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《No.7》このご時世でも天使になる奴がいた.後編


 空を飛んでいけば目的地へ早く辿り着ける。歩くよりも早いし、地上をうろつく煉獄悪鬼の相手をせずに済むからだ。

 ただしデメリットもある。


(帰りは歩きの可能性もあるな)


 カマエルとエルカが使う偽の翼は、天界に漂う光子をエネルギー源に稼働している。事務所にあった洗濯機と同じだ。

 煉獄の侵攻で不安定になった天界では、このタイプの製品はチャージが極端に遅くなる。

 午前中に避難所へ行くのに使ったこともあり、最後まで保つか怪しいところだった。

 そして自前の翼で飛ぶヤマトにも問題がある。


「ヤマトさん……?」


 出発してから30分ほどまでは、全力疾走した後のように息を切らしていた。それが1時間を超えた辺りで急に静かになった。

 

「ヤマトさんっ!」


 エルカが振り返った頃にはもう遅い。羽ばたきを止めたヤマトはそのまま落ちていく。急いで追いかけるが、間に合わない。

 あわや地面に激突するといったところで、カマエルが襟を掴んで引き止めたのだった。


「少し隙見せたらこれか。どれだけ飢えてんだか」

 

 地上に降りた2人に気づいたのか、周りの倒壊した建物の隙間から煉獄悪鬼が姿を現す。

 紫黒の影がそれぞれの個体となって形作られていく。袴を纏う武人の腕は鋭い凶爪。天輪を模したような半円の角が頭上に浮かぶ。

 

「エルカ!絶対に降りてくるなよ」

 

 2人を取り囲む悪鬼は10体。この程度ならヤマトを庇いながらでも戦える。

 ヤマトを地面に置き、掃討を始める。数的不利を覆すためには大振りな攻撃が必要になるが、健脚がウリのカマエルには得意な場だった。

 

 ブレイクダンスやカポエイラのように、体を縦横無尽ダイナミックに捻り、振り回す。

 両手両足を交互に地に着け、全身を横回転させるスワイプス。 

 倒立開脚したままコマのように回る2000(ツーサウザンド)


 体術が得意な天使はそれなりにいるが、カマエルのような戦法を取る者は中々いない。

 天使の戦い方と言えば、光子を武器の形に錬成して打ち出すのが一般的だ。

 例えばこう、煉獄悪鬼の眉間を撃ち抜く光の矢のように。

 最後の1体を仕留めたのは、いつの間に弓を構えていたヤマトだった。


「なんだ。起きてたか」


「こんなとこで倒れてる訳にはいきませんからね」


 顔色は白いを通り越して青ざめていた。唇も紫だし、汗も滝のように流れる。

 手中に具現化させていた弓もすぐに消し、余計な体力の消耗を減らした。


「その根性は買ってやるよ」


 ひとまず3人は開けた場所で休憩を取った。ヤマトが再び空を飛べるよう息を整えさせる。

 エルカが渡したペットボトルはすぐに飲み干された。


「ふぅ。ありがとう、エルカちゃん」


 タオルで顔を拭い、疲弊していた体が平静を取り戻し始めていた。流石は数ヶ月で天使に成った男か、体力の回復が早い。


「夜は奴らが活発になる。日没がタイムリミットだ、あまり休んではいられねェぞ」


「了解です。もう大丈夫、行きましょう」


「あと少しです、頑張りましょうね」

 

「ああ。待っていてくれてる()()()()()()からね……っ」


 その時ヤマトは、頭の隅がチクリと痛んだ気がした。何か小さなトゲが刺さったのか、どこかが欠損したかのような感覚だった。 

 頭の中、そうじゃなく、心の中が……?


