《No.9》運命の日
窓の外から客間に乗り込んできたこの男、頭上には銀色の天輪を浮かべる。
部屋の状況を物色し、こちらへ歩いてくる。
「こいつらはお前の差金か」
カマエルがエルカを抱き上げ、銀輪天使に問う。
「ああ、ワシの部下ですわ。外に転がっとったのも含めてな」
部屋に倒れている3人と、立ち尽くす1人。銀輪天使は、その鋭い眼光で部下に指示を飛ばす。
「おう、このゴミども直しとけ」
唯一動ける銅輪天使が、せっせと倒れた仲間を運び始める。
その間。銀輪天使はエルカを見て目を細めた。白いパーカーから、鮮血が滲み出ているのに気づいたのだ。
「お嬢ちゃん、迷惑かけてすまんかった。コイツにやられたんやろ」
今は石像のように倒れ伏す男。銀輪天使が肩を踏みつけても、一切の反応を見せない。背中に刺さった光の針が彼から生命力を奪ったのである。
「同胞に手ェかけたこのアホには、しっかり罰しとくからな」
「罰って、これからどうなるんですか」
「コイツには余罪がぎょうさんあるからな。明日には消えてるかもしれんわ」
合法的に手を下せる日を待っていた、とでも言うようだった。
確かに銅輪の男の所業は、天使のから逸脱したものだったが……
「……許してあげてくれませんか」
「あァ?」
銀輪天使は鋭い目つきでエルカを見つめる。声色も一瞬、張り詰めるような強度になっていた。
しかしすぐに、柔らかく嗜めるように語気を戻す。
「何言っとんねん。コイツのせいで嬢ちゃんがケガしてんねんで」
「私が傷ついたのは、私が勝手に部屋から出たからです。何もできないのに、勝手に捕まって。悪いのは、私なんです。だから……」
エルカの震えに気づいたカマエルは、そっと彼女を抱き寄せる。
その腕に守られながら、エルカは銀輪天使から離さなかった。
そして涙は流さない。恐怖を感じても、痛みを感じても。絞り出すように言ったその言葉も、自分の首を絞めているようにしか聞こえなかった。
仏を演じるにも、唐突で無理矢理すぎる。一番近くに寄り添うカマエルですら、彼女の真意はわからない。
そして、その儚くも真っ直ぐな目線を浴び続けたリッターは「根負けした」とジェスチャーを送る。
「わかった。嬢ちゃんの心意気に負けたわ」
そう言って銀輪天使は膝を落とし、男に刺さった光の針を強引に引き抜いた。
すると男は電気ショックを受けたように振動する。意識を取り戻すまでにはいかなかったようだが。
「しかし、このアホにもケジメは取らせなきゃいかん。自力で目ェ醒ませたらチャラ、寝たきりならそれまでってことで手を打ってくれんか」
「……はい。それで、お願いします」
「まぁ1番は部下の躾ができんワシの責任や。その詫びと言ってはなんだが、これを使ってくれんか」
男が手のひらを差し出すと、その上に光が弾ける。すると、無の空間から緑色の救急箱が生成された。
「治癒術の使えん天使御用達や。嬢ちゃんの血、まずはそれで止めや」
そう言って救急箱を手渡すと、ちょうど戻ってきた部下に命令を下した。最後の1人を担いで出ていくところだった。
「お前らは先ヴァルハラに戻っとけ」
エルカの傷の処置はカマエルが行う。
血止め薬は上質で、深く刻まれた傷を指の一掬い分で塞ぐことができた。
効き目と刺激は比例するようで、塗布した際にエルカが呻き声を上げる。
「……すまなかった」
「大丈夫です」
カマエルの消え入りそうな謝罪は、エルカの耳にかろうじて届いた。大人に怒られた少年ような声色が、逆に彼女を冷静にさせた。
ガーゼを包帯で固定し、ひとまずの処置を終える。
待っていた銀輪天使は壁にもたれていた姿勢を戻した。
「あぁ、そういえば自己紹介遅れてもうたな。ワシは"リッター"言うもんや。そこの仏頂面とは同じ組でやっとった」
仏頂面ことカマエルは、文字通りの表情で返す。
