《No.8》ヴァルハラからの刺客
拠点に戻ったあと、カマエルはいつもの社長椅子に体を預けていた。
エルカは帰ったきり寝室から出てこない。帰路の途中すら一言も喋らず、己の感情を抑えつけるような嗚咽を繰り返すばかりだった。
「相当重いモンを背負わせちまったか」
紫水晶に冒された者は世界から存在を抹消される。共に生きた記憶、残した功績や軌跡さえ、最初から無かったかのように。
記憶の抹消から逃れる方法、それは結晶化の瞬間を見ていることだ。その場で死を見届けた者だけが覚えていられる。
この世界に生きたヤマトという男を覚えているのは、あの場にいたカマエルとエルカだけ。
つまり2人が同じように死んでしまえば、彼の存在は世界から完全に消えることになる。
他人の存在証明が己の命に委ねられる……世紀末を生きるのに精一杯な少女には辛い立場だ。
目の前で人が死に、何も感じぬ者はいない。
この別れを無心に過ごせなかったのは、彼のことを知り過ぎたからだ。たった半日を共にしただけでも、情を持ってしまえば失った時に辛くなる。
世紀末を生きるには独りが最適解だと理解していたクセに、今のカマエルにはまだエルカがいる。
もし2人が別れる日が来るとして、悲しみを背負い残されるのはどちらになるだろうか。
当然カマエルは心の傷跡になるつもりも、彼女を先立たせるつもりもない。
これは男としてのプライドじゃない。ただ答えを見出せていないだけ、どっちつかずなだけだ。
今回の一件と同じ轍を踏まないために、決断は早い方がいい。これ以上エルカとの別れを悲劇的にしないために。
『おう、ここだ。間違いねえ。ここに奴がいるんだと』
ふと耳に届いた声で意識が戻った。下の階から聞こえてくる。玄関からだ。
カマエルがいる客間、エルカのいる隣の寝室は2階に位置する。正面玄関は一階、いわゆるメゾネットタイプの建物である。
『オラ、出てこいや!開けねえならこっちから行くぞ!』
下品な叫びが外壁を貫通したと思えば、間髪入れずに玄関ドアが砕かれる。そこから堰を切ったように複数の足音が階段を登ってくる。
この足音は一般人のものではない。少なからず戦闘経験のある兵士の足運びだ。
あっという間に2階廊下まで上がり、客間のドアが乱暴に蹴破られる。
「……発見。透輪天使の屑野郎、マジでここにいやがった」
続々と侵入してくるのは、黒衣に身を包んだ屈強な男たちだ。
カマエルの目つきの悪さに勝るとも劣らない、粗暴な外見の天使が5人。皆頭上に銅色の天輪を浮かべている。
「何の用だ。アポ無しで押しかけるにしちゃ仰々しいな」
カマエルは椅子から体を起こし、自然体で寝室のドアを塞ぐよう立った。
粗暴な天使たちの胸ポケットには組章が付けられている。猛々しく燃ゆる炎のデザインは、カマエルもよく知っている。
(ミカエルドメイン……)
「元、"若き伝説"のカマエルさんよぉ。自分が犯した罪はわかってるだろう?天界神様に代わって俺らが処刑に来てやったぜ」
「ヴァルハラも余程暇らしいな。滅亡寸前の天界より、こんな木っ端の男1人に構ってられるのか」
「煉獄の軍勢なんざ放っておいても他の天使が倒しにいくだろ。そんなことより、天界神様に謀反起こした屑がのうのうと生きてんだ。落とし前、必要だろ?」
「なるほどな。神の下僕としては満点の行動だ」
「勘違いするなよ。俺は神に仕えるために天使になったんじゃない。アンタみたい気に入らねぇ屑をブン殴れる……その免罪符が欲しかっただけだ!」
右腕を振りかぶったかと思えば、突如としてその手中に投函が握られた。