「ヤマトさん?」


 呼びかけられ、ヤマトは一瞬の放心状態にあったと気づく。


「いやごめん、なんでもないよ。さあ、行こう!」


 痛みとなって知らされた違和感は一過性だ。そう思って再びフライトした。

 しかし思ったより尾を引いて心に残る。

 痛覚が体の異常を知らせる信号のように、この違和感はまるでヤマトに欠損した何かを知らせているようだった。

 ヒントを掴みたくとも、寸前のところですり抜ける。もどかしさが続けば頭は熱暴走を起こし、答えから遠ざけてくる。


(何もおかしいことはない、そうだ。何も)


 ヤマトの思考は平静を保つために、違和感を排除しようとする。

 やがて雑念を払うのではなく、それが当たり前だったかのように無意識に馴染ませていく。

 昔から心の中のこの場所は、穴が空いていたのだ。何もおかしいことはない。

 そう、最初から……


……



 目的の区域(エリア)まで辿り着いた。

 ここにも煉獄悪鬼が複数闊歩しており、まずはそれらの掃討から行う。

 カマエルは体術で、ヤマトは光弓でそれぞれ撃退していくのだが……


「おいボサっとするな!」


 ヤマトの死角から襲いかかる悪鬼をカマエルが蹴り飛ばす。

 助けられたことすら数秒遅れての反応だった。1時間ほど前から集中力を欠く場面が増えてきている。

 結局この場の悪鬼はほとんどカマエルが倒していた。


「大丈夫でしたかっ?」


 戦闘を終えたサインをカマエルが送り、避難していたエルカが2人に駆け寄る。


「あ、ああ。うん、大丈夫」


 ヤマトの返事は上の空だ。出発時にはあれほど漲っていた正気が、今では微塵も感じられない。

 エルカの目に映るヤマトは、数時間前とは別人に変わってしまったようだった。


「しかし人の気配が無いな。紫水晶の少なさから見るに、被害が出る前に町を出てるかもしれん」


「どこかに隠れてるかもしれないですよ」


「そうは言ってもな」


 紫水晶は確かに少ないが、破壊された建物があちこちで瓦礫になっている。

 さらに外で悪鬼が闊歩おり、配給所も遠い。とても一般人が籠城できる環境ではなかった。


「待ってる……」


 2人のやり取りを空っぽの目で見つめていたヤマトが、ぽつりと呟いた。

 

「そうですよ。絶対ヤマトさんを待っていてくれてるハズです」


「どうする。思い当たる場所はないのか」


 ヤマトは2人の会話を耳に通すのがやっとだった。音として聞こえていても、頭に入ってこない。


「手分けして探しますか?」


「バカ言うな。こんなとこでお前から目ェ離せるか」

 

「そ、そんなに子供扱いしないでください。流石に勝手にいなくなったりはしないですよ」


「迷子の心配じゃねえよ。またどっから出てくるかわからんだろ」


 片手をグー、パーと噛みつきのジェスチャーをするカマエル。

 幼子を相手にするようなリアクションに、エルカは不満気な表情になる。それこそ子供扱いを助長するものだと気づき、すぐに表情を元に戻す。


「ならみんなで探しましょう!そうだ、ヤマトさんなら知りませんか?何処か避難できそうな場所です」


「気になるとこはいくつかあるから、順々に見ていこう。そしたら()()に会えるかもしれないし」


「決まりだな」


 そこから先頭をヤマトに任せ、街中を歩いていく。

 やはり何処にも人の気配がなく、景色もさほど変わらない。僅かに紫水晶が少ないくらいか。

 やがて二階建ての店舗を前に、ヤマトは立ち止まった。

 

「ここは……食堂か」


「俺の実家です。祖父が経営してた」


 かろうじて建物としての形を残しているが、窓ガラスは全て叩き割れ、店の看板が剥がれ落ちて玄関を塞いでいる。

 

「どうした。入らねえのか」


「いえ、ちょっと懐かしんでただけです」


 看板を隅に置き、固まった引き戸をこじ開ける。

 静かに迎え入れる玄関、光を失った廊下を進んでいく。その先の食堂に足を踏み入れた時、エルカが小さく悲鳴を上げた。


「これは……」


 充満する血の臭い、発生源はあそこだ。

 テーブルとイスに侵食する、人間1人分の紫水晶がそこにあった。床には血痕が広がっている。

 無人食堂の静けさに混ざる、不気味な紫の煌めきが異質な空気を放っていた。


「ここ、俺がよく使ってた席だ」


 2人がけの席。誰かを待つように紫水晶が佇んでいる。

 きっとこの町に残った最後の住民が逃げ込み、追い詰められて悪鬼に殺されたのだろう。

 

