のなかには「熱いね!」と言う声もあったが、男子のなかにも明らかにドン引きする者が出た。
「……ご報告って、交際を?」
首を傾げたのは東の国から来た留学生女子だった。
「はい、赤ちゃんができましたので、認めてくださいませと、ご報告に行きますの」
「これこそ、真実の愛だ!」
野次っていた男子が、さすがに静かになった。
事件(生徒比)が、完全な「カールがやらかした事件」になった瞬間である。
ロッテが黒光りの虫を見るような目をカールに向ける。
「分かりました、うちの両親にも伝えておきますね、婚約は、なかったことにしてください」
「え、なんで俺が振られた感じになってるの? 俺が、おまえを、振ったんですけど」
男子も女子も、「いや、おまえが振られたんだよ」と、心の声が一致した。
ただ一人、東からの留学生女子を除いて。
「この国では、真実の愛が軽いのね」
東からの留学生女子、リアはとてもがっかりして俯いていた。
軽い。
そう言われてしまったカールとメルがリアを見つめる。
「軽くなんてないわ! 大変なのは覚悟してるもの!」
メルの言葉にリアは心の底から残念そうに顔を上げた。
「……真実の愛って、わたくしにとっておとぎ話みたいな憧れなのに、結婚もしていないのに子供ができたっていう汚らわしいことが、この国では真実の愛になるのが、残念なだけなの」
「汚らわ……」
カールとメルはリアの言い分にひきつった。
「あ、あなたの国の真実の愛は、どんななのよ」
メルの言葉にリアは目を見開く。
「聞いてくださる? わたくしの国では、愛を貫いて恋しい人のために命も差し出すのが真実の愛なのです! ある書生は太守の娘と恋をして、太守の娘が親の決めた許婚に嫁ぐその日まで彼女を思いながらも病に倒れて死んでしまうのですけれど、太守の娘はその書生を想って嫁ぐ前に書生の墓に寄らせてほしいと懇願し、彼女がその墓までたどり着くと、墓が割れて死んだ書生が彼女を迎えに来るのですわ! ふたりは手に手を取り合って、蝶になって結ばれるの」
墓まで追う女と、墓から迎えに出る男。
それだけ聞くとホラーである。
「別のお話しでは、良家の娘が夢で書生と出会って恋に落ちますの。でも夢でしか逢瀬ができず、ふたりとも、その恋人が現実にいるとは思わないのです。夢で出会う書生恋しさに、恋の病にかかった娘は、自分の絵姿を残して死んでしまうのですけれど、旅の途中で彼女の絵姿を見た書生は、それが夢で逢瀬を交わした娘と見て、毎日その絵姿に声をかけていくうちに、その娘がまた書生の前に現れて、墓の場所を告げるのです。書生が娘に言われたとおり墓を掘り返し、娘は生き返って、書生と結ばれるのですわ」
夢でデートして両想いになったところまではファンタジーなのに、また人が死んでいる。
墓に来て墓を掘り返せと頼む女と、夢の女に言われたとおりに墓を掘り返す男。
これまた、それだけ聞くとホラーである。
「別のお話しは、天上の神々が良家の子弟子女に生まれ変わって恋をするのです。幼いうちに両親を亡くして男児の家に引き取られた女児は病弱で、親がすでにおらず病弱だからと、その恋が引き裂かれ、男児には別の許婚が決められてしまうのです。男児は、女の子はみんな澄み切った水のようにきれいなものだから、泥のように濁った男である自分が手を出してはいけないと、それはもう女の子たちに指一本触れずに清くありましたのに、恋仲のふたりはすれ違って、男児と許婚の婚儀の日にとうとう、女児のほうはたったひとりの侍女に看取られながら、その婚儀の賑々しさの裏で寂しく死んでしまいますの。男児はその恋人の死を知って、人生を儚んで出家してしまうほどに、彼女の死を悼むの」
プラトニックを貫いてなお恋人が死んで出家とは潔いと言うか狂気というか。
でも「女の子たち」というからには「彼女と許婚」の二股は変わらないんだな、と女子は思った。
「別の物語では、花街の女が良家のロクデナシと恋仲になるも、ロクデナシが花街で親からもらった全財産を使い果たして花街の女にも家族からも見捨てられますの。親に鞭打たれて追い出されて死にそうになったロクデナシが、物乞いとして、再び花街を訪れたときに、その花街の女は自分がこのロクデナシを物乞いにまで落としてしまったと、ロクデナシを助けて勉強させて、ついには皇帝にもその実力が認められるほどまで仕上げ、きちんとした良家の娘との結婚を進めるのです。ロクデナシだった男は名士になれたのはその女のおかげだと親に訴えて、親にも結婚を認めてもらえるようになるのです」
もう出だしからして男がロクデナシ呼ばわりなので、なにがどう真実の愛なのか分からない。
どう考えても、花街でお仕事の女に入れあげて全財産使い果たした男と、責任を取った女である。
だが、リアはそこで悲しそうにまた俯いた。
