83. ぼくらの百人一首(7)
札を払い飛ばし、勝ち誇った態度のりん。
その一瞬の出来事に、亜久さんはただ茫然としている様子だ。
だが、”トロい”というりんの言葉に。
亜久さんは少なからず傷つき、悲しげに俯いている。その表情に、僕は胸が締め付けられるのを感じた。
『競技かるた』に臨む者として、それ以前に先輩への態度として。
りんの振る舞いは許し難いものだった。
「…謝れよ。亜久さんに謝れよ、りん!」
僕は気がつくと声を荒げていた。
突然の僕の怒声に、りんは僅かに驚きを示した。
しかし、やがて引き攣った笑みとともに、こちらに向かって吐き捨てるように言った。
「どーして謝る必要があるんですか??競技かるたって、そんなに甘いもんじゃないですよーって、まこ先輩に教えてあげただけなのに」
「いい加減なこと言うなよっ。だいたい、りんだってカルタを甘く見てるだろ。ほとんど活動にも参加してない幽霊部員が偉そうなこと言えるのか?」
「はぁ?なんですか…それ。なんで先輩にそんなこと言われなくちゃいけないんですか!?ていうか、先輩だってカルタやるの小学生のとき以来なんですよね??そんな奴にどーして…」
「”そんな奴”って。人を馬鹿にするのも大概に…!」
パシンッ!
激しく口論し続ける僕らを止めるように、七倉先輩は畳を打ち鳴らした。
その表情は一見穏やかなようで、実は冷たい。
そして──
しばしの沈黙ののち、七倉先輩は静かに口を開いた。
「そこまでだ。今日はもうお開きにする。二人とも、いったん頭を冷やせ」
すみません…。
七倉先輩の言葉で僕は我に帰り、慌てて頭を下げた。
あの五日市りんも七倉先輩には従順なようで、スックと立ち上がると、襖を開けて黙って出て行ってしまった。
僕と亜久さん、そして七倉先輩。
三人だけになった茶道室に、再び沈黙の帷が下りた。とても気まずい時間だ。
──どれくらい経っただろうか。
僕は改めて、七倉先輩へ向けて謝罪した。
「すみませんでした。つい感情的になってしまって…」
対し。
七倉先輩は、”気にするな”というように首を横に振ってみせた。
「仕方ないさ。あのような態度を取られれば、誰だってカッとなってしまうよ。りんの悪い癖だね」
「ええ…。僕も昔からアイツのことはよく知ってるんですが、いまだにムカついちゃって」
「まったく。私も手を焼いているよ」
僕と七倉先輩は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
どうやら、りんの言動に関して思うところがあるのは、お互いに一致しているようだ。
と、ここで。
七倉先輩は、『競技かるた部』でのりんの様子について教えてくれた。
「アイツは、唯一の新入部員としてウチに入ってくれたんだが…。もう一人の部員──まぁ私の同級生なんだが──としょっちゅう衝突していてな。なにぶんあの性格だろう?ことあるごとに生意気な発言で怒らせるんだ」
僕は小さく笑った。
畳の上でキャンキャン言っているりんの姿が、ありありと浮かんできたからだ。
「ある日、私の目の前で二人が大喧嘩を始めてね。その時もさっきみたく、畳をバシンっとやって止めたな」
「それはそれは…」
「…んで。それ以来、りんは部活に来なくなってしまった」
七倉先輩は、そこで言葉を切った。
すると。
真剣な面持ちで先輩の話を聞いていた亜久さんが、ポツリと呟いた。
「五日市さん…今回も戻ってこないのかな…」
なるほど。
確かに、今のエピソードを聞いたらそう思うかもしれない。
けれども、だ。
あの五日市りんという人間は、極度の負けず嫌いだということを思い出してほしい。
まだ決着をつけてもいない勝負を、自分から投げ出したりはしない。
さすれば──
「アイツは必ず戻ってくる。なんだかんだ言いながらも、大会当日にはひょっこり姿を現すさ。何事もなかったかのようにね」
この七倉先輩の言葉に、僕は得心した。
さすがは部長。
部員のことをよく分かっていらっしゃる。まさしくだ。
「ひょっとしたら今頃も、こっそり図書室なんかで百人一首を覚えてるかもしれないぞ」
「ですね。それはホントにありえます」
七倉先輩の冗談めいた一言に、僕は笑いながら頷いてみせた。
隣を見遣れば、亜久さんも静かに笑っていた。
どうやら亜久さんもだんだんと、りんの人となりが分かってきたらしい。
カルタの地域大会まで、あとおおよそ一ヶ月。
きっとりんは涼しい顔で戻ってきて、七倉先輩とのタッグでもって僕らに全力で牙を剥くのだろう。
そして敗北した僕らを前に、お馴染みのしたり顔。
あぁ!考えただけでムカつく!
もはや競技かるた部に入る入らない以前に、りんに負けるのが嫌だ。
アイツは亜久さんにやたらと敵意を向けているが、僕だってコケにされるのは不愉快極まりない。
見てろよ、りん。
残り一ヶ月、猛練習して絶対強くなってやる──僕も、そして亜久さんも。
<ぼくらの百人一首・おわり>