「あっ、これ!見てください」


 エルカが床に落ちていた物を拾い上げる。


「便箋?」


「これ、ヤマトさんが持ってるのと同じ柄ですよ……!」

 

 華やかなデザインの便箋だ。出発前にヤマトが見せたものと全く同じものである。ただし文字は何も書かれていない。逃げる際についたのか、折れ目が目立つ。

 エルカはそれをヤマトに見せるが、思いもよらない反応で返される。


「そんなの持ってたっけ」


 他人事のような一瞥で済まされ、エルカは血の気が引くような感覚に陥った。

 数時間前に見た、たった1枚の手紙を後生大事に扱う姿はなんだったのか。冗談を言っているようにも見えない。


「そんなのって……出発前に見せてくれたじゃないですか!幼馴染の方のお手紙です!リュックに入れてたものです」


 "幼馴染"の単語にさえ無反応である。

 仕方なくリュックの中に手を突っ込む様は、数時間前の彼と同一人物には見えなかった。


「ほんとだ、入ってた。これのことかい」


 差し出された便箋を見て、エルカは思わず息を呑んだ。

 何も書かれていなかった。数十段の下線に刻まれているのは、文字ではなく紙の皺だ。

 さらに同梱されていた写真は、誰も写っていない風景画である。

 これを見ても、ヤマトは初めからこの状態だったと思って疑わない。


「これがどうかしたの?」


 2人が深刻な表情で見つめてくるも、その理由がわからないとでも言うようだった。

 エルカはヤマトの変貌が怖くなった。

 白紙の手紙を見ながらどうやって、十数年抱えていたという思いを吐露したというのか。

 

「うそ……嘘ですよね?疲れてるから、上手く喋れてないとかじゃないですよね?」


「エルカちゃんこそ、なんでそんなに焦ってるの」


「なんでって、そんな。ヤマトさん、話してくれたじゃないですか!幼馴染の方とお手紙のやり取りをしてたって」


「幼馴染?さっきから誰のことを言ってるの。そんな話したっけ、俺」


 タチの悪い冗談だと、その演技で不安にさせようとしているのだと思いたかった。性格が悪いの一点で済ませられるなら、そうであってほしかった。


「ここにも落ちてるな」


 椅子に隠れた便箋をカマエルが拾う。半分血に浸かっていたこともあり、本文は読めたモノではなかった。だが、かろうじて読める箇所がひとつ。


「差出人、お前の名だ」


「な、なんだこれ。こんなの書いた記憶無いですよ」


「手紙を書いたって話ならお前から聞いてる。おそらくこの人間に宛てたんだろう」


「じ、じゃあこの水晶って……」


「ああ。遅かった」


 2人の言うことが、ヤマトには何ひとつわからない。別世界に迷い込んだようだった。

 カマエルに話を聞かせた自分は、本当に自分だったのか。

 エルカが疑いの目をこちらへ向けるように、ヤマト自身も狂ったのが外側だと思わずにいられない。

 だからこそ、カマエルの投げた問いは核心を突いた。


「紫水晶の性質、お前も知ってるだろう」


 紫水晶に冒された者は世界から根絶される。

 筆跡だけじゃない。そこに生きた面影や、人々の記憶、本人に関わった全ての事象が無かったことになる。

 その当事者になったと言われても、ヤマトにとっては信じ難いことだった。

 

「は、うそでしょ。俺が、この人に?大体、誰なんだよ」


 呆然と立ち尽くすヤマトへ、エルカはついに押し留めていたものが溢れ出した。

 "誰なんだよ"なんて、そんな風に言える関係じゃないハズなのに。


「誰って、ずっと文通してた幼馴染なんでしょ!?天使になるって約束を守るために、ここまで頑張ってきたんじゃないですか!」


 泣き叫ぶように言葉を叩きつけられても、エルカの言う幼馴染は記憶に見つからない。


「文通……約束……?」


「諦めてなかったんでしょう!?だから頑張って天使になって、彼女さんを守りたいんじゃなかったんですか!」


 忘れたなんて言わせないと、エルカは意地になる。

 それでも現実として、ヤマトの言っていた幼馴染は消えたのだ。命だけでなく、世界の全てから。 

 この状態でいくら言葉を投げかけても、会話は平行線である。


(俺たちにとっては、名前も顔も知らない人間が1人消えただけだ)