「この国にも、ひとりの姫に忠誠を尽くす騎士物語がありますでしょう? でも騎士は身分違いで姫との結婚を許されず、引き裂かれつつも愛を貫くお話しが、ありますでしょう? わたくし、そういう、美しい真実の愛をもっと知りたくて留学させてもらいましたの。なのに、泥のような汚らわしい男子が女子に手をつけて子供ができてしまっただけで、真実の愛になるなんて、汚らわしすぎて残念です……」
墓まで追いかけるホラーに、墓から呼び付けるホラー。
墓までは追わないが人生を捨てる男児に、落ちぶれた男を拾って育てる女。
もはや誰も、カールとメルの、やらせてくれた愛、と、できちゃったからもらう愛、はどうでもよくなってしまった。
ロッテが気を取り直したように顔を上げる。
「とりあえず、カール様、わたくしは両親に伝えて婚約はなかったことにいたしますわね」
ロッテが言えば、またリアが首を傾げた。
「そのあとはどうなりますの?」
「え?」
「婚約をなかったことにされるのですから、法廷が開かれたりしませんの?」
「法廷は……両家が納得しなければ、そういうこともありますわ」
「この国では不義密通の男女にはどのような処刑がされますの?」
リアがなにを言っているのかわからず、男子も女子も首を傾げる。
「あの、リア様の国では、例えば、不義密通は、どうなりますの?」
ロッテは興味本位で思わずリアに訊いてしまった。
「不義密通は姦淫罪ですから、女性は子供が流れて二度と子供ができなくなるように処置がなされます。男性は、切られます」
切られる。
カールがひゅっと息を飲んだ。
「麻酔はされないと聞いたことがあります。痛みで命を落とす男性もいるそうです」
最初カールに「いいぞ」と野次を飛ばしていた男子も全員が静かになった。
所変われば、である。
「リア様、こちらにおいででしたか。中庭は男子生徒も共用ですから立ち寄られませんように申しましたでしょう」
「あらチェン氏、この国は、男女にその差はないのよ」
「男女七歳にして席を同じくせずです」
「チェン氏は男ではないの?」
「残念ですが、わたくしはリア様の護衛であって、男と言うべきではないです」
「チェン氏はここの男子と同じ十八歳の男子でしょう?」
「姫様の護衛として育てられるため、後宮に引き取られたときに処置されておりますよ」
「……チェン氏は、もし今も五体満足だったら、女の子に手を出して責任を取って結婚するようなことはあったかしら?」
「そういうことがないように、男女七歳にして席を同じくせず、きっちりと、決められた相手以外の異性と触れ合う場がないように、分けられるのです」
チェン氏は厳しい男であるらしいと男子生徒は思った。
「女子生徒に手を出して子供ができたから真実の愛が証明されて、婚約者との婚約関係をなかったことにするのですって。私がおとぎ話で見た騎士物語の殿方たちと、ずいぶん違ったわ」
「そうでしょうとも。リア様が求める、どちらかの死や身分に囚われない献身で証明される真実の愛なんて、外の世界にもないことがわかりましたか? 留学は、今年で終わりでよろしゅうございますね?」
「チェン氏は、私ひとりの担当護衛よね?」
「当然です。後宮に引き取られたときから、リア様のためには命を捨てろと言われていますから」
「私、来年には宰相の息子に嫁ぐのよ」
「存じております」
「そうしたら、奥宮から宰相の息子がいる屋敷に行ってしまうのよ」
「存じております」
「チェンが私の護衛じゃなかったら、私はチェンが名士になれるようにいくらでも、なんでもするのに」
「わたくしがリア様の護衛になっていなかったら、わたくしはリア様に出会ってなかったと思いますよ」
リアがチェン氏を見上げる。
「私の護衛でなくなったら、妹の護衛になるのでしょ?」
カールとメルは、真実の愛をロッテに見せ付け、ロッテを婚約者に振られた女にするはずだった場が、なぜか留学生が求める真実の愛と、自分たちカールとメルの真実の愛が違うというクレームに晒されたうえ、リアとチェン氏の雰囲気に場のすべてを掻っ攫われ、さらにカールとメルが不祥事を包むために「真実の愛で結ばれた恋人たち」というポジションを作るはずの演出がリアの登場で曖昧になり、最終的に完全に「やった問題児とできちゃった問題児」で上書きされたことにまだ気付いていない。
そしてそのカールとメルの存在を忘れたロッテは、リアとチェン氏を眺めていて気付いた。
というか、ロッテだけではなく、女子生徒たちは、だいたいが気付いた。
外国にまで「真実の愛」を探しに来たリアは、真実の愛が見たいわけではなく、真実の愛をチェン氏に見せたかったのだ。自分の国ではきっと、おとぎ話だったのだろう。だから、外国にまで探しに来た。
それなのに、カールとメルにとんでもなく軽い真実の愛を語られてしまい、がっかりしたのだ。
さあ、どうするチェン氏!