ヤマトが弓を使った時と同じ原理だ。天使の武器は光を纏って具現化する。
カマエルは寸前で斬撃を躱し、武器のリーチを意識して距離を取る。
「おら、行けや!お前らもやっちまえ!」
刀剣の男に触発され、残りの4人もそれぞれ戦闘態勢に入る。もちろん各々が武器を携えている。刀剣、ナックルダガー、拳銃、棍棒だ。
対して天使のチカラを失っているカマエルはステゴロで応戦する。
「悪いが今は虫の居所が悪いんだ。勝手に押しかけておいて、丁寧な接客なんざ期待するなよ」
先陣を切り突貫してくるナックルダガーの男が、ストレートの拳を放つ。
カマエルはその一撃を巧みに躱し、前傾姿勢から流れるように倒立蹴りを喰らわせる。
鋭く重い蹴りにより、胴体が浮き上がる。
カマエルは倒立から戻る勢いのまま、相手を掴んでジャイアントスイングの如く振り回し–––––
「おッ–––––しぇえい!!」
窓の外に向かって放り投げる。黒衣の巨体はガラスを突き破り、地面に向かって落ちていった。
「怯むなよおめェら!このクソ不躾無心論者を叩き切ってやれ!」
カマエルの背後から刀剣の太刀筋が伸びるが、紙一重のの差で逃れる。
素早く懐に潜り込み、敵の襟首を掴んで壁に叩きつける。衝撃に怯んだ胴体へ、拳と脚のコンボが2連。
現役時代から体術メインの戦法を取っていたカマエルにとって、天使のチカラを失うことはさほどデメリットになっていなかった。
相手が一般人ではなく、天使であることも大きい。多少の手加減をせずとも命を奪うことはないだろう。
冥界の戦士との戦闘経験もあり、銃使いに対する立ち回りも心得ている。
銅輪天使の男たちは半分ヤケになりながら突貫してくるが、振り回す武器は当たらない。フラストレーションを家具や壁にぶつける者も出てくる始末だ。
……
客間の喧騒は、ドアと壁越しにエルカに届いていた。
(怖い)
普段なら聞くハズもない、成人の男達の怒号。掛け布団で頭を覆っても、容赦なく耳を突き刺してくる。
エルカは小さな体を震わせていた。男の怒号そのものが怖いからではない。
頭の隅に追いやっていた光景が引き摺り出される。
忘れた方が楽、それでも忘れたフリなどできるハズがなかった。
(あの時と同じ)
それは大人の怒号。いつも優しく接してくれた父親が、ドアの向こうで叫んでいる。
『逃げろ!!早く!!』
叩きつけるような声が言葉としての意味を持たなくなり、やがて悲鳴に変わる。命を抉り取られるような断末魔。
ドアが突き破られ姿を現したのは、凶爪をかざす煉獄悪鬼。そしてそれに貫かれた父親だった。
『あなた達だけで逃げなさい!』
–––––嫌だ。
もう助からない父と、娘を守るべく悪鬼へ飛び出していく母。
目の前で2人が結晶化していく。悪鬼の声と両親の聞き慣れない怒号が混じり、不協和音になって部屋に響く。
『ほらエルカ!行くよ!』
手を引かれても踏み留まった。ここで逃げ出したら今生の別れになることは、どんな平和ボケした脳でも明白だった。
引き摺り出されるように外へ連れられ、逃亡か始まる。背中の悲鳴はとっくに消えていた。
紫水晶は無機質で無秩序に、世界の全てを剥ぎ取っていく。昨日までは当たり前に存在した家族さえも、例外は無い。
皆、姿を紫水晶と変えて景色に溶ける。非力な小娘ひとりを残して、別れを惜しむ時間すら与えてくれない。
死して苦しみを味わうのが地獄ならば、生きたまま取り残されたこの世界こそが生き地獄だった。
全てが始まったのは、ドアの向こうの喧騒。