 2人にとっては、ヤマトから又聞きしただけの存在だ。言ってしまえば作り話だったとしても支障はない。

 それでもエルカが感情的になるのは、語り手だった時のヤマトを信じているからだ。


「天使になる約束なんて」


 母の心配、父の反対、世間の否定、これらを押し切ってまで天使になる理由が彼にはあった。

 しかし、その記憶は紫水晶が奪い去った。欠損した心の傷痕には、とめどなく濁流が流れていく。このまま放置していたら穴は塞がり、違和感すら感じなくなってしまうだろう。


 天界の危機に立ち向かえるような、そんな正義感を持つような男じゃない。

 天界神の守護を放棄してまで、誰がいるかもわからないこの場所に戻ってきたのは、なんのため。

 ヤマトは紫水晶に向き合い、じっと水晶の奥を見つめる。中には人影さえも見えない、本当にただの結晶だ。


「ほんとに、これが……?」


 エルカの真剣な訴えは、とても冗談で済ませられるように見えなかった。

 それでもやっぱり思い出せない。

 そこにいたのは、彼女の言う幼馴染なのだろうか。


 冷静にこちらを見るカマエルと、泣き出しそうなエルカ。ここまで何の見返りも無しに着いてきてくれた2人だ。

 今日を生きるのにやっとな時代だ、わざわざ他人に構っていられる余裕はない。それでも帰郷を手伝ってくれたのは、相応の理由があったことだろう。


「……たぶん俺のことだから、小っ恥ずかしいことも沢山喋ったんだろうな。はは、覚えてないのは不幸中の幸かもね」


 口から漏れ出したのは、渇いた声と諦めの吐息だった。

 結局、無人の町に出迎えたのは紫水晶だけ。エルカの言葉を信じるなら、目的は果たすことができなかったということになる。

 命を削って天使になった理由も、ここまで戻ってきた目的も全て忘れてしまった。

 それならもう、ヤマトに生きる意味は無くなったも同然だった。


「わざわざ連れてきてくれたのに、申し訳ないです。こんな終わり方になっちゃって。エルカちゃんも、ごめんね」


 振り向いたヤマトは笑った。まるで全てを投げ出し、諦めたかのような佇まいだった。

 エルカは喉の奥が凍えるように声が詰まる。彼から感じたのは、避難所でも見た死相と全く同じものだ。


「それじゃあ、ここで解散だな」


「ええ。俺のことはもう、()()()()()()()


「わかった」


 カマエルはエルカの肩を抱き、外へ出るように促す。しかし、エルカはその場で足を踏ん張った。


「ま、待って……」

 

 –––––1人にしてやろう。


 カマエルがそっと耳打ちする。

 それが、大人の気遣い、男のプライドということ?目の前で消え入りそうな人がいるのに、見て見ぬフリをすることが気持ちを汲むことになるのか。

 後悔したくない。立ち止まった理由はそれだけだ。


「ヤマトさんっ」


 紫水晶に向かい合っていたヤマトが、背中を向けたまま僅かな反応を見せる。

 右手は紫水晶に翳されていた。まるで割れ物を扱うように優しく、手のひらを添えていた。

 駆け寄るエルカをカマエルが引き止める。何故なら、ヤマトはもう。


(この町の、俺が守ろうとしていた誰か)


 生きる意味を失ったヤマトは侵食を受け入れる。

 接着面から徐々に結晶化が進んでいく。指先から手の甲、手首へと。

 彼もまた天界から消える。その命が、過ごした形跡が、人々の記憶から無かったことになる。

 

「ヤマトさんっ!!私……私っ!忘れたくない、忘れたくないです!」

 

 この紫水晶の忘却には、おそらく意図的に用意された抜け穴がある。

 結晶化を目撃した者に限り、存在の抹消から逃れられるのだ。

 エルカの言動は明らかにそれを知っていた。戦場に立つ天使ですら、この法則を知る者は少ないというのに。


(辛いなら、見たくなっていいんだ)