女子の目が一斉にチェン氏に向いて、その去就を見届けようと瞬きも忘れている。
しかし、チェン氏は悲しそうにリアを見ていた。
「リア様が嫁いで行かれたあとは、わたくしはトンジャンに入ることに決めています」
「トンジャンは皇后が政敵の粛清に使う組織よ。チェン氏がトンジャンに行ってしまうのは、嫌だわ。死んでしまうような仕事になるかもしれないじゃない」
「トンジャンなら、リア様をお守りする役目をいただけるのですよ」
「チェン氏、あなたバカなのね。死ぬような役目があるのに、このまま安全に妹の護衛になるより、私を守るほうを選ぶなんてダメよ」
リアは一度俯いて、もう一度、チェン氏を見上げていた。
「この国にだって、真実の愛なんてなかったわ。だから、チェン氏は、トンジャンには行かないで妹の護衛になるべきよ」
リアと話しをしたことがなかったものの、ロッテは足を動かして、リアの隣に寄り添う。
「あなたが口を挟んでくれたおかげで嫌な目には遭わなかったわ。ありがとう。授業が始まるから、行きましょ」
「……ありがとう、そうね」
「わたくし、シャルロッテ・グリューネというの、あなたは?」
「リアよ、ジュ・リア」
「ジュリア様ね」
「リアよ、リアだけでいいわ」
「行きましょ、リア様」
「ええ、シャルロッテ様」
「ロッテと呼んで。わたくしもあなたをリア様と呼ぶわ。授業に行って、よろしければ、帰りは一緒にお茶をいただきませんか?」
「嬉しいわ、あまり、ほかの方からお誘いをいただくことがないの」
「今日はチェン氏はなしです! わたくしの家の侍女たちがおもてなししますわ」
「それは無理ね、チェン氏はわたくしの護衛なの、毒見もチェン氏の仕事なのよ」
「ではチェン氏は毒見のときだけ入っていただいて、ほかの時間は外で待っていていただけないかしら?」
「それならいいと思うわ」
シャルロッテがリアの肩を抱いて授業に向かい、野次馬たちも授業に向かい、カールとメルはなにがなんだか分からないまま取り残され、中庭の事件は不完全燃焼のまま、終息した。
その後、中庭の事件は、真実の愛宣言事件と、それを上書きした本物の真実の愛の話となって、女子生徒たちの親に語られた。男子生徒たちのほうは、ほぼすべてが「麻酔なしで切られる」という話しか記憶に残っておらず、特に父親に不倫相手がいる生徒は母に「自分は絶対に浮気や密通はしないようにします」と、真っ青な顔でその「東の国にある刑罰」を教えた者もいたという。
カールとメルは両家の親たちからロクデナシだの身持ちが悪いだのと罵られたが、真実の愛と言ってしまったことで、メルはカールがどれほどのロクデナシでも献身的でいられるのかを同級生から見られているような居心地の悪さを感じて不安定になり、カールはカールで、身を立てることもできないロクデナシと結婚するしかないメルを捨てるのかと、その真実の愛を周囲に見張られているような気分で引きこもりになった。
シャルロッテは、真実の愛はなくとも穏当な相手を望んで、親の持ってくる釣り書きを眺める日が増えた。
「リア様の婚約者はどんな方?」
シャルロッテはリアに訊く。
「宰相の息子で、本人もきっといずれ宰相になるのよ。二十六歳でダンファ合格」
「ダンファってなに?」
「私の国は、貴族って皇族の親族だけなのよ。国の政治は、クジュィという試験の合格者が担当するの。ダンファは、その試験の全国三位の合格者よ」
「貴族がいない国なんて信じられないわね」
「クジュィの受験者は、十万人以上いるから、十万人の上から三番目ね」
「そんな人が相手なの?」
「ええそうなの。二十六歳の優しいおじ様が優しい旦那様になるのね」
「そうなのね」
シャルロッテはリアを見つめた。
「逃げないのね」
「逃げられないの、私が逃げたらチェン氏が困るもの」
「それも愛ね」
名前はどれも略称で終わらせるつもりでしたが、なにも考えず付けた名前を並べたら「ロッテとリア」になってしまい、瞬間「これは略称ではダメだ」となりました。