「……で、てめぇはここに何しに来たんだ」
「そりゃあくだらん用やないで。親父の命令でな、熱々のラブレター持ってきたわ」
リッターがカマエルに向かって手紙を手渡す。たとう折りの果たし状のようなものだった。
エルカが手紙を覗くと、黒墨で書かれた達筆な字が見えた。
「内容は詳しくは知らん。ただワシから言えるのは『ヴァルハラに戻ってこい』、それだけや」
文章の量に合わない速度で読み進めるカマエルは、より一層眉間の皺を深くしていた。
「親父のことや。ワシらには思いつかんような、良からんこと考えとるんちゃうか」
「俺がここで破り捨てることも想定してるってことか」
「ハッハッ、相変わらずやな。どんだけ嫌っとんねん」
リッターは乾いた喉で笑う。
「しかし、わざわざ今のアンタに声をかけるくらいや。チカラも名声も立場も、ぜーんぶ無くなった前科者にやで?あるとすれば……天使に戻れるよう計らってくれるか、それとも改めて死刑執行か、ってとこやないか」
「それを聞いて『はい、行きます』って奴がどこにいるんだ。どんな都合があろうと、俺は戻る気はねえよ」
「まァ、今すぐ連行って訳やない。それに3日後の列車のチケットが入っとる。それまでに考えが変わったなら、それ使って乗って来いや」
「いらん世話だ」
「それとや。最後にひとつだけ聞かしてくれ。お前、なんであないなバカやらかした」
やらかしとは、半年前にカマエルが天使の資格を失った時のことだ。
こんなところに天使が住み着いている理由でもある。エルカも気になっているところではあるが、やはり彼の口からは聞けそうにない雰囲気である。
「天使は神に逆らったらあかん。こんなもん、ガキでも知っとる常識やろ」
「あん時の俺はガキ以下だったってことだろ」
「堕ちるとこまで堕ちたもんや。銀輪の時から調子こいた若造とは思っとったが、実力だけはそれなりに認めとったっちゅうのに」
数秒間無言が交差したのち、会話は打ち切られた。
かつての同僚として名残惜しさを残しながら、リッターは窓から飛び去っていった。
静寂に残ったのは、荒れ散らかった部屋の残骸とカマエルの持つ手紙、そしてエルカの傷跡だ。
いずれも、カマエルが天使のままでいたなら発生しなかった。
–––––きっと、私が怪我をしたのは自分が守れなかったからだ。そんな風に思ってるんでしょう。
さっきのカマエルの「すまなかった」は、そういった後悔の色が強く出ていた。
元天使で、強くて、口が悪いけど面倒見がいい。そんな彼だからこそ、勝手に飛び出して勝手に捕まったことなんて気に留めていない。
–––––本当は全部、私の自業自得なのに。
いくら身勝手な行動をしたとして、独りなら誰の迷惑もかけなかった。自分のせいで誰かが傷つくなんて、そんなのは嫌だ。
「エルカ……」
改めて謝ろうとするカマエルを制し、エルカが先手を取った。
「カマエルさん。私、ずっと嘘をついてたんです」
目を逸らしていられる時間は終わった。カマエルに出会ってから、たったの2日。
目の前に現れては消えていったものが、エルカの心の奥に押し込んでいた景色を引き摺り出した。
「全部知らないフリをしていれば、本当に無かったことになるんじゃないかなんて、バカなこと考えてたんです」
自分を匿い守ってくれるカマエルは、親の代わりだ。このまま一緒にいれば、なんとなく時は過ぎていく気がしていた。
そのままでいれば日常は帰ってくるなんて、そんな都合の良い話は無い。
「私、みんな見捨ててきちゃったんです。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも」
みんな同じようにエルカを守ってくれていた。自分の命を犠牲にして生かしてくれた。
それを忘れたフリなんて、させてくれる訳がなかったのだ。