エルカのあの日の記憶に、カマエルの面影が重なった。
(私を置いていかないで)
あの日動かなかった足がドアへと歩いていく。自分から開けられなかったその先へ。
「カマエルさん!!」
開いた先は戦場と化した客間。割れた窓、数名倒れた黒服の天使。近くにいたのはカマエルではなかった。
「バカ野郎出てくるな!」
カマエルの咆哮と同時にエルカの首が乱雑に掴まれ、男の元へ引き寄せられる。
そして一瞬の隙を作ったカマエルに、横から銃口が向けられる。
「形勢逆転だな」
まるで人質を取るように、男はエルカの体に腕を回す。
この少女はカマエルにとっての弱点となる。そう察するの勘が異様に早く働いたのだろう。
「こんなガキが天輪持ってるとは、どういうことだ?天使とは思えねぇ貧弱さだが」
丸太のような剛腕がエルカを締めつける。
エルカが感じているのは、己の無力さだった。無闇に姿を晒した結果、カマエル共々窮地に立たされてしまったのだ。
全ては自分のせい。それなのに、一丁前に自身の苦しみと恐怖に震えてしまうことが情けなかった。
「そいつに傷ひとつでも付けたら、お前を殺す」
カマエルの眼光は一層強く鋭く尖る。その睨みだけで人間を射殺さんばかりの威力を秘めていた。
刀剣の男は檻の外から獣を見るように相対する。
「大事なカキタレだもんな、返してやってもいい。だがお前らは神に逆らった罪人に、それに付き添う共犯者だ。相応の罰を受けてもらわないとな?」
男はエルカのパーカーを捲り、露出した横腹に刀剣の刃を立てる。白い肌に擦れた部分が赤い線になり、鮮血が滴る。
「痛っ……」
鋭い痛みに目を閉じて堪えるエルカ。
「殺せるなら殺してみろよ。お前が動くより先に腹ん中掻っ捌いてやるけどな」
今にも解き放たれんとする猛獣を前に、勝利宣言の笑みを向けられる。
そして男は拳銃使いに命令する。
「おい、奴の脳天にぶっ放してやれ」
「任せろ」
カマエルが無抵抗なのは、その銃口がこちらに向かないようにするため。1人ならきっと打開できるのに。
エルカが思い込む通り、今の彼には自他両方を救う力はない。伝説どころか、天使ですら無くなったのだから。
「ほら、カウントダウンしてやるよ。3,2,……」
刀剣の男は、エルカの腹に添えた刃を沈ませる。少しでも動けばこの娘の命は無いと言うように。
「1……」
そして1のタイミングで引き金に指がかかる。このままでは本当にカマエルが撃ち抜かれてしまう。
エルカの瞳の裏はごうごうと燃えた。腹を切られる痛みなどよりも、ずっと熱く。
こんな片腕の中で一抹の抵抗さえできず、目の前でカマエルの危機を見ているだけしかできない。
あの強いカマエルが。伝説の天使と呼ばれたというカマエルが、自分のために無抵抗を貫こうとしている。
自分のせいで、彼が殺されてしまう。
–––––そんなのは嫌だ。
「ゼロ」
同時に、エルカの中で煮え滾っていたものが喉から湧き上がる。恐怖で震えていた体に芯が通る。
「やめてっ!!」
発砲と同時にエルカが叫んだ。2つの音は室内で乱反射し、すぐに静まり返った。
カマエルは無傷で立っている。弾は外れたようだ。
カマエルは銃口へ振り向きすらしていない。しかし、ガンマンの手は震えていた。
エルカの咄嗟の叫びが手元を狂わせたのか、カマエルの威圧感が外させたのかはわからない。
そして次は外すまいとトリガーを引くも、弾切れを起こしたようだ。何度引いても次の弾は出てこない。
エルカはカマエルの無事を確認するなり、僅かに肩が脱力した。