 死を眼前に、エルカは肩を震わせる。いつものように涙を堪えている。

 カマエルは強引にでもエルカを連れ出せなかったことを悔やんだ。

 きっとヤマトの死をいつまでも抱え込む。彼女が傷つかずに済むなら、いっそ忘れさせてやりたかった。


 ヤマトは2人の方へ振り向く。結晶化した腕は紫水晶に接続されたままだ。

 そして雰囲気が出発前に戻っていた。

 

「エルカちゃん。最後まで本当にありがとうね。全部思い出せた。約束も、守れたよ」


「お前……まさか」


 カマエルですら知らなかったことだ。絶望に身を投げたひとりの天使が、その命を持って証明した。


 –––––そこにいたんだ。ずっと、待ってくれていた。


 紫水晶の侵食と同時に満たされていくのは、ぽっかり空いた記憶の穴。彼女と過ごした日々の追憶が甦る。


 人々の心に忘却を撒き散らし、天界を蝕む紫水晶。

 忘却の呪いを解く唯一の方法は、紫水晶に自ら取り込まれることだった。 

 孤独を種に侵食する煉獄の魔力は、人の心に強く揺さぶりをかける。

 誰にでも失いたくない存在の1人はいるものだ。取り返すためなら、全てを投げ出すことすらできるような繋がりが。

 この紫水晶の正体は、間違いなく彼女だった。

 

 –––––どうして待ってくれてたんだ。


 結婚した夫も、町のみんなも、誰もがいなくなったこの場所で。

 10年以上も、天使になるのを待ってくれていたのか。死してなお約束を守るために、すれ違わぬように。

 ヤマトが燻っている間も、天界が破滅を迎えている間も、ずっと信じてくれていた。


 じわじわと紫水晶は侵食していく。もう右半身は完全に固まってしまった。

 ヤマトが残った腕を振り、こちらに何かを投げた。鈍い緑色の光を放ったそれは、エルカがかろうじてキャッチした。

 翡翠色の勾玉に紐を通したネックレスのようなものだ。


「銅輪試験の試験官から貰ったんだ。天使になった御祝品。俺は天使らしいことできなかったからさ。やっぱり相応しい天使(ひと)に待っててほしいんだ」


 紫水晶で口が塞がった。言葉の代わりにヤマトはサムズアップをこちらに向ける。

 忘却の呪縛から解放された表情は晴れやかだった。

 

(煉獄の侵略が起きてくれたお陰だ、なんて言ったら不謹慎かな)


 きっと天界が滅びなければ、自分は天使になろうとすらしなかった。顔を見ることすら叶わない距離で、だらっと人生が続いていただろう。

 諦めたフリをして胸に抱えていた思いも、ようやく解放される。

 

『ずっと、大好きだった』


 ヤマトは自ら紫水晶を抱き込んだ。結晶化を受け入れるように全身で覆う。

 接着した部分が増えたことで侵食は加速する。もう生きたまま切り離すことはできない。

 死を持ってようやく2人は繋がった。この再会は現世に持ち帰ることはできなくとも、ヤマトには些細なことだ。

 

 誰一人邪魔することができないこの場所で、いつまでも一緒にいよう。


 最期には、2人抱き合うような形の結晶が誕生した。中に見えていた人影は段々と消えていき、数秒前まで存在していた『ヤマト』という天使は世界から消えて無くなった。

 2人の記憶にだけ、面影を残して。


「……本当に、これで良かったんでしょうか」


「あいつの顔見てたろ。あんなに満足そうに逝ったんだ」


 現代を生きる天使にハッピーエンドはない。

 天界の守護者ではなく神の殿しんがりとして、終焉をカウントダウンするように命を散らしていく。

 そんな時世にも、天使になる者がいたのだ。世界よりも守りたい物を優先し、約束を果たすために奔走した者が。

 結局彼もまた、紫水晶になった。守りたい者も守れず、天界の為にもなれずの、犬死と見る者もいるだろう。


(奴にとってのバッドエンドかと言われたら、また違うだろうな)


 カマエルは、彼の最期の表情からそう読み取った。






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