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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夕焼け

作者: 蒼鷹 和希


 私が一番尊敬していた先生。

 今まで世の中に浸透していた考えを覆す研究結果を発表したせいで、世間から馬鹿にされたばかりか、研究結果も信じてもらえなかった。

「私はあいつらの古い考えより、先生の研究の答えが正しいと思う」

 そう言うと彼は哀しそうな顔をして窓に目を向け、君は素直だねと呟いた。

 海を見に行こうと急に言い出した彼が、何をするつもりなのか。

 私には予感めいたものがあった。

 だが、分かっていて止めなかったのは私だ。責任は私にもあるのだ。


「ずっと、考えていたんだ」

 崖の上から橙と蒼の溶けあった空と昏い海ををぼんやり眺めながら、彼は独り言のように言葉を放った。

 私は彼が何を言うのかわかった気がして、必死に話題を逸らした。

「そういえば……、何でこんなに、夕焼けは綺麗なんだろう」

 科学的にか心理的にか分からないが、そのどちらかですぐ解決できそうなこの質問に意味はなかった。ただ時間を稼いで、彼の気が変わるかもしれないという淡い期待のため。

 しかし、それは意味を為さなかった。彼が海に背を向けた。じりと足を引いて、彼が答える。

「はは。その答えは君が、死ぬまでに見つければいい。そうだな。僕が君に課す、……最後の課題にしよう」

 とうとう言われてしまった。今まで気づかないふりをして、目を背けてきたのに。

 涙で視界がぐにゃりと歪んだ。後ろに傾いた彼が、かろうじて見える。

 その下に広がるのは、漆黒の荒れた海。

「やめてっ……!」

「ありがとう、さようなら。課題が出来るまで、こっちに来ちゃ駄目だよ」

 彼の手を掴もうと伸ばした手は、宙を掻いて止まった。

 覗き込んだ海はやはり漆黒で、もう何も見えなかった。

 

 泣きながら一人で帰ったあの日の夕焼け。

 それを最後に、夕焼けを綺麗だと思うことはなくなった。

 今では夕焼けは、ただ血の色を溶かした不吉な空にしか見えない。

 だが、先生と見たあの夕焼けだけは、記憶の中でいつも鮮やかに美しく映るのだ。

 私が夕焼けの原理について分析している間も、世間は懲りずに先生を馬鹿にした。

 徐々に先生は世間から忘れ去られていったようだったが、私はこの憎悪も、先生のことも忘れないでいつづけた。

 先生を言葉で殺した奴らは今日も呑気に美味しいものを食べ、世間話をし、娯楽を楽しんでいる。

 こんなことが本当に許されていいのだろうか?

 だんだん研究も手につかなくなり、憎い奴をどう殺すかということしか考えられなくなった。

 先生の研究室でこんなことを考えていては先生を悲しませてしまうと分かっていながらも、なかなかやめられない。

 だがそんなある日、珍しく来客があった。

「あのう、ここって先生の家ですよね?」

 そう言ってきた女性。彼女もきっと憎むべき人間だ。私は彼女を睨んで、冷たく返した。

「そうですが、先生はあなた達のせいで自殺してしまいました。先生はもういません。それで何の用ですか?」

 自殺という言葉に彼女は目を見開くも、落ち着いて答えた。

「私は先生のことを馬鹿にしていませんし、先生の仮説は正しいものだと思っています」

 そして彼女は私を鋭く見返して、続けた。

「先生は独身ですよね?どのような経緯であなたが代わりにここに住んでいるのですか?」 

 その言葉に反論が出来なかった。

 確かにそうだ。先生の助手になりたくて、でも正式な助手ではなくて、先生とここで研究を毎日していただけだ。なぜ住もうと思ったのか。

「貴女は先生の、何なんですか?」

「私は先生の、助手になりたかったんです」

 私は早口に言った。女性は怪訝そうな顔になる。

「だから何ですか」

「先生が最後にくれた課題が、終わらなかったんです」

 話しながら気が付いた。なぜ、夕焼けがあれほどに美しかったのか。思い出すのは、先生と見たあの日。

 私は女性に微笑んだ。

「でもその課題も……。今、ようやく終わりました」

 私は靴を履き、家を出た。呼び止める女性の声に足を止め、振り向く。

「家ならどうぞ好きにして結構です。世間はいつも本人がいなくなると手のひらを返します。時間が経てば世間も先生の仮説を認めて、ここを記念館とかにして儲けるのでしょう?」

 そう言うと、彼女はぐっと押し黙った。やはりそうだ。先生だけじゃない、過去にも天動説を覆そうとして世間に殺された人がいた。世間はどれだけ時間が経っても、変わることを知らない。

「私の荷物は少ないので、捨てるなりして結構です。ただし先生のものには触れないでください。私はもう行きます」

「待ってください。質問には答えないつもりですか?」

 そんなに大事とも思えない質問だが、最後にせっかくだから答えておこう。

「答えますよ。私は先生の助手だったのでここに住んでいました。貴女がいくら先生の説を支持すると言っても、貴女には世間の反応に傷ついた先生の気持ちも、先生を支え続けた私の気持ちも分からないのです。それと」

 急に堂々とした私の態度の変化に、女性は驚いていた。私はいつぶりか知れない、満面の笑みを女性に向けた。

「私は先生が好きです。……課題も終わったことだし、先生の約束を守りに行きます」

 私は歩き出した。


 夕焼けが綺麗な理由。それは、先生と一緒に見た、最後の夕焼けだったからだ。


 今ではその女性が私に代わってそこに住み、案の定手のひらを返した世間から、先生を守り続けている。

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