それに気づいたのは、密着していた刀剣男だった。
「てめぇ、何安心してんだよ。自分の状況わかってんのか?本気で斬り殺されてぇのか?」
凶器を当てられてなお、自分より他人が心配だという態度が琴線に触れたのだろう。
刀を持つ手に力が込められ、彼女の脇腹の傷はどんどん深くなっていく。
「よせ……」
カマエルが叫ぶより早く、エルカは苦痛混じりの笑顔を向けた。
発砲する直前に気づいてしまった。自分が無力なせいで誰かが傷つくことには耐えられない。
脇腹を斬られる痛みも、カマエルが自分のせいで命を落とすことに比べれば些細なものだからだ。
「エルカ……お前」
そんな彼女の様子を見て、怒りに塗れていたカマエルが初めて狼狽える。
刃を立てられても、銃口を向けられても、互いが互いを案じている。自身が傷つくことを厭わないように。
それがさらに男へ油を注いだ。
「あぁそうかよ。だったら殺ってやるよ、まずはお前の目の前で処刑してやるよ」
そう言って刀がエルカから離れる。
「抵抗するなよ、うっかりコイツを先に切っちまうかもしれねぇ」
エルカを抱いたまま、刀剣のリーチが届くギリギリの距離まで詰めていく。
「あばよ、"元"伝説の天使」
振り上げられた刀を目の前にしても、カマエルは未だ無抵抗だ。
彼の死因にはなりたくない。己の非力を言い訳にしたくはない。恐怖心を捨て去ったエルカは、ロックされた体の少ない可動域でもがく。
両腕の、肘から先は動く。刀を持つ男の腕を掴み、袈裟斬りを阻止しようとした。
「てめぇは……」
その程度の腕力で止められる訳がない。ささやかな抵抗が、逆に男を燃え上がらせた。
刀は止まらないが、僅かに意識がエルカに向いた。カマエルはその一瞬の隙を見逃さなかった。
素早く懐に潜り込み、刀を持つ腕を掴む。そのままエルカを引き剥がしながら、遠心力を利用して男を振り払う。
追撃の足蹴りは大鎌のように強く薙ぎ、男の胴体へ撃ち込まれる。
「殺す……殺してやるぞ!!」
蹴りはクリーンヒットだが相手は天使。たとえ格の低い銅輪であっても、一撃で倒れてはくれない。
距離を置いて仕切り直しになった。その瞬間だった。
鋭く空を切る音が部屋を貫いた。吹き矢のような、長細いモノが飛んだような感覚だ。
ほぼ同時に、刀剣男が身震いした。錆びた鉄のように固く、それが飛ばされた方へ首を振り向かせようとする。
射線の先、窓の外。そこに見たシルエットに対し、男は掠れた声で助けを求める。
「あ、兄貴……!!」
血気盛んだった肌は青白く、みるみるうちに生気が引いていく。
刀が手から溢れ、男は石像のように床に倒れ伏した。
何度か痙攣を起こし、呻き声を捻り出したかと思えばすぐに反応が無くなった。
(これは剛針……!)
背中には固形化した光の針が刺さっている。しかも人間の腕を4倍ほどに太くしたスケールだ。
本来は対象を気絶せさせるだけの武具だが、これでは命まで危うい。
こんな威力で打ち出せるとすれば、並の天使ではないだろう。
カマエルとエルカ2人も窓の外を向くと、そこに犯人がいた。
「誰が戦え言うたんや。ボケが」
銀色に輝く天使の輪。背後には、銅輪天使のものより一回り大きな翼が広がる。
独特な訛りの言葉を投げたと思えば、翼を解いて窓枠を乗り越え、室内に入ってきた。
カマエル以上の長身、筋肉質な肉体を黒衣に包む。スキンヘッドの銀輪天使は、険しいながらも不敵な笑みを見せた。
「久しぶりやな、カマエル。相変わらずごっつい奴や。ミカエルの親父が気にかける訳やで」